ルィガロフ:Рыгалов
アレクサンドル、А.
生年月日 1940.02.19
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 モクシャン地区行政長官。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシア農業党」の推薦を受け、ペンザ州ジェレズノドロジヌイ(鉄道)選挙区から当選。農業党会派所属。第2期国家会議農業問題委員会委員。


ルイシコフ:Рыжков
ウラジーミル、А.
生年月日 1966.09.03
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。アルタイ地方行政長官秘書官として働く。「ロシアの選択」会派のメンバー。第1期国家会議連邦問題・地域政策委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「我が家ロシア」で比例区から当選。我が家ロシア会派副議長。第2期国家会議連邦問題・地域政策委員会副議長。97年9月10日、下院第1副議長に就任。98年9月、プリマコフ内閣の副首相に指名されるが、辞退。


ルイシコフ:Рыжков
ニコライ、И.
生年月日 1929.09.28
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ドネツク州生まれ。妻と娘1人。50年クラマトルスク機械製作学校、59年ウラル工科大学卒業。50年から55年まで工場「ウラルマシザヴォード」交代職長、経間主任。55年から59年「ウラルマシザヴォード」作業所長。56年ソ連共産党員。59年から65年「ウラルマシザヴォード」溶接技師長、工場長代理。65年から70年「ウラルマシザヴォード」技師長。70年から71年工場長。71年から75年生産合同「ウルトラマシ」総支配人。75年から79年1月ソ連重機製作・運輸機械製作第1次官。79年1月26日から82年11月ソ連国家計画委第1副議長。81年3月3日から91年ソ連共産党中央委員。82年11月から85年9月27日ソ連共産党中央委政治局員。82年11月22日から85年10月15日ソ連共産党中央委書記。85年4月23日から90年7月13日ソ連共産党中央委政治局員。85年9月27日から91年1月15日ソ連閣僚会議議長。89年6月9かソ連人民代議員大会憲法委員。90年3月23日から90年11月17日ソ連大統領会議委員。91年1月から年金生活。プロフロフカ・ポーレ信託統治会議メンバー。モスクワ非営利知的産業クラブ議長。「プラウダ」紙公的出版会議メンバー。91年6月12日に実施された連邦大統領選挙に出馬したが、16.85%の得票率で次点となり、落選。95年6月から選挙ブロック国際民間団体「ユーラシア」会長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙ブロック「人民に権力を」の推薦を受け、ベルゴロド州ベルゴロド選挙区から当選。議員グループ「人民に権力を」代表。第2期国家会議軍民転換・ハイテク技術委員会委員。第2期下院評議会員。


ルィジョフ:Рыжов
ユーリー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 フランス駐在大使。大統領評議会メンバー。


ルィジョンコフ:Рыжонков
ドミトリー、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 大統領府国籍問題部長をつとめる。


ルィジン:Лыжин
ユーリー、В.
生年月日 1950.06.19
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ペンザ州クズネツク地区農業局局長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議天然資源・自然利用委員会委員。


ルィセンコ:Лысенко
ウラジーミル、Н.
生年月日 1956.01.04
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 オデッサ生まれ。モスクワ国立大学歴史学部及び同大学院を修了。85年にソ連共産党に入党し、「民主改革綱領」の作成者の1人となる。90年7月、第28回大会で離党。90年秋、ヴァチェスラフ・ショスタコフスキーと共に共和党を設立し、その共同議長になる。90年3月のロシア共和国人民代議員選挙では「民主ロシア」運動から出馬して選出された。モスクワ航空大学助教授。91年8月のクーデター事件では、クリミアの別荘に監禁されていたゴルバチョフ大統領一家を迎えにいった代表団の一員。92年5月16日、連邦・民族問題国家委員会副議長に就任。同委員会は、94年1月10日付大統領令(第66号)でロシア連邦北方民族地域経済発展問題国家委員会と統合され、ロシア連邦民族問題・地域政策省になる。93年12月選挙で「ヤブロコ」から比例区で第1期国家会議代議員に当選。ロシア連邦大統領直属立法委員会委員として働く。第1期及び第2期国家会議連邦問題・地域政策委員会委員。94年6月ショスタコフスキーがロシア連邦共和党から去った後、同党議長になり、94年7月12日「ヤブロコ」離脱。その後無会派。95年パンフィーロワ女史らと選挙連合「パンフィーロワ=グロフ=ウラジーミル・ルイセンコ(ロシア連邦共和党)」を結成して12月の下院選挙に臨み、モスクワ市レニングラード選挙区から当選。96年1月議員グループ「ロシアの地域」(独立議員)に参加。96年2月から3月までグループ共同議長。


ルィセンコ:Лысенко
ニコライ、Н.
生年月日 1961.05.17
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。教師、獣医として働く。ロシア国民共和党リーダー。第1期国家会議国際問題委員会委員。95年12月、自らの執務室で爆発が発生したが、後に自身の仕業であったことが判明し、テロ行為、弾薬の非合法入手、地位の悪用、詐欺、委ねられた財産の横領等の罪で起訴される。


ルィセンコ:Лысенко
ワレリー、А.
生年月日 1962.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年1月27日、民族会議青年・スポーツ・住民体育教育問題委員会議長就任。


ルィセンコ:Лысенко
ガリーナ、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 91年12月よりハバロフスク地方人民代議員ソビエト副議長(社会経済問題担当)。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同地方ソビエト解体。


ルィセンコ:Лысенко
ゲンナディー、А.
生年月日 1950.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「沿海地方採鉱会社ボストーク」取締役会議長。97年12月7日に実施された沿海地方議会代議員選挙に立候補し、当選。


ルィソフ:Лысов
パーヴェル、А.
生年月日 1959.04.17
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 議会内グループ「チェルノブイリ」のリーダー。専門学校および大学在学中より働き始める。コムソモールの高等教育機関でジャーナリズムを専攻し、84年卒業。専門技師であると同時にジャーナリストでもある。89〜90年党員候補。代議員選出時には、コムソモール機関紙の編集局主任書記。90年ロシア最高会議選挙後、モスクワの最高会議委員会で働く。同年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。急進的改革プログラムの必要性を主張。91年10月、アゼルバイジャン・アルメニア会談に際してロシア連邦監視団の一員となる。93年9月まで最高会議共和国間関係・地域政策問題および協力委員会小委員会議長。


ルィバク:Рыбак
オレグ、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年8月31日、統計国家委員会副議長に就任。


ルィバコフ:Рыбаков
ユーリー、А.
生年月日 1946.02.25
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 彫刻家、サンクトペテルブルグ市ソビエト常設人権委員会議長として働く。93年12月選挙で第1期国家会議代議員に小選挙区から選出される。「ロシアの選択」会派のメンバー。第1期及び第2期国家会議立法・司法改革委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙ブロック「ロシアの民主的選択=民主主義者連合」の推薦を受け、サンクトペテルブルグ市アドミラルテイスキー選挙区から当選。議会内では無会派。96年国家会議チェチェン捕虜・人質解放問題委員会副議長に就任。


ルィバコフ:Рыбаков
イーゴリ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年12月18日、大統領府監督局副局長に就任。


ルィバコフ:Рыбаков
オレグ、К.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 対CIS加盟諸国協力省次官をつとめる。同省は、98年4月30日付で廃省。権限を外務省に移管。


ルィバルキン:Рыбалкин
ユーリー、Г.
生年月日 1948.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 極東国立工業大付属学術・調査研究所「オケアノテフニカ」研究室長。97年12月7日に実施された沿海地方議会代議員選挙に立候補し、当選。98年1月同地方議会会議において経済政策・所有委員会議長に任命される。


ルィプキン:Рыбкин
イワン、П.
生年月日 1946.10.20
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 ヴォルゴグラード州で農民の家庭に生まれる。妻と娘2人。68年ヴォルゴグラード農業大学卒。また後年、ソ連共産党中央委員会付属社会科学大学とロシア外務省外交官養成大学に学ぶ。24年間、大規模機械化農業生産の専門家として活動。大学助教授。農業機械の信頼性に関する学術的論文や著作、小冊子が150点を超える。68〜69年ヴォルゴグラード州コルホーズ「イリイチ」の遺訓」技師長。69〜70年ソ連軍で兵役に服す。70〜87年ヴォルゴグラード農業大学助手、上級講師、助教授、畜産機械化・自動化講座主任、機会学部副部長。83年ヴォルゴグラード農業大学党組織書記。ロシア共和国代議員に選出時は、raikom第1書記。90年3月からobkom第2書記、その後obkom書記局員、obkom組織・党活動部局長。90年3月ロシア共和国人民代議員に当選。ロシア連邦最高会議代議員ソヴィエトの活動および自治の発展に関する委員会の常任メンバーとして活動。議員グループ「ロシア共産主義者」を率いる。90年6月からロシア共和国共産党中央委員会部局長。91年秋、社会主義労働者党の創設に積極的に参加したが、93年2月のロシア連邦共産党中央執行委員会への選出後同党を離党。92年12月、第7回人民代議員大会で共和国会議メンバーに当選。93年10月のモスクワ騒乱後、ロシア農業省水利事業総局次長。93年12月の選挙で農業党から第1期国家会議代議員に選出される。94年1月14日、国家会議議長就任(95年12月まで)。勤労者社会党共同議長。94年3月1日から96年2月12日までロシア連邦大統領付属人事政策評議会委員。95年1月10日の大統領令により安全保障評議会常任メンバー(96年2月解任)。ロシア農業党会派のメンバー。95年12月の第2期下院選挙を前にして同年8月「イワン・ルイプキン・ブロック」を結成。95年12月下院選挙では、ヴォロネジ州アンナ選挙区(1人区)から出馬、当選。議会では無会派。第2期国家会議国際問題委員会メンバー。96年1月、第2期下院議長を選ぶ選挙で「我が家はロシア」などの支持を得たが、共産党のセレズニョフ議員に敗れる。96年4月12日、自ら結成した新政党「ロシア社会党」をロシア司法省に登録。96年6月26日ロシア連邦大統領付属政治諮問評議会議長。同年10月19日、ロシア連邦安全保障会議書記及びチェチェン共和国担当ロシア連邦大統領全権代表。同年11月16日


ルィンドフスキー:Рындовский
アレクセイ、Г.
生年月日 1942.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 68年極東工業大学鉱山学部卒業。大学進学前は炭坑で取り付け工、支柱工として働いた。卒業後は交代制組長、技師長、労働組合のリーダーとなった。81年鉱山管理局「タヴリチャンスコエ」長になる。83年ハバロフスク地方に移り、鉱山管理局「ウルガリスコエ」長になる。90年アルチョム市に戻り、市ソビエト執行委員会議長に選出される。91年からアルチョム市行政長官。


ルカヴェツ:Рукавец
ウラジスラフ、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 サハリン州行政副長官。国有財産管理委員会議長。


ルカショフ:Лукашев
イーゴリ、Л.
生年月日 1955.02.23
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。選挙ブロック「ヤブロコ」の推薦を受け小選挙区から選出される。ヴォルゴグラード州ソビエト小ソビエト議員として働く。「ヤブロコ」会派所属。社会民主党メンバー。第1期国家会議情報政策・通信委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。96年3月20日まで第2期国家会議情報政策・通信委員会委員。その後環境委員会委員。


ルカワ:Лукава
ゲオルギー、Г.
生年月日 1925.08.22
性別
国籍 グルジア人
学歴 博士
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。モスクワ国立民間航空技術大学講座主任として働く。ロシア自由民主党会派のメンバー。国家会議国防委員会委員。


ルキヤノフ:Лукьянов
アナトリー、И.
生年月日 1930.05.07
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 スモレンスク生まれ。父親は41年に戦死。13歳で「アルセナル」工場の労働者。モスクワ国立大学法学部卒。国際情報化アカデミー会員。ソ連閣僚会議法律委員会上級コンサルタント(56〜61年)、ソ連最高会議幹部会副部長(69〜76年)、ソ連共産党中央委員会勤務(76〜77年)などを経て81年から86年ソ連共産党中央監査委員会委員。85〜87年党中央委員会総務部長、87〜88年党中央委員会書記兼行政機関部長、88〜89年ソ連最高会議幹部会第1副議長、89〜90年最高会議第1副議長、90〜91年ソ連最高会議議長。89年からソ連人民代議員。91年8月のクーデター事件に連座して同月末逮捕されたが、92年12月釈放。55〜91年ソ連共産党員(81〜86年中央監査委員、86〜91年中央委員、87〜88年中央委員会書記、88〜90年中央委員会政治局員候補)。93年ロシア連邦共産党(党首ゲンナジー・ジュガーノフ)に入党。党中央委員会幹部会所属。93年12月の選挙で第1期国家会議代議員に当選、同月28日、国家会議各会派活動組織暫定委員会議長に就任。スモレンスク州小選挙区から選出される。第1期国家会議立法・司法委員会委員。共産党員だが、院内ではどの会派にも属さなかった。95年12月第2期下院にロシア共産党の推薦を受けてスモレンスク州スモレンスク選挙区から当選。第2期国家会議ではロシア共産党会派所属。96年1月19日、第2期国家会議立法・司法改革委員会議長に就任。妻リュドミラさんは生物学博士、1人娘のエレーナさんは法学博士候補。