エッセイ

    スラ研の思い出(第7回)


   1999年秋モスクワ大学経済学部事情

溝端佐登史(京都大学)

 1999年10月〜12月にモスクワ大学経済学部客員研究員として黄金の秋、下院選挙戦そしてチェチェン侵攻下での少しばかり警備が厳しいモスクワを満喫してきました。友人を介してホームスティも体験しましたので、研究者の目線と同時に生活者の目線も保つことができたように思います。秋は学会シーズンでもあります。自分自身の報告を含め、いろいろな種類の学会に参加することができましたので、私なりに実りの秋にすることができたように感じています。
 そこで、小稿では私なりにみた1999年秋時点でのモスクワ大学経済学部の状況を学会とともに簡単に紹介したいと思います。なお、下に扱う学会以外に参加した学会として次のものがあります。1.ロシア経済大学「移行期経済における国家セクターの改組」10月14-16日(於中央数理経済研究所会議室)、2.モスクワ大学「世界金融主義と世界の運命」10月26日(於モスクワ大学)、3.International Academic Conference“The World Crisis of Capitalism and the Post-Soviet States”10月30日〜11月1日(於ソユーズホテル、主催:科学アカデミー;「民主主義・社会主義研究者連合」;雑誌Alternative)、4.モスクワ大学経済学部政治経済学講座国際理論セミナー「21世紀へのロシアにおける社会経済システム」11月2-3日(於モスクワ大学)、5.モスクワ大学経済学部「高齢化社会の人口学的・社会経済学的諸問題」11月18-19日(於モスクワ大学、モスクワ大学経済学部人口経済問題研究センター主催、第2回Balenteev記念大会)、6.モスクワカーネギーセンター経済セミナー円卓会議「1999年議会選挙直前の主要政党の経済プログラム」11月22日(於モスクワカーネギーセンター)、7.全ロシア国際経済フォーラム「21世紀ロシアの経済発展戦略」11月23日(クレムリン大会宮殿、国際経済学者連合、科学アカデミー、国際機械生産者連合、国際協力協会、企業家委員会、国際金属連合、他の研究機関主催)、Gモスクワ市立教育大学・GRINT (Centre for Education) 主催「第3回ロシア政治家とのアメリカ学生セミナー・討論会」11月25日(於友好の家)などです。関心がありましたら、直接にお問い合わせ下さい。
 私はロモノーソフ名称モスクワ大学経済学部の政治経済学講座、社会経済転換理論センターに所属しました。講座を紹介した解説書によると、政治経済学講座は1804年に講義を開始したと言われ(1999年はモスクワ大学経済理論講座生誕195年と記されたポスターが張り出されていました)、19世紀末〜20世紀初にかけてМ.И.トゥガン‐バラノフスキー、С.Г.ストルミリン、А.А.ボグダーノフなどの当時の著名な経済学者がこの講座に出入りしておりました。1941年に経済学部となり現在に至ったそうです。講座の性格から、マルクスやレーニンの経済理論に傾き、その論争をリードしてきたわけですから、当然のことですが、ソ連時代にこの講座は「花形講座」と言うことができましょう。もっとも、体制転換以降、状況は芳しくありません。カリキュラムを見ても西側のそれと何ら変わらずマクロ・ミクロ(新古典派経済学)、数理経済学が中心で、サミュエルソンなど西側の多様な経済学教科書のロシア語訳が書店の真ん中を陣取っています。とくに同じフロアにある会計講座や企業家養成コースなどの(羽振りがよさそうな)実用的領域に比べると、政治経済学講座は研究・教育の待遇面、財政面、ついでにサイドビジネスの可能性など困難な問題にぶつかっているように聞いています。市場経済の浸透は実際のロシア市場よりも学問領域のなかに深く浸透し、経済格差が研究格差を生み出しつつあるようにも思えます。お金で思い出しましたが、どこの研究機関でも研究費の確保が大変なようです。世界経済・国際関係研究所も古くて格式ある研究機関ですが、1階フロアを銀行が占領していて、そのテナント料が重要な収入源になっているようです。
 政治経済学講座には1999年秋学期に次の6つの研究課題コースが設定されています。ロシアの経済学者の問題意識と体制転換にたいする視線を考えるうえで興味深いと考えられますので、簡単にコース代表者および参加者数とともに列挙しておきます。1.制度経済学(А.А.アウザン教授、6名)、2.社会経済システムの転換(А.В.ブズガーリン教授、14名)、3.再生産と経済成長(В.Н.チェルコヴェッツ教授、8名)、4.現代世界経済過程(Г.Г.チブリコフ教授、14名)、5.市場経済の金融制度(В.В.ゲラシメンコ教授、7名)、6.経済メカニズム理論(Ю.М.オシポフ教授、11名)。
 滞在中に経済学部のいくつかの授業に出させてもらいましたし、私自身も学部の体制転換理論の授業を担当することにもなりました。そのなかで11月24日に2年生の演習の授業(学生総数24名)にでたのですが、とっても面白くてかつ感心させられた経験ですので紹介しておきます。
 この日の授業は大統領選挙を模して、3つの政党から大統領候補(もちろん学生さん)をたて、それぞれが経済政策を提言し、相互に批判し合い、最終的に学生によって投票して「大統領」を決めるというものです。経済政策論の学習と移行経済の理論研究を一挙に実践的に行おうとするものです。3つの政党とは、1.リベラル派、2.社会民主主義(社会主義)、3.中道派で、それぞれマクロ経済政策を公表(「演説」)するのです。例えば、リベラルは自由化、安定化、インフレ抑制を強調し、中道は選択的産業政策、社会主義は生産の安定化、私有化批判(市場化を維持しつつ)を主張します。相互に財政赤字はどうするんだとか、経済成長できるのか、東欧の経験はどうか、中国の経験はどうか、などの質問が飛び交います。適当なところで教員が解説したり、学生に質問を浴びせたりもします。最後に、大統領候補者自ら支持を求める演説をし、投票(手を挙げるだけです)が行われました。第1次投票では1−7、2−11、3−6で、第2次(決戦)投票では1−5、2−19となりました(全体の雰囲気におされリベラルから脱落するものが出て、勝ち馬に乗る行動が見られたわけです)。国家の安定が経済政策の安定の前提であるということが社会主義支持要因なのでしょうが、社会主義派の代表者の人を引き付けるようなすばらしい演説能力がこの結果に大きく反映しているようです。結果はともかく、各人の問題意識、報告の準備、報告、議論の水準、授業にたいする積極的な態度を日本のそれと比べますと、日本人の聴講にたいする「よそ行き」の態度を割り引いても、相当高いことは間違いありません。
 ところで、戦後歴代の講座長のなかで、もっとも長くその職をつとめ、著名な経済学者はН.А.ツァゴーロフ(1957年〜85年まで講座長)でしょう。私がちょうど大学生のころに(1975年)かれが編者となった『経済学教程』のうち第2巻『社会主義』という有名な教科書が、『社会主義経済学』(上下)という形で翻訳出版されましたので、私にとっても感慨深いお名前です。ちなみに、今回のモスクワ滞在中、歴史上の人物にお会いしました。11月22日にクレムリンで行われました「全ロシア経済フォーラム」に出席したのですが、そのときにかつてのソ連ゴスプラン(国家計画委員会)議長Н.К.バイバコフにお会いし、少しお話をするとともに、ちゃっかりサインと写真ももらってきました。1911年生まれの88歳ですからすっかりおじいちゃんになっていましたが、何とかれは今も現役なのです。現在、かれは科学アカデミー石油・ガス問題科学研究所顧問になっていました。かれは1930年代初期にアゼルバイジャン石油機関出身で油田の指導者の経験もあったこと、60年代に石油、化学関係の官庁を指導したことなどから、この職に就いたのではないかと推察しますが、かれのバイタリティーと天下り・コネによる生き残りの強さを感じてしまいました。ノメンクラトゥーラの生き残りがよく囁かれ、経済エリートでも2/3は過去のエリートを引き継いでいると言われます。そのうえ、エリートや階層・階級を研究した書物がたくさん出版されていますが、単純な私はスターリン時代を知るソ連史の生き証人に出会ったことの意味の大きさに感動してしまいました。
 話をもとに戻しましょう。ツァゴーロフは今でも講座のなかでもっとも尊敬されている講座長で、事務室にはいつもかれの写真が飾られています。そのツァゴーロフの名前を冠した学術集会(「ツァゴーロフ講座」)が毎年(だと思うのですが)11月に行われます。かれが創り出した研究の伝統を偲び、複雑な現代の社会・経済過程を分析しようというもので、毎年特定の論題が設定されます。例えば、1996年には「移行経済の経験と経済理論」でした。
 1999年度の集会は11月18日に「現代経済理論の内容・構造・論理」という理論的な問題が取り扱われました。会場は200名ほど入る教室で、向かって正面にツァゴーロフの写真と花が、右脇にこれまでの経済学部(同講座)の主要な業績がおかれ、左正面には報告者のための演壇があります。ツァゴーロフゆかりの方々も最前列席に陣取っています。もちろん、会場は開始時刻にはほぼ満席で、心地よい緊張感が漲っています。その場がどのように進行するのか分からないという不安感と私自身の理解力の制約からすべてを正確に再現することはできませんが、印象に残ったところだけを少し紹介しておきましょう。

左側は司会のパラホフスキー教授
(背後にツァg−ロフの写真)


 まず、経済学部長В.П.コレソフの「開会の辞」があり、次いで司会の講座長А.А.パラホフスキーが集会の論題趣旨を説明します(冒頭報告)。
パラホフスキーは、現代世界が直面している問題として、次の点をあげます。グローバル化のなかで国民経済モデルの多様性と国際的なレベルでの均質性の強まりが示されている、経済的個人主義の価値観が強まっている、20世紀はアメリカの時代で、アメリカモデルが理想化されたが、21世紀は地域的な競争力を保証する主要因として「統合的集団主義」が強まる、市場の発展において国家の経済的役割の進化が特別の位置を占めている、企業経営の効率は所有形態で保証されず、市場の動機付けを伴う混合経済が形成される、総生産における物的生産の比重の低下からサービス経済化(ポスト経済)が進行している。経済学はこうした問題に挑戦しなければならず、そこで次の3点が課題内容になると言います。1.経済学研究における方向、理論、学派がより多様なものとなっており、多元主義的な接近態度が必要である、2.経済理論の選択において体系性や知覚可能な現実性などが重要である、3.経済学における学際性が高まり、それには人文科学、数学やアジア研究などが含まれる。そのうえで、かれは経済システム理論における共同研究の重要性を提起します。
 論題に関して、各人の主張を綴った小冊子は配られていますが、それを踏まえて、事前に希望した者が順次演壇に立ち、5分から10分程度で「敬愛する同僚の皆さん!」で演説が始まります。当日配布されたプログラムには45名の氏名と論題が記載されていますが、実際には全部で21名の報告者が立ち、合間に若干の質疑をはさみますが、概ね次から次に何か「決意表明」のような形で「演説され」ます。
トップバッターは97年まで10年間講座長であったВ.В.ラダエフ「現代経済理論構成の諸原則」です。400年間にも及ぶ経済学の歴史が市場関係の研究を対象としたもので、現在、経済的人間と情報を基礎にして転換期市場を分析することを提起します。
 В.Н.チェルコヴェッツ「経済理論のいばらの道から新しい方針へ」は、かつての教科書を集約的な仕事と評価したうえで、西側経済学の流入はやむをえないとしてもマルクス経済学の重要性、新しい経済学教科書の必要性を強調します。
 С.С.ザラソフ「計画・市場経済モデル」は、今日の集会が新古典派経済学の主流下で開催されている点で過去とは区別されると言い、計画経済の拒絶とマネタリストの市場モデルへの移行の試みは正当化されないと主張します。そして、ツァゴーロフの見解は「計画・市場モデル」で、その発展はマネタリズムではなく、ポストケインジアン、カレツキーモデルだと言います。
 И.Е.ルダコワ「経済理論の総合問題と展望」は、経済のグローバル化と脱工業化社会の編成がどの学派の経済学者にとっても挑戦対象になることを強調します。
 А.В.シドロヴィッチ「理論分析対象としての国民経済」は市場経済には混合性があり、経済のグローバル化が重要であると言います。
 А.А.ブズガーリン「経済原論の教科書編成に寄せて」はツァゴーロフからネオマルクス主義に至る過程の重要課題として、経済生活と経済メカニズムの相関関係、革命の分析、政治的調整過程としての移行経済の研究をあげ、グローバル経済の研究が市場分析において重要になっていることを訴えます。
 В.В.ゲラシメンコ「経済理論全般における体制転換過程の理論」は、新古典派理論の伝統的パラダイムの深化が生じていることと経済システムの比較研究では動態分析と多様性が重要になっていることを指摘したうえで、体制転換は経済システムの枠内、経済システム間、国際的側面の3つから捉えられると言います。
 大学院生が果敢に問題提起をします。今回の報告者のうち11名がマルクス主義者だと大胆に指摘し、経済学の流れにおいて現実分析こそが重要だと訴えかけます。
 鈍い私がこの時点で気がついたのですが、Economics(M.マーシャルが用いて以来の近代経済学でいう経済学)のロシア語版《Экономикс》(エコノミックス)がもはや何のためらいもなく使われています。もちろん、研究社の辞書にも岩波の辞書にも経済学を意味する《Экономика》という用語はありますが、《Экономикс》の用語は見当たりません。市場経済化は言葉、学問体系、概念に大きく影響していることがよく分かります。
 最後に、К.А.フビエフ「経済理論における新しい内容について」と取りまとめ役の講座長が新しい経済学教科書編纂の必要性を論じます。
 少し、全体の見解に私見を述べれば、マルクス経済学の再生を指向する者が比較的多いこと、そのために次のような問題接近が見られることが特徴としてあげられると思います。1.制度学派やネオリカード派(ゲラシメンコ)、進化的接近、ネオケインジアンに注目する、2.グローバリズムに注目する、3.国境が薄くなることと対照的に、国民経済や文明が分析対象として意味をもつことを強調する、4.脱工業化社会化を強調する、5.人間や経済主体に注目する、以上です。しかし、経済学の接近における閉塞性を打ち破るこうした試みや方向性はどの程度ロシアの独自性あるいは積み重ねのうえにあるといえるのでしょうか。科学アカデミー経済研究所の知人は新しいパラダイムについて、大部分は西側の理論を基礎にしていると訝ります(М.ボエイコフ)。右は新古典派、リベラリズムから左は環境、脱工業化、進化・制度的接近まで。ちなみに、私の友人は日本の理論家として堺屋太一経済企画庁長官の書物「知価革命」も利用しています。そこで注目されるのは、伝統的なロシアの経済学、哲学なのですが、その形はまだ見えないようです。
 しかし、このような討論会から私は多様な立場から経済学の方法、研究・教育について真摯な接近と議論がなされ、それに大学院生も含め多くの参加者があったことを評価したいと思います。ややもすればタコツボ化といわれる経済学の研究動向において、互いに課題を確認し、教科書の作成を指向することは、学問発展の起点と言えましょう。モスクワ大学政治経済学講座195年の歴史はここに生きていることをあらためて実感しました。

センターニュースNo81リスト