中・東欧自動車産業の再編


ペトル・パヴリーネク(ネブラスカ大学/センター外国人研究員として滞在中)


 1990年以降の中・東欧の自動車産業で起きている大きな変化を研究するために、私はスラブ研究センターに滞在している。私の仕事はチェコ共和国で何度か実施した現地調査に基づくもので、そこには自動車工場、自動車部品工場、政府の諸機関での鍵となる情報提供者(工場の管理職、労働組合指導者、省庁の官僚)との詳しいインタビューが含まれる。1990年代の自動車産業の再編は、私が研究対象とする多くの複雑な争点を内包している。1990年代初期の価格と貿易の自由化、多様な工場を私有化するさいに用いられ、様々な結果をもたらした色々な私有化の手段を含む当該産業の私有化、私有化と再編の過程における外国資本の役割、組立工場と部品供給者との関係の転換などである。ある工場が閉鎖され、他方で別な工場が建設されるたびに、産業地理は描きかえられている。市町村や地域全体の生活はこれまでにもいろいろな影響を受けてきたが、さらに多くの変化が進行中である。これらの変化は中・東欧での経済転換の全体像の中にどのように収まるものなのだろうか。自動車産業の再編についての分析は、1989年以降の中・東欧の経済的変化全体についてなにを語るのだろうか。
 これらの変化の複雑さを理解するためには、研究を歴史的な文脈の中に置くこと、過去10年から15年ほどの時期に欧州の自動車産業が経験した変化の文脈に置くことが重要であると、私はすぐに気付くことになった。人によっては、発展が遅れ、衰退していた国家社会主義的な自動車製造業の分析など、1989年以降の再編を理解するのにさして役に立つものではないというかもしれない。しかしながら、例えば生産の傾向や貿易パターンを詳しく見ることは1990年代に起きた一定の展開を理解するのに有益である。具体例を挙げれば、チェコのトラック製造業は、とくに1970年以後に経済相互援助会議(コメコン)向けの生産を拡大したという経緯ゆえに、それは中・東欧市場の過剰な開放によって崩壊することになった。1980年から1989年の間の時期、チェコスロヴァキアで生産されていた乗用車、トラックともにその40%が輸出されていたが、トラック輸出の96%がコメコン向けであったのに対して、乗用車のわずか32%が中・東欧に輸出されていたにすぎない。きわめて競争の激しい西欧市場にトラックを輸出するという歴史が欠如していたため、1989年以降に国内市場とコメコン市場が消失し、チェコのトラック製造業は壊滅的な帰結にいたったのである。トラック製造業を西欧市場向けに切り替えることは容易でなかった。中・東欧の外では販売流通ネットワークを持たず、その製品は中・東欧の外では知られておらず、そのトラックは低品質ゆえに競争力を持っていなかったからである。
 西欧の自動車産業は1980年代と1990年代に転換を経験した。日本の自動車製造業がこの地域に工場を建設したため、西欧の自動車産業はその日本の挑戦に対応することが迫られたというのがその転換の大きな理由であった。この時期に西欧の自動車産業が経験した劇的な変化は1989年以降に中・東欧にも急速に波及することになった。それらの変化には、なかんずく、新しい生産方法(様々な形の「低エネルギー消費」生産やカンバン方式)、工場内および組立工場と部品供給者間での産業関係の新しい様式、労働組織や雇用戦略の新しい方法が含まれる。中・東欧自動車産業の再編は、その外で起きたこれらの産業全体の傾向を理解することなしには、理解不可能といえる。

図1 いくつかの中・東欧諸国における乗用車生産指数:1989-2000円 出典:各国の統計年鑑
図2 スロブァキア(左)とハンガリー(右)における乗用車組立数:1992-2000年 出典:Financial Times(2000);Economist Inteligence Unit(2001)

 これらの変化は中・東欧における自動車生産の地理的配置の変化をもたらした。国内生産に関しては、巨大な国内市場を有するロシアと、他の中・東欧諸国では実質的な相違がある。これまでのところ、いくつかの理由からロシアでは自動車産業への外国からの直接投資の目立った流入はない。他方、乗用車生産がほとんど壊滅したウクライナとユーゴスラヴィアを除く他の中・東欧諸国では外国の直接投資が乗用車生産を転換する最も重要な推進力となっている。外国の直接投資の効果はポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリー、スロヴェニアで最も著しく、図1と図2で示すように急速な生産の成長をもたらした。ハンガリーとスロヴァキアには1990年代になって建設された最初の乗用車組立工場がある。
 これらの展開は肯定的なものに見えるが、同時にこの地域での外国直接投資の役割に関して答えねばならない多くの問題も残されている。この地域の外にある多国籍企業がすべての重要な戦略的決定を行っているがゆえに、中・東欧の自動車セクターは過度に外の力に依存するようになってしまったのではないか。研究開発は外国に移されつつあるのではないか。そしてそのことは、国内の研究開発能力の潜在的な浸食との関わりで、中・東欧にとってどのような意味を持つのだろうか。これらの展開は、自動車産業のみならず欧州の(そして地球規模での)経済全体でこの地域に単純な周辺的役割を強いているのではないだろうか。研究者はこれらの問題をよりよく理解するために、この展開を批判的に精査する必要がある。
スラブ研究センターの外国人研究員制度によって、教育や行政義務ゆえに本務大学では決して果たせなかった方法で、これらの複雑な問題に専念できるようになった。それゆえに、スラブ研究センターで10ヵ月を過ごし、自分の研究に集中できる機会が与えられたことに心から感謝している。スラブ研究センターは仕事をする上ですばらしい場所であり、日本で生活し、仕事をするというまたとない機会について、センターの専任研究員とその他のスタッフに常にこれからも感謝をすることになろう。

(英語より林忠行訳)


スラブ研究センターニュース No88 目次