セミナー「日本帝国崩壊後の樺太植民地社会の変容解体過程」(2012/05/18)参加記
2012/05/19
2012年5月18日、スラブ研究センター大会議室において、中山大将(学振特別研究員)報告によるセミナー「日本帝国崩壊後の樺太植民地社会の変容解体過程」が開催されました。
中山氏によれば、従来の植民地史研究は、帝国崩壊後の樺太を、非日本領であったという理由で非連続性を強調するあまり、研究対象としておらず、「引揚」時にとどめるだけではなく、現代にまで拡大して帝国の解体過程を検証すべきであるとします。そのためには、住民をアクターに加え、旧住民間の関係性、人口移動と運動を追跡する手法が有益となります。
報告内では、帝国解体の前史として、樺太植民地社会の形成が言及された後、移住・連行されてきた韓人の樺太社会における位置が詳しく語られました。敗戦後には、日本人が引き揚げ、その過程で残留日本人、残留韓人が多く発生し、ソ連人、中央アジアから高麗人、北朝鮮から朝鮮人労働者が樺太への移住することにより、新たな共住関係が生じたことが明らかにされました。中山氏はこれらの変容・解体過程を旧住民へのインタビュー、各運動団体の会報等を通じて資料を丹念に収集しており、特に韓人の多くが、母語の日本語化、教育等を経ることで単純な「非抑圧民」では捉えられないアイデンティティを強く有していたことを強調しました。
会場からは、南樺太と北方領土の旧住民の比較や、樺太に移住した日本人の本土における属性等、多くの質問が寄せられ、新しい樺太史観に対する聴衆の関心の大きさを伺わせました。
中山氏によれば、従来の植民地史研究は、帝国崩壊後の樺太を、非日本領であったという理由で非連続性を強調するあまり、研究対象としておらず、「引揚」時にとどめるだけではなく、現代にまで拡大して帝国の解体過程を検証すべきであるとします。そのためには、住民をアクターに加え、旧住民間の関係性、人口移動と運動を追跡する手法が有益となります。
報告内では、帝国解体の前史として、樺太植民地社会の形成が言及された後、移住・連行されてきた韓人の樺太社会における位置が詳しく語られました。敗戦後には、日本人が引き揚げ、その過程で残留日本人、残留韓人が多く発生し、ソ連人、中央アジアから高麗人、北朝鮮から朝鮮人労働者が樺太への移住することにより、新たな共住関係が生じたことが明らかにされました。中山氏はこれらの変容・解体過程を旧住民へのインタビュー、各運動団体の会報等を通じて資料を丹念に収集しており、特に韓人の多くが、母語の日本語化、教育等を経ることで単純な「非抑圧民」では捉えられないアイデンティティを強く有していたことを強調しました。
会場からは、南樺太と北方領土の旧住民の比較や、樺太に移住した日本人の本土における属性等、多くの質問が寄せられ、新しい樺太史観に対する聴衆の関心の大きさを伺わせました。