スラブ研究センターニュース 季刊2007年春号 No.109 index

ロシア・グルジア滞在雑感

前田弘毅(センター)

 

前回の報告では、アメリカ・ロシア滞在について記した。ロシア滞在の後半とトビリシ滞 在について、ここに簡便に報告したい。

《グルジア語文書の「発見」》

トビリシのアルメニア教会にて、露土戦争で活躍した4人のアルメニア系将軍。手前がロリス=メリコフ
トビリシのアルメニア教会にて、露土 戦争で活躍した4人のアルメニア系将軍。手前がロリス=メリコフ

今回の滞在では、個々の国での滞在期間が限ら れていたため、見聞を広め、研究者ネットワーク の拡大に努める以上の成果は正直期待していな かった。しかし、ロシア滞在の最後には、偶然、 興味深いグルジア語文書を発見するに至った。モ スクワの文書館には、帝政ロシア期の内相・政 治家として名高いミハイル・ロリス=メリコフ (1824-1888 年)に宛てられた手紙などが残され ている。カタログの中に「ロリス=メリコフ宛の アラビア語の手紙 Писима к Лорис-Меликову на аравском языке 」との記述を認め、請求する と、実はアラビア語ならぬグルジア語の手紙が3 通出てきたのであった。特にグルジア貴族界の大 立者かつロシアのコーカサス統治で重要な役割を 果たしたことで知られるグリゴル・オルベリア ニ(1804-1883 年)が最晩年に記した手紙は、興 味深いものであった。アルメニア系出自のロリス =メリコフであるが、現在もトビリシのアルメニ ア人の多くがそうであるようにグルジア語にも堪 能だったといわれる(略歴については、和田春樹 『テロルと改革』を参照)。20 才年長で、おそらく北コーカサス戦線以来の知り合いと思われ るオルベリアニは、いわゆるグルジア・タヴァドアズナウリ(貴族士族)社会の重鎮として、 赤裸々な訴えをグルジア語でロリス=メリコフに行っている。グルジア科学アカデミー写本 研究所には手紙の草稿が残され、ロシア革命前に出版されたオルベリアニの評伝にも手紙の 内容が一部引用されているが、実際の手紙現物についての言及は管見の限りみられない。

《系譜学の友人たち》

3ヵ月の滞在は想像以上に短く、研究者のネットワーク構築も容易ではなかった。しかし、 前回も紹介したボブロヴニコフ氏の紹介で、モスクワ国際関係大学(MGIMO)のV. ザハロ フ氏の知遇を得、そのつてでコーカサス系の若手の友人とも知り合うことができた。特に経 済省に務める傍ら玄人の系譜学者としての顔も持つR. アブラミャン氏には、たいへんお世話 になった。一般に歴史学者と系譜学者の関係は良好とは言いがたいが、ここでは分野・言語 の違いと外国人としての利点から、忌憚の無い意見交換をすることができた。ロシア語とア ルメニア語を駆使する氏のネットワークは、当然アルメニア系が中心となり、主にグルジア 系に従事してきた筆者にとってたいへん新鮮な話を多く聞くことができた。もちろん政治的 には生々しい部分も少なくない。他方、系譜や歴史に関する共通の関心から、アゼルバイジャ ン系やグルジア系、ガラチャイ系 など多くの友人を得ることができ た。彼らの多くがたぶんに歴史研 究を「飯の種」としていない部分 も大きいと思われるが、ソ連期の 「民族史観」から相対的に自由なこ うした若い世代が現地のマイノリ ティー社会で発言権を持つことは 意味のある現象ではないかと考え られる。また、強烈なナショナリ ズムが今も幅を利かせる現地の状 況を考えれば、「避難所」としての ロシアのポジティブな位置づけを 見て取ることも可能かもしれない。

東洋学研究所ペテルブルグ支部の閲覧室
東洋学研究所ペテルブルグ支部の閲覧室

《ペテルブルグ滞在》

このように、短い留学期間の中で幾ばくかの成果を得たが、筆者にとり事実上初めてのロ シア滞在の中、最後まで希望を残していたのが、帝政ロシアの都ペテルブルグ行きである。 かの高名な文書館は周知のように閉じられたままであり、逡巡もしたが、滞在最後に、1泊 2車中泊という強行日程で、夜行列車を使い調査旅行を敢行した。海外滞在には、ある種の 高揚感が必要であろう。筆者には、いわば遅れてきたイニシエーションとして、今回の滞在 の中、この何とか無事に終わった旅行がもっとも思い出深い。切符購入からして、システム 故障などで延々と待たされたり、音の割れたスピーカーで聞き取りにくく、返答に窮すると「イ ンツーリストへ行け」と売り場の女性に怒鳴られてしばし立往生した。コンパートメントは、 往路は上の席ではじめはあまりに暑く、その後はなんのついたてもないベッドから落ちない か心配でろくに寝られなかった。復路は、下の席で安心して、孤児院運営に心を砕く向かい 側席に陣取る元ライコム職員と、その上の席で興味津々の(半分疑いの目を持つ)女性の会 話(2時間以上も続いた!)を横で楽しく聞いていたのは良かったが、暖房が故障しており、 モスクワに付く頃には枕が結氷していた。

実質的に二日しかなかったペテルブルグ滞在であるが、かねてよりの念願であった東洋学 研究所で史料調査を行うこともできた。ここでは、未だ完全な校訂が存在しないが、グルジ ア史における最重要史料の一つであるパルサダン・ゴルギジャニゼの写本他、長年手にした いと思ってきた様々な資料を直に手にとって観察することができた。

なお、モスクワに朝到着し、滞在先まで乗った地下鉄では、若者グループによるしつこく 続く黒人罵倒を目の当たりにして、改めてこの国の病巣を感じさせられた。そもそも邦人長 期滞在者にはテロ警戒から大使館から地下鉄使用禁止令がでていたが、他にも気分を害する 出来事もたまに見聞した。先の号でも記したが、プーチン政権以降のロシア社会の行く末は 今後も大いに注目される。

《そしてグルジア》

グルジア訪問は、昨年8月以来で半年ぶりであったが、丸一月の滞在は、留学(1999-2001 年) 以来であったし、冬に訪れたのもそれ以来であった。当時親しくしていた友人も、再編期の 只中にあるグルジアの学会の中で、たいへん難しい立場におかれながら奮闘している。古く からの知人は、歴史民俗研究所所長に抜擢されたが、研究員を4分の1にカットし(残った 研究員の給料は4倍)、リストラされた古参研究員から投げつけられた本で顔を負傷したとい う。写本研究所、東洋学研究所所長も、旧知の友人で筆者と同世代か少し年長だが、同じ問 題を抱えている。トビリシ大学のリストラも急激で、若い研究者すら多くがその職を追われた。 彼らが今度は研究所に移り、研究所の容量がより減っているという点もある。皆がお互いを 良く知っているグルジア社会では、人事を巡って様々な風説が飛び交い、変革はようやく始 まったが誰もその行方がわからないという状況が続いている。

《異様な数のタクシー》

そもそも、トビリシに久しぶりにゆっくり滞在して気がついたのは尋常ならざるタクシー の多さである。ある運転手は、水曜に職場に行ったら、月曜から首になっていたという。水 曜に職場に行くほうも行くほうだが、30 年務めていて誰も連絡をくれずに話も聞いてくれな かったということで憤慨していた。また、かつて「独自のシステム」で生活防衛していた警 察職員も皆職を追われ、たいへんな不満をもっていると話す運転手もいた。サアカシュヴィ リ政権は、昨年秋以来、親ロシア派とレッテルを貼った政治的反対派を大量に逮捕し、その 経過の中でのクライマックスの一つがロシア軍将校のスパイ容疑での捕縛とこれに対するロ シアのによる交通路遮断や経済封鎖であった。ここには国内外に敵を作ることで前進しよう とする政権の意思も感じられる。多くの住民にとり、こうした政争はかつても現在も(親戚 つながりで日本より身近とはいっても)やはり別世界の話で、とりあえずサアカシュヴィリ の活発かつ清新なイメージも健在のようである。しかし、トビリシの公害じみた空気の中に、 かつて筆者にとって身近であった停滞と澱みの気配を感じることもままあった。

《建築ラッシュと新空港》

トビリシでは、興味深いことにモスクワ同様の建築ラッシュもおきていた。これもロシア 同様に急速な貧富の差の拡大を暗示しているのかもしれない。昔からのタクシー運転手は、 現在もシェヴァルドナゼ時代の悲惨なたかりゆすり社会から、少なくとも路上でのおおっぴ らな恐喝が見られなくなった現在の状況について肯定的である。しかし、上で触れたように 警官リストラを愚痴る若い運転手は、かつての大多数が「何とかなった」社会が瓦解し、数 少ない政権エリートに利権ないし選択と収入が集中する現状に怒りをぶちまけていた。長い 目で見れば、ソ連社会の崩壊・再編過程であると思われるが、「民主化革命」を経ても浮かび 上がるのは過酷な弱肉強食社会の現実であり、結局のところ未だ旧ソ連邦のどこにも新たな 社会モデルは提示されていないように思える。物乞いの傍らで、数億円のマンションや豪邸 の分厚いカタログが転がるモスクワほどではないにしても、住宅の値段が異様な高騰を見せ ているとのことであった。

こうした民間建築ラッシュとは別に、訪問直前の2月には、トビリシに新しい空港がオー プンした。トルコの援助によって建設され、式典にはトルコとアゼルバイジャンの首脳も招 かれて蜜月振りを強調した。たしかに直接ターミナルから機内に入れるようになった点は喜 ばしい。もっとも、空港周辺は強風でも知られ、オープン後あっけなく屋根の一部が飛んで しまったと報道された。かつて政権批判の硬派ニュース番組で知られたルスタヴィ局は、バ ラ革命後、経営者の失脚、内部抗争(政権の介入が囁かれる)を経て、現在はニュース番組 は失速し、お笑い番組が人気を集めている。早速、若い司会者は、冒頭から「新空港で雨が 降ったらきのこが生えてきたってさ! でも、問題ないよ。それどころか、いい収入源になる じゃないか。」とジョークを飛ばしていた。空港のトピックは国際政治ではグルジア、トルコ、 アゼルバイジャン「3国同盟」の象徴となるが、このように市民は冷静に事の推移を見てい る。また、この番組の司会者も含めて、20 代の若者はほとんどソ連を知らない。旧ソ連の中 でもおそらく電力事情など市民生活が極端に不安定な時期がもっとも長く続いたグルジアで は、あまりにシビアでシニカルかつコミカルとさえいえた現実を見て育った彼らの世代が冷 静に国づくりを進められるか。答えは早急に出るはずもなく、おそらく今後20 ~ 30 年のス パンで見ていく必要があると思われる。わが国もまたそうした視点でその国づくりを適宜支 援していくべきであろう。


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