ロゾフ:Лозов
ワレリー、М.
生年月日 1943.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 有限責任会社「食料品」関係者。97年12月7日に実施された沿海地方議会代議員選挙に立候補し、当選。


ロッセリ:Россель
エドゥアルド、Э.
生年月日 1937.10.08
性別
国籍 ドイツ人
学歴 博士候補
考察 ゴーリキー州(現ニージニーノヴゴロド州)生まれ。ロシア共和国(ソ連)功労建設者。父親と祖父が無実の罪により37年に銃殺され、母親も逮捕された経験を持つ。スヴェルドロフスク鉱山大学卒。中部ウラルの建設現場から職歴をスタート。63〜75年企業合同「タギルストロイ」勤務。現場監督、生産部長、技師長などをつとめる。75〜83年建設コンビナート「タギルチャシストロイ」長などを、83〜89年別の建設コンビナート「グラヴスレドラルストロヤ」長などをつとめる。90〜91年、スヴェルドロフスク州勤労者人民代議員ソビエト執行委員会議長。91年1月〜10月、同ソビエト議長。91年11月からスヴェルドロフスク州行政長官。93年7月「ウラル共和国」創設を蹴って、93年11月10日、行政長官解任、同日ウラル地域経済協力連合総裁に就任。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。94年4月、スヴェルドロフスク州議会(ドゥーマ)議長に就任。連邦会議安全保障・国防問題委員会委員。95年8月20日、スヴェルドロフスク州知事の決選投票で勝利し、同23日就任。95年12月の下院選挙に選挙連合「祖国の変貌」を率いて臨むが、不振に終わる。エリツィン大統領の政敵として知られていたが、96年大統領選挙において同大統領を支持。98年9月、政府幹部会への参加に同意。ただし、同幹部会の決定についての討議や策定に参加するだけで、表決に参加することはできない。


ロトキン:Лодкин
ユーリー、Е.
生年月日 1938.03.26
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 党中央委員会付属高等学校卒業。58年からキーロフ州のガラス工場で働く。軍隊勤務。61〜63年ブリャンスク州の企業の組立工、技術者として働く。63年からコムソモールgorkomの書記、ソ連共産党gorkomの指導員。67〜86年地区新聞の副編集長や「ブリャンスク州の労働者」新聞の通信員、課長、ブリャンスクobkom出版部局長をつとめる。86〜93年タス通信員。90〜93年ロシア共和国(ソ連)人民代議員。「ロシア共産主義者」会派所属。93年4月27日、ブリャンスク州行政長官に就任(93年9月25日、ロシア最高会議とエリツィン大統領との対立の際に最高会議側を支持したとして解任)。同年12月、第1期連邦会議代議員選挙で当選。ロシア連邦共産党のメンバー。ロシア連邦共産党会派所属。代議員グループ「建設的共同体」メンバー。上院代議員資格審査委員会員。第1期連邦会議社会政策委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。第2期国家会議退役軍人問題委員会委員。96年12月8日に実施されたブリヤンスク州行政長官選挙で、左派勢力の推薦を受け、当選。


ロトコフ:Лотков
ヴィクトル、Н.
生年月日 1946.12.31
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。オムスク州行政府内務局長として働く。「新地域政策」グループのメンバー。国家会議活動組織委員会委員。


ロトレフ:Лотрев
アレクサンドル、Н.
生年月日 1948.09.10
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ネフテユガンスク市行政府第1副長官。95年12月国家会議代議員選挙で、ハントィ・マンシ自治管区ハントィ・マンシ選挙区から当選。議員グループ「ロシアの地域」(独立議員)所属。第2期国家会議天然資源・自然利用委員会委員。


ロパーチン:Лопатин
ウラジーミル、Н.
生年月日 1960.03.16
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦会議事務局顧問。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、ヴォログダ州ヴォログダ選挙区から当選。議員グループ「ロシアの地域」(独立議員)所属。第2期国家会議安全保障委員会委員。


ロパーチン:Лопатин
セルゲイ、И.
生年月日 1954.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ハバロフスク工業技術学校を卒業、81年ノヴォシビルスク水上運輸技術者大学を卒業。89年から行政組織で働く。93年3月選抜試験でハバロフスク地方行政対外経済関係局長に任命。この委員会の活動の結果、ハバロフスク地方はロシアの地域の投資計画において最も魅力的なベストファイブに入った。この委員会によって、総額約50億ドルの投資が期待される100以上の計画が準備される。ロパーチンは銀行及び対外経済の基礎構造完成に多大な注意を払っている。政治的意見は中道主義。


ロパチキン:Лопатикин
ニコライ、Т.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦公共事業委員会副議長をつとめる。同委員会は96年時点で存在が確認されず、廃止されたものとみられる。


ロプキス:Лобкис
ヴィクトル、И.
生年月日 1943.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ハバロフスク地方行政副長官(農業担当)をつとめる(94年3月26日解任)。91年12月より同地方人民代議員ソビエト副議長(ソビエト担当)。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同地方ソビエト解体。


ロフリン:Рохлин
レフ、Я.
生年月日 1947.06.06
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 カザフ共和国アラリスク市生まれ。退役将軍。妻と1男1女。タシケント一般兵科高等指揮官学校、及びフルンゼ(名称)軍大学と参謀本部大学を卒業。高等指揮官学校卒業のわずか1年後に中隊を指揮し、更にその1年後には異例の昇進と赤星勲章が待っていた。フルンゼ大学を優等で卒業し、卒業後5年間に2階級昇進、すなわち大尉から少佐、少佐から中佐になる。82〜84年アフガニスタンで戦い、2度負傷、4つの勲章と7つのメダルを授けられる。93年6月からヴォルゴグラード駐屯第8軍団長及びヴォルゴグラード守備隊長官。95年チェチェン派遣連邦軍北部集団司令官。同共和国での戦闘行動への参加に対して「ロシア連邦英雄」の称号を贈られたが、それを受けることを拒否。中将。95年12月チェルノムイルジン首相の率いる選挙連合「我が家ロシア」から第2期下院選挙比例区に出馬し、当選。我が家ロシア会派所属。96年1月19日、国家会議国防委員会議長に就任。97年7月9日、軍・国防産業・軍事科学支援運動組織委員会議長に選出される。同年9月、「我が家ロシア」会派から除籍。同月20日、ロシア軍の改革に反対する政治組織「軍・軍需産業・軍事技術支援」の設立大会がモスクワで開かれ、組織結成を呼びかけた同氏が議長に選出される。同氏は組織の最優先課題としてエリツィン大統領の解任を挙げる。しかし、同組織は政治・社会団体であることが規約に明記されていなかったこと及び規約が基本目的として定めている「経済力の強化と国防力の向上によるロシアの復興」が設立大会で採択された綱領宣言と矛盾していることを原因としてロシア司法省は登録拒否。同年11月、社会運動「軍・国防産業・軍事科学支援運動」執行委員会(ロフリン議長)は同運動を政治運動に変更することを決定。この変更の理由はロシア司法省が同運動を愛国社会組織として登録したことに伴うもの。同年12月、大統領弾劾委員会の設立を下院議員に対して呼びかけたが、あまり賛同を得られず。98年5月20日、下院国防委員会委員長から解任。同年7月3日、モスクワ郊外ナロフォミンスク地区の別荘で就寝中に妻タマーラに銃撃され、死亡。事件直後内務省及び検察が捜査に乗り出したが、同氏の殺害には政治的背景はないものとみられる。


ロボフ:Лобов
オレグ、И.
生年月日 1937.09.07
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 キエフに生まれる。妻と1男2女。60年ロストフ鉄道運輸技師大学卒業。60年からスヴェルドロフスクの建設関連設計研究所に勤務し、72年同州の党委建設部副部長、75年同部長、76年ソ連重工業企業建設省中部ウラル建設地域総局長、82年同州党委書記、83年同第2書記、85年同州執行委議長。このときの第1書記がエリツィンであり、さらに2年間スヴェルドロフスク州ソビエト議長として同州にとどまり、87年ソ連党中央委監察官、ロシア共和国副首相、ナゴルノ・カラバフ紛争が始まった89年アルメニア党中央委第2書記として現地に赴くが、91年7月シラーエフ内閣の第1副首相(地域経済担当)に任命され再びモスクワに戻る。同年9月解任。91年9月26日〜同年11月12日、シラーエフの後を受けて首相代行をつとめる。89年3月〜92年1月ソ連人民代議員。ソ連邦崩壊後、92年ロシア連邦大統領直属専門家評議会議長、93年4月第1副首相および経済相(93年9月18日解任)。92年9月からモスクワ・台北調整委員会議長。93年9月18日、国家安保評議会書記・常任メンバー就任。94年2月から大統領直属人事政策評議会メンバー。チェチェン危機調査委員会での活動、カラバフ紛争の経験、エリツィン大統領との長年のコンビなどを評価され、95年8月よりチェチェン共和国駐在ロシア大統領代理人(第1副首相格)をつとめる。96年6月18日、ロシア大統領選挙第1回投票の直後に安全保障評議会書記を解任され、同日、ロシア第1副首相(工業政策、工業構造改革、諸外国との軍事技術協力、軍産複合体とその民需転換、金融グループの創設と発展などの問題を担当)に任命される。同時に、政府日常業務問題委員会議長及び工業政策評議会議長も努める。同年8月10日、チェチェン共和国ロシア大統領代理人職を解任。同15日、連邦副首相(建設・運輸担当)に降格。97年3月17日、連邦副首相解任。


ロマキン:Ломакин
セルゲイ、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年5月、ヤマロ・ネネツ自治管区における大統領代理人に任命。


ロマシキン:Ромашкин
ヴィクトル、В.
生年月日 1959.02.13
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 アルタイ共和国議会議員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議民族問題委員会委員。


ロマネンコ:Романенко
ゲンナディー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年2月、農業・食糧省第1次官及びロシア農業アカデミー総裁に就任。


ロマノフ:Романов
ピョートル、В.
生年月日 1943.07.21
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 化学コンビナート「エニセイ」所属「クラスノヤルスク」生産合同総支配人。教授の称号を持つ。ロシア工学アカデミー会員。ロシア連邦社会労働英雄、功労化学者。60〜61年中央機械熟練工ステーションの旋盤工として働く。67年から特殊設計技術案内所にオペレーターとして勤務。化学コンビナート「エニセイ」所属「クラスノヤルスク」生産合同の技師、支配人をへて総支配人になる。92年6月から93年10月ロシア連邦国家会議「ロシア民族ソボール」メンバー。93年12月選挙で第1期連邦会議代議員に当選。連邦会議安全保障・国防問題委員会委員。94年10月から95年1月全ロシア共同体会議組織委員会議長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議工業・建設・運輸・エネルギー委員会メンバー。98年4月26日実施のクラスノヤルスク地方知事選挙に、共産党から立候補するが、得票率14%で落選。


ロマノフ:Романов
アナトリー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年7月19日、内務次官兼治安軍指令官に任命される。チェチェン派遣ロシア連邦統合軍司令官としてチェチェンに派遣されるが、95年10月6日、グロズヌイで発生した爆弾テロで意識不明の重傷を負う。同年11月、特別任務の遂行中に発揮された勇気と英雄的行為により、「ロシア連邦英雄」の称号を授与され、大将に昇格。96年1月、内務次官解任。


ロマノフ:Романов
ワレンチン、С.
生年月日 1937.10.29
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 61年クイブイシェフ州ノヴォクイブイシェフスク市トラスト「ネフテヒムモンタジュ」作業局職長。63年クイブイシェフ州ノヴォクイブイシェフスク市党委員会指導員。64年クイブイシェフ州ノヴォクイブイシェフスク市第25トラスト党委員会副書記。66年クイブイシェフ州ノヴォクイブイシェフスク市第25トラスト党委員会書記。70年クイブイシェフ州ノヴォクイブイシェフスク市ソヴィエト執行委員会議長。75年クイブイシェフ州ノヴォクイブイシェフスク市党委員会第1書記。78年クイブイシェフ州党委員会部長。84年1月から90年10月26日までクイブイシェフ州ソヴィエト執行委員会副議長。90年10月26日クイブイシェフ州党委員会第1書記。電力網「ヴォルガエネルゴ」部長。90年10月から91年8月までソ連邦共産党obkom第1書記。95年12月国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシア連邦共産党」の推薦を受け、サマラ州ノヴォクイブィシェフスク選挙区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。ロシア連邦共産党中央委員会メンバー。第2期国家会議経済政策委員会委員。96年12月1日実施のサマラ州行政長官選挙に立候補したが、落選。


ロマノフ:Романов
イーゴリ、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦政府通信・情報機関副長官を務める。


ロマノフ:Романов
ワレンチン、В.
生年月日 1929.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 53年ハバロフスク国立教育大学歴史学部を卒業。大学を卒業後、中等学校教師として働く。67年ソビエト共産党中央委員会附属社会科学アカデミーを卒業。修士号公開審査に合格。70年からコムソモリスク-ナ-アムーレ教育大学学長。80年からハバロフスク教育大学(95年から総合大学)学長として働く。教授の肩書きを持つ。政治的意見は中道主義者。社会政治運動「我が家ロシア」地方支部の議長。


ロマノフスキー:Романовский
ミハイル、А.
生年月日 1947.07.28
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 株式会社「サハリン海上汽船会社」総支配人。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。94年7月からロシア連邦海上交通局第1副支配人。連邦会議予算委員会委員。65年から自動車輸送企業勤務。蓄電池係。72〜86年沿海地方海上汽船会社勤務。副船長からはじめて党委員会書記、副社長をつとめる。87〜93年サハリン海上汽船会社社長。


ロマノフスキー:Романовский
ニコライ、П.
生年月日 1931.01.01
性別
国籍 不明
学歴 博士
考察 54年極東工業大学を卒業。鉱物地質技術者の資格を持つ。沿海地方地質調査班で働く。65年から極東最大のハバロフスク地球物理学遠征隊の地質学者主任。74年から地質鉱物学修士、86年から博士。130の研究論文を発表。73年からロシア科学アカデミー極東支部地質構造及び地球物理学研究所で副所長として働く。93年から研究所所長。「指導者としての自分を評価しながらも、自分が単に命令することを好まず、信頼関係を築き、人の中に誠実さと秩序を尊重する、ということを言わなければならない。」政治的意見は中道主義。