現代世界におけるロシアとスラブ地域

ユハ・ヤンフネン
(ヘルシンキ大学、フィンランド/センター外国人研究員として滞在中)

世界の地域研究機関が直面している問題に、国境の変動および地域政治の構造変革の驚異的な速さがある。これはロシアや中国といった巨大で茫洋とした国家の国境地域について特に顕著である。たとえば1930年代であれば、日本の政治情況に照らして朝鮮と満州の研究を行うのは当然であったが、今日ではそうした取り組みは意味がない。反対に、かつての独立国家チベットは、今日では中国の政治情況と切り離すことはできず、中国の地域研究の枠内で捉える必要がある。

同様に予期せぬ速さと規模で、地域的な構造変革と方向転換がソ連邦崩壊とともに起こった。数十年にわたる冷戦期間、ソ連邦のみならず、中央集権化された政治的・軍事的・経済的結合によって結束したソビエト・ブロックを一枚岩的存在と見なすことはごく自然なことであった。だがポスト・ソビエト体制においては、かつてソビエト・ブロックを構成していた要素間の繋がりはほとんど消滅した。そのかわりに現れたのが、ヨーロッパ、中央アジア、およびカフカスにおける新たな地域的統合である。

ヤンフネン氏

北海道大学スラブ研究センターは、冷戦時代のあらゆる変動をリサーチする目的で国によって創設された数ある国際研究機関のひとつである。キューバとベトナムは含まれないが、現時点においてスラブ研究センターが対象としている地域は、中央アジアおよびカフカスの新しく独立した共和国を含む旧ソ連邦のほぼ全域、バルト海沿岸諸国、そして北はポーランド、南はブルガリアにいたる東欧・中欧の一連の旧社会主義国家である。

地域的な情勢の変化によって、旧ソ連邦を対象として設置された研究機関においては、どの程度抜本的な方針の見直しが必要かが問題となっている。かつてソビエト・ブロックに属していたほとんどの地域は、「自由市場経済」への移行を推し進めているという一点においては共通の特徴を示している。しかし、このような経済的変動はおそらく30年以内にはおさまり、その後の地域的アイデンティティーは政治的結束や文化的志向と結びついた要因によって規定されるようになると考えられる。

ロシアはそれ自身独自の研究対象として取り上げられるべき、巨大で多様なまとまりであり、ロシアの一部になることを望んだことのない周辺地域と一緒にすべきではない。ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、そしてチェコおよびスロヴァキアといった共和国は、ヨーロッパの国家として、急速に関係を回復させつつある他のヨーロッパ諸国とのコンテキストにおいて検討すべきである。エストニア、ラトヴィア、リトアニアといったバルト海沿岸諸国も同様で、ロシア帝国およびソ連邦の歴史的コンテキストに長らく組み込まれていたものの、文化的な意味でロシアの傘下におかれたことはいまだかつてなかった。

第三者の目から日本における研究状況を実際に見てみると、若干の軌道修正は避けがたいように思われる。第一に、日本にはヨーロッパ研究の核となる機関が至急必要である。その機関は、政治的統合体としてのEUを対象とするのみでなく、その枠外にあるノルウェー、スイス、アルバニア、セルビアといった国々をもカバーすべきである。現在スラブ研究センターが対象としている、いわゆる「東欧」地域は、このヨーロッパ研究機関が担当することになる。

第二に、日本には同様に強力な中央アジア研究機関が必要である。この機関が、旧ソ連邦に属していた中央アジア地域における新しい独立国家を研究対象とすることはいうまでもない。さらに隣の中東諸国、特にアフガニスタンやイランを含めるのもよいであろう。また、中央アジアにはトルコの情勢も当然含まれてこよう。現在トルコはEU加入を目指してはいるが、これはいささか時代錯誤的動きといわざるをえない。

第三に、現在あるスラブ研究センターは、国際的に主要なロシア研究機関となるよう後押しされてよい。ロシア理解は日本にとって不可欠だが、それはロシアが依然として世界における政治的・軍事的大国である以外に、日本にとっては北の隣国であるためでもある。ポスト・ソビエト期における政治的混乱と経済危機によって、日本においてもロシアに対する警戒感が薄れた感がある。いずれにしても、ロシア情勢に関するスペシャリストであり続けることが、スラブ研究センターの役割となろう。

スラブ研究センターの研究対象領域の設定という面に関しても、いくつかの問題点が挙げられる。そのひとつに、スラブ語圏という点を過度に重視する必要性がないということがある。つまり、スラブ研究センターという現在の名称は、それがスラブ語圏を対象としていることを示している。この基準からいえば、たとえばNATOのカトリック国家であるポーランド(スラブ語派)は含まれても、同様にNATOに所属するカトリック・プロテスタント国家であるハンガリー(フィン・ウゴル語派)は除外されることになるが、こうした分け方がナンセンスであることは明らかである。ポーランドはスラブ語圏ではあっても、今日ではハンガリー同様、ロシアとはほとんど関わりを持たない。こうした点からも、スラブ研究センターがロシア研究センターとして捉え直されるべきことがうかがえよう。

このように、変革の余地はあると思われるものの、今日のスラブ研究センターによって達成された見事な成果については議論の余地はない。いかなる研究センターも、そこに集まる研究者たちの実績によって成り立っている。そして優れた研究が生まれるのは、融通の利かない組織の下においてではなく、その反対である。個々の研究者に多彩で広がりのある知的な場を提供することは、研究センターの大切な役割のひとつであり、この点においてスラブ研究センターは申し分なく貢献しているといえる。(英語から塚崎今日子訳)


スラブ研究センターニュース No87 目次