パーニナ:Панина
エレーナ、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年6月22日ヴォロネジ州で行われた下院補欠選挙に当選。7月4日選管が選挙結果認定。


ハイリューゾフ:Хайрюзов
ワレリー、Н.
生年月日 1944.09.16
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 民族会議小委員会議長。大学および空軍学校を卒業後、68年入党。代議員選出時には、アエロフロート航空AN−26航空機の司令官。作家としても著名で、地方の出版社から著作が発表されている。


パイン:Паин
エミリ、А.
生年月日 1948.01.01
性別
国籍 不明
学歴 博士候補
考察 キエフ生まれ。ヴォロネジ大学卒。モスクワの民族学研究所で歴史学博士候補の学位を取得。地域社会学・民族学、地域紛争と民族紛争の問題に取り組む。91年ソ連外相を辞任したエドァルド・シェワルナゼ氏(現グルジア大統領)の率いる外交協会に招かれ、民族政策センター所長になる。スターリン時代に故郷を追放された諸民族に関する最高会議委員会やクリミア・タタール人に関する国家委員会のエキスパートとして活動し、93年2月エリツィンにより大統領直属大統領評議会メンバーに任命される。大統領府分析センターの民族間関係部長。96年2月10日の大統領評議会会議で、チェチェン和平に関する諸提案を総括する委員会の設置が決定され、その議長への就任が決まる。96年9月、大統領顧問に任命される。


バウエル:Бауэр
ウラジーミル、А.
生年月日 1946.07.02
性別
国籍 ドイツ人
学歴 博士候補
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に選出され、94年1月、国家会議活動組織委員会議長に就任。小選挙区から選出される。教師、トムスク州地方行政長官補佐官として働く。「ロシアの選択」派のメンバー。


パヴロフ:Павлов
ニコライ、А.
生年月日 1951.06.30
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 70〜73年建設労働者として働き、78年大学卒業。専攻は生物化学で、教師資格を持つ。83年から大学で教鞭をとり、助教授まで昇格する。90年入党。同年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議婦人・家族・母子保護委員会副議長。


パヴロフ:Павлов
エヴゲニー、А.
生年月日 1947.01.17
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 チュメニ州ソビエトプレスセンター所長。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。94年3月26日、上院CIS問題委員会副議長に就任。66〜69年印刷機器工場検査員として、69〜76年工場作業作業調整係として働く。76〜89中学校教師。教務課長、中学校長をつとめる。州新聞「チュメニスカヤプラブダ」通信員。


パヴロフ:Павлов
ユーリー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 レニングラード州行政副長官をつとめる。


パヴロフ:Павлов
オレグ、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ダブイドフ副首相(対外経済関係相)の事務局指導者を経て、95年7月24日、連邦通貨・輸出管理機関長官に就任。96年8月、同職解任。


パヴロフ:Павлов
アナトリー、В.
生年月日 1946.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「コメルサント」総支配人。ウッスリースク市選管区。94年10月沿海地方議会代議員に選出される。


パヴロフ:Павлов
ワレリー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年10月、国家税務機関副長官に就任。


バガウトジノフ:Багаутдинов
ガブドゥルワヒド、Г.
生年月日 1939.05.23
性別
国籍 タルタル人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に立候補したが選挙が行われず、94年3月13日の選挙で小選挙区から選出される。教師、子どもの家の施設長として働く。ロシア統一・合意党派のメンバー。国家会議活動組織委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙でタタールスタン共和国ニジネカムスク選挙区から当選。「我が家ロシア」会派所属。第2期国家会議活動組織委員会副議長。


ハカマダ:Хакамада
イリーナ、М.
生年月日 1955.04.13
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 モスクワで日本の亡命共産主義者の娘として生まれる。1男1女をもうける。モスクワのパトリサ・ルムンバ大学の外国経済学部で学び、78年に卒業後モスクワ国立大学経済学部大学院を81年修了。その後、ソ連国家計画委員会の研究所に勤務、その後モスクワのリハチョフ自動車工場付属の学校で教鞭を取る。株式取引所情報研究センター所長を務め、またロシア商品・原料取引所でエコノミストとしてコンスタンチン・ボロヴォイ氏と一緒に働く。同氏と共にロシア国民商業銀行及び経済通信社設立に参加。89〜91年ソ連共産党員。2番目の夫ドミトリー・スヒネンコ氏が会長をつとめる投資会社「リナコ」を含めていくつかの合弁企業の社長。慈善活動に従事。92年から経済自由党員。92年12月〜94年1月経済自由党書記長。ロシアビジネス円卓メンバー。商品・原料取引所の首席エコノミストだった93年12月、第1期国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。下院では94年3月17日まで「12月12日連合」議員グループの共同議長。その後、副議長。自由女性基金総裁。第1期国家会議経済政策委員会委員。95年4月から無会派。95年5月、「オーブシェエ・デーロ(共同事業)」連合リーダーに就任。同年12月の第2期下院選挙に同連合を率いて参加。本人はモスクワ市オレーホヴォ・ボリソヴォ選挙区から当選。95年7月中央選挙機関「コモン・コウズ」設立を宣言。下院予算委員会メンバー。96年1月「ロシアの地域」(独立議員)会派に参加。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。97年10月30日、ロシア連邦小規模企業支援・発展国家委員会議長に任命。現在の3人目の夫ウラジーミル・シロチンスキー氏は証券市場のコンサルタント。98年6月4日、CIS小規模活動支援・発展諮問評議会議長に就任。小規模企業支援・発展国家委員会は、98年9月22日付大統領令第1142号により廃止。


ハキーモフ:Хакимов
ボリス、В.
生年月日 1950.04.08
性別
国籍 タルタル人
学歴 大学卒
考察 空軍大学卒業後、技師として働く。後に研究所勤務を経て、企業につとめる。87年より市ソビエトの代議員。地方の環境運動家として有名。環境問題が彼の政治活動の主要テーマ。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。


バキエフ:Бакиев
リム、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 バシコルトスタン共和国首相。


バキロフ:Бакиров
エルネスト
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年1月25日、モスクワ市第1行政副長官(地域行政担当)に就任。


バキンホエフ:Бакинхоев
モヴリ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 イングーシ共和国行政府第1副長官をつとめる。


パク:Пак
ジノーヴィー、П.
生年月日 1939.03.29
性別
国籍 その他
学歴 博士
考察 西ウクライナ生まれ。妻と娘1人。61年リボフのイワン・フランコ国立大学化学部卒業。教授の資格を持つ。自然科学アカデミー会員。大卒後、科学生産合同ソユーズで働き始める。ソユーズは、ミサイル用固体燃料、磁気流体力学(MHD)式発電機、ガス式レーザー、ミサイルのエンジン用新素材の開発などで知られる。連邦汎用技術センター所長を経て、96年1月23日、国防分野産業国家委員会(連邦省と同等の地位)議長に就任。同年1月から大統領直属科学技術政策評議会メンバー。同年5月8日のエリツィン・チェルノムイルジン会談で国防産業省の設立が決定され、5月13日、国防産業相に任命される。安全保障評議会非常任メンバー。同年7月25日設立されたロシア連邦国防評議会メンバーになる。ロシア政府政令No.1051(96.9.9)により政府業務委員会メンバーに任命される。科学分野における業績に対して、レーニン桂冠国家褒賞を受賞。


バクーニン:Вакунин
ユーリー、И.
生年月日 1936.01.01
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 地質学技術学校を7年生修了時点で卒業。コルスク半島で働く。54年極東において地質調査班で働く。56年コムソモール部局で部局長として働く。ソ連最大の錫の産地の発見者。88年この生産地の発見に対してレーニン賞を受賞。83年から86年ラオスにおいて国家地質学部組織で働く。86年から極東鉱物原料大学副学長。87年同大学学長、自然科学アカデミー正会員。


バクシェエフ:Бакушеев
レオニード
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年8月、クルスク州における大統領全権代表に任命。


バクシン:Бакшин
ワレリー、В.
生年月日 1948.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 71年極東大学ジャーナリスト学科を卒業。二年間「赤い旗」紙で発行者、副書記長、文学寄稿者として働く。73〜76年モスクワ大学ジャーナリスト学科大学院生。76〜81年極東大学ジャーナリスト学科の講座で教鞭をとる。二年間「沿海地方の漁師」紙編集部書記長をつとめる。83〜86年極東大学助手、講座主任。86〜89年党kraikomの出版・テレビ・ラジオ報道セクション長。89年から「ウラジオストク」紙のリーダーとなり、編集長もつとめる。「自分は公的にはどの政治的運動にも属していない、なぜなら我々は、自分は民主主義者だと称するしかない社会に生きているから」と考える。98年9月25日、テレビラジオ会社「ウラジオストク」社長に任命され、新聞「ウラジオストク・ノーボスチ」社長及び「ウラジオストク」新聞編集長職から解任。


バグムト:Багмут
アレクセイ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年3月、クラスノダル地方立法議会議長に選出されるが、同年12月、解任。


バサエフ:Басаев
シャミル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年6月、スタブロポリ地方ブジョンノフスクの病院を占拠、人質事件を引き起こした野戦指揮官。96年8月、グロズヌイ奪還作戦を指揮。武闘重視の対ロシア強硬派。97年1月27日に実施されたチェチェン共和国大統領選挙に立候補し、約24%の票を獲得したがマスハドフに敗れる。同年2月、大統領直属共和国最高評議会が編成され、そのメンバーとして新政府閣僚の候補者の検討にあたる。同年4月1日、チェチェン共和国第1副首相(産業問題担当)に任命される。同氏はマスハドフ大統領兼首相の不在時には首相の職務を代行する。同年7月10日、経済問題における政府内多数派との意見対立から第1副首相職辞任。同年10月28日、同共和国第1副首相代理に復帰(同氏は自分の意志で第1副首相職を離れたが、マスハドフ大統領は同氏の解任に関する大統領例には署名していなかった)。98年1月1日、マスハドフ大統領が政府総辞職を決定し、バサエフを首相代行として組閣を指示。同年2月24日、共和国議会が新政府を承認。首相代行就任直後から共和国内閣の活動期間を6か月に限定すると明言し、期間満了後辞任の意向を表明。同年7月8日、同職辞任、チェチェン軍副総司令官に任命。


ハサエフ:Хасаев
ガビブラ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 サマラ州第1行政副長官をつとめる。


パシェヌイフ:Пашенных
フェリクス、С.
生年月日 1952.05.05
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。ロシア民主党クラスナヤルスク地域組織基金理事長として働く。ロシア民主党会派のコーディネーター。国家会議工業・建設・運輸・エネルギー委員会委員。国家会議代議員資格審査委員会委員。


ハジェビエコフ:Хаджебиеков
ルスラン
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 アドィゲヤ共和国副首相をつとめる。


ハジエフ:Хаджиев
サランベク、Н.
生年月日 1941.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ソ連石油化学工業相をつとめる。94年12月26日、チェチェン民族復興政府首相(95年10月23日辞任)。95年6月、チェチェン共和国における連邦行政権力機関地域局第1副局長解任。同年11月工業政策国家委員会議長に就任。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって、産業省に統合され、廃止。


パシコフ:Пашков
ボリス、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年8月、ロシア政府官房第1副長官に就任。98年5月22日、同政府副長官となる。


パシチェンコ:Пашченко
ワレリー、Н.
生年月日 1941.05.31
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 専門学校を卒業し、黒海艦隊に乗船する。66年「遠洋航路船長」の称号を与えられる。極東艦隊の船長をつとめながら大学に学び、78〜83年設計局で要職につく。大学院に籍を置き、研究を続け、経済学博士候補となる。83年ソ連閣僚会議付属国家経済アカデミーに入学し、優秀な成績を修める。卒業後は、企業勤務を経て88年党の職務に移り、gorkom第1書記をつとめる。91年の選挙後は、地方執行委員会の部長になる。漁業関係の著作がある。


パシチェンコ:Пащенко
エドゥアルド、А.
生年月日 1939.03.17
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 93年選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。株式会社支配人、トゥーラ州行政長官顧問として働く。「ロシアの選択」会派のメンバー。国家会議財産・民営化・経済活動委員会委員。


バシマコフ:Башмаков
レフ、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 リャザン州行政長官をつとめる(94年1月25日解任)。


バシマチニコフ:Башмачников
ウラジーミル、Ф.
生年月日 1937.03.27
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ロシア自営農・農業協同組合協会会長。ロシア土地所有者連合議長。ロシアビジネス円卓会議に参加。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。我が家ロシア会派所属。第2期国家会議農業問題委員会メンバー。


パシュート:Пашуто
ウラジーミル、Р.
生年月日 1942.04.18
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 地方産業・公共企業労組ラビンスク地域委員会議長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙ブロック「ロシアの労組・企業家=労働同盟」の推薦を受け、クラスノダール地方アルマヴィル選挙区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。ロシア連邦共産党員。第2期国家会議労働・社会政策委員会委員。


バシン:Басин
エフィム、В.
生年月日 1940.01.03
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 タンボフ州生まれ。社会主義労働者英雄勲章をうける。妻と2男1女。62年白ロシア鉄道運送技師大卒後、技師として働き、企業の管理職をはじめ、ヤロスラヴリ市運輸建設局などにも勤務する。67年より党員。69〜72年、ゴーリキー運輸建設信託の主任技師、副総裁。72〜78年、建設企業の役員。ソ連閣僚会議の学士院を卒業後、BAM鉄道建設に携わり、ソ連運輸建設省次官もつとめる。raikom、gorkom、obkomなどの委員にも選出され、地方代議員経験あり。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議に当選。最高会議建築・建設・公共住宅事業委員会議長を経て、92年12月から建築・建設問題国家委員会議長。94年7月12日、連邦建設大臣。96年1月、チェチェン共和国経済・社会分野復興ロシア国家委員会第1副議長に任命される。ロシア政府政令No.1051(96.9.9)により政府業務委員会メンバーに任命される。97年3月17日付大統領令により、建設省が住宅・建設政策国家委員会に改組され、同委員会議長となる。同年4月8日付首相命令でロシア連邦と諸外国間の貿易・経済及び科学・技術協力における政府間委員会ロシア側議長(カンボジア、ラオス担当)に任命される。住宅・建設政策国家委員会は、98年4月30日付で廃止され、新設の土地政策・建設・住宅公共事業省に吸収される。同年9月22日付大統領令によって新設された建設・建築・住宅政策国家委員会議長に推挙。