土曜市民セミナー「展示関連研究員セミナー」(11/16)参加記
2013/11/16
2013年11月16日、北海道大学総合博物館において、土曜市民セミナーが開催されました。
井澗・平山両GCOE研究員が、大戦期を挟んだ前後の日本国境の変遷について、それぞれ報告を行いました。「北緯50度線と3人の旅人:明治大正期の樺太日露国境点描」の中で、 井澗研究員は、1909-18の間に50度線国境を旅した
中川小十郎、セルギイ主教、入江貫一の足取りを文献から辿ることで、北緯50度国境線の周辺は人跡未踏であり、国境観光で盛んに観光客が訪れるのは、南北樺太縦貫道路が開通した後の期間に過ぎないことを明らかにしました。北緯50度線国境が今日的な国境として機能していたのは1930年代後半以降のごくわずかな期間に過ぎず、国境地帯の実情については さらに研究を進める必要があると述べられました。
平山報告「冷戦の深化と『国境の顕現』:与那国・東アジア・東南アジア」では、戦後の東アジアにおける冷戦(中共革命、インドシナ戦争)の深化に翻弄され、米軍の基地化・本土への経済的従属に組み込まれる沖縄や与那国の様子が描き出されました。特に密貿易の取り締まりとB円導入が、これら地域の本土への従属を決定的にした、と平山研究員は指摘しました。配給制の物資不足を埋める形で活況を呈した密貿易が、共産主義勢力の物資調達に利しているとみなされて取り締まられると、与那国は西境界を遮断され、本土との貿易に依存してしまいます。また、アメリカにより導入された米ドル/B円/日本円の為替レートによって、米軍の開発投資資金が最終的には日本本土に流れ、かつ本土からの物資輸入に依存していく体制が作り上げられます。
両報告とも、戦争により国境線が変わった、という話に留まらず、当時の現地資料を掘り起こすことで、ステレオタイプ的な国境線イメージの見直しを迫るものでした。会場には50名余りの市民が詰めかけ、報告者に多数の質問が出される等、日本の歴史に対する市民の関心の高さをうかがわせました。
井澗・平山両GCOE研究員が、大戦期を挟んだ前後の日本国境の変遷について、それぞれ報告を行いました。「北緯50度線と3人の旅人:明治大正期の樺太日露国境点描」の中で、 井澗研究員は、1909-18の間に50度線国境を旅した
中川小十郎、セルギイ主教、入江貫一の足取りを文献から辿ることで、北緯50度国境線の周辺は人跡未踏であり、国境観光で盛んに観光客が訪れるのは、南北樺太縦貫道路が開通した後の期間に過ぎないことを明らかにしました。北緯50度線国境が今日的な国境として機能していたのは1930年代後半以降のごくわずかな期間に過ぎず、国境地帯の実情については さらに研究を進める必要があると述べられました。
平山報告「冷戦の深化と『国境の顕現』:与那国・東アジア・東南アジア」では、戦後の東アジアにおける冷戦(中共革命、インドシナ戦争)の深化に翻弄され、米軍の基地化・本土への経済的従属に組み込まれる沖縄や与那国の様子が描き出されました。特に密貿易の取り締まりとB円導入が、これら地域の本土への従属を決定的にした、と平山研究員は指摘しました。配給制の物資不足を埋める形で活況を呈した密貿易が、共産主義勢力の物資調達に利しているとみなされて取り締まられると、与那国は西境界を遮断され、本土との貿易に依存してしまいます。また、アメリカにより導入された米ドル/B円/日本円の為替レートによって、米軍の開発投資資金が最終的には日本本土に流れ、かつ本土からの物資輸入に依存していく体制が作り上げられます。
両報告とも、戦争により国境線が変わった、という話に留まらず、当時の現地資料を掘り起こすことで、ステレオタイプ的な国境線イメージの見直しを迫るものでした。会場には50名余りの市民が詰めかけ、報告者に多数の質問が出される等、日本の歴史に対する市民の関心の高さをうかがわせました。