マーレイ:Малей
ミハイル、Д.
生年月日 1941.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 91年8月まで党員。化学産業に従事。科学研究機関の技師、幹部を務める。86年からソ連邦電気技術産業省に勤務。88年から全ソ科学研究所長。90年にロシア人民代議員に選出。91年1月RSFSR閣僚会議副議長(副首相)、同時に国有財産管理国家委員会議長。91年11月同職解任。91年からRSFSR国家顧問。92年8月8日の大統領令により大統領顧問(軍民転換担当)に任命。大統領補佐官。


マイタコフ:Майтаков
ゲオルギー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年10月に実施されたハカシア共和国選出ロシア下院議員補欠選挙で、人民愛国主義勢力ブロックの推薦を受けて立候補し、90%以上の得票率で当選。元軍人。


マイマゴ:Маймаго
ゲンナディー、Н.
生年月日 1959.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 タイムイル自治管区人民代議員ソビエト議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同自治管区ソビエト解体。


マイヨーロフ:Майоров
レオニード、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年10月29日、安全保障評議会副書記に就任。98年5月30日、同職解任。


マカショフ:Макашов
アリベルト、М.
生年月日 1938.06.12
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ザカフカース軍管区偵察中隊長、戦車連隊偵察隊長、大隊長。陸軍大学卒業後キエフ軍管区にて連隊長、師団長代理、師団長を歴任。59年ソビエト共産党入党。60年中尉任官後東ドイツ駐留ソ連集団軍小隊長、偵察中隊長。86年11月ザカフカース軍管区一般兵科軍司令官第1代理、軍司令官。86年11月7日から89年2月までザカフカズ軍管区司令官第1代理。89年2月から89年10月までウラル軍管区司令官、中将。89年10月から91年8月まで沿ヴォルガ・ウラル軍管区司令官、大将。91年6月12日に実施された連邦大統領選挙に出馬するが、3.74%の得票率で落選。年金生活者。95年12月国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシア連邦共産党」の推薦を受け、サマラ州プロムイシレンヌイ(工業)選挙区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議国防委員会メンバー。98年7月、「軍・防衛産業・軍事科学支援」運動副議長に選出。


マカレヴィチ:Макаревич
ニコライ、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 サラトフ州人民代議員ソビエト議長をつとめる。93年9月21日、同州人民代議員ソビエトはエリツィンによる連邦最高会議解体の大統領令を憲法違反であると反対したが、州知事は大統領を支持し、同年10月12日、同ソビエトが自主解散を拒否したため、知事によって解体。


マカレンコ:Макаренко
В
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ハバロフスク地方行政副長官をつとめる。


マカレンツェフ:Макаренцев
ウラジーミル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年3月、連邦水利委員会第1副議長就任。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって、天然資源省及び環境保護国家委員会に統合され、廃止。96年11月より天然資源省次官となる。


マカロフ:Макаров
アンドレイ、М.
生年月日 1954.07.22
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。ロシア連邦安全保障理事会省際委員会活動推進事務局長として働く。94年1月17日までロシアの選択会派所属。社会・政治運動「ロシアの選択」執行委員。その後、「12月12日連合」グループのメンバー。94年1月21日から7月22日まで立法・司法改革委員会。94年7月22日から第1期国家会議国際問題委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙でモスクワ市シェレメチェヴォ選挙区から当選。議会内では無会派。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。


マカロフ:Макаров
アレクサンドル、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 原子力省次官を努める。


マカロフ:Макаров
ニコライ、А.
生年月日 1951.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ソフホーズ「コブリャコフスキー」支配人。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「ロシア自由民主党」から比例区当選したが、辞退。


マギン:Магин
ゲンナディー、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年2月、農業・食糧省第1次官に就任。98年7月、同職辞任。


マクサコフ:Максаков
アレクサンドル、И.
生年月日 1936.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「サラトフ水力発電所建設」社長。95年12月国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシア連邦共産党」の推薦を受け、サラトフ州バラコヴォ選挙区から当選。議員グループ「人民に権力を」所属。第2期国家会議工業・建設・運輸・エネルギー委員会メンバー。98年死亡。


マクサコワ:Максакова
ラリサ、С.
生年月日 1946.11.29
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。ロシア自由民主党モスクワ州地域組織コーディネーター代理として働く。国家会議地政学問題委員会委員。国家会議代議員資格審査委員会委員。


マクシムツェフ:Максимцев
ワレリー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 税関国家委員会副議長をつとめる。98年6月、国外で印刷された刊行物がロシアへの持ち込みを禁止された事件に関連して同職解任。


マクシメンコ:Максименко
ボリス、В.
生年月日 1941.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 66年極東国立大学ジャーナリスト学科卒業。50年代末に沿海地方ラジオ・テレビ放送委員会で働き始める。72年からアムール州およびシベリア鉄道中央区域でソ連ゴステレラジオ専属特派員として働く。83年から沿海地方ラジオ・テレビ放送委員会副議長。89年から同委員会議長。92年この委員会は太平洋国立テレビ・ラジオ会社「ウラジオストック」として再組織された。


マクシモフ:Максимов
ワレリー、Н.
生年月日 1947.07.24
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。炭坑支配人補佐として働く。「新地域政策」グループのメンバー。国家会議工業・建設・運輸・エネルギー委員会委員。


マクシモフ:Максимов
コンスタンチン、Н.
生年月日 1937.08.05
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 65年モスクワ国立歴史・古文書大学卒業。93年連邦会議議員に選出。94年10月16日カルムイキヤ共和国議会(人民フラル)議長。第2期連邦会議科学・文化・教育・保健・環境委員会委員。


マクシモフ:Максимов
エヴゲニー、В.
生年月日 1936.05.13
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 作家。95年12月第2期国家会議代議員選挙に比例区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議文化委員会委員。


マクシュータ:Максюта
ニコライ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年12月22日に実施されたヴォルゴグラード州行政長官選挙に出馬し、同月29日の決選投票で共産党の推薦を受け、現職候補を破って当選。


マクストフ:Максутов
ヴァリウラ、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年4月、サハリン州議会議長に選出される。95年12月28日、同職解任。


マコヴェエフ:Маковеев
ウラジーミル、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年4月、連邦テレビ・ラジオ放送機関第1副長官に就任。


マゴメドフ:Магомедов
マゴメダリ、М.
生年月日 1930.06.15
性別
国籍 その他
学歴 大学卒
考察 52年ダゲスタン教育大学卒業。68年ダゲスタン農業大学卒業。49〜57年教育に携わる。中学校教師、校長、人民教育地区部長をつとめる。57〜69年ダゲスタン自治共和国レヴァシ村コミンテルン(名称)コルホーズ長、レヴァシ町農業局長。69〜75年レヴァシ区ソヴィエト執行委員会委議長およびraikom第1書記、75〜79年obkom課長。79〜87年ダゲスタン共和国閣僚会議議長。87〜90年ダゲスタン共和国最高会議幹部会議長。同年4月24日、ダゲスタン共和国最高会議議長に就任。後に同共和国国家評議会議長。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。連邦会議会議規定・議会手続き委員会委員。98年6月25日、ダゲスタン共和国憲法会議(メンバー242名)で実施された同共和国国家評議会議長(国家元首)選挙で、162票を獲得して再選。


マゴメドフ:Магомедов
ナビウリャ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ダゲスタン共和国副首相をつとめる。


マゴメドフ:Магомедов
スタニスラフ、Ю.
生年月日 1965.10.06
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「M-Auto」副支配人。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。ロシア自由民主党会派所属。第2期国家会議国防委員会委員。


マザエフ:Мазаев
ウラジーミル、Д.
生年月日 1955.11.18
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 博士候補。専門分野は、民主主義、政治制度、人権問題など。代議員選出時には、ソ連内務省高等教育機関の助教授。88年より党員。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。最高会議幹部会付属経済評議会副議長をつとめる。93年5月19日、共和国会議経済改革委員会議長に就任。


マシェフスキー:Машевский
アレクサンドル、П.
生年月日 1950.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ハバロフスク工業大学、自動車道路建設学部を卒業。75年コムソモリスク-ナ-アムーレ教育大学、工業学部を卒業。バイカル-アムール幹線道路建築労働者。運転手、作業班長、区画長。建設への参加に対して、国家勲章を持つ。86年から合同「コムソモリスクレス」で、道路建設者として働く。88年極東で最初の株式会社「アムルレス」を創設し、支配人となる。この企業は木材調達及び木材加工に従事している。日本、韓国、中国がこの企業と取引をしている。自分に関して彼はこう語っている。「私は子供の前に出ても恥ずかしくない。私は常に良心をもって生き、働こうとしてきた。私は、重労働と、現代の男の友情がどんなものかを知っている。」


マシコフ:Машков
ヴィタリー、В.
生年月日 1944.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 スヴェルドロフスク州におけるロシア大統領代理人をつとめる。97年7月解任。


マシコフツェフ:Машковцев
ミハイル、Б.
生年月日 1947.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年4月、カムチャツカ州立法議会議長に選出される。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議科学・文化・教育・保健・環境委員会委員。ロシア連邦共産党カムチャツカ州支部第1書記をつとめる。同州立法議会は、96年12月、州人民代議員ソビエトに改称。


マシチツ:Мащиц
ウラジーミル、М.
生年月日 1953.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 91年12月CIS加盟諸国との経済協力国家委員会議長就任(94年1月解任)。経済共同体首脳会議ロシア政府全権代表。92年10月より政府クレジット政策問題委員会メンバー。94年3月よりCIS加盟諸国との協力相代行、後に第1次官。同省は、98年4月30日付で廃省。権限を外務省に移管。


マシン:Машин
ユーリー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年2月27日、大統領直属体育・スポーツ調整委員会副議長に就任。


マシンスキー:Машинский
ヴィクトル、Л.
生年月日 1949.11.03
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 イルクーツク州アンガルスク市株式会社「バイカリスト」総支配人。93年12月第1期選挙で国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。株式会社総支配人として働く。「新地域政策」グループのメンバー(94年11月17日脱退)。その後無会派。第1期国家会議経済政策委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙ブロック「独立者ブロック」の推薦を受けて、イルクーツク州アンガルスク選挙区から当選。議員グループ「人民に権力を」所属。第2期国家会議経済政策委員会副議長。97年7月に実施されたイルクーツク州知事選挙に出馬したが、得票率3位(14%)で落選。


マスカエフ:Маскаев
イーゴリ、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年6月、天然資源省次官に就任。


マスタフォフ:Мастафов
ウラジーミル、Ж.
生年月日 1939.06.02
性別
国籍 カバルヂニア人
学歴 大学卒
考察 大学で農学を専攻。60年から党員。61年コムソモール機関に移り、国営農場の書記をつとめた後、集団・国営産業農場のコムソモール委員会、党中央委員会の高等教育機関で学び、obkomのインストラクターとなる。70年より地方執行委員会幹部。ソビエトで9年以上にわたって働き、後に市ソビエトの副議長となる。80年には自治共和国の大臣に任命される。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで民族会議弾圧され追放された人々に関する委員会小委員会議長。


マズニツァ:Мазница
ジャン、А.
生年月日 1938.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 61年極東海洋技師高等学校卒業、専攻は船舶修理工。60年代初頭から極東船舶修理工場で熟練工、設計者、副職長、機械技師長、エネルギー・機械部長として働く。74年からスラヴャンスキー船舶修理工場で製造部副技師長として働き、83年から工場支配人の職に就く。「長年に渡って共産主義の理想を信奉してきた。ペレストロイカは不信の念を抱きながら受け入れた、だが社会と国民経済の複合体とにおける民主的・経済的改革の必要性は理解する。多党性、社会主義の理想、市場関係を受け入れることは可能だ。」と宣言している。