姓 | クレショフ:Кулешев |
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名 | セルゲイ、П. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 連邦最高審査委員会第1副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更される。同国家委員会は、98年現在存在が確認されず、廃止されたものと思われる。 |
姓 | クレショフ:Кулешов |
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名 | オレグ、С. |
生年月日 | 1947.07.12 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | ベルゴロド農業アカデミー助教授。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシア連邦共産党」の推薦を受け、ベルゴロド州ノーヴイオスコル選挙区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。党中央委員会メンバー。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。 |
姓 | クレス:Кресс |
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名 | ヴィクトル、М. |
生年月日 | 1948.11.16 |
性別 | 男 |
国籍 | ドイツ人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | ノボシビルスク農業大学卒業。71~79年ソフホーズ勤務。ソフホーズ長を経験。79~86年トムスク州生産連合会「セリホズヒーミヤ」会長、86~87年トムスク州農産協同企業体副会長をつとめる。87~90年ソ連共産党raikom第1書記。90~91年トムスク州ソビエト議長。後にトムスク州行政長官(現知事)。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。連邦会議予算委員会委員。第2期連邦会議科学・文化・教育・保健・環境委員会委員。 |
姓 | クレス:Кресс |
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名 | クラウジヤ、Ф. |
生年月日 | 1944.01.01 |
性別 | 女 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 中/高卒 |
考察 | 65年ウラジオストック芸術専修学校卒業。小学校卒業後、ソフホーズの作業班長として、パルチザンスクの縫製工場の縫子として働き、専修学校卒業後、同工場のデザイナーとして働く。71年からアルセーニエフ市に移り、博物館(今の沿海地方博物館の分館)で働く。現在この博物館の館長である。94年秋の沿海地方議会選挙の際には消極的な態度を見せ、この管区での選挙は成立しなかった。しかし、95年初頭の選挙には選挙参加者の30.1%の票を集めて、4人の候補者の中から沿海地方議会代議員に当選した。無所属。この管区の選挙民はジリノフスキーおよび「ロシアの女性」連合を民主的な傾向の諸党よりも支持する。 |
姓 | クレスチャニノフ:Крестьянинов |
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名 | レオニード、А. |
生年月日 | 1946.01.31 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 専門学校を卒業後、コムソモ-ル組織の炭坑で働く。65~68年従軍。後に木材工場で電気技師として働き、82~87年工場長をつとめる。働きながら大学卒業。健康上の理由で工場長職を辞した後、専門学校長を経て代議員となる。地方代議員、raikomなど党組織の経験もある。90年12月最高会議委員会員。92年4月、第6回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。 |
姓 | クレスチャニノフ:Крестьянинов |
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名 | エヴゲニー、В. |
生年月日 | 1948.07.12 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | ゴーリキー国立大学卒業。72~90年ゴーリキー市で研究・生産連合会「サリュート」勤務。技師、実験室長、部長として働く。90~91年ニージニーノヴゴロド市地区ソビエト副議長をつとめる。91年8月29日、ニージニーノヴゴロド州人民代議員ソビエト議長に就任。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。93年12月の選挙で連邦会議代議員に当選(無所属)、94年3月から会議規定・議会手続き委員会議長をつとめる。同年4月19日、ニージニーノヴゴロド州大統領代理人に就任。97年4月、ネムツォフ第1副首相の官房長に転出のため、大統領代理人職解任。 |
姓 | クレフツォフ:Клевцов |
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名 | アナトリー、В. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 運輸省次官をつとめる。 |
姓 | グレペシェワ:Грепешева |
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名 | И |
生年月日 | |
性別 | 女 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 91年7月25日~11月15日、ロシア副首相をつとめる。 |
姓 | グレベニューク:Гребенюк |
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名 | セルゲイ、Г. |
生年月日 | 1956.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 中等学校を卒業後、71年にハバロフスク技術学校に入学。専門は「貨幣流通と信用貸し付け」。卒業後74年に国営銀行ハバロフスク地方支店で信用貸し付け監督官の職に就く。74年から76年兵役につく。76年国営銀行ハバロフクス地方支店都市管理局で経理担当者として働く。79年国営銀行ハバロフスク地方支店管理局長に任命される。81年全ソ連通信教育経済・財政大学を卒業。専門は「貨幣流通と信用貸し付け」。86年ハバロフスク市へ転勤。職は国営銀行地方支店都市管理局長。87年銀行システム改組の関係でソビエト住宅社会銀行ハバロフスク地方支局長に任命される。90年この支局に基づいて極東地域で最初の株式商業銀行の一つ「地域の発展」が創設された。グレベビュークは当銀行の理事会議長に選出される。94年から現在まで、銀行頭取。ロシアは、大きな潜在能力を持つ国であり、現実的に整備され、社会的に調整されたプログラムを用いれば発展を実現することができる、と考えている。 |
姓 | グレベンキン:Гребенкин |
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名 | アナトリー、В. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | スヴェルドロフスク州人民代議員ソビエト議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。 |
姓 | グレベンニコフ:Гребенников |
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名 | ワレリー、В. |
生年月日 | 1946.10.14 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 90年から91年までロシア共和国主席国家裁定員。全ロシア社会・政治運動「我が家ロシア」評議会執行委員会副議長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。我が家ロシア会派所属。第2期国家会議立法・司法改革委員会副議長。 |
姓 | クレンコフ:Куренков |
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名 | ワレリー、М. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 政府官房政府事務局長を経て、98年6月、政府官房政府事務・公文書局長就任。 |
姓 | クロチキン:Курочкин |
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名 | ヴィクトル、В. |
生年月日 | 1954.01.10 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | ハバロフスク党高等学校卒業。71年から採掘・選鉱コンビナートで労働者として働く。75年から地区新聞「レーニンの道」通信員として働き、課長をつとめる。82年から地区新聞「ダウルスカヤ・ノヴィ」副編集長、編集長。85~91年州新聞「コムソモレツ・ザバイカリヤ」編集長。現在、「人民新聞」(チタ市)編集長。93年12月選挙で第1期連邦会議代議員に当選。第1期連邦会議憲法・司法問題委員会委員および会議規定・議会手続き委員会委員。「民主ロシア」チタ支部共同議長。95年12月第2期国家会議代議員選挙でチタ州チタ選挙区から当選。議会内では無会派。第2期国家会議立法・司法委員会委員。 |
姓 | クロチコフ:Клочков |
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名 | イーゴリ、Е. |
生年月日 | 1939.07.30 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 93年12月選挙で国家会議代議員に選出される。94年1月、下院情報政策・通信委員会副議長に就任。銀行理事長として働く。ロシア農業党会派のメンバー。 |
姓 | グロトフ:Глотов |
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名 | セルゲイ、А. |
生年月日 | 1959.02.14 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 博士候補 |
考察 | 90年3月18日よりロシア連邦人民代議員大会議員。アッチズナ(ロシアの統一)<救国戦線>所属。93年12月選挙でクラスノダール地方クラスノダール選挙区から第1期国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。第1期国家会議連邦問題・地域政策委員会委員。防衛大学校の上級専任教官として働く。94年4月からグループ共同議長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で選挙グループ「人民に権力を」の推薦を受けてクラスノダール地方クラスノダール選挙区から当選。議員グループ「人民に権力を」所属。第2期国家会議国際問題委員会メンバー。 |
姓 | グロフ:Гуров |
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名 | アレクサンドル、И. |
生年月日 | 1945.11.17 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 博士 |
考察 | 大学で法学を専攻。法学博士。犯罪学を専門とし、複数の検察機関で働く。8月革命まで党員。代議員選出時には、ソ連内務省の要職にあった。92年1月ロシア内務省検察中央部部長。 |
姓 | クロポトフ:Кропотов |
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名 | イワン、Е. |
生年月日 | 1938.05.08 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 労働者として働いた後、従軍する。62年以降党員。64年農業専門学校を卒業し、69年まで職業訓練校で教鞭をとる。74年農業大学を卒業。69~77年国営農場の部長および主任農業専門家。77~81年国営農場長。81~84年地方執行委員会農業部長、84~87年同委員会議長。raikom、obkom委員や、地方代議員もつとめる。代議員選出時には、gorkom第1書記。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議農村の社会的発展・農業問題・食糧委員会小委員会議長。 |
姓 | グロムシキン:Громшикин |
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名 | ユーリー、Е. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 対外経済関係省経済顧問をつとめる。 |
姓 | グロモフ:Громов |
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名 | ユーリー、Г. |
生年月日 | 1938.07.18 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 大学で農業技術を専攻。集団農場で主任技師として働く。61年コムソモールraikom第1書記となる。63年より党員。65年からraikomの部長となるが、68年本人の希望により離職。後に集団農場技師となり、71~79年まで党委員会の書記をつとめる。副農場長を経て、80年集団農場長。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。 |
姓 | グロモフ:Громов |
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名 | ボリス、В. |
生年月日 | 1943.11.07 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | サラトフで労働者の家庭に生まれる。生まれる前に父親は戦死。サラトフのスヴォーロヴォ陸軍幼年学校を終え、65年レニングラード一般兵科高等指揮官学校を卒業。72年フルンゼ(名称)軍大学を卒業後、北カフカス軍管区とトルケスタン軍管区に勤務。80年1月~82年7月アフガニスタンで勤務。82~84年参謀本部大学で学ぶ。84~87年沿カルパト軍管区勤務。87年から88年5月15日までアフガニスタン派遣ソ連軍司令官を務めた後、第40軍司令官としてアフガニスタンからの撤退の総指揮をとり、89年2月最後のソ連軍人として同国を離れる。伸べ年半をアフガニスタンで過ごす。撤退完了の日「89年2月15日は我が生涯で最も幸せな日」と語る。アフガン戦争で13,860人の将兵が戦死したことを初めて明らかにする。もっともグロモフ自身も最初はアフガン進攻を弁護。89~90年キエフ軍艦区司令官。89~92年1月ソ連人民代議員。90年12月からソ連第1内務次官(当時の内相は91年8月のクーデター事件の首謀者の1人であるプーゴ)。91年6月のロシア大統領選挙にルイシコフ元ソ連首相と組んで(ルイシコフを大統領候補、グロモフを副大統領候補)出馬したが、エリツィン=ルツコイ組に敗れる。91年8月のクーデター未遂事件後、取り調べを受けたが、91年11月ゴルバチョフによって地上軍総司令官第1代理に任命される。92年6月からグラチョフ・ロシア国防相の下で国防次官。92年8月17日、非常時における民間・軍事航空管理の組織に関する省庁間委員会議長に就任。大将。95年2月「外務省付首席軍事専門官」の肩書きを与えられて国防省から外務省に出向、3月16日、大統領令により国防次官の地位から解任されるが、「外相直属首席軍事専門官」の地位は維持する。「左派中道ブロック」に所属する。95年12月の第2期下院選挙に選挙団体「我が祖国」から出馬し、サラトフ州サラトフ選挙区で当選。議員グループ「ロシアの地域」(独立議員)所属。第2期国家会議国際問題委員会メンバー。66~91年ソ連共産党員。2男2女あるが、娘2人は妻と前夫の子。 |
姓 | グロモフ:Громов |
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名 | スタニスラフ、Л. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 95年8月、連邦土地資源・土地開発委員会副議長に就任。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更されるが、98年4月30日付で廃止され、新設の土地政策・建設・住宅公共事業省に吸収される。 |
姓 | グロモフ:Громов |
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名 | ウラジーミル、П. |
生年月日 | 1940.11.26 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 北部鉄道ヴォログダ支線ヴォログダ機関区機関士。95年12月第2期国家会議代議員選挙に比例区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。党中央委員会メンバー。第2期国家会議退役軍人問題委員会委員。 |
姓 | グロモフ:Громов |
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名 | アレクセイ、А. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 96年11月22日、大統領プレスサービス長官に就任。98年3月、大統領プレスサービス局長となる。 |
姓 | グロモフ:Громов |
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名 | アレクサンドル、П. |
生年月日 | 1951.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 75年レニングラード機械大学を卒業。75年から83年ハバロフスク地区のアムール機械工場で設計技師、部長として働く。83年ハバロフスクkraikom指導員。87年ソヴェーツカガバンの市委員会の第2書記、続いて第1書記。ソ連共産党の活動を禁止された後、92年からソヴェーツカガバン地区で国家税務監督局局長として働く。94年3月地方議会への選挙に参加し、当選し、予算、財政管理、税政策委員会メンバー。政治的意見は共産主義に近い。97年12月7日実施のハバロフスク地方議会選挙にロシア連邦共産党から出馬し、得票率36.39%で再選。 |
姓 | グロモワ:Громова |
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名 | ガリーナ、А. |
生年月日 | 1946.01.01 |
性別 | 女 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 69年ノヴォシビルスク鉄道輸送技術者大学を卒業。83年ハバロフスク高等党学校を卒業。69年から70年ノヴォシビルスク市において橋梁建築管理総局特別設計局ノヴォシビルスク局第2グループ設計技師として働く。70年から極東にすむ。オホーツク建築モンタージュ管理局の生産局で技術者、オホーツク建築管理局建築技師班長として働く。72年から78年全ソ連レーニン共産主義青年同盟オホーツク地域委員会第1書記。78年からソビエト共産党の機関で働く。共産党オホーツク地域委員会秘書、第2秘書を務める。84年から91年人民代議委員会議オホーツク地区執行委員会議長。91年からハバロフスク地方執行委員会民有化及び私有化委員会副議長。94年からはハバロフスク地方国有財産管理委員会議長、ハバロフスク地方行政副長官。 |
姓 | クワシニン:Квашнин |
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名 | アナトリー、В. |
生年月日 | 1946.08.15 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 機甲部隊軍事アカデミー及び参謀本部軍事アカデミー卒業。大将。戦車中隊副隊長として軍務を開始し、戦車連隊参謀長、同連隊長、戦車師団参謀長、同師団長、軍第1副司令官のポストを歴任。92~95年、作戦総局長代理、同第1代理のポストで参謀本部に勤務。94年12月から95年2月1日までチェチェンにおけるロシア連邦共同軍指揮官を務める。95年2月より北カフカス軍管区司令官。97年5月、ロシア軍参謀総長代行に任命される。同年6月19日付大統領令により、参謀総長兼第1国防次官に就任。同年11月、上級大将の称号を授与され、4人目の現役のロシア軍上級大将となる。 |
姓 | クワソフ:Квасов |
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名 | ウラジーミル、П. |
生年月日 | 1936.11.06 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | ソ連副首相秘書長を経験。93年12月の選挙で国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。94年1月より政府官房長官(閣僚)となるが、同年11月11日解任。「新地域政策」グループのメンバー。国家会議地方自治委員会委員。 |
姓 | グン:Гун |
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名 | ルドルフ、С. |
生年月日 | 1936.04.12 |
性別 | 男 |
国籍 | ウクライナ人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 60年医科大学を卒業後、外科医となり、病院の外科部長をつとめる。63年入党。71年からロシア最高会議常勤となる。88~90年、市の主任医師をつとめる。病院の初級党組織に参加し、永年にわたって市の医師会長をつとめる。大統領直属赦免問題委員会メンバー。92年4月、第6回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。 |
姓 | グンダリョワ:Гундарева |
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名 | ナタリヤ、Г. |
生年月日 | 1948.08.28 |
性別 | 女 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。ロシア連邦人民芸能家、モスクワのマヤコフスキー劇場で芸能家として働く。「ロシアの女性」会派のメンバー。国家会議教育・文化・科学委員会委員。 |
姓 | クンツェヴィチ:Кунцевич |
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名 | アナトリー、Д. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 大統領首席顧問(化学的軍縮問題担当)をつとめる。92年2月19日、大統領直属化学・生物兵器条約問題国家委員会議長に就任(94年4月7日解任)。 |