ネヴゾロフ:Невзоров
アレクサンドル、Г.
生年月日 1958.08.03
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 レニングラード生まれ。76年聖歌隊歌手、ニコリスキー聖堂聖歌隊バス歌手。暴れ馬の調教。プーシキン記念館勤務。映画スタジオスタントマン。83年レニングラードテレビ局勤務。89年レニングラード・テレビの番組「600秒」で4700万人の視聴者をひきつけ、テレビジャーナリストとして一躍全国にその名を知られる。レニングラードとその近郊での犯罪と汚職の劇的暴露を得意とし、当初はその露骨な反共主義ゆえに当局に嫌われ、党官僚に恐れられた.社会・政治団体「ロシア民族ソボール」メンバー。テレビ記者。91年1月ロシア「オモン」(民警特殊部隊)がラトヴィアの首都リガで住民を殺害した事件では「オモン」の行動を弁護し、公然と保守勢力の陣営に移行、一挙に何百万人ものファンを失い、同僚にもソッポをむかれる。91年8月のクーデター事件後、その番組「600秒」は打ち切り。国際スラブ科学アカデミー会員。ロシア民族ソボールドゥーマメンバー。全国民ヴェーチェドゥーマメンバー。FNS組織委員。「ジェーニ」紙編集委員。93年10月までロシア社会民主党員。93年12月選挙で第1期国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。「ロシアの道」グループメンバー。下院ではどの会派にも属さず。第1期及び第2期国家会議安全保障委員会委員。社会政治団体「ロシア人民会議」メンバー。95年12月選挙でプスコフ州プスコフ選挙区から第2期下院当選。97年12月、ヤコブレフ・サンクトペテルブルグ市長の映画・テレビ問題顧問に任命。


ネクラソフ:Некрасов
レオニード、В.
生年月日 1958.09.28
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。スヴェルドロフスク商業銀行支店長として働く。国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。


ネクラソフ:Некрасов
ウラジーミル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年1月28日、大統領直属連邦法律情報委員会責任書記に就任。大統領国法局顧問。


ネクラソフ:Некрасов
ウラジーミル、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 国家税務機関副長官を務める。


ネクルテンコ:Некрутенко
ヴィクトル、Ю.
生年月日 1952.08.22
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 モスクワ出身。妻と娘1人。75年モスクワ測地・航空写真撮影・地図作成技師大学、94年ロシア連邦政府付属国民経済大学卒。75〜92年、科学生産合同「ゲオフィジカ」首席技師、新型電子光学装置の開発に従事。92〜94年、連邦国有財産管理国家委員会勤務。94〜95年、連邦政府所有・企業活動局民営化・株式会社化担当課コンサルタント、95〜96年、同課課長、96〜97年、政府官房所有・企業活動発展局長、97年4月から政府自然独占管理局長を歴任。98年4月30日付で天然資源相に任命。


ネスコブリノフ:Нескоблинов
ウラジーミル、В.
生年月日 1934.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 57年ハバロフスク鉱山技術学校建設科卒業。67年通信教育で極東工業大学建設技師学部卒業。アルチョム市建設局で建設熟練工、現場監督、技師長、建設局長として、その後、企業合同「ダリシャフトストロイ」総務として働く。75年連合「グラヴァウラジオストックストロイ」第1副長、その後、同連合長、地方建設連合長。91年から「プリモルスクストロイ」総支配人および同連合理事会議長。89年党kraikomのメンバー。


ネステレンコ:Нестеренко
タチヤーナ、Г.
生年月日 1959.08.05
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。チュクチ自治管区行政副長官、財政局長として働く。「新地域政策」グループのメンバー(95年4月7日脱退)。その後、無会派。第1期及び第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙でチュクチ自治管区小選挙区から当選。議員グループ「ロシアの地域」(独立議員)所属。98年1月、財務省次官兼連邦財務総局長就任。


ネステレンコ:Нестеренко
ワレリー、И.
生年月日 1945.04.14
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 66年スパースコエ中等教育学校卒業。73年極東国立大学法学部卒業。62年62年ソフホーズ労働者として働き始め、そこで1年間働いた。73〜87年はウラジオストックにいたが、この時期の職種ならびに昇進は選挙前の運動では明らかにされていない。60年代前半ソ連軍に勤務。87年にスパースク・ダーリニーに戻って、まず自動車縦列長として、スパースク建設資材工場副支配人として働く。91年から自然保護区域「ハンカイスキー」支配人に任命される。93年国家会議代議員選にトラフキン派から無所属として立候補した。5人の候補者のなかで選挙参加者の20.2%の票を集め、ライバルの共産党員を351票差で追い越して当選した。投票者は愛国者である。ロシア中国国境線境界決定の拒否とクリル諸島所属の不変性とは愛国主義の証拠であると考えている。93年の選挙では自由民主党が「ロシアの選択」の2倍半、ヤブリンスキー連合の4倍の票を集めた。この管区では沿海地方知事が最も大きな人気を享受している。ネステレンコは再三知事の政策の支援について公の場で宣言している。


ネステロフ:Нестеров
エヴゲニー、К.
生年月日 1946.12.04
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 大学で論理物理学を専攻し、70年卒業後、物理学の教師となる。71年から企業に主任技師としてつとめ、研究員のグループを主導。ソ連科学アカデミー社会学研究所レニングラード支部主任研究員。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。


ネステロフ:Нестеров
ユーリー、М.
生年月日 1945.04.16
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 90年3月18日よりロシア連邦共和国人民代議員大会議員。選挙時はソ連科学アカデミー社会学研究所レニングラード支部主任研究員。政治・法律研究国際慈善基金「インテリガル」サンクトペテルブルグ支部理事。95年12月国家会議代議員選挙で、選挙団体「ヤブロコ」の推薦を受け、サンクトペテルブルグ市ヴォストチヌイ(東部)選挙区から当選。「ヤブロコ」会派所属。第2期国家会議情報政策・通信委員会副議長。


ネステロフ:Нестеров
ニコライ、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年6月、農業・食料省第1次官に就任。


ネチャエフ:Нечаев
アンドレイ、А.
生年月日 1953.02.02
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 モスクワ大学で経済学博士候補取得。シャターリンの指導を受ける。79年よりTSEMIや他の経済関連研究機関に研究者として勤務。84年入党、91年8月19日離党。ロシア連邦経済財政第1副大臣(91〜92年)。92年2月ロシア連邦経済相、93年3月25日解任。92年7月政府外貨・経済委員会副議長、同年10月より政府クレジット政策問題委員会メンバー。安全保障評議会非常任メンバーもつとめる。


ネチャエフ:Нечаев
エドゥアルド、А.
生年月日 1934.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 軍医学アカデミーで研究教育活動に従事。国防省軍医療総局長を経て、92年12月にロシア連邦保健医療相に任命。94年2月まで安全保障評議会非常任メンバー。94年1月20日に保健・医療産業相に任命、95年11月29日同職解任。


ネデリン:Неделин
ゲンナディー、П.
生年月日 1938.05.20
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 クラスノヤルスク農業大学卒業。62〜66年コムソモールkraikom指導員やraikom第1書記、66〜71年地区執行委員会副議長、71〜91年タイムイル自治管区執行委員会副議長、議長をつとめる。92年12月タイムイル自治管区行政長官就任。93年12月の選挙で上院代議員に当選。無所属。連邦会議北方問題・少数民族問題委員会委員。96年12月22日に実施されたタイムイル自治管区行政長官選挙で再選。


ネヒン:Нехин
ヨシフ、Д.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 大統領代理人(ユダヤ自治州)をつとめる。


ネムツォフ:Немцов
ボリス、Е.
生年月日 1959.10.09
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 クラスノダル地方ソチ生まれ。妻と娘1人。ソチ市の中等学校を卒業し、81年ロバチェフスキー(名称)ゴーリキー国立大学電波物理学部卒業。81〜90年電波物理学研究所に技師、上級研究員として勤務。ソ連時代末期に原発反対運動の指導者として名をあげ、90〜93年ロシア共和国人民代議員。最高会議立法委員会委員をつとめる。91年8月27日、ニージニーノヴゴロド州大統領代理人に就任(94年4月19日解任)。同年11月30日、同州行政長官に任命。93年12月の選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。連邦会議予算委員会委員。95年12月、下院選挙と同時に実施された知事選挙で再選される。第2期連邦会議社会政策問題委員会副議長。96年1月末、チェチェン共和国からの連邦軍撤退を求める署名集めを同州内で開始。97年3月17日、連邦第1副首相(住宅・建設政策、独占禁止政策担当)に就任。この管轄分野に従って自動的に国内における燃料、電力、(鉄道)輸送の需要を満たすことにも責任を持つ。同年4月、燃料・エネルギー相に任命(兼任)。同年4月8日付首相命令でロシア連邦と諸外国間の貿易・経済及び科学・技術協力における政府間委員会ロシア側議長(イタリア、日本、中国担当)に任命される。同年5月22日、安全保障評議会メンバーに任命される。同年9月に行われたロシア大統領候補者に関する世論調査で、ロシア国民が大統領に推薦したいと考えている政治家の中で、同氏が第1位になる。同年11月初めに開催された日露非公式クラスノヤルスク首脳会談に同席。チュバイス第1副首相らとのスキャンダルが暴露され同年11月20日、燃料・エネルギー相から解任され、第1副首相委の権限が縮小される。98年1月16日、副首相の新職務配分に関する決定が行われ、改革問題担当、住宅・公共事業改革、運輸委員会の活動に重点を置くことになり、従来の燃料エネルギー・コンプレクスの純然たる問題の担当から外れる。他に鉄道省、独占禁止国家委員会、住宅・建設政策国家委員会その他の一連の連邦機関の活動を直接監督する。また、首相の暫定的不在の期間中、首相職務を代行。98年3月23日、大統領令第281号により、ロシア連邦憲法第83及び117条に従って、連邦政府の総辞職及び新政府組閣まで政府閣僚は職務を引き続き遂行することを決定。98年4月18・19日エリツィンの非公式訪日に同行。彼は当会議の事前準備に専念した。98年4月28日第1


ネヨーロフ:Неелов
ユーリー、В.
生年月日 1952.06.24
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 チュメニ産業大学、モスクワ行政・幹部養成アカデミー卒業。74年から飛行隊の機械技師、技師として働く。SSTの自動車縦列長、課長を経験。77〜85年コムソモールおよび党の仕事に従事する。85〜89年地区ソビエト執行委員会議長。89〜91年ソ連最高会議交通・通信・情報小委員会議長。91〜92年地区ソビエト議長。92〜94年チュメニ州行政副長官。94年3月15日、第89選挙区(上院二人区)の代議員として選管が承認。無所属。同年2月12日、ヤマル・ネネツ自治管区行政長官代行、同年8月6日、同行政長官に就任。第1期連邦会議連邦会議・連邦条約・地域政策委員会委員。第2期連邦会議北部・少数民族問題委員会委員。我が家ロシアメンバー。ガスプロムの役員をつとめる。96年10月13日、ヤマル・ネネツ自治管区知事選挙で再選。


ネラソフ:Неласов
ニコライ、А.
生年月日 1945.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年9月まで最高会議科学・国民教育委員会副議長をつとめる。


ネロダ:Нерода
ナタリヤ、С.
生年月日 1952.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ソフホーズ支配人。スパースク市キーロフ地区選管区。94年10月沿海地方議会に選出される。