ノヴィコフ:Новиков
ウラジーミル、И.
生年月日 1960.04.14
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 最高会議議会内会派「無党派代議員」代表。93年12月の選挙でロシア自由民主党から国家会議代議員に選出されるが、実際には92年4月6日に離党。有限会社営業部長として働く。国家会議環境委員会委員。


ノヴィコフ:Новиков
ヴャチェスラフ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 クラスノヤルスク地方人民代議員ソビエト議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同地方ソビエト解体。


ノヴィコフ:Новиков
ボリス、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦保険活動監督機関第1副長官を務める。同機関は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって廃止。


ノヴィコフ:Новиков
セルゲイ、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 燃料・エネルギー省次官を経て、98年5月5日、国家備蓄国家委員会議長に就任。


ノヴィコワ:Новикова
タチヤーナ、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年12月、青年問題国家委員会議長に就任。98年4月、同委員会廃止。


ノヴィツカヤ:Новицкая
イリーナ、Е.
生年月日 1951.12.12
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。市立救急小児病院分院長として働く。「ロシアの女性」会派のメンバー。国家会議活動組織委員会副議長。


ノヴォセリツォフ:Новосельцов
ワレリー、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 エベンキ自治管区人民代議員ソビエト議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同自治管区ソビエト解体。


ノヴォセロフ:Новоселов
アナトリー、М.
生年月日 1944.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 キエフ民間航空大学を卒業、無線技師の資格を持つ。91年ロシア連邦政府付属経済アカデミーを卒業。66年から72年コムソモリスク-ナ-アムーレ市のガガーリン(名称)航空工場で働く。整備員、テスト技術者、作業場長、工場コムソモール委員会書記を勤める。72年から74年、コムソモリスク-ナ-アムーレ市全ソ連レーニン共産主義青年同盟レーニン地区第一書記。74年から83年全ソ連レーニン共産主義青年同盟ハバロフスク地方委員会第二書記、続いて第一書記。83年から84年ソヴィエト共産党コムソモリスク-ナ-アムーレ市gorkom書記。84年から89年コムソモリスク-ナ-アムーレ市執行委員会書記。89年から91年ロシア連邦政府付属国民経済アカデミー聴講生。91年から93年極東原子力発電所合同管理部第一副総裁。93年から地域間経済相互関係協会「極東とザバイカリエ」の第一副総裁、その後総裁。


ノジコフ:Ножиков
ユーリー、А.
生年月日 1934.02.17
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 イワノフエネルギー大学卒業。56年から企業合同「ウラルエネルゴモンタージュ」勤務。技師長、組立局長を経験。70〜84年企業合同体「ヴァストークエネルゴモンタージュ」支配人。84〜88年「ブラーツクゲスストロヤ」の部長、総支配人をつとめる。88年からイルクーツク州ソビエト執行委員会議長。91年9月、イルクーツク州行政長官(後に知事)に任命。93年3月、ノヴォシビルスク州知事のと共に、権力乱用と連邦大統領令の再度にわたる不履行を理由に解任されるが、イルクーツク州人民及び他地域の政治指導者による大量抗議行動が功を奏して6日後に再び知事職に返り咲く。12月連邦会議代議員に選出される。上院代議員資格審査委員会員。連邦会議予算委員会委員。94年2月26日、大統領評議会員に就任。第2期上院代議員資格審査委員会議長。94年3月、イルクーツク州知事選挙で再選。97年4月25日、同州知事辞任。


ノジニコフ:Ножников
アレクサンドル、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年5月〜96年8月、連邦通貨・輸出管理機関副長官をつとめる。


ノソヴェッツ:Носовец
セルゲイ、А.
生年月日 1958.05.11
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 75年から働きはじめ、後に軍役につく。大学でテレビ・ジャーナリズムを専攻し、85年卒業。84年から地方のテレビ・ラジオ委員会で働き、地元テレビ局の評論家として有名になる。代議員選出時には、地方執行委員会テレビ・ラジオ委員会の上級編集員。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。同年7月以降は最高会議マスコミ委員会常勤となる。93年9月まで最高会議マスコミ委員会小委員会議長。94年7月12日、大統領府情報保障局長に就任。同年11月22日、大統領府保障局、プレスサービス、日常情報センターを統合して大統領府情報局を新設することが発表され、同局長代行を経て95年4月2日、局長に任命される。