姓 | シチェコチヒン:Щекочихин |
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名 | ユーリー、П. |
生年月日 | 1950.07.09 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 90年よりソ連人民代議員。「文学新聞」編集局調査部編集者。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「ヤブロコ」より比例区当選。「ヤブロコ」会派所属。第2期国家会議安全保障委員会委員。 |
姓 | シチェルゴフスキー:Щелговский |
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名 | ワシリー、И. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 96年2月、対CIS協力省第1次官に就任。同省は、98年4月30日付で廃省。権限を外務省に移管。 |
姓 | シチェルバク:Щербак |
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名 | ウラジーミル、Н. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 92年7月2日、農業省(現農業・食糧省)第1次官に就任。 |
姓 | シチェルバコフ:Щербаков |
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名 | ウラジーミル、И. |
生年月日 | 1949.12.05 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 博士 |
考察 | 69年自動車工場技師、指令員、コムソモール委勤務。70年入党。71年以降トリヤッチ市コムソモール委・部長、同委第2書記。77年から自動車工業副総支配人、その後ソ連労働・社会問題国家委・部長。89年同国家委議長。90年7月13日党中央委員。91年3月~8月ソ連副首相。91年5月16日~8月28日ソ連経済・分析大臣、ソ連第1副首相。94年1月20日の大統領令によりロシア連邦蔵相。 |
姓 | シチェルバコフ:Щербаков |
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名 | コンスタンチン、А. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 文化省次官をつとめ、後に同省第1次官。98年1月、ロシア連邦政府決定により文部省次官に任命。 |
姓 | シチェルバコフ:Щербаков |
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名 | ヴャチェスラフ、Н. |
生年月日 | 1940.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 海軍少将。91年6月12日、サンクトペテルブルグ市副市長に就任。96年6月6日、サンクトペテルブルグ市第1副知事に任命される。 |
姓 | シチェルバコフ:Щербаков |
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名 | А |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | ペンザ州行政副長官をつとめる。 |
姓 | シチェルバコフ:Щербаков |
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名 | ゲンナディー、А. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 93年3月25日、チュメニ州におけるロシア大統領代理人に就任。 |
姓 | シチェルバコフ:Щербаков |
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名 | アレクセイ、А. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 中将。対外情報局副長官を経て、96年1月、同局第1副長官任就任。 |
姓 | シチェルバコフ:Щербаков |
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名 | ウラジスラフ、П. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 連邦地質学・地下資源利用委員会第1副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって、天然資源省及び環境保護国家委員会に統合され、廃止。 |
姓 | シチェルバコフ:Щербаков |
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名 | アレクセイ、С. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 大将。連邦国境警備局副長官をつとめる。97年8月、同局副長官・長官官房長官に就任。 |
姓 | シチャーニン:Шичанин |
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名 | イーゴリ、А. |
生年月日 | 1955.12.06 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 93年12月選挙で国家会議代議員に当選、94年1月に国家会議活動組織委員会副議長に就任。ロシア連邦政府機関部長として働く。ロシア統一・合意党会派のメンバー。 |
姓 | シチャポフ:Щапов |
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名 | ユーリー、С. |
生年月日 | 1935.11.07 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。94年3月26日、上院経済改革・所有・財産関係委員会副議長に就任。 無所属 イルクーツク鉱山採掘大学、イルクーツク工業大学卒業。58~62年鉱山現場主任、鉱山測量士、63~80年露天鉱山採掘所の測量士、技術者長、技師長、80~93年露天鉱山採掘所技師長、支配人として働く。現在、会社「ハカス石炭」総支配人。 |
姓 | シチューキン:Щукин |
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名 | エヴゲニー、Н. |
生年月日 | 1947.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 62年ハバロフスク市キーロフ(名称)工場で船体組立工として働き始める。72年ハバロフスク国立教育大学を卒業。72年から73年ソヴィエト軍勤務。73年からハバロフスク税関で働く。ハバロフスク税関の監察官から税関長まで全ての職に就く。「私は、ロシアが回復不能の病気である、という主張を信じていない。ロシアの歴史には苦しい時期があったが、ロシアはそれを乗り越えてきた。」 |
姓 | シテイン:Штейн |
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名 | パーヴェル、С. |
生年月日 | 1951.09.14 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。94年3月26日、上院連邦問題・連邦条約・地域政策委員会副議長に選出される。ロシア連邦共産党員 ハバロフスク工業大学卒業。68年からバター工場、リキュール工場で組立工として働く。69~71年ソ連軍勤務。71~74年企業合同建設組立局で煉瓦石積み工として働く。74~78年企業合同建設組立局の組立工作業班長、78~79年ソ連科学アカデミー経済研究所アムール支部実験室技師、79~87年建設局技師長、局長をつとめる。87~93年ブレイスク地区ソビエト執行委員会副議長、議長、同地区ソビエト議長、アムール州行政府経済委員会議長、同州行政副長官。 |
姓 | シデリニコフ:Сидельников |
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名 | アンドレイ |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 副大統領顧問をつとめる。 |
姓 | ジデンコ:Диденко |
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名 | ユーリー、Г. |
生年月日 | 1936.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | ウクライナ人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 58年極東漁業大学卒業。大学卒業後はじめにナホトカの海洋漁業局の船で漁師として、次に魚類加工船で熟練工として働く。65年から「ダリモレプロドクト」局捕獲部長として働き、一年後「プリモルルイブプロ」副長に、ついで第1副長に就任、その後、トロール・冷凍船団基地長に就任する。80年代前半非社会主義的指導ため職を解かれ、「プリモルルイブプロム」に配転された。86年に再び「ダリモレプロドクト」局長をつとめる。この局は88年に生産連合になり、ジデンコはその総支配人となった。この企業は彼の指導のもとで沿海地方におけるもっとも利潤が多く、社会的に順調な企業のひとつになった。コサック階級、サハリン地震で被災した人々の大学入学に出資している。89年ソ連邦人民代議員の資格を争い、養豚ソフホーズ支配人に選挙で敗れる。この年党kraikomの一員に選ばれ、その後ロシアおよび沿海地方の最高ソビエト機関に選ばれた。党員。94年11月沿海地方会議代議員選に無所属で投票参加者の63.6%の票を集めたが、投票所に来たのが有権者の19%にすぎなかったため、当選しなかった。再び選挙が行われ、95年1月に70.4%を集め多数派として選出された。選挙者は無気力とフラストレーションに打ちひしがれたウラジオストックの住人であった。芸術、文学の崇拝者で、図書を収集し、沿海地方図書愛好家協会議長に選ばれる。 |
姓 | シデンコ:Сиденко |
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名 | アナトリー、Я. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 鉄道省次官をつとめる。 |
姓 | シトィガシェフ:Штыгашев |
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名 | ウラジーミル、Н. |
生年月日 | 1939.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | その他 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 58~60年地質調査隊で働く。その後、町警察署監督官。60~62年地区警察全権委任捜査係長。62~65年鉱山仕上げ工、その後鉄鉱山法律顧問長。65年地区検事局取調官。65~73年全ソ連レーニン共産主義者青年同盟raikom第1書記、その後同obkom第1書記。75~82年obkom課長、その後raikom第1書記。81~88年ハカシヤ自治州人民代議員執行委員会議長。81~89年ロシア共和国最高会議副議長。88~89年人民代議員大会クラスノヤルスク地方執行委員会副議長。89~90年ハカシヤ言語・文学・歴史研究所上級研究員。90年ロシア共和国人民代議員に選出。90~92年ハカシヤ自治州人民代議員大会議長。92年2月4日、ハカシヤ共和国最高会議議長に就任。96年1月ロシア上院議員。第2期連邦会議安全保障・国防問題委員会委員。 |
姓 | ジトキフ:Жидких |
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名 | ウラジーミル、А. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 98年2月、トムスク州における大統領代理人に就任。 |
姓 | シトグリン:Штогрин |
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名 | セルゲイ、И. |
生年月日 | 1948.07.21 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 保険会社「ロゴス」理事長。95年12月国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシア連邦共産党」の推薦を受け、ユダヤ自治州小選挙区から当選。「人民に権力を」会派所属。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。 |
姓 | ジトニコフ:Житников |
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名 | アレクサンドル、А. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 住民社会保護省次官をつとめる。副議長職を経て92年12月より政府付属国際人道・技術援助委員会第1副議長(第1次官に相当)。同委員会は、97年9月29日付ロシア政府決定第1244号によりロシア政府付属国際人道・技術援助問題委員会は廃止され、ロシア政府付属国際人道援助問題委員会が設置される。 |
姓 | シトニコフ:Ситников |
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名 | ユーリー、М. |
生年月日 | 1951.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 中/高卒 |
考察 | 73年オルジョニキッゼ各兵科共通高等学校を卒業。ソヴィエト軍で政治的な仕事に就く。最終的な肩書きは師団の副政治部長。階級は陸軍大佐。90年ハバロフスク市中央区議会の議員に選出される。92年ハバロフスク市中央区議会副議長、続いて議長に選出される。94年ハバロフスク地方の移住の任務のリーダー。政治的活動への参加は行っていない。 |
姓 | シドルチュク:Сидорчук |
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名 | イーゴリ、А. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | カムチャツカ州におけるロシア大統領代理人をつとめる。98年7月、同職解任。 |
姓 | シドレンコ:Сидоренко |
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名 | ウラジーミル、Р. |
生年月日 | 1948.12.25 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 69~71年ベリコルクスク教育大学労働組合委員会議長。71~73年教師として働く。ソ連軍勤務。73~82年コムソモールやソ連共産党のraikom、obkomで指導員、課長、第1書記として働く。82~91年コルホーズ「チェルスキー」農場長。農芸会社「チェルスカヤ」社長。93年12月、連邦会議代議員に選出される。上院代議員資格審査委員会員。連邦会議農業政策委員会委員。 |
姓 | シドレンコ:Сидоренко |
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名 | ヴィクトル、А |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 連邦原子力省次官。96年現在在職が確認されず。 |
姓 | シドレンコ:Сидоренко |
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名 | ユーリー、С. |
生年月日 | 1939.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 92年3月20日より最高会議議会内会派「市民社会」メンバー。 |
姓 | シドレンコ:Сидоренко |
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名 | ウラジーミル、П. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | ブリャンスク州人民代議員ソビエト議長をつとめる。93年10月、同職解任。 |
姓 | シドレンコ:Сидоренко |
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名 | П |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | ヴォルゴグラード州行政副長官をつとめる。 |
姓 | シドレンコ:Сидоренко |
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名 | エヴゲニー、Н. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 司法省次官を努める。 |
姓 | シドレンコ:Сидоренко |
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名 | セルゲイ、П. |
生年月日 | 1956.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | プリモルスク野菜試験場所長。97年12月7日に実施された沿海地方議会代議員選挙に立候補し、当選。98年1月同地方議会の会議において食料政策・天然資源利用委員会議長に任命される。 |
姓 | シドレンコ:Сидоренко |
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名 | ウラジーミル |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 会社代表から、97年12月7日に実施された沿海地方議会代議員選挙に立候補したが、落選。 |
姓 | シドレンコ:Сидоренко |
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名 | アレクサンドル、А. |
生年月日 | 1950.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 73年イルクーツク工業大学を卒業。73年から75年ソヴィエト軍勤務。75年から80年ハバロフスク地方ポーリナ・オシペンコ(名称)地区オクチャブリスク村への、合同「プリモルゾーラタ」のヘルプチンスク地質調査隊長。80年から89年ポーリナ・オシペンコ(名称)地区ヘルプーチ町のヘルプチンスク貴金属坑の地質学者主任、生産技術部長、技術者主任。89年ポーリナ・オシペンコ(名称)地区地区執行委員会自然保護委員会議長。89年から同地区執行委員会副議長、その後議長。91年から92年同地区行政第1副長官。92年12月から同地区行政長官。 |
姓 | シバエフ:Шибаев |
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名 | ウラジーミル、Д. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 対外経済関係省次官をつとめる。 |
姓 | シハレフ:Шихалев |
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名 | ワシリー、В. |
生年月日 | 1961.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 中/高卒 |
考察 | 83年オムスク鉄道運輸技術者大学を卒業。83年から極東に移り、ハバロフスク地方コムソモリスク地区セリヒノ町のセリヒノ鉄道施設で技術者主任として働く。86年から89年全ソ連レーニン共産主義青年同盟の第2書記、その後第1書記。89年から92年コムソモリスク地区執行委員会副議長。92年1月からコムソモリスク地区行政第1副長官。現在は、コムソモリスク地区行政長官。 |
姓 | シハレフ:Шихарев |
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名 | ユーリー、И. |
生年月日 | 1952.07.30 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 中/高卒 |
考察 | 70年職業訓練校卒業後、74年まで軍役につく。後に炭坑で働き、90年市の労働者委員会議長をつとめる。90年初頭に地方代議員選挙に出馬したが、落選。同年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議代議員となる。93年9月まで共和国会議社会政策委員会小委員会議長。 |
姓 | シピチコ:Шипитько |
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名 | ゲンナディー、И. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 政府付属改革情報保証評議会主任書記をつとめる。 |
姓 | シピリコ:Шпилько |
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名 | セルゲイ、П. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 93年2月23日、連邦観光委員会議長に就任。同委員会は、94年1月10日付大統領令(第66号)により、青少年問題委員会および観光委員会と統合され、青年・体育政策・観光委員会に改組される。95年10月より体育・観光国家委員会副議長。 |
姓 | シフサイドフ:Шихсаидов |
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名 | ヒズリ、И. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 97年8月26日、ダゲスタン共和国首相に任命される。98年7月17日、同職再任。 |
姓 | シポヴァロワ:Шиповалова |
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名 | リディア、С. |
生年月日 | 1937.03.19 |
性別 | 女 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 平時における軍人の法的保障確定最高会議委員会議長。無党派。医科大学を卒業し、医師となる。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。代議員選出時には、病院の婦人科長。 |
姓 | シポフ:Шипов |
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名 | アレクサンドル、Б. |
生年月日 | 1955.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | ボリショイ劇場所属の芸術家。95年4月5日第1期国家会議代議員に比例区から選出される。ロシア自由民主党会派所属。第1期国家会議活動組織委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙でロシア自由民主党から比例区当選。ロシア自由民主党会派所属。第2期国家会議文化委員会副議長。 |
姓 | シマコフ:Симаков |
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名 | ワレリー、И. |
生年月日 | 1940.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 博士候補 |
考察 | 技術学校を卒業後、コムソモリスク-ナ-アムーレ市ガガーリン(名称)航空機工場で働く。67年ハバロフスク国立教育大学歴史学部を卒業。67年技術学校副校長。68年モスクワ国民経済大学大学院生。専門は経済論。経済学修士。76年全ソ連著作権部ハバロフスク支部で働き始める。84年からプリアムーリエ地理協会の学術協議会書記。300以上の学術論文、社会評論の著作を発表。「たとえ学者であろうと、旋盤工であろうと、教師であろうと文学者であろうと、熱中した人の中には老年になっても子供がいる。熱中はもちろん、職業ではないが、それ無しでは、創作も、空想も何か非常に重要なものをなくしてしまう。」と、シマコフは考えている。政治的な観点では、共産主義のイデオロギーに共感している。 |
姓 | シマコフ:Шмаков |
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名 | ミハイル、В. |
生年月日 | 1949.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 独立労組連盟議長。モスクワ生まれ。好きなスポーツはスキーとテニス。妻と息子1人。66年、中等学校を卒業してモスクワのバウマン(名称)工業大学に入学。72年に同大学を卒業し、国防産業企業に技師として就職、ロケット技術の実験に従事。ロケット・コンプレックス「オカ」の開発に参加。86年労働組合活動に転じ、国防産業従業員労組のモスクワ市委員会議長に選ばれる。90年、当時のシチェルバコフ・モスクワ市労組評議会議長が全ソ労組中央評議会議長に選出された後、モスクワ市労組連盟の設立会議で同連盟議長に選ばれる。90年10月の第19回ソ連労組大会でソ連労組総連合が設立され、総連合評議メンバーに選出される。92年5月の独立労組連盟評議会第12回総会で、同連盟加盟労組の「反主流派」を代表して発言し、当時のイーゴリ・クロチコフ同連盟議長の「政府寄り姿勢」及び同連盟内部での産別労組の地位向上に消極的な態度を批判して、その退陣を要求。モスクワ独立労組連盟議長を経て93年10月からロシア独立労組連盟議長。77年から91年8月20日までソ連共産党員。「改革は、一部の社会グループや国際金融勢力の利益ではなくてロシア国民の利益になるように実施されなければならない」として、ガイダル元副首相の改革政策に激しく反対。またストライキを「労働組合の闘争の正常な1形態」とみなす。しかしストは、個々のケースごとにすべてのプラスとマイナスを計りにかけ、周到に準備すべきだと考えている。極左勢力にも極右勢力にも否定的。シチェルバコフ・ロシア統一産業党党首(元ソ連第1副首相)、ウォリスキー・ロシア工業家・企業家同盟総裁らと選挙連合「ロシアの労組と工業家ー労働同盟」を結成して12月の第2期下院選挙に参加。 |
姓 | シマトフ:Шматов |
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名 | ユーリー、А. |
生年月日 | 1937.11.21 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | プスコフ州行政副長官を経て、94年4月、同州議会議長に就任。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議経済政策問題委員会委員。 |
姓 | シマヒン:Симахин |
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名 | ウラジーミル、В. |
生年月日 | 1937.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 中等学校を卒業後、トゥヴァ自治共和国において地質調査探検隊で測地技術者として働く。58年から61年ソヴィエト軍勤務。ノヴォシビルスク測地学、空中撮影、地図作製技術者大学を卒業。専門は天文測地学。65年からハバロフスクで、測地学者、測地班長として働く。74年からロシア測地及び地図制作連邦部局国家監督局極東地域監督局主任技師、局長、極東地域測地監督局国家監督官主任として働く。ロシア、中国国境境界設定の仕事に参加。バイカル-アムール鉄道の、サハリン及び日本への拡張の可能性を宣伝している。政治的意見は中道主義。 |
姓 | シャイダエフ:Шайдаев |
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名 | ガッジ |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 95年11月、ダゲスタン共和国副首相に就任。 |
姓 | シャイミエフ:Шаймиев |
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名 | ミンチミル、Ш. |
生年月日 | 1937.01.20 |
性別 | 男 |
国籍 | タルタル人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | タタールスタン自治共和国アクタヌイシ地区アニャコヴォ村生まれ。妻と息子2人。カザン農業大学卒業。59~62年修理・技術サービスステーション技師、技師長、62~67年地区「農業技術」連合総務、67~69年党obkom指導員、副部長。69~83年タタール自治共和国土地改良・水利事業大臣、83年5~11月タタール自治共和国閣僚会議第1副議長83~85年党obkom書記。63~91年ソ連共産党員(90~91年中央委員)。85~89年同共和国閣僚会議議長。89~90年obkom第1書記。89~92年1月ソ連人民代議員。90~91年6月タタールスタン共和国最高会議議長。タタールスタン共産党中央委員会第1書記も経験。91年6月12日、タタールスタン共和国大統領に就任。92年、連邦条約への署名を拒否し、共和国の主権を認める国民投票で60%の支持を得る。93年12月12日の選挙に立候補したが、不成立となり、94年3月13日の再選挙で連邦会議に当選。上院連邦問題・連邦条約・地域政策委員会委員。無所属。96年3月24日実施された同共和国大統領(任期5年)選挙にただ1人立候補し、200万票のうち97%の得票で当選。経済政策におけるショック療法を拒否し、民営化も非常に慎重に推進する一方で、外国資本の投資の誘致には成功を収める。98年5月、ムハメトシン・タタールスタン共和国首相の同共和国国家評議会議長への転任に伴って、同共和国首相兼任(同年7月10日新首相就任により解任)。 |
姓 | シャエヴィッチ:Шаевич |
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名 | ボリス、С. |
生年月日 | 1939.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | ユダヤ人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | ハバロフスク機械技術学校ビロビジャン市の工場「ダリセリマシュ」で労働者、管理者、技術担当者として働く。その後、党の仕事に就く。ソヴィエト共産党ビロビジャン市gorkom指導員、全ソ連レーニン共産主義青年同盟ビロビジャン市gorkom第1書記。ハバロフスク工業大学を通信教育で卒業。69年「ダリスタンダルト」研究所で技術者として働き始める。現在は、ハバロフスク地方国家監督官。計測の企画及び設備の監督に当たる。自分についてこう語っている。「私が人を評価するのは誠実さである。我々は、誇りとは何かを忘れ始めている。人生において支配するのは厳格さである。それぞれが可能なだけ生き延びるのだ。我が国はよくない時期を長く生きてきた。いつ回復するのかは、誰も知らない。」政治的意見は中道主義。 |
姓 | ジャギレフ:Дягилев |
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名 | ミハイル、С. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 94年2月、ノヴゴロド州における大統領代理人に就任。 |
姓 | ジャクン:Дякун |
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名 | ウラジーミル、Ф. |
生年月日 | 1966.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | ウクライナ人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 66年スパースコエ中等教育学校卒業。70年代半ば沿海農業大学卒業。72年から作業班長・農業専門家として働き始め、ソフホーズ長となる。78年スパスキー地区執行委員会農業生産局長に任命される。82年からスパスキー地区執行委員会第1副議長として働く。86年ヤコヴレフスキー地区執行委員会議長に選出される。91年から同地区行政長官。 |
姓 | ジヤコノフ:Дьяконов |
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名 | ワシリー、Н. |
生年月日 | 1946.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 92年11月、クラスノダル地方行政長官を停職になる。 |
姓 | ジヤコフ:Дьяков |
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名 | アナトリー |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 燃料・エネルギー省次官をつとめる。 |