ではなくASNの大会で報告するようになる。それだけでもAAASSにとっては打撃だが、最近では、ロシア人州に関する研究さえASNの大会で報告した方がよいという風潮さえ生まれてしまった。それにはいくつか理由があるが、まず、開催地が毎年ニューヨーク(コロンビア大学)に固定されており、魅力的であること。リーダー格のドミニク・アレル(ウクライナ研究者)の組織能力もあって、春の大会であるにもかかわらず、企画のプロポーザルの締め切りがAAASSとほぼ同じ12月であること。つまり、AAASSが、大会の11ヶ月前には企画内容を決定していることを要求するのに対し(これは全くのナンセンス。普通に勉強していれば、1年経てばやっていることも考えていることも変わるはずだ)、大会4、5ヶ月前に企画を提出すればいいこと、が考えられる。
私がストックホルムを訪問することは、現地の同僚であるイングマル・オールドバーグ(スウェーデン防衛研究所)とかねてから約束していたことであった。ところが、偶然、滞在予定期間中にバルト海地域安全保障をめぐるワークショップが、防衛研とスウェーデンの国際問題研究所の共催で行われることになったので、オールドバーグはこれ幸いと私を招いたわけである。そもそも私がストックホルムを訪問することにしたのは、私が最近関心を持っている「リージョン疑似外交」あるいは「地域安全保障のリージョン・ファクター」について、極東やカスピ海地域との比較が可能であるかどうかを実地で観察するためだった(スラ研の近刊、Regions:
A Prism to View the Slavic-Eurasian World
所収のステファン・スピゲレア論文参照)。もし比較が可能なら、来年1月のスラ研のシンポジウムを皮切りに、スウェーデンの同僚も巻き込んで、何らかの共同プロジェクトを組織したいと考えた。こちら側には、岩下明裕氏、アルバハン・マゴメドフ氏といった、この問題でのかなりの権威がいるのだから、それは容易であろうと予想したのである。
金曜日にタンペレからストックホルムに移動、その日のうちに、有名なSIPRI(ストックホルム平和研究所)を訪問し、人捜しを開始する。月曜日にはワークショップが始まる。非常に驚いたことに、世界で最もグローバライゼイションが進んだ地域であるバルト海地域のそれは、伝統的な主権国家が推進力となっているのである。この地域には、「地球化がサブナショナルな主体の自己表出を促進する」という一般法則は妥当しない。私は、地域外交が非常に活発(主体としても客体としても)で、かつてのハルビンのような地位にあるカリーニングラードをモデルとしてバルト海地域の国際化をイメージしていたのだが、カリーニングラードはこの地域においてはむしろ例外に過ぎないことがわかった。したがってワークショップも、私が討論者を務めたオールドバーグ一人を除けば、「主権国家・プラス・若干のNGО」を分析単位とした、伝統的なスタイルの報告ばかりだった(オールドバーグはリージョン政治学者なのだから、サブナショナルな主体に関心を払うのはアタリマエ)。
「ロシアは」などという主語で話を切り出されると、ロシア専門家としてはギョッとする。「ロシアは形容詞としては存在するけれども名詞としては存在しませんよ。利害を異にする様々なエンティティーの束にしかすぎませんよ」ということを私は繰り返し言ったのだが、どこまで通じたか...。若い同僚たちに、「誰かラトヴィア政治におけるウプサラ・ファクターを研究している人はいませんか」と尋ねると、「何でここでウプサラなんて地名が出てくるの」と笑われ、「ヨーロッパはリージョンから成る、なんてのはEUの宣伝、イデオロギーにすぎない。EUは圧倒的に主権国家によって運営されている」と言われた。
まあ、考えてみればこれも当然で、ロシア極東やカスピ海地域において、聞き分けのない、石油だのパイプラインだのに賭けて一攫千金を夢見る、しかも場合によっては武装したサブナショナルなエンティティーがひしめいているのとは対照的に、北欧も沿バルト3国もすこぶる単一主権的な体制を採用しており、ロシアの北西地方のリージョン権力は個性に乏しくモスクワべったりである。極東や北コーカサスに見られる、一癖もふた癖もある千両役者の知事はここにはいない。つまり、グローバライゼイションが進んでいても、政治が安定(停滞?)していれば主権国家システムは深刻な挑戦を受けないのである。
たとえアプローチが(主権国家中心という意味で)古典的だったとしても、フィンランドとならんで、スウェーデン政治における対ロ政策の位置づけは、日本におけるそれとは比べものにならない。たとえば、スウェーデン防衛研究所は2部門から構成されているが、そのうちひとつはEU拡大とスウェーデンのEU加盟問題を扱う部門、もうひとつは対東欧(旧共産圏)部門である。つまり、対東欧政策が、スウェーデンにとって国運を賭けた争点であるEU加盟問題と同程度の位置づけを与えられているのである。外交の世界は相互的なものだから、この姿勢はロシア側にも反映する。1996年にエリツィンが再選される前に最後に訪問した国がノルウェー、再選後(そして病気回復後)に最初に訪問した国がフィンランドであったことはそれを象徴している。ドイツやポーランドも含む沿バルト貿易は、共産主義体制の崩壊と同時に減退したが、1995年には共産主義時代の対ソ貿易のピークの水準を回復し、いまも年々拡大している(以上、Arkady
Moshes, The Baltic Sea Dimension in the Relations between Russia and Europe.
Stockholm, 1999)。