ニー:Ни
グリゴリー、П.
生年月日 1955.01.01
性別
国籍 その他
学歴 大学卒
考察 78年ハバロフスク自動車道路建設技術学校を卒業。78年から83年、建設組織の技術者。80年から83年まで物質的技術的支援局長、第204副建設局長。84年金採取同業組合で、基地の主任として働く。89年民間企業「ソユーズ」支配人。94年ハバロフスク地方議会議員に選出され、同議会地方社会経済発展及び経済改革委員会議長。


ニェムツォフ:Немцов
ボリス、Э.
生年月日 1959.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。


ニカノロフ:Никаноров
セルゲイ、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年10月、連邦テレビ・ラジオ放送機関副長官に就任。


ニカンドロフ:Никандров
グリゴリー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年8月までアムール州大統領代理人をつとめる。


ニキーチナ:Никитина
タチヤーナ、Х.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年7月8日まで文化省次官をつとめる。


ニキーチン:Никитин
ワレンチン、И.
生年月日 1948.11.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。バシコルスタン共和国住民生活サービス品質国家検査局長として働く。ロシア連邦共産党会派のメンバー。ロシア連邦共産党中央委員会幹部会メンバー。第1期国家会議民族問題委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員にロシア連邦共産党の推薦を受けてバシコルトスタン共和国キーロフ選挙区から当選。第2期国家会議民族問題委員会副議長。


ニキーチン:Никитин
ワレリー、А.
生年月日 1944.01.05
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 少将。93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。ロシア連邦功労教師。市教育局長として働く。「新地域政策」グループのメンバー。国家会議教育・文化・科学委員会委員。連邦警備総局副局長を経て、95年8月、同第1副局長に就任。


ニキーチン:Никитин
ウラジーミル、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 大統領国法総局法擁護機関および安全保障・国防問題部第1副部長をつとめる。少将。


ニキーチン:Никитин
アレクサンドル、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 モスクワ市財産局長(財産管理委員会議長)を経て、94年3月23日、大統領総務局第1副局長に就任。


ニキーチン:Никитин
ワレンチン、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦貴金属・宝石委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって廃止。


ニキーチン:Никитин
ウラジーミル、С.
生年月日 1948.04.05
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 「プスコフ復興」社支配人。95年12月第2期国家会議代議員選挙に比例区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。ロシア連邦共産党中央委員会メンバー。第2期国家会議CIS・同胞交流委員会委員。


ニキーチン:Никитин
ウラジーミル、П.
生年月日 1951.03.11
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 カリーニングラード州議会議員。州議会予算常任委員会議長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、カリーニングラード州小選挙区から当選。議員グループ「人民に権力を」所属。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。


ニキーテンコ:Никитенко
アレクセイ、А.
生年月日 1945.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 81年極東国立大学法学部を通信教育で卒業。学校の7年生終了後働き始める。コルホーズのプラウオペレーター、蒸気機関車庫の鍛冶屋として働く。64〜68年軍隊勤務。除隊後、ボイラーマンとして働き、労働青年学校を卒業。その後、鉄道警察刑事部、コムソモール鉄道連絡駅委員会書記、木材調達団、極東の諸都市の様々な企業の取付工など、職を転々とする。81年活動的なコミュニストかつ法律の教育を受けた専門家としてウッスリースク車庫党窓口専従書記に選出される。85年ウッスリースク市人民裁判所人民裁判官に承認される。89年スパースク市人民裁判所人民裁判官に選出され、同裁判所議長に承認される。


ニキーテンコ:Никитенко
ヴィクトル、Н.
生年月日 1939.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 博士
考察 56年ハバロフスク教育大学物理数学部入学。大学を卒業後、物理教師、学校長として働く。72年から、ハバロフスク教育大学で働く。修士号、91年にはモスクワで博士号公開審査に合格する。50以上の学術論文の筆者で、その中には2つの教科書、「教師の職業における理論と実践」と、「教育学の基本」も含まれる。93年からハバロフスク地方行政教育委員会議長。政治的意見は中道主義。


ニキートフ:Никитов
ウラジーミル、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年2月26日、連邦会議(上院)事務局長に就任。


ニキトチューク:Никитчук
イワン、И.
生年月日 1944.05.21
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ロシア連邦核センター主任研究員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシア連邦共産党」の推薦を受け、ニージニー・ノヴゴロド州アルザマス選挙区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議軍民転換・ハイテク技術委員会委員。


ニキフォレンコ:Никифоренко
ユーリー、В.
生年月日 1941.12.29
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 第1期国家会議代議員秘書。オレンブルグ州立法議会議員。オレンブルグ州議員資格審査委員会議長。ロシア連邦共産党中央委員会メンバー。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議地政学問題委員会副議長。代議員資格審査委員会委員。


ニキフォロフ:Никифоров
セルゲイ、М.
生年月日 1950.08.31
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 国際環境センター「ESAT」ロシア人専門家グループ指導者。95年12月国家会議代議員選挙で、選挙団体「ヤブロコ」の推薦を受け、サンクトペテルブルグ市ザパドヌイ(西部)選挙区から当選。「ヤブロコ」会派所属。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会メンバー。


ニクーリン:Никулин
イーゴリ、П.
生年月日 1954.06.03
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 高卒後、国境警備隊に従軍。予備役に転じた後、企業で働く。大学で歴史と言語学を専攻。80年よりソ連KGBの機関で働く。KGB高等教育機関を卒業し、86年まで市のKGBの責任者をつとめる。


ニグコエフ:Нигкоев
セルゲイ、Г.
生年月日 1938.01.14
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「モスアグロモンタージュ」社長。95年12月第2期国家会議代議員選挙にロシア連邦共産党から比例区当選。ロシア連邦共産党モスクワ州委員会議長。院内会派は農業党議員グループ所属。第2期国家会議農業問題委員会副議長。


ニグマトゥリン:Нигматулин
ブラト、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年4月、原子力省次官に就任。


ニクレンコ:Никуленко
ワシリー、И.
生年月日 1950.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 68年極東漁業大学に入学したが、健康上の理由からウッスリースク沿海農業大学に移り、70年代半ばに卒業。81年ハバロフスク党高等学校を卒業。大学進学以前にチェルニゴフカ村建設・組立局で働く。大学卒業後はクラスノアルメイスキー地区ソフホーズで機械技師として働く。75年からコムソモールや党の仕事をする。コムソモールraikomの部長、第1書記をつとめる。77年から党raikom産業・交通部長。党高等学校を卒業した後、党沿海地方kraikom 指導員に採用され、やがて第2書記としてクラスノアルメイスキー地区raikomに戻った。86年〜90年クラスノアルメイスキー地区執行委員会議長として働く。90年から地区ソビエト議長に、91年からは地区行政長官になる。


ニコチン:Никотин
ヴャチェスラフ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 北オセチヤ共和国副首相をつとめる。


ニコノフ:Никонов
ヴャチェスラフ、А.
生年月日 1956.06.05
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 国際財団「改革」の顧問だった。93年12月選挙で国家会議代議員に当選。経済社会改革国際財団顧問として働く。ロシア統一・合意党会派のメンバー。国家会議国際問題委員会委員。95年1月から国家会議チェチェン紛争発生原因調査委員会副議長。


ニコラエフ:Николаев
アンドリヤン、Г.
生年月日 1929.09.05
性別
国籍 チュヴァシュ人
学歴 博士候補
考察 47年大卒後、50年まで木材関係の仕事に携わる。54年空軍大学を卒業し、戦闘機パイロット、60年まで宇宙飛行士として従軍する。空軍技術アカデミーに学び、70年以降航空隊少将。宇宙飛行士養成のためのガガーリン・センターの副所長。57年以降党員。ロシア共和国代議員にも数回選出されている。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


ニコラエフ:Николаев
ミハイル、Е.
生年月日 1937.11.13
性別
国籍 ヤクート人
学歴 大学卒
考察 ヤクート自治共和国(現サハ共和国)オルジョニキッゼ地区で農民の家庭に生まれる。妻と2男1女。長女オリガは銀行員、次女タチヤーナは「ロシアーサハのダイヤモンド」社に勤務。息子は学生。61年オムスク獣医大学卒業後、ヤクーチア共和国内地区獣医長として働く。61〜69年コムソモールraikom、obkom、gorkomで第1書記などをつとめる。69〜71年共産党中央委員会付属高等学校聴講生。71〜75年raikom第1書記などをつとめる。75〜79年ヤクーチア共和国閣僚会議副議長。79〜85年ヤクーチア共和国農業大臣。85〜89年ヤクーチアobkom書記。ヤクーツク共和国最高会議議員。89〜90年ヤクーチア共和国最高会議幹部会議長。90〜91年ヤクーチア共和国最高会議議長。90年3月4日ロシア連邦人民代議員に選出。ロシア連邦憲法委員会委員。91年12月21日、サハ共和国大統領に就任。しばらく首相兼任。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選(得票率67.19%)。無所属。連邦会議連邦問題・連邦条約・地域政策委員会委員。96年12月22日に実施されたヤクーチア共和国大統領選挙で再選される。


ニコラエフ:Николаев
アンドレイ、И.
生年月日 1949.04.21
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 モスクワ生まれ。妻と2人の子供。71年モスクワ一般兵科高等指揮官学校、76年フルンゼ(名称)軍大学、88年参謀本部大学を卒業。かつて自動車化狙撃小隊長、中隊長、連隊長などを歴任し、ハンガリーはじめ各地に赴く。92年6月からロシア軍参謀本部総局第1次長、92年12月から軍参謀総長第1代理。93年8月から保安省に移された際、グラチョフ国防相との対立説が流れた。94年1月より国境警備機関長官(94年12月連邦国境警備局に改称)兼国境警備軍総司令官。同年4月18日、大統領評議会非常任メンバーに就任。CIS諸国国境警備軍司令官評議会議長。95年5月上級大将。96年4月チェチェン危機解決国家委員会メンバーに就任。同年7月25日設立されたロシア連邦国防評議会メンバーになる。97年8月、安全保障評議会国境政策省庁間委員会議長。ロシア・グルジア国境のベルフニー・ラルス国境検問所の(97年7月にグルジア側に移動される以前の位置への)移動に関するロシア軍最高総司令官としてのエリツィン大統領の命令に根本的に同意できなかったことに関連して辞職を願い出ていたが、97年12月正式に受理され、国境警備局長官職解任。98年1月、ハカマダ議員が中小企業支援・発展委員会議長に転じたため空席となった選挙区からロシア下院候補として立候補することを表明。同年3月3日、安全保障評議会メンバーから解任。同年4月12日、モスクワのオレボボ・ボリソボ選挙区で実施された下院補欠選挙で65%以上の得票率で当選。モスクワ選出議員グループを母体にして中道勢力の中核を作り、99年の下院選挙に臨む方針を表明。同氏は、下院議員就任に伴って、軍務から正式に退役し、政治活動に専念。同年7月、全ロシア政治社会運動「人民権力・労働同盟」が設立され、初代議長に選出。


ニコリスキー:Никольский
ボリス、В.
生年月日 1937.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 モスクワ市行政副長官を経て、92年1月25日、同市第1行政副長官(市経済担当)に就任。


ニコロゴルスキー:Никологорский
ワレリー、Г.
生年月日 1941.04.18
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 イワノヴォエネルギー大学卒、電気技師の資格を得る。ゴーリキー大学で政治学も修める。96年よりイワノヴォ州立法議会議長。第2期ロシア上院代議員。第2期上院国際問題委員会メンバー。


ニジェリスキー:Нидзельский
ピョートル、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 燃料・エネルギー省次官を努める。


ニスネーヴィチ:Нисневич
ユーリー、А.
生年月日 1951.09.19
性別
国籍 ユダヤ人
学歴 博士候補
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。合弁企業副総支配人として働く。「ロシアの選択」会派のメンバー。国家会議情報政策・通信委員会委員。


ニチポレンコ:
ワレンチナ、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「ダリヒムファルム」社長。97年12月のハバロフスク地方議会選挙で第10選挙区から立候補し、得票率14.08%で第2位であったが、「全候補に反対」する有権者が最大多数であったため、選挙不成立。98年3月29日、同地方議会再選挙で第10選挙区から有権者推薦で再び立候補し、得票率38%以上で当選。


ニマエフ:Нимаев
ウラジーミル、Б.
生年月日 1934.09.01
性別
国籍 ブリャト人
学歴 大学卒
考察 57年大卒後、専門技師となり、空軍科学研究所で働く。60〜73年工場に勤務。研究助手から主任設計士になる。68年入党。73〜87年国防関係の企業で管理職をつとめる。87〜90年工場長。90年代議員選挙にともなって、副工場長に降格。地方代議員やgorkomなどの経験もある。「ロシア-モンゴリア」議員友好協会長。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


ニマエワ:Нимаева
リディア、Ч.
生年月日 1948.05.13
性別
国籍 ブリャト人
学歴 博士候補
考察 ブリャート国立教育大学、モスクワ国立教育大学大学院卒業。66〜67年教師として働く。67〜72年ブリャート国立教育大学生および同大学コムソモール委員会書記。72〜73年コムソモールobkom書記。73〜76年ブリャート国立教育大学に助手として勤務。79年モスクワ国立教育大学大学院卒業後、再びブリャート国立教育大学で講師、助教授をつとめる。85〜91年obkomの講師、書記など。92〜93年ブリャート共和国対外経済・国際関係省部長。ブリャート共和国社会文化問題担当副行政長官。連邦議会上院科学・文化・教育問題委員会委員。93年からブリャート共和国最高会議科学・国民教育委員会議長代行。同年12月選挙で連邦会議代議員に当選。ロシア連邦共産党員。連邦会議科学・文化・教育問題委員会委員。現在、ブリャート共和国政府社会・文化問題委員会副議長。