レヴィタン:Левитан
セルゲイ、В.
生年月日 1963.08.21
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 ペルミ工業大学卒業。85〜90年建設・組立企業合同体に勤務。現場主任から副工場長となる。現在、「ノストロモ」コンツェルン会長。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。連邦会議国際問題委員会委員。96年12月22日に実施されたペルミ州行政長官選挙の決選投票で落選。


レヴィナ:Левина
リュドミラ、И.
生年月日 1945.01.01
性別
国籍 ユダヤ人
学歴 大学卒
考察 75年極東国立大学法学史学部卒業。中等学校卒業後、製図工として働く。その後、党raikom司書として働く。64年ボリショイ・カメニ居住区法廷書記として働き始める。76年チュグエフスキー地区人民裁判所人民裁判官に選出される。84年から沿海地方チュグエフスキー地区裁判所議長になる。


レヴィンタリ:Левинталь
アレクサンドル、Б.
生年月日 1957.01.01
性別
国籍 ユダヤ人
学歴 博士候補
考察 79年ハバロフスク工業大学を卒業。79年から90年ハバロフスク市ソ連科学アカデミー極東科学センター経済研究所研究生、下級研究員、研究員、上級研究員。90年から91年ハバロフスク地方執行委員会の計画経済管理総局経済分析部長。91年から92年経済ポテンシャル及び地方執行委員会管理総局の経済管理の新形態分析部長。92年から地方行政機関経済委員会第1副議長。93年から地方行政副長官、経済委員会議長。経済修士。政治的意見は中道主義。


レウシキン:Леушкин
アレクセイ、И.
生年月日 1967.03.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。ロシア民主党サマラ州支部長として働く。国家会議活動組織委員会委員。国家会議議員グループ「安定」の共同議長。


レウシキン:Леушкин
セルゲイ、Г.
生年月日 1950.10.09
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ハバロフスク国民経済大学卒業。70年から建設・組立局に大工として勤務。74〜88年コリャーク飛行隊航空技術基地部に技師として勤務。88〜90年町ソビエト議長、地区ソビエト議長、カムチャッカ州コリャーク管区執行委員会議長をつとめる。91年11月にコリャーク自治管区行政長官に任命される。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選(得票率29.93%)。無所属。第1期連邦会議北方問題・少数民族問題委員会委員。96年11月17日のコリャーク自治管区行政長官選挙に立候補したが、落選。


レーズニク:Резник
ボリス、Л.
生年月日 1940.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ムイチシチ市の地区新聞「モスコーフスキーコムソモーリェツ」でジャーナリズムの仕事をはじめる。63年モスクワ大学のジャーナリズム学部を通信教育で卒業。64年から新聞「木材工業」で、初めはモスクワで通信員として、69年から極東で特派員として働く。81年から新聞「イズベスチア」で働く。ハバロフスク地方およびアムール州の特派員、極東の特派員。93年から新聞「イズベスチア」の極東代表部長。政治的意見は民主主義。ロシアの今日の状態は極めて悲惨で、改革は非常に悪化し、民主主義はその名を汚しており、権力機構には犯罪人さえ入っている、と考えている。


レータ:Лета
タマーラ、И.
生年月日 1939.08.18
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に選出され、94年1月、下院女性・家族・青年問題委員会副議長となる。小選挙区から選出される。ロシア連邦功労医師。ヴォログダ州病院副医長として働く。ロシア農業党会派のメンバー。                                                                               


レーピン:Репин
ニコライ、В.
生年月日 1946.05.02
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 最高会議小委員会議長。建設企業で働いた後、64〜65年従軍。71年体育専門学校のスタッフになり、体育大学の課程を修了。76〜81年体育指導者として働き、81〜89年高等体育学校の指導者となる。89年Otvaga軍事愛国者協会長に就任。90年2月市ソビエト執行委員会の副議長に任命され、同年10月最高会議青年問題委員会の常勤となる。92年4月、第6回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。


レオノフ:Леонов
ユーリー、Ю.
生年月日 1963.02.28
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。労働組合新聞編集長、共和国労組連合執行委員会議長として働く。ロシア連邦共産党会派のメンバー。国家会議労働・社会的支援委員会委員。


レオノフ:Леонов
エヴゲニー、Н.
生年月日 1942.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 66年極東工業大学卒業。工場「ラジオプリボル」で熟練工として働き始め、1年後別の工場「ダリプリボル」に移った。そしてそこに16年間勤務した。設計者、熟練工、ビュロー長、副職長、実験室長、職長、党委員会書記として働く。83年工場「ワリャク」副支配人に任命される。87年からウラジオストックと沿海地方とで最も巨大な工場のひとつである、同工場の支配人をつとめる。民主主義は非常に含蓄のある概念でこれは言論、印刷、集会等の自由だけではなく、まずなによりも社会生活の領域全体における法律の厳密な遵守であると確信している。


レオノフ:Леонов
ヴィクトル、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年1月15日、ノヴォシビルスク州人民代議員ソビエト議長に選出される。


レオンチエフ:Леонтьев
アナトリー、П.
生年月日 1934.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 90年4月、オムスク週人民代議員ソビエト議長に就任。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。


レオンチエフ:Леонтьев
レオニード、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 科学・技術政策省第1次官を努める。


レオンチェフ:Леончев
ウラジーミル、А.
生年月日 1946.10.18
性別
国籍 不明
学歴 博士候補
考察 89〜91年ソ連最高会議代議員。共産主義者代議員グループ及び代議員グループ「ソユーズ」メンバー。選挙時は石油化学コンビナートの仕上げ班長。94年11月18日、比例区から第1期国家会議代議員になる。ロシア連邦共産党会派所属。95年1月13日から国家会議環境委員会委員。科学生産企業「バイオテクニクス」総裁。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、比例区から当選。第2期国家会議環境委員会副議長。


レゲント:Регент
タチヤーナ、М.
生年月日 1950.08.21
性別
国籍 不明
学歴 博士候補
考察 オムスク生まれ。夫と娘1人。ロモノソフ記念モスクワ国立大学地理学部及び同大学院修了。地理学専攻。教職に就く。74〜86年、中央科学・設計研究所で研究員として働く。86〜90年、モスクワN.K.クルプスカヤ記念教育大学助教授。90〜91年、ロシア科学アカデミー雇用問題研究所室長。92年1〜6月、連邦労働・住民雇用省付属移住問題委員会第1副議長。同年6月14日、連邦移住局長官に就任。移住及び人口地理学に関する約40作の著書がある。


レザイキン:Резайкин
ワシリー、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 公衆衛生・伝染病監視国家委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって廃止。


レシェトニコフ:Решетников
エヴゲニー、А
生年月日
性別
国籍 不明
学歴
考察 連邦原子力省次官。


レジキン:Редькин
アレクサンドル、М.
生年月日 1954.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 82年極東国立大学法学部卒業。武装部隊に勤務する前は沿海地方オリギンスキー地区レスホーズの労働者だった。夜間で中等学校と自動車教習所を卒業。72〜74年ソ連軍勤務。復員後、オリガ居住区でクレーン車の運転士として働く。大学卒業後、82〜87年ミハイロフスク地区人民裁判所人民裁判官として働く。87年からハンカイスキー地区人民裁判所議長。


レジキン:Редькин
セルゲイ、М.
生年月日 1956.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 有限会社「ミログラドフスコエ」社長。97年12月7日に実施された沿海地方議会代議員選挙に立候補し、当選。


レジヌイシ:Лездиныш
アイワルス、Я.
生年月日 1952.07.10
性別
国籍 その他
学歴 大学卒
考察 93年12月小選挙区から選出される。小規模企業支配人として働く。「12月12日連合」グループのメンバー。国家会議国際問題委員会委員。


レシュリスキー:Решульский
セルゲイ、Н.
生年月日 1951.09.21
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 大学を卒業後、労働者として働く。党員。代議員選出時には、ダゲスタン自治共和国マハチカラ市党委員会第1書記、ダゲスタン州obkom第2書記をつとめていた。ロシア共産主義者(ロシアの統一)会派所属。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに当選。93年6月8日、民族会議弾圧され追放された人々に関する委員会議長に就任。同年12月の選挙で第1期国家会議代議員に選出される。ロシア連邦共産党会派のメンバー。党中央委員会メンバー。第1期および第2期国家会議連邦問題・地域政策委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。


レシン:Ресин
ウラジーミル、И.
生年月日 1936.02.21
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 白ロシア共和国の首都ミンスクで生まれる。モスクワ鉱業大学卒業後、ソ連石炭工業省及び組立・特殊建設工事省の組織に勤務。65年からモスクワ市で建設の仕事をし、建設トラスト支配人や工業建設総局長を経て、87〜90年モスクワ建設委員会副議長、同議長、90〜91年モスクワ市ソビエト執行委員会副議長兼建設委員会議長、91年モスクワ市行政副長官(建設・投資担当)、92年1月25日、モスクワ市第1行政副長官(将来発展担当)に就任。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「我が家ロシア」で比例区から当選したが、辞退。


レシン:Ресин
ミハイル、Ю.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ノーヴォスチテレビ社長を経て、96年9月15日に設立された大統領府社会団体関係局長に就任。97年2月27日、テレビ界への復帰を希望し、同職辞任。辞任劇の背景には政治的理由はないとされる。


レドネフ:Леднев
ワレンチン、П.
生年月日 1941.06.29
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。アドイゲ共和国副首相、住民社会保護大臣として働く。「ロシアの選択」会派のメンバー。国家会議労働・社会的支援委員会委員。


レニョフ:Ренов
エドゥアルド、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年6月5日、大統領直属ロシア知的財産機関副理事長に就任。


レノフ:Ренов
エドゥアルド、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年2月、司法省次官に就任。同年5月14日、同省第1次官に昇任。


レピャフカ:Лепявка
ウラジーミル、Я.
生年月日 1940.11.05
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 92年12月、第7回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


レピョーヒン:Лепехин
ウラジーミル、А.
生年月日 1959.05.05
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月、国家会議代議員に当選。94年1月より下院社会団体・宗教組織問題委員会副議長。大学事務局長として働く。ロシア統一・合意党会派のメンバー。


レプキン:Репкин
ヴィクトル、П.
生年月日 1938.09.09
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。リペック州行政府農業局長として働く。ロシア農業党会派のメンバー。国家会議農業問題委員会委員。


レフコフ:Левков
セルゲイ、А.
生年月日 1960.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 83年ハバロフスク工業大学を卒業。専門は「森林工業」。86年まで教師として働く。86年大学の全ソ連レーニン共産主義青年同盟の委員会書記。87年同同盟地方委員会青年学生部で働き始める。その後、同同盟地域委員会書記に選出される。92年ロシア青年同盟ハバロフスク地方組織議長。93年からハバロフスク地方行政青年問題委員長。この委員会に基づいて、彼に青年問題に関する課題をもたらした国家機構を創設した。青年の訓練がこの委員会の主な課題である。政治的意見は中道主義。


レフチェンコ:Левченко
ウラジーミル、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年6月27日、大統領府情報工学システム局長に就任。94年12月24日、大統領府情報・文書保障局局長になる。


レベジ:Лебедь
アレクサンドル、И.
生年月日 1950.04.20
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 退役中将。ロストフ州ノヴォチェルカスクで労働者の家庭に生まれる。妻と2男1女。73年リャザン高等空挺指揮官学校、85年フルンゼ(名称)軍大学を卒業。81〜82年アフガニスタン戦争参戦後、トゥーラ空挺師団長として、アゼルバイジャンやグルジアの民族紛争に出動。91年の保守派クーデター未遂事件で、ヤゾフ・ソ連国防相の命令に従うことを拒否し、エリツィン大統領側につき、議会ビルを防衛。91〜92年空挺部隊副司令官(戦闘訓練・教育施設担当)。92年6月から沿ドニエストル駐留第14軍司令官。93年10月のモスクワ騒乱でエリツィンを支持。しかし94年12月に始まったチェチェン戦争に関してクレムリンと国防省首脳部のやり方を歯に衣着せず批判した。95年6月14日、同軍の縮小改組を機に解任、退役。91年までソ連共産党員(90年6月〜91年ロシア共和国共産党中央委員)。93年運動「ケドル」のメンバー。95年6月から「ロシア人共同体会議」副議長。95年10月ロシア人共同体会議のイニシアチブにより、その参加を得て創設された全ロシア社会運動「名誉と祖国」創設者及び議長。95年12月第2期下院選挙で、選挙団体「ロシア人共同体会議」の推薦を受け、トゥーラ州トゥーラ選挙区から当選。96年2月2日より議員グループ「人民に権力を」に所属するが、96年3月5日に脱退し、無所属になる。同3月14日、優先事項についての意見の対立からロシア人共同体会議と決別。第2期国家会議国防委員会メンバー。96年6月16日のロシア大統領選挙第1回投票で第3位(得票率14.52%)となり、同18日、エリツィン大統領により安全保障評議会書記及び安全保障担当大統領補佐官に任命される。同年7月25日、ロシア連邦国防評議会が設立され、メンバーに加わる(同年11月解任)。同年8月10日、ロボフの後任としてチェチェン共和国担当大統領代理に任命される。同年9月、レベジの提唱により、同盟「真実と秩序のために」(民主・愛国勢力3組織である「ロシア人共同体会議、ロシア民主党、全ロシア社会運動名誉と祖国が加盟)結成。同年9月、下院議員は自分の議員活動を創作、教師、科学研究を除き、他の俸給を得る仕事と兼務することができないとするロシア下院議員の地位に関する法律に従って、代議員職を解任。エリツィン大統領は10月17日、レベジの上記現職の解任に関する大統領令に署名。同年12月、政治組織「ロシア国民共和党


レベジ:Лебедь
アレクセイ、И.
生年月日 1955.04.14
性別
国籍 ロシア人
学歴 不明
考察 アレクサンドル・レベジの弟。95年12月の下院選挙でハカシア共和国小選挙区から当選。ロシアの地域(独立議員)会派所属。第2期下院CIS問題・同胞との連絡委員会メンバー。96年12月22日に実施されたハカシア共和国首相選挙の決選投票で、無所属候補として71.85%の得票率で当選。


レベジェフ:Лебедев
ワレンチン、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 工業政策国家委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって、産業省に統合され、廃止。


レベジェフ:Леведев
ユーリー、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ニージニーノヴゴロド州副知事を務める。97年3月ネムツオフ前知事が第1副首相に任命されたあと、知事選挙の実施まで臨時州知事を代行し、97年7月ニージニーノヴゴロド州におけるロシア大統領全権代表に任命。98年4月4日、同職解任。同年8月、ニージニーノヴゴロド市長選挙に候補者として登録。第1回投票で得票率33%で第1位となるが、過半数を得票できず、決選投票に進む。


レベジネツ:Лебединец
イーゴリ、П.
生年月日 1948.05.16
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 70年代前半水産大学卒業。夜間部で学びながらウラジオストックの極東工場で働く。取付工、熟練工、職場長として働く。70年代後半二年間ソ連軍勤務。復員後、再び極東工場で働く。その後数年間、党の仕事に従事する。70年代末から連合「ダリルィバ」で船舶部門設計者長、技師長、ウラジオストックトロール・冷凍船団副総支配人として働き、その後「プリモルルイバプロム」副総支配人となる。93年5月から沿海地方行政副長官および職員指導者。94年秋ウッスリースクで5人の候補者のなかから投票参加者の45.2%の票を集めて沿海地方会議代議員に選出される。投票者は保守的、愛国主義者、ナズドラチェンコに対してかなり冷淡な態度をとる。93年選挙では自由民主党は「ロシアの選択」より2倍人気があり、ロシア連邦共産党は3倍人気があった。95年1月25日、沿海地方議会議長に選出。95年夏レベジネツは沿海地方行政府最高指導部と対立し、チュバイスの支持を取り付けたが、そのため議会の大多数の議員が彼に抗議し、95年6月20日、沿海地方議会議長解任(議長はヴェデルニコフ)。レベジネツは現在働いておらず、沿海地方知事(選管区推薦)と国家会議代議員(ウッスリースク選管区推薦)に立候補している。


レムネワ:Ремнева
ナデジダ、С.
生年月日 1945.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 94年1月4日、国家会議代議員になったが、94年2月4日付で、家庭の事情により代議員職を解任。


レメショフ:Лемешев
ミハイル、Я.
生年月日 1927.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 93年12月の選挙で第1期国家会議代議員に選出され、94年1月より下院環境委員会議長をつとめる。ロシア経済学・企業活動アカデミーの会員。生態・環境協会副会長として働く。ロシア自由民主党会派のメンバー。


レメショフ:Лемешов
ゲンナディー、В.
生年月日 1968.09.26
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 新聞「ジリノフスキーのプラウダ」編集局副編集長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。ロシア自由民主党会派所属。第2期国家会議社会団体・宗教組織問題委員会副議長。


レワショフ:Левашов
ウラジーミル、Д.
生年月日 1953.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 72年リャザン技術専門学校卒業。84年シベリア技術大学(在クラスノヤルスク市)卒業。72年家具を扱う企業で技術者として働き始め、軍に徴集される。70年代半ば太平洋艦隊から復員して、ダリニレチェンスク市に残って働く。大学卒業後沿海地方に戻り、88年まで木材加工コンビナートで包装材職長、技術者長として働く。88年党の仕事に移り、党gorkom部長になる。91年ダリニレチェンスク市執行委員会議長に選出され、やがて同市行政長官に任命される。