駄菓子屋に入った子供のように |
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まず、お天気と風景について述べたい。この便利なお決まりの話題から始めるのも、僕はいつも出だしで苦労するからだ。ともあれ、始めるとしよう。ここは札幌、時に11月の初旬。まだ雪は降っていないが、日はだんだんと短くなっている。とはいえ、アメリカでインディアン・サマーと呼ばれる季節のように、まだ秋の日は時折暖かい日差しを投げてくれる。僕が歴史と民族学に興味を持ち始めたのは1980年ごろのことだが、それ以前から僕は一人のカメラ愛好者として、秋をこの上なく愛していた。今日に至るまで、一年のこの時期は僕にとって貴重な時間である。緑、黄、そして紫と次々に移ろいゆく木の葉が風に舞い始めるや、僕はカメラを持ち出して、街中や自然の風景を白黒の映像(この組み合わせは僕のお気に入りだ)で捕捉していく。カメラの向こうは日没、雲、いろんな角度から見た木の枝、面白い形に曲がった木の葉や、半ば落葉した木が少し立っているだけの人気のない通り。ここ北海道でも時間があるときは、この「写真ゲーム」にふけっている。
仮に日本に来た目的が、菊の花や豪華な日没、それに禅仏教など、諸々の実在もしくは非実在の魅力的なものを探すためだったとしたら、僕は完璧なツーリストに徹しただろう。でも、札幌には僕が土地の風景や文化的な名所旧跡と交わるのを最小限に食い止めるものがある。他の何よりも僕を惹きつけ、そのとりこにしてしまうもの、それはスラブ研究センター(SRC)と北海道大学図書館の特別コレクションに含まれる、すばらしい蔵書の数々である。そこには、北ユーラシアに土着のシャーマニズムを研究する僕にとって、打ってつけの資料がそろっているのだ。特に僕が一番関心を持っているのは、ロシアや西洋の作家・民族誌家・宣教師・旅行家たちが、シベリアの土着宗教と出会ったときに示した反応である。SRC/北大のコレクションには、シベリアとアジアの土着宗教に関して、様々な言語で書かれた最高級の本が並んでいる。他の図書館ではついぞお目にかかれないようなマイナーな定期刊行物を含めて、ロシアの新聞や雑誌のマイクロフィルム・コレクションもなかなか立派だ。ここに来て最初の一週間は、図書館のシステムを覚えたり、本を自分で選び出したりして過ごした。アメリカではできないことだ。というのも、そのような本は希覯書コレクションの中に「隠されて」いるのだから。僕は古い本のページを慈しむようにやさしく愛撫し、もううっとりとしてそのかび臭い匂いを嗅いだ。僕はだいたい18世紀から19世紀にかけて出版された図書を研究に使っているのだが、18世紀の初めに出されたドイツ語やらロシア語の本でも、この大学の図書館では自由に手にとって調べられることが分かったときの驚きといったらなかった! 札幌に来て3日目には、シベリアの観察者としてその名の知られる啓蒙思想家 Johann Georgi の『ロシア帝国に在住する全民族の記述』(ロシア語版1774年刊)を、ベッドの中で胸に抱いたまま寝た。北大の本やマイクロフィルムの中を「旅」するとき、僕はまるで駄菓子屋に入った子供のような気分になっているのだ。
僕には札幌に来る前から本を出す計画が2つあって、それらがSRCでのプロジェクトにも関係しているのだが、すでに出版社との契約も交わしている。一つはShamanism in Siberia という本で、もう一つは Shamanism: Critical Concepts in Sociology、こちらは3巻本のアンソロジーとして出版する予定だ。札幌に来たからには自分の時間を最大限利用したいと思っていたわけだが、さて何から始めるかということでジレンマに陥ってしまった。大学が持つシベリア・コレクションを渉猟するか、それとも出版の計画を完成させるか。結局、その両方を同時に進めざるを得ないだろうということになった。そんなわけで、僕の一日の仕事は通常朝8時半に始まり、すっかり「さびついて」しまった僕の体を温めるためにジョギングと体操をする1時間を除いて、夜の10時まで続く。それでも僕が家に帰るとき、まだ他の部屋に灯りがついているのを見て、僕が最後ではなかったと知らされる。実際、日本の同僚たちの中には、夜に仕事をするのを好む人がいるようだ。なるほど、賢い選択である。夜には何にも気をとられず誰からも邪魔されずに、仕事に打ち込むことができるというわけだ。だが僕が「夜」に解決策を求めるためには、まずワイフと相談しなくてはならないだろう。
この5ヵ月間に多くのことをやることができた。Shamanism in Siberia の方は12月に出版される予定だし、American Historical Review にも論文を送った。それに19世紀シベリアの3巻本の方も、シャーマニズムに関連する情報がすっかり整っている。しかし、任期の9ヵ月では、シベリア関係の本とマイクロフィルムのコレクションを全部渉猟するのは到底不可能であることがわかってきた。とはいうものの、突き詰めていったら、それこそいくら時間があったところで十分ではないというのが実情である。この時間に対するもどかしさは、僕がアメリカで仕事をしていたときから持っているものだ。あちらでは、僕は4年制の大学で教えている。通常は1セメスターにつき4コースを受け持つため、読書と執筆にあまり時間をとることができない。それでも研究をやろうとするなら、自分の家族を犠牲にしなくてはならないだろう。だから僕は、SRCから与えられたこの9ヵ月を非常にありがたいと思っている。よもや考えられるだろうか、まるまる9ヵ月もの間、本を読んでものを書いているだけでいいだなんて! まるで夢のようではないか。こんな贅沢な機会は、将来またとないだろう。最近の僕は、まるで自己管理の鬼と化してしまった。一日の終わりには、決まって自分に「今日お前はどれだけのことをした?」と問いただす。そして十分なことができなかったような気がするときには、ひどく落ち込んでしまうのだ。
そんな時、僕を発狂の淵から救い出してくれるのは妻と息子である。毎週土曜日、それに時折の日曜日は、家族のためにとってある。このときこそ、僕が「装飾的な」はしがきで触れた、白黒のスナップ写真に帰る時間だ。僕は札幌より外にはあまり出ず、とくに日本中を見て回ったというわけではないが、それでも今まで出会った中でいくつか記憶に残っているものがある。その一つとして、最近大阪で行われた会議に出張で出かけたときに、つぶさに見て回ることのできた古い禅寺と神社をあげることができる。また、SRCの民族学者の先輩である井上紘一氏に連れていってもらったアイヌ村や、センター長の家田修氏の招きで訪れた小樽などもそうだ。しかし、今のこの時点で僕の日本での印象をカンヴァスいっぱいに描くのは、いささか時期尚早というものだろう。僕はまだ、それらを消化し吸収している最中である。たとえば、来週僕は日本の伝統的なシャーマンであるイタコを訪ねに行く予定なのだが、これなどもSRCでの主要プロジェクトと関係している。きっとこの冒険は、僕にあざやかな新しい印象を与えてくれるにちがいない。僕が日本で知り、見ることのできたものの全体像は、僕がアメリカに帰ってから、徐々にはっきりしてくることだろう。そのときにこそ僕は、たいていの旅行家の物語がそうであるように、真実と想像、あるいは事実とフィクションを自由に織り混ぜて、一枚の絵を仕上げることができるだろう。