ハリトノフ:Харитонов
ニコライ、М.
生年月日 1948.10.30
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ノヴォシビルスク生まれ。妻と4人の子供。72年ノヴォシビルスク農業大学卒業。72〜76年、国営農場で部長職をつとめる。76年4月からガリンスキー国営農場長。90年3月18日からロシア共和国人民代議員。93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。ノヴォシビルスク州バラビンスク選挙区から選挙団体「ロシア農業党」の推薦を受けて選出される。ロシア農業党会派所属(会派の書記)農業専門家。93年3月18日まで代議員資格審査委員会委員。ロシア連邦体育関係功労者。株式会社支配人として働く。ロシア農業党の副議長(後に党首)。第1期及び第2期国家会議農業問題委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で選挙団体「ロシア農業党」の推薦を受けノヴォシビルスク州バラビンスク選挙区から当選。農業党会派代表。第2期下院評議会員。


ハリトノフ:Харитонов
エヴゲニー、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年8月3日、クラスノダル地方行政長官に就任。ロシア上院議員。第2期連邦会議経済政策問題委員会委員。96年7月15日、同地方行政長官解任。


ハリトノフ:Харитонов
アレクサンドル、П.
生年月日 1952.01.10
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年5月、サラトフ州議会(ドゥーマ)代議員にロシア農業党から選出される。同年6月、同議会議長。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議社会政策問題委員会委員。


パリノフ:Паринов
ニコライ、В.
生年月日 1947.05.11
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。有限会社総支配人として働く。「新地域政策」会派のメンバー。国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。


パリノフ:Паринов
ヴャチェスラフ、С.
生年月日 1948.11.07
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 95年6月2日北オセチア・アラニア共和国最高会議議長。96年1月23日ロシア上院議員。第2期連邦会議予算、財政・外貨・金融規制、通貨発行、税政、関税規制委員会委員。


パリン:Парин
ヴャチェスラフ
生年月日 1949.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 不明
考察 北オセチヤ共和国モズドク州地区行政長官を経て、95年6月2日、北オセチヤ共和国最高会議議長に就任。


バルィキン:Барыкин
ワレリー、П.
生年月日 1947.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 65〜70年代ウラジオストックの工業大学水力工学部を卒業。80〜82年ハバロフスク党高等学校で政治教育を受ける。70〜74年企業合同「プリモルトランスストロイ」建設局で現場監督として働く。コムソモール選挙の仕事に関する豊富な経験をかわれ、74年から党の仕事に移り、raikom指導員、産業交通部長、79年からは党kraikom土地改良セクション長をつとめる。82年から地区執行委員会議長、地区および地方ソビエト議員。89年にボリショイ・カメニ市執行委員会議長、92年から同市行政長官となる(95年夏に解任。後任者はグサロワ)。建設、国民消費商品、産業・交通・郵政、諸議会・地方自治発展・民族問題といった委員会で働く。「ソ連共産党およびその他の党は自分の役割を果たし、前面にでてきたのが平和維持や住環境保護の思想と資本主義の傾向である」と考える。「現在の幻滅の時代は50〜60年後に終わり、社会は共産主義の思想に戻る」と確信している。いつも穏健派の立場をとる。「自分は共産主義者にも民主主義者にも理解されない。民主主義は現在のロシアでは不可能であり、大半の人々は無気力で、政治参加を望んでいない。」と考える。


バルイシェフ:Барышев
ウラジーミル、И.
生年月日 1959.06.19
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月、国家会議代議員に選出。小選挙区から選出される。私立探偵として働く。「ロシアの選択」派のメンバー。国家会議安全保障委員会委員。


バルィシニコフ:Барышников
ニコライ、П.
生年月日 1946.01.02
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年4月、チュメニ州議会(ドゥーマ)議長に選出される。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議連邦問題・連邦条約・地域政策委員会委員。97年12月14日、同州議会選挙が実施され、議長職から解任。


ハルィスチン:Хлыстун
ヴィクトル、Н.
生年月日 1946.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。


パルシェンツェワ:Паршенцева
ガリーナ、В.
生年月日 1951.03.16
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。ケメロヴォ州行政府住民保護局副局長として働く。「ロシアの女性」会派のメンバー。国家会議安全保障委員会委員。 


パルシャコフ:Паршаков
ユーリー、Н.
生年月日 1941.09.05
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 「ロシア自由民主党」イワノヴォ州組織調整員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。ロシア自由民主党会派所属。第2期国家会議退役軍人問題委員会副議長。


バルスコフ:Барсуков
アレクサンドル、Д.
生年月日 1938.04.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 62年に大卒後、88年まで農業研究所で研究職にあり、技術指導者としてたびたび海外派遣される。63年入党。88年より試験場副所長。地方議会から90年に最高会議委員会員になり、後にソ連最高会議共和国会議代議員となる。また、試験場の党組織の指導者としても働く。raikom委員もつとめる。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議環境・天然資源の合理的利用問題委員会副議長。


バルスコフ:Барсуков
ミハイル、И.
生年月日 1947.11.08
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 モスクワの一般兵科高等指揮官学校、フルンゼ(名称)軍事大学を卒業し、クレムリン警備連帯に勤務、クレムリン宮の政府建物の警備隊長、クレムリン警備隊副司令官、ロシア連邦警備総局副長官を歴任。92年6月よりロシア連邦警備総局長兼モスクワ・クレムリン警備司令官。95年7月24日、連邦保安局長官に就任。同年8月1日付で安全保障評議会非常任メンバーになる。95年11月、上級大将。96年1月ドゥダエフ派戦闘員が多数の人質を連れて立てこもったダゲスタン共和国ペルヴォマイスコエ村で人質解放・戦闘員せん滅作戦を陣頭指揮。96年6月16日のロシア大統領選挙第1回投票直後の同20日、突然保安局長官を解任される。同月25日、安全保障評議会のメンバーからも解任。


バルスコフ:Барсуков
ピョートル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年1月18日、連邦林業機関第1副長官に就任。


バルスコフ:Барсуков
ウラジーミル、Ф.
生年月日 1949.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 80年代初頭に全ソ通信法科大学卒業。中等学校卒業後約一年間コルホーズで働き、技術学校で学び、ソ連軍に召集された。復員後、83年までスタヴロポリ地方とクラスノヤルスク地方とで煉瓦石積み職人、陸海空軍後援会議長として働く。83年から沿海地方で「セリハステフニキ」資材・技術供給基地国境地区出張所の技師として働く。84〜85年党raikomで働く。85年地区裁判所に移り、88年から同裁判所議長となる。


バルチューク:Барчук
ワシリー、В.
生年月日 1941.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年9月、国家管理機構改革に関する準備・提案のための委員会副議長、同年10月より政府クレジット政策問題委員会メンバー。同年12月蔵相留任(93年9月25日解任)。93年9月24日、ロシア連邦年金基金総裁就任。安全保障評議会非常任メンバー。


パルチンスキー:
ワレンチン
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ハバロフスク市営旅客自動車運輸企業会長。97年12月7日に実施されたハバロフスク地方議会代議員選挙にロシア連邦共産党から立候補し、得票率19.8%で再選。


バルバショフ:Барбашов
ワレリー、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦機械製作委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって、産業省に統合され、廃止。


パルフョーノフ:Парфенов
ヴィタリー、Ф.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 政府官房天然資源・環境保護総局長をつとめる。同総局は、97年4月8日付首相命令で農工コンプレクス総局と統合され、農工コンプレクス改革・環境保護総局となる。


パルホメンコ:Пархоменко
ヴィクトル、И.
生年月日 1951.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 ソ連軍勤務のあと、内務省2等警察の仕事に就く。その後、優等賞を得て内務省リボフ中等学校を卒業。配置により、極東の、コムソモリスク-ナ-アムーレ市へ派遣される。そこで、犯罪捜査の幹部の様々な仕事に就く。コムソモリスク-ナ-アムーレ市で働く間に、通信教育でオムスク高等学校を、85年には内務省アカデミーを卒業。ハバロフスク地方内務副局長の地位で内務省での勤めを終え42才で退職。93年ロシアに税務警察が創設される。パルホメンコはハバロフスク地方ロシア連邦税務警察局長の地位に招かれる。政治的意見としては中道主義を好む。共産党に関して、こう言っている。「・・・少し共産党に触れると、私は彼らの誰に引っ張られたのでもない。両親にならって、信念を持って入ったのだ。現代では価値の再評価が起こっている。しかし私は青年時代から共産党員であったことを少しも悔やんではいない。」


ハルラモフ:Харламов
セルゲイ、Ф.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年6〜10月、安全保障評議会副書記をつとめる。アレクサンドル・レベジの腹心。96年10月、チェチェンにおけるロシア大統領全権代表代理としてルイプキン同評議会書記のチームで働くことに暫定的に合意。


ハルロフ:Харлов
アレクセイ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 バシコルスタン共和国第1副首相をつとめる。


ハレヴィンスキー:Халевинский
イーゴリ、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 労働省次官を努める。96年10月より労働・社会発展省次官。


パンキン:Панкин
ヴャチェスラフ、К.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦税務警察機関副長官を務める。


パンクラチェンコ:Панкратенко
アナトリー、В.
生年月日 1946.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 64年ウラジボストーク工業大学造船学部に入学。造船技師の資格を持つ。69年からハバロフスク造船工場で班長として働く。71年から77年コムソモールの専従の仕事に就く。ハバロフスク市レーニン共産主義青年同盟インダストリアーリヌイ(工業)地区raikom第2書記、その後、同第1書記。77年から91年ソヴィエト共産党地方機関で様々な職に就く。91年ハバロフスク地方住民への日常サービス局で働く。93年ハバロフスク市中央地区行政長官に任命される。95年12月下院選挙において選挙グループ「我が家ロシア」の地方支部長になる。投票の結果、「我が家ロシア」会派はハバロフスク地方第57選挙区において14773票を獲得、全政党及び会派中第8番目になったが、落選。現在はハバロフスク地方行政国家局長。


パンスコフ:Пансков
ウラジーミル、Г.
生年月日 1944.01.01
性別
国籍 不明
学歴 博士
考察 65年モスクワ財政大学卒業。経済学博士。87年9月旧ソ連大蔵次官(予算担当)、90〜91年ソ連大統領機構金融・財政局長、92年国税庁第1次官。93年2月国家税務局副局長時代に、汚職事件で逮捕・起訴されるが、後に起訴は取り下げとなった。94年1月、下院予算委員会勤務。94年5月、大統領府財政・予算局副局長。94年11月4日、連邦蔵相に就任(96年8月解任)。95年1月より安全保障評議会非常任メンバー(96年9月解任)。同年4月21日、世界銀行ロシア代表副理事に就任。96年8月、経済省第1次官に任命される。


ハンドルエフ:Хандруев
アレクサンドル、А.
生年月日 1945.01.01
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 モスクワ国立大学卒。88〜92年銀行に勤務。92年11月10日、中央銀行副総裁に就任。後に第1副総裁を経て、95年11月8日、パラモノヴァ前総裁代行の後任として、同年11月22日ドゥビニンが中央銀行総裁に任命されるまで暫定的に総裁代行に就任。ロシア政府政令No.1051(96.9.9)により政府業務委員会メンバーに任命される。


パンフィーロフ:Панфилов
И
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 チェルノブイリ事故その他の放射能事故の被災地域の市民の社会的保護と復興を担当する国家委員会第1副議長をつとめる。同委員会は、94年1月現在廃止。


パンフィロフ:Панфилов
ウラジーミル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年4月、国家税務局副長官に就任。


パンフョーロフ:Панферов
コンスタンチン、Н.
生年月日 1932.06.15
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に選出される。小規模企業支配人、モスクワ国立民間航空技術大学教授として働く。ロシア自由民主党会派のメンバー。国家会議地政学問題委員会委員。


パンフョーロフ:Панферов
ボリス、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 司法省次官をつとめる。


バンベトフ:Бамбетов
ヴャチェスラフ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年8月、カルムイキヤ共和国における大統領代理人に選出される。