ここ数年間Acta Slavica Iaponica(以下、アクタ)の編集を担当した。アクタ以外にも毎年1、2冊の論文集を編集していることにも示されるように、私は知る 人ぞ知る編集オ タクである。たとえば、私は様々な雑誌に自分の原稿を投稿するが、これは業績を追求してのことではなく、様々な編集スタイルを体験したいからである。実 際、投稿すればその雑誌の個性がよくわかる。Jahrbüher für Geschichte Osteuropas のマックス・オーケンフス、Eurasian Geography and Economicsのアンドリュー・ボンド、Europe-Asia Studiesのロジャー・クラークなどの名編集長たちとの友情や彼らから受けた叱咤激励は、私にとって一生の財産である。
もちろん、世の中、一流の雑誌ばかりではない。あちこちに投稿してみて唖然とさせられるのは、編集者が自分では原稿に目を通さない雑誌が案外多いというこ とである。こうした編集者たちは、投稿された原稿を査読者に機械的に転送し、書かれた講評を吟味もせずに投稿者に送りつけるのである(1)。 こうした雑誌 の査読者は水準が低いのが通例なので、とても改善意見とは思えない書き直しを要求されたり(一般的には査読者の要求には従うべきだが、例外はある)、ある いは査読者が査読者に許容される権力に酔いしれながら書いたかのような講評を送り付けられたり、次の段階に進んでも文章上の編集が手抜きだったりして、結 局、原稿を取り下げざるをえなくなる。二流の雑誌に論文を載せるのは一流の雑誌に載せるのよりもやさしいとは限らないのである。二流の雑誌、編集者に共通 しているのは、レフェリー制を、雑誌が原稿を選ぶ制度だと勘違いしているところである。日本の相対的に年配の研究者の中で、レフェリー制を嫌う人がいまだ に多いのも、実は、この勘違いのせいであるように思われる。実際には、レフェリー制は、著者に、正しく寄稿先(雑誌)を選ばせる制度でもあるのだ。ここに 機能しているのは仮借ない市場原理であり、人気のある書き手を惹きつけることができないような雑誌は、読者も惹きつけることができない。
編集者自身が原稿を読むという点では、日本の雑誌にも良心的なものが多い。アクタや『スラヴ研究』は、講評を寄稿者に送るにあたって編集者もしくは編集委 員会のかなり詳しい意見を書き添えているし(査読者と編集者の意見が食い違うことはままある)、私が知る限りでは『ロシア史研究』もそうである。
さて、アクタがレフェリー制に移行してからはや10年近くたつ。この相対的に短い間に、多分、Slavic Review, The Russian Review, Jahrbüher für Geschichte Osteuropas, Europe-Asia Studiesといったエリート雑誌に次ぐグループには入ったと思う(まだ一流ではないが1.3流くらいか)。私が特に心がけているのは、 ①優秀なレフェ リー網を作ること(これは欧文雑誌の有利な点である。邦文雑誌ではこれはずっと困難である)、②編集者が英語とロシア語を母語としていないという甚大なハ ンディを克服するため、校閲に湯水のようにお金と手間をかけること、③寄稿者の物質的な条件に合わせた援助をすること、である。①については、アクタに は、欧米の雑誌にはない長所がある。それはシンボリックな額とはいえ、査読者に謝礼を払うことである。だいたい私はhonor and obligationなどという標語は信用しない。professionalism cannot be freeという自作の標語をもってこれに替えている。たとえばブレア・ルーブルのような、多忙ゆえに雑誌の査読を原則的に断っている研究者でも、アクタの 査読はやってくれる。これは、スラブ研究センターとの間の友情のためでもあろうが、こちらが謝礼(つまり、最低限の敬意)を払うという条件も大きいように 思われる。
②については、周知の通り、アクタは寄稿時には自費での校閲を要求するが、いったん原稿を採択し、書き直し稿を受理すれば、校閲はこちらの責任である。言 語上の品質管理のためには、やたらと多くの人にファイルをさわらせないこと。アクタでは、私、校閲者、編集助手の大須賀みかさんの3名しかファイルにさわ る権利がない。著者のクレームは、ゲラへの書き込みか一覧表のような形で提出してもらう。これは、いかなる欧文雑誌にも共通する手順であり、編集済みの ファイルを著者にさわらせる雑誌などない。著者のクレームも、それが言語上のものであれば、ネイティヴ編集者(または研究者)との相談の上で原稿に反映さ せなければならない。もちろん、優秀な校閲者を確保することが決定的である。アクタの成長は、マーク・ハドソン氏、ドミトリー・パヴロフ氏や、助教授に なって以降、残念ながらあまり手伝ってくれなくなったマーク・ベイカー氏らのおかげである。
③の寄稿者の物質的な条件にあわせた援助は、CISからの投稿が多いアクタにとっては特に重要である。CISは、いまだに知的な孤立の中にある。たとえ ば、カザフスタンの権威主義体制について書いた人がリンスもオドンネルも知らない(名前を知っている程度)といったことはざらにある。それを指摘した査読 者の意見を著者に伝えると、「アルマ・アトィには、リンスやオドンネルの本がありません」などと言われる。こうした場合、私は、リンスやオドンネルをコ ピーして送ってあげることにしている。もちろんこれは、原稿そのものに見所がある場合であるが。西側の研究動向に通じたバルトの研究者が面白い論文を書け るかといえばそんなことは必ずしもないので、こうした援助は大切だと思う。とにかく、雑誌が多少有名になったからといって威張らないことである。威張るこ とで雑誌のプレステージが上がると思っている編集者や査読者がいるのには困りものだが、実際には、雑誌に必要なのは威厳あるやさしさである(この点では、 異性の関心をかちとる方法に似ている)。
アクタの伝統として、人文系と社会科学系(現状分析系)の双方に足場を置いていることがあげられる。上に挙げたような欧米の一流雑誌は、結局のところ、人 文系か社会科学系に特化することで水準をあげてきたのである。しかし、アクタはそのみちを辿りたくない。これは、アクタというよりもスラブ研究センターの ポリシーである。
日本人の中でアクタの常連寄稿者層が形成されつつあることは、ありがたいことだが、複雑 な感情も抱く。日本人にとってのアクタは、本当の意味で国際的な研究者になるためのスプリングボードにすぎない。若い研究者には、アクタで力試しし、国際 的に通用する書き方を学んだら、欧米やロシアの雑誌に挑戦して欲しい(それらがアクタより良質かといえば、そうでもないから困っているわけだが)。
(1)ちなみに、Slavic Review の編集長であ るダイアン・コーエンカーは、この任を引き受けた1996年から2003年初めまでに投稿された880の原稿について、「その通り 、そのすべてを私は読んだ」と豪語した(News Net: News of the American Association for the Advancement of Slavic Studies, 43:2, March 2003, p.1)。一見それなりに追いついたように錯覚しても、これこそが、容易には追いつけない北米のスラヴ・ユーラシア研究の底力である。 (編集部より:彼女の任期は2006年8月に切れ、現在後任の募集が行われているとのことです。AAASSホームページ参照。)