スラブ研究センターニュース 季刊 2006年 冬号 No.104 index
シンポジウムの開催のほか、サハリン州国立文書館での文献調査、サハリン州郷土誌博物館とチェーホフ「サハリン島」博物館の見学、ユジノ・サハリン スク市 内に残る樺太庁時代の建築物の訪問、コルサコフ郊外メレヤにある日露戦争期の日本軍上陸碑の現地調査など、ロシア側カウンターパートの大学・文書館・博物 館によって組織された一連の付随行事もまたサハリン・樺太史の研究にとってたいへん貴重なものでした。
シンポジウムに提出された合計13本のペーパーは、日本側ではセンターから『21世紀COEプログラム研究報告集』No.11の形で公刊されました(別項 参照)。同時にロシア側でも、これに対応する印刷物が今年2月にサハリン国立大学から刊行される予定です。
センター・ニュース 102号(2005年8月発行)でお知らせしましたように、2006年度における長期外国人研究員の正候補として、3人の研究者が決まっておりましたが、 そのうちの1人であるマーク・バッシン氏が、個人的事情により2006年度における長期滞在が不可能となり、候補から辞退されることになりました。その結 果、規定に従い、補欠候補として選ばれていたセルゲイ・コズロフ氏(Kozlov, Sergei Alexandrovich)を正候補として加えることになりました。
コズロフ氏は現在、サンクトペテルブルク国立大学に歴史学部教授として勤務されており、スラブ研究センターには2006年7月1日~2007年3月31日 の期間、滞在する予定です。専門分野は18~19世紀のロシアの歴史と文化であり、センター滞在中は、「ロシアの歴史意識における「内」と「外」:ロシア 人旅行者の目から見た西洋および東洋の近代」というテーマで研究をすることになっています。
鈴川正久氏のご寄付により1987年に発足した鈴川基金の奨励研究員制度を利用して、これまでに多くの大学院生がセンターに滞在し、センターおよび 北大附属図書館の文献資料の利用、センターで開催されるシンポジウム・研究会への参加、センターのスタッフとの意見交換をおこない、実りのある成果を挙げ てきました。21世紀COEプロジェクトが発足したのにともない、2007年度までの間は、「COE=鈴川基金奨励研究員」という名称で奨学研究員の募集 をおこないます。
募集は若干名とし、助成対象者は原則として博士課程後期以上の大学院生です。助成期間は1週間以上3週間以内です。募集の開始は2月中旬頃、締め切りは4 月末を予定しています。募集要項・応募用紙をご希望の方はセンターまでご連絡ください。なお、募集要項・応募用紙はセンターのホームページでも参照および ダウンロードできます。
昨年7月から今年の1月にかけて、4つの専任研究員セミナーが開催されました。
専任研究員セミナーは、事前に配布された当該研究員の未刊行論文に対して外部コメンテーターおよび当日出席した専任研究員全員がコメントを加え、報告者が それに対して答えるという形でおこなわれます。
岩下報告は、日本敗戦後1956年の日ソ国交回復交渉の時期までに北方四島をソ連がどのように認識していたのかを、アーカイブ資料を用いて検証することを 目的としたものです。論文の中では、検証作業の結果として、「ソ連にとっては二島の引渡しで最終的な国境策定をおこない、平和条約を結ぶという提案がギリ ギリの線であった」、「当時の日本外交はそれに対する認識もまた対抗するカードもあまり持ちえていなかった」という結論が下されています。
松里報告は、ポスト共産主義諸国の中からウクライナ、ポーランド、リトアニア、モルドヴァ、アルメニアをとりあげ、これらの国における「準大統領制」の空 間的多様化について焦点をあてたものです。結論としては、「ユーラシア・コア地域」(ウクライナ)と「欧州縁辺地域」(リトアニア、ポーランド)では、そ れぞれ異なる要因で、相対的に安定した準大統領制が実現したのに対し、「典型的な境界地域」(モルドヴァ、アルメニア)では準大統領制は不安定なものと なった、という「V字型的関係」が3つのメゾ地域の間に見られると主張されています。
田畑報告は、体制転換後のロシア経済構造がどのように変容したのかをマクロ統計数値を使って示そうとしたものです。論文の中では、「経済回復期において個 人消費に依拠する新しい経済メカニズムが生まれようとしている」、「経済成長メカニズムの転換においては為替レートと石油輸出が決定的な役割を演じ、為替 レートの変動において、石油輸出が規定要因となった」、「成長メカニズムの転換は、比較優位の変化に規定された」という3つのポイントを中心に分析がおこ なわれています。
宇山報告は、2005年3月に起きたクルグズスタンでの政変をとりあげ、それがいかなる意味で革命と呼びうるのかを、(1)前政権の性格と危機への対応の 姿勢、(2)事件への民衆の参加とそれを支えたダイナミズムとネットワーク、(3)新政権の性格・問題点、という3つの視角から分析しようとしたもので す。論文の中では「人的ネットワークの強靭さ」、「体制エリートの結束の弱さ」がクルグズスタンの特徴として指摘され、政治体制の根本的な変革がもたらさ れていない点で革命と呼べないが、陰謀によるものではなく民衆の積極的な参加があった点で革命と呼びうることが、結論として強調されています。
ニュース103号以降の北海道スラブ研究会、センターセミナー、及びSES-COEセミナーの活動は以下の通りです。
10月27日 | ||
■ | 宇山智彦(センター) |
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「新疆・カザフスタンの自然環境とクルグズスタンの政
治状況(現地調査報告)」(SES-COEセミナー)) |
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11月11日 | ||
■ | 本村真澄(石油天然ガス・金属鉱物資源機構) |
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「ロシアを中心とする旧ソ連地域の石油・ガス開発の現
状と展望」(SES-COEセミナー) |
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11月21日 | 緊急特別セミナー |
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■ | A. ルキン(モスクワ国際関係大/ロシア)、V. デニソフ(ロシア連邦元北朝鮮大使) |
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「ロシア外交と東アジア」 |
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11月24日 | スラブ・ユーラシアにおける東西文化の対話と対抗のパ
ラダイム研究会 |
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■ | 山崎佳代子(ベオグラード大) | |
「セルビア文学の東西:アヴァンギャルドから現代ま で」) | ||
12月3日 | 第13回「ロシアの中のアジア/アジアの中のロシア」
研究会/サハリン・樺太史セミナー(Ⅱ) |
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■ | 山田伸一(北海道開拓記念館) |
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「北海道に渡ったサハリンのロシア人囚徒」 |
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■ | 原暉之(センター) |
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「日本におけるサハリン島民、1905年」 |
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■ | 小山内道子(北海道教育大) |
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「N.ヴィシネフスキー著『オタス』とその周辺」 |
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■ | 塩出浩之(法政大) |
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「戦前期樺太における日本人の政治的アイデンティティ
について:参政権獲得運動と本国編入問題」 |
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■ | 池田裕子(北大・院) |
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「日本統治下樺太における学校政策の端緒:初等教育機
関を中心に」 |
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■ | 井澗裕(センター) |
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「貝塚良雄と樺太庁博物館」(SES-COEセミ
ナー) |
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12月17日 | 21世紀COE「スラブ・ユーラシア学の構築」/科研
「ポスト冷戦時代のロシア・中国関係とそのアジア諸地域への影響」合同研究会 |
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■ | 片桐俊浩(法政大・院) | |
「冷戦の内部構造:ソ連・ロシアに内在する冷戦産業の 実態」 | ||
■ | 兵頭慎治(防衛研究所) | |
「プーチン政権における『国家安全保障概念』の改訂を めぐる動き:『国家安全保障概念』から『国家安全保障戦略』へ」 | ||
■ | 袴田茂樹(青山学院大学)、岩下明裕(センター) | |
「日ロ関係の今後 | ||
12月17日 | 第5回「石油・ガスとCIS経済」研究会 |
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■ |
塩原俊彦(高知大) | |
「ロシアの石油・ガス会社の『内部』」 |
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■ | 本村真澄(石油天然ガス・金属鉱物資源機構) |
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「東シベリア・極東における石油・天然ガス開発の現状
と展望」 |
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■ | 小森吾一(日本エネルギー経済研究所) |
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「ロシアの国営石油セクターを巡る最近の動き」 |
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12月17 日 | アフターシンポ「ロシア・スラブSF幻想文学の世界地
図」 |
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■ | 久野康彦(放送大) |
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「ツ.ヤ.オドエフスキーとユートピア小説」 |
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■ |
越野剛(センター) | |
「ソ連時代の核戦争小説について」 | ||
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沼野充義(東京大) | |
「スタニスワフ・レムの時空間」 | ||
■ |
井上徹(千葉大) | |
「ソビエト映画における夢と幻想の表象の数例」 | ||
■ |
大野典宏、宮風耕治 | |
「ボリス・ストルガツキイのセミナーと現代の作家た ち」 | ||
■ |
岩本和久 | |
「現代ロシア文学とSF的想像力」 | ||
1月24 日 | ||
■ |
L.コサルス(国立経済大学/ロシア) | |
"Development of Clan Capitalism in Russia"(SES-COEセミナー) | ||
1月30日 | SES-COE「地域研究と中域圏フォーラム」第7回
研究会 |
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■ | 羽田正(東京大) | |
「イスラーム世界の創造と現代歴史学の創成」 |