恥と罪の間の風景
セルゲイ・アルチュウノフ
(COE外国人研究員、ロシア科学アカデミー・民族額・人類学研究所)
[週刊誌『ウートロ・ロシーイ』紙 no. 8 (16), 1994年3月10日付より転載:井上訳]
ロシアの国家有機体のなかでカフカズが最も病んだ地点であるのは、何も今世紀が初めてではありません。その病いとは何でしょうか、またそれを如何に治療すべきでしょうか。モスクワの民族学・人類学研究所でカフカズ研究部門を統括するのは当該地域の諸問題に精通する碩学、ロシア科学アカデミー通信会員のセルゲイ・アルチュウノフ氏です。わが社のオリガ・ヴァシリイェヴァ記者の質問に対して、アルチュウノフ氏は以下のように語っています。
[問い]セルゲイ・アレクサンドロヴィチ、カフカズは世界でまず最も危険な地域であるか否かをめぐって、異なる意見が存在します。あなたのお考えで、これらのコンフリクトの原因は何でしょうか。
[答え]それは、多くの内的要因および外的作用と結びついています。ここにはまた、モザイク状をなすエスニック分布、境界の引き直し、強制移住を強いられた諸民族の問題も、さらにその他もろもろの問題もあります。しかしこれらに引けをとらず、多くの場合には決定的な役割を演ずるのが、地理的な起伏です。世界でいま最も危険な地域はどこでしょうか。カフカズ、パミール、カシミール、ユーゴスラヴィア山岳部、ピレネーですね。新大陸ではアンデス諸国(コロンビア、ボリビア、エクアドル)、メキシコの山岳部です。
それはまた社会的差異でもあります。平野部における封建国家ときびすを接して、山岳部では家父長制の氏族共同体が存続してきたからです。つまり、農業に起因する人口過剰、および平野部への恒常的な移民潮流の水源がそれです。また隣人に物欲を惹起する、さまざまな資源の集中もあります。
これに加えて、カフカズは二つの強力な文明圏が交差するという、ユニークな場所でもあります。まずその一つのユーラシアの草原文明圏ですが、ながらくスキタイ人(次いでテユルク、モンゴル、東スラヴ人)の支配下にありました。いま一つの中東文明圏は、世界に対してかなり顕著な影響を及ぼしたのち没落したとはいえ、イスラム教という現象を与えました。これもやはり、千年余に及ぶコンフリクトの種を規定します。
カフカズでは、伝統的な大国の利害が現地の《小帝国》の利害と重層しており、後者には事実上すべての現地国家が属しています。グルジアも、アゼルバイジャンもアルメニア(この国は実際は単一民族国家ですが、領土の拡張を志向しています)もその例外ではありません。ダゲスタンも北カフカズのすべての共和国も、エスニック集団の横並びのおかげでそのように呼ぶことができます。
これには「自らの名を冠した共和国を有さぬ」諸民族の利害、土地の不足、つまり一般的に言えば、ブルガコフ作品に登場するヴォランドの語るような「不足に気付いて捜し始めても、どこにもない」といった常態をも加えてください。このような情況において、資源の獲得をめぐって展開される集団間(集団形成の指標としては、民族的表徴が選ばれ易い)の格闘は、その規模をますます拡大してゆきます。
[問い]さて、コンフリクトのなかで、宗教はどのような役割を演ずるのでしょうか。
[答え]非常にしばしば、こう言われます。御覧なさい、キリスト教徒とイスラム教徒が戦っている、と。とんでもないことです。オセット人の間にはキリスト教徒もイスラム教徒もいますが、オセット人イスラム教徒のうちでは誰ひとりとして、同信のイングーシ人を支援しないでしょう。アジャール人――イスラム教徒のグルジア人――も、アブハズ人(その一部はイスラム教徒です)の側について正教徒のグルジア人と戦うことは考えません。
[問い]土地不足のため、大量のオセット人が平野部へ移住しました。より高い人口増加率を示すチェチェン人やイングーシ人にとって、移住はつい最近になって特徴的となったに過ぎません。もっと広くおこなわれるのは、出稼ぎのための季節移動です。オセット人の間では都市住民の比率がより高く、この事実はしばしば、彼等がキリスト教文化を持つからだと説明されています。
[答え]イスラム教がオセチアに到達するのは、ほかの地域よりも遅かったのです。それには二つの経路がありました。一つはイランからダゲスタン経由の道で、いま一つはクリミア・ハーン国からの道です。これら二つの波はカバルダの諸侯の家族において初めて際会しますが、これら諸侯は現在のイングーシェチアとチェチニャの平野に自らの家臣を有していました。オセット人はたまたまキリスト教徒として残ったと言うことができます。ダリ・ヤール渓谷(数百年にわたりカフカズ山脈を越える唯一の道であったグルジア軍道が、この渓谷を貫通しています)に立地するという彼等の戦略的位置が、ロシアとの早期の同盟を促進しました。キリル文字で記されたオセット語の書物は、早くも18世紀に出現しています。ここにはまたヴラヂカフカズ、モズドクといった最初の都市も成立します。これらは多民族都市でしたが、そのことはまたロシア文化、およびそれを介してのヨーロッパ文明の受容をも運命づけました。
[問い]では、グローズヌイが建設されたとき、同じことが起きなかったのはなぜでしょ う。
[答え]そこにはイスラム教がすでに深く根付いていましたから、信仰のみならず言語をも異にする諸民族の相互作用は阻止されたのです。
[問い]私には、そして私ひとりではなく多くの人にとっても、ロシア人はカトリック教徒やプロテスタントとよりも、イスラム教徒との間で何となくより率直に付き合うことができるという感触が常にありますが...。
[答え]人類学には罪の文化と恥の文化という区分があります。したがって、西ヨーロッパの諸民族にとって、つまりカトリック教徒にも、そしてプロテスタントにとっては最高度に、罪の文化が特徴的です。アジア系諸民族にとっては恥の文化が優勢です。罪の文化の極端な現われはカルヴィニズムとその「プロテスタントの倫理」ですが、恥の文化のそれは儒教です。ヨーロッパ人は自らの罪深さの自覚に苦しみ、彼は罪を自らの労働であがなったゆえ、神も彼の側にあることを立証すべく、超成就を目指すのです。彼の心は常に罪の意識に苛まれ、「骸骨は戸棚の中に立つ」という訳です。
カフカズの人間は、百体の骸骨が戸棚にしまわれていたとて意に介しません。重要なのは、これら骸骨がそこから転げ落ちてこないことなのです。特定の情況のもとでは、彼は略奪することも、殺人を犯すこともできますが、そのことで罪を感ずることはありません。しかし、伝統的な慣習律――アダツト――が彼に、礼節に違反することを許しません。罪の方は何とかして逃れうるとしても、「面子の喪失」はそうはゆかないのです。
[問い]それはロシアの情況と酷似していますね。
[答え]ロシアはヨーロッパとアジアの間の中間的文化です。無論、両方向は世界のすべ ての民族の文化に併存します。問題は、如何なる感覚が優勢であるかによって、行為が予め 決定されることです。
[問い]すると、これらすべては責任の感覚とどう結び付くのでしょうか。ヨーロッパの多くの人は、ロシアに見られるリェフ・グミリョフのアイデアへの大熱中に驚いています。私の友人のひとりは彼を無責任の哲学者と呼びました。彼の民族学理論では実際に、人間の運命がその人自身によってではなく、エスニック集団がおかれた発展相によって決定されるというのです。ロシアのすべての改革の意味は、「ヨーロッパ相」へ突入することに帰せられると私には思われます。そしてその都度、ロシアは敗北を喫してきました。ロシアの指導者らの最近の行動に見るかぎり、当面の近代化の試みもやはり成就しませんでした。これは果たして、「グミリョフ式」宿命論なのでしょうか。
[答え]そこにもやはり文化の周辺的性格があります。突破をあえて辞さぬ者と寡欲に堕する者との間のコンフリクトが常に存在してきました。そしてロシアでは後者の方が常にはるかに多数でした。
[問い]モスクワは帝国的野心の放棄を宣言しましたが、カフカズでは多くの人が懐疑的で、この点でモスクワを非難し続けています。あなたはロシア政治のこの方向をどのように評価されますか。
[答え]今日のロシア指導部の政治は、最上層部にいる誰ひとりとして権力の再配分に応ずる用意がないという限りにおいて、帝国的であると看做すことができます。とはいえ、例えばタタルスタンとの条約のように、関係を文明的な路線へ移す試みも出現しています。
カフカズに対するロシアの政策は、自然発生的な、いまだ意識化されていない政策としては存在しますが、明確には定式化されず、規範化された条文としては存在しません。ロシアの政策は数世紀にわたって不変で、常に二面政策でした。支配層エリートの政策は、あらゆる手段を弄してカフカズにおけるロシアの軍事・政治的プレゼンスを強化する一方で、民衆的政策の方は善隣関係と文化的相互影響を旨とし、もし好ましい場合にはより高い文化要素を注入するというものでした。
[問い]あなたはこの概念を使用するのを恐れませんか。無論わが国では、すべての民族が久しく文明民族と非文明民族に二分されてきましたが、これは正しいのでしょうか。
[答え]あらゆる文化が自ら独自の価値を有することは間違いありません。しかし今の世界では、伝統文化のみによって生きることはできない仕組みになっています。最善の組合せは、地元の伝統文化と、世界文化、「都市文化」、西ヨーロッパ文化との根底的な綜合です。これに最も成功しているのは日本人でしょう。
[問い]もしカフカズ危機の本質が土地の起伏のみによって説明されるとしたら、それは果たして調整が可能なのでしょうか。
[答え]御承知のとおり、開けた土地でならば危機もあれ程までに激烈を極めることはなかったでしょう。鎮圧が容易だからです。そのような事例は結局のところ、オセチアの都市周辺地区における出来事が示しています。確かに粗暴で、一方的で、かつ混乱を極めたとはいえ、問題はイングーシ人に対する民族浄化という方法で解決されています。コンフリクトの初期段階でならば、誰が初めに仕掛けたか、誰が最初に「お前は一体何者だ、そこで何をしとる。」と言ったかを解明することも可能でしょう。度重なる戦闘のあと、非戦闘員の間に無数の犠牲者を出したのちは、誰が正しくて、誰が責めらるべきかを究明することはもはや無意味です。
カフカズにおけるコンフリクトを調整することは可能です。しかしそのためには、まず第1に、和平創出要員の維持に莫大な費用がかかりますし、そして第2には、公正さと誠実な良心が必要です。ところでわが国ではこの後者の品々が、お金よりも大幅に払底しています。そして、この際にはコンフリクトの両当事者から汚物か、さもなくば石が投げられるという事態を覚悟する必要がありましょう。
そして、いま一つの特徴もあります。コンフリクトの多くでは――ソ連であれ、ロシア連邦であれ――中央に責任がありますが、その罪状は直接の挑発ではなくて放置にあります。スムガイト事件も、北オセチアの事態もそうでした。
[問い]政治家の無責任のことですね。
[答え]次のような決まり文句でお答えしておきましょう。「これら《尻の黒い奴》は存分に殴りあわせるがよかろう。彼らはそのうちに悟り、われわれの許へ這いよって来ようが、干渉はせぬことだ。」
[問い]そのような公式をおおっぴらに述べるのはジリノフスキーだけです。
[答え]ジリノフスキー氏は、投票所に足を運んだロシアの有権者の25%から支持されています。
[問い]西欧の私の同僚たちは旧ソ連における外国人嫌いに驚くことをやめず、しばしば次のように尋ねます。「われわれのところ――つまりアメリカやヨーロッパ――では、教育水準が高ければ高いほど外国人嫌いは減少するが、ロシアでは逆ですね、なぜでしょうか。」
[答え]パスカルが「小なる知識は神から遠ざけるが、大なる知識は神へ近づける。」と述べたことは御存知でしょう。神との完全なる合一とは、偏に原罪以前のアダムとエヴァの無辜のことであると了解されてきました。神の代わりに、善についても正義についても語ることができます。全く単純で、教養に関わりのない人間は、外国人嫌いとも、また人種主義とも無縁です。彼にとってはすべての人間が、彼自身と同じ自然児なのです。「小なる知識」、半啓蒙が出現するとき、人種主義やナショナリズムが登場します。「大なる知識」への移行が真の人道主義とインターナショナリズムをもたらすのです。残念ながら、わが国の全システムは多年にわたり浅学の徒を作り出しています。偉大な学者や芸術家の間で真の外国人嫌いは、極めて稀れで変則的な存在ですが、学者にも芸術家にもなり切れなかった者の間には、外国人嫌いがわんさといるのです。
[問い]しかし、私たちは今日、異文化の諸要素に対する拒絶、障壁の設営という形で、外国人嫌いの増大を西欧社会にも認めますが...。
[答え]特徴的な挿話を一つあなたに紹介しましょう。マーガレット・サッチャーがかつて、まだ英国首相になる前のことですが、移民制限策を支持する演説をおこなったことがあります。知識人の間で彼女を支持したのは、長らく英国に暮らす黒人ひとりだけでした。彼はこう言ったのです。「マギーは正しい。これら移住者らはきっと、われわれすべてを喰い尽くしてしまうぞ。」
ら移住者らはきっと、われわれすべてを喰い尽くしてしまうぞ。」