土曜市民セミナー「1949年以降のフィンランドでのスコルトサーミの生き方」(9/15)参加記
2012/09/15
2012年9月15日、北海道大学総合博物館において、土曜市民セミナー「1949年以降のフィンランドでのスコルトサーミの生き方」が開催されました。
講演者のヴェイコ・フョードルフ氏はスコルトサーミ評議会代表と同時に、トナカイ飼育業を営んでおり、自ら民族衣装に身を包み、大戦後のスコルトサーミの生存について、言語と文化の保護の観点から論じました。
大戦後の国境線引きにより、1949年にスコルトサーミ人がフィンランドに移住し、法律やインフラ整備により、生活基盤が作られると同時に、1972年の正書法によるスコルトサーミ語読本の登場で、母語の維持が可能となったことが大きなイベントとして強調されました。その一方で、スコルト・サーミ語を用いた就業の機会が、トナカイ飼育、スコルトサーミ語教育と限られており、今度はスコルトサーミ文化センターの建設等で、スコルトサーミ語話者の雇用が必要であると述べられました。
セミナーには40名余りの市民が参加し、スコルトサーミ語の具体的な状況、主たる産業であるトナカイ飼育の具体的な問題点等について、質問が寄せられました。
講演者のヴェイコ・フョードルフ氏はスコルトサーミ評議会代表と同時に、トナカイ飼育業を営んでおり、自ら民族衣装に身を包み、大戦後のスコルトサーミの生存について、言語と文化の保護の観点から論じました。
大戦後の国境線引きにより、1949年にスコルトサーミ人がフィンランドに移住し、法律やインフラ整備により、生活基盤が作られると同時に、1972年の正書法によるスコルトサーミ語読本の登場で、母語の維持が可能となったことが大きなイベントとして強調されました。その一方で、スコルト・サーミ語を用いた就業の機会が、トナカイ飼育、スコルトサーミ語教育と限られており、今度はスコルトサーミ文化センターの建設等で、スコルトサーミ語話者の雇用が必要であると述べられました。
セミナーには40名余りの市民が参加し、スコルトサーミ語の具体的な状況、主たる産業であるトナカイ飼育の具体的な問題点等について、質問が寄せられました。