ルキヤノフ:Лукьянов
ユーリー、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年7月、連邦運輸自然独占調整局副長官に就任。同局は、同年9月22日付大統領令第1142号により廃止。


ルキン:Лукин
ウラジーミル、П.
生年月日 1937.07.13
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 オムスク(西シベリア)生まれ。59年レーニン(名称)モスクワ国立教育大学歴史学部卒業。英語、フランス語、スペイン語に堪能。大学卒業後、59〜60年ソ連歴史博物館、60〜61年革命博物館に勤務。ソ連科学アカデミー世界経済・国際研究所大学院で学んだ後、64〜65年同研究所下級研究員。65年からプラハで「平和と社会主義の諸問題」誌のチェコスロヴァキア版編集部に勤務していたが、ソ連軍の侵攻に反対したため68年にモスクワに呼び戻される。68〜87年科学アカデミー米国・カナダ研究所勤務。85年中国の改革に関する同氏の報告がソ連共産党政治局の非公開会議で承認される。87年ソ連外務省に移り、89年まで同省太平洋・東南アジア諸国局副局長兼部長、89年同省評価・計画局副局長兼部長。89年ソ連最高会議に予測分析センターを組織する。国際問題および政治科学では屈指の専門家。特に、米ソ・米中関係の研究は、国内外でよく知られている。20年以上にわたってZnanie societyで講師をつとめる。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。「進歩のための合意」会派所属。92年2月から米国駐在ロシア大使(〜94年1月)。89〜93年ロシア人民代議員。93年11月「ヤヴリンスキー・ボルドィレフ・ルキン」連合(ヤブロコ)を結成。同連合第1副議長。同連合モスクワ支部長。93年12月の選挙で第1期国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。94年1月、国家会議国際問題委員会議長に任命される(96年1月再任)。「ヤブロコ」会派所属。95年12月第2期下院に比例区で当選。息子が2人。


ルゴボイ:Луговой
アレクサンドル、Н.
生年月日 1949.07.18
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 大卒後、機械工場で電気技師として働く。元党員で、党大会代表にも選出される。ソ連人民代議員選挙に出馬したが、落選。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで共和国会議社会政策委員会小委員会議長。


ルジ:
ウラジーミル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 沿海地方副知事をつとめる。


ルシコフ:Ружков
ユーリー、М.
生年月日 1936.09.21
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 モスクワで大工の子として生まれる。妻と2男1女。58年モスクワ石油科学・ガス工業大学卒業。大学在学中住宅管理局でアルバイト。大学卒業後プラスチック研究所勤務、そこで有能な指導者として認められ、ソ連化学工業省の部長に抜擢される。同省に22年間勤務、うち6年は生産合同「ネムテヒムアフトマチカ」総支配人。77年モスクワ市ソビエト代議員、78年ロシア最高会議代議員。86年同省科学技術局長になり、同省幹部会のメンバーに選出される。87年モスクワ市農工委議長兼執行委第1副議長、90年議長、91年6月同市副市長兼市政府首相、92年6月から同市市長・行政長官。91年8月のクーデター事件後、ソ連国民経済管理委員会(暫定政府)副議長として農工コンプレクス、商業、対外経済関係、社会部門を担当(91年8月〜12月)。ヤブリンスキーに近く、いくつかのヤブリンスキー・プランの作成に関わる。93年10月赤の広場からのレーニン像撤去を要求。68〜91年ソ連共産党員。94年4月26日、大統領評議会員に就任。ロシア上院議員。第2期連邦会議憲法・司法問題委員会委員。著書に「断末魔の72時間」「1991年8月」「ロシアにおける共産主義クーデターの顛末」などがある。96年6月に実施されたモスクワ市長選挙で90%以上の得票率で再選。97年11月、テレビ番組の中でニコライ・ゴンチャル元モスクワ市ソビエト議長・現下院議員と公然と訣別を表明。


ルシャイロ:Рушайло
ウラジーミル、Б.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 警察少将。人質解放の強行作戦の実行に関する専門家。98年5月9日、内務次官に就任。同年6月、チェチェン共和国における大統領代理人ウラソフ氏の誘拐事件の解放作戦のためチェチェンに派遣される。


ルシン:Русин
イーゴリ、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年5月、司法省次官に就任。


ルダ:Руда
ユーリー、М.
生年月日 1958.04.28
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 中/高卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。地区生活局主任として働く。ロシア自由民主党会派のメンバー。国家会議財産・民営化・経済活動委員会委員。


ルダク:Рудак
アナトリー、В.
生年月日
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 中等学校を卒業後、電気技師、地域新聞の特派員として働く。63年新聞「太平洋の星」で働き始め、特派員から副編集長まで全ての職に就く。81年から情報通信社イタル-タス通信のハバロフスク支部長。ロシアの独立宣言後、イタル-タス通信社はわが国の国家情報通信社の中心的立場を維持し、社会における変革と政治における情報へのアクセスの転換と結びついた新たな特徴を獲得した。自分の組織の展望について、次のように語っている。「大きな財政的困難にも関わらず、我々は希望を失わず、楽観的に明日を見ている。我々が地域の情報市場においてさらに揺るぎない立場をしめることを確信している。」


ルチャギン:Лучагин
アレクサンドル、Р.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ペンザ州人民代議員ソビエト議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。


ルツコイ:Руцкой
アレクサンドル、В.
生年月日 1947.09.16
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 クルスク州生まれ。バルナウル高等軍事パイロット学校、ガガーリン(名称)空軍大学及びソ連参謀本部大学を卒業。65年から軍に勤務。アフガニスタン侵攻に従軍。陸軍大将。叙勲歴あり。90年2月より人民代議員大会代議員。議会内会派「民主主義のための社会主義者」リーダー。90〜91年最高会議身障者、戦争・勤労ベテラン問題および軍人とその家族の社会的保護委員会議長。90〜91年ロシア共産党中央委員会委員。92年6月ロシア民主党、全ロシア同盟「刷新」などと政治ブロック「市民同盟」を結成、リーダーの1人。91年に共産党離党。91年6月12日、ロシア連邦副大統領に選出される。安全保障評議会常任メンバー。93年1月〜4月組織犯罪・汚職対策省庁間委員会議長。同年2月、法秩序の確保と犯罪取締まりのためにロシア軍の部隊その他の組織を参加させる件に関する決定のロシア最高会議における審議における公式代理人。93年春には公然たる反エリツィン派に移行。93年9月21日に最高会議解散の大統領令が発布されると、最高会議の緊急会議で「大統領」に就任。10月3〜4日、最高会議ビルに立てこもって抵抗したため逮捕され、94年2月の下院恩赦決議で釈放されるまでレフォルトヴォ拘置所で過ごす。93年9月騒乱で副大統領はじめ全ての役職解任(9月1日暫定解任)。これに対し、同年9月3日、最高会議は同大統領令の効力の一時停止を決定。「ロシアにおける農業改革」の著者。「大国」リーダー。95年12月の第2期ロシア下院選挙に同運動を率いて参加したが不調に終わり、同氏自身も議員になれなかった。96年10月20日、クルスク州知事選挙で78.9%の得票率で当選。「ロシア人民愛国同盟」共同議長。妻と2人の息子。


ルッペリ:Руппель
カルル、К.
生年月日 1955.06.25
性別
国籍 ドイツ人
学歴 大学卒
考察 民間航空機編隊アカデミーを卒業し、専門技師となる。91年まで党員。アカデミー卒業後、空軍支隊に所属する。代議員選出時には、空軍支隊の航空機パイロットであった。90年ロシア最高会議運輸委員会の常勤になる。同年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで共和国会議運輸・通信・情報・宇宙委員会副議長。


ルトコフスキー:Рутковский
オレグ、В.
生年月日 1947.01.01
性別
国籍 不明
学歴 博士候補
考察 モスクワ州プーシキン市出身。セチェノフ記念第1医科大学及びソ連科学アカデミー心臓病研究所臨床医学研究所修了。74年からソ連医学アカデミー予防心臓病研究センター・ミャスニコフ記念心臓病研究所勤務、82年からソ連医学アカデミー予防心臓病学研究所研究員、85年からモスクワ市第64病院副院長及び院長、91〜93年ロシア連邦保健省住民医療局長、94年からモスクワ市第81病院長、97年ピロゴフ記念モスクワ市第1病院院長をつとめる。98年5月8日、連邦保健相に任命。


ルドニコフ:Рудников
ヴィクトル、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦漁業委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更される。


ルネフ:Лунев
アレクセイ、Э.
生年月日 1962.04.03
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 最高会議小委員会議長。大学で財政学を学ぶ。アフガニスタンで従軍。工場につとめ、工場の労働者委員会委員。


ルノフ:Рунов
アレクサンドル、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年11月、小規模企業支援・発展国家委員会副議長に就任。98年5月、同職解任。


ルパソフ:Рупасов
エヴゲニー、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦青年問題委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更される。98年4月、同委員会廃止。


ルバノフ:Рубанов
ウラジーミル、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 安全保障評議会副書記を務める。96年6月26日、同職解任。


ルペイ:Лупей
ニコライ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦商業委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって廃止。後に対外経済関係・貿易省次官をつとめる(98年3月解任)。


ルベンチェンコ:Лубенченко
コンスタンチン
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ロシア中央銀行副総裁を務める。


ルミャンツェフ:Румянцев
オレグ、Г.
生年月日 1961.03.23
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 人民代議員大会委員会書記をつとめる。83年大卒後代議員に選出されるまで、ソ連科学アカデミー世界社会主義経済研究所に勤務。90年6月ロシア最高会議常勤となる。90年以降ロシア社会民主党員。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。91年11月ロシア大統領令草案準備作業グループ、同年12月ロシア連邦内の国家権限配分に関する提案準備作業グループ、92年1月ロシア連邦内の国家権限配分に関する条約草案に対する反応を評価する作業グループ、同年2月第6回人代大準備作業グループのメンバーを歴任する。92年3月現在、人民代議員大会憲法委員会責任書記。最高会議議会内ブロック「民主中央」指導者。同年5月、ロシア社会民主党副議長に就任。98年5月、ロシア連邦社会民主連盟が設立され、議長に就任。


ルミャンツェフ:Румянцев
ワレンチン、Б.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年1月、大統領府長官秘書長に就任。同年8月、同職解任。


ルントフスキー:Лунтовский
ゲオルギー、И.
生年月日 1950.04.12
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 「ヴォロネジ」銀行頭取。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。「我が家ロシア」会派所属。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会メンバー。