センターでの生活

マイケル・ヒッキー(ブルームスバーグ大学歴史学部/ 
センターCOE外国人研究員として滞在中)

白露に 風のふきしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞちりける   文屋朝康
 こんなに美しい秋の日には豊平川に沿ってサイクリングをするか、円山に登って石仏たちの写真を撮りながらハイキングをしたくなります。北海道に別れを告げるのは、どうやら辛いことになりそうです。私にとってこの4ヶ月間は心地よいものであり、スラブ研究センターはその名高い評判にまさる場所でした。
 私はセンターで2つの仕事をしました。それは、スモレンスクにおける1917年革命の歴史と19-20世紀のスモレンスクのユダヤ人に関する研究です。私はいくつかの論文と1917年についての本の数章を書きあげましたが、地方ユダヤ人の歴史に関する研究が私の関心のほとんどを占めていたといえるでしょう。私は、私の本「Sown With Tears :スモレンスクのユダヤ人」(1860年代以前のスモレンスクのユダヤ人移住地、帝政末期の地方コミュニティ、そして1917年革命期の地方政治)の3章分の草稿を仕上げ、またコミュニティの人口統計についてのかなり長い論文原稿を完成しました。
 スラブ研究センターは素晴らしい場所であり、兎内さんをはじめ仕事熱心なライブラリースタッフの皆さん、そして極めて優秀な事務スタッフ、二瓶さん、大久保さんをはじめ、時計のように忙しく駆け回って働いていた事務掛の皆さんに感謝します。また私のコンピューターがトラブルを起こした時には、室賀さんと梨澤さんは敏速に、ユーモアを交えてどんなに奇妙に思われる注文に対しても対応してくれました。スーザンと私は、外国人研究員たちの日々の暮らしを快適にするために様々な事をして下さったスラブ研究センターの働き者のスタッフの皆さんの親切を懐かしく思い出すことでしょう。

筆者 登別近くのクッタラ湖で

 スラブ研究センターの外国人研究員には様々な資料等の収集が可能でしたが、センターの同僚のサポートが私にとっては何よりも一番心に残るものでした。村上さんは、サマーフェスティバルの際に花火見学ツアーを企画するなどして、外国人研究員達をリラックスさせてくださいました。松里さんの個人的かつ研究者としての助力には感謝するばかりで、また彼の学識の広さと正確さには今も驚くばかりです。また、私たちのここでの生活がより心地よく、計り知れないほど楽しいものとなったのは田畑夫妻のおかげといえるでしょう。田畑さんは私たちの到着まで、私からの山のようなEメールでの質問に丁寧に答え、私たちの生活や仕事の札幌への移行はスムーズなものになりました。私たちの寛大な友人である田畑朋子さんは休暇から旅行、医者での診察に至るまで根気よく私たちを助けてくれました(彼女は札幌の美味しいレストランをすべて知っているのです)。山村夫妻は北海道での楽しみ方について、登山から温泉旅行、枝豆の料理法に至るまで教えてくれました。家田ファミリーには暖かなご招待を受け、それは私たちが日本の生活を理解する助けとなっています。また、スラブ研究センターの教授の皆さん、例えば林さん、井上さん、宇山さんとの会話や、日本の他の研究機関の先生方、特に豊川先生や外川先生との出会いによって、日々多くの影響をお互いに得ることができました。
 最後に他の外国人研究員の方々がスラブ研究センターにおける私の生活や仕事をより豊かなものにしてくれたことを記したいと思います。それは、ルネオ・ルキッチ氏の比較歴史学における洞察力、アルバハン・マゴメドフ氏の仕事に対する驚くべき熱意、そして私たちの隣人ラコバ氏一家の暖かさです。運命というべきか、私はセンターでスモレンスク・ユダヤ人コミュニティの二人の息子達に会うことができました。それは、ヴァレリー・グレチコ氏とボリス・ラーニン氏です。ヴァレリーは、研究熱心にも私に人々や土地について何度も何度も質問をあびせ、また彼と彼の奥さんと過ごした大変楽しい時間を思い出します。ボリスのつい一緒に笑ってしまいたくなるような豪快な笑いは毎日を楽しいものにしてくれました。彼のロシア系ユダヤ人移住者の出版物に関する並はずれた知識と友情は素晴らしい天分です。畠山禎さん、小野寺歌子さんとかわした我々共通の研究テーマについての会話は大変意義深いものでした。スーザンと私は彼らとの心温まる思い出を故郷へと持ち帰るつもりです。
 私は北海道に来る前に日本について充分に学んでいなかったことを後悔していることを認めざるを得ません。そうであれば、私の無知によって迷惑をかけたすべての人々の負担を軽減することができたでしょう。また私は図書館のオリエンテーション・ツアーの際に図書館の書架の地図を書き留めておかなかったことも後悔しています。そうしていれば、本を探すために書庫の西棟3のまわりをあてもなく彷徨って無駄に時を過ごすこともなかったでしょう。そして何よりも、もうすぐ札幌を去らねばならないことが名残惜しく思われるのです。

(英語から二瓶久美訳)


センターニュースNo83 リスト