ジャムバロフ:Жамбалов
ナムダク、Ж
生年月日 1950.03.28
性別
国籍 ブリャト人
学歴 大学卒
考察 チタ医科大学卒業。57〜76年チタ州立病院で研修医として働く。76〜91年ブリャート自治管区内のモゴイトゥイ地区病院で外科医、医師長として働く。92年からモゴイトゥイ地域医療合同医師長。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。連邦会議国際問題委員会委員。


シャムラエフ:Шамраев
ニコライ、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年12月、経済省次官に就任。


シャモフ:Шамов
ボリス
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年1月まで民間防衛・緊急事態・自然災害処理国家委員会副議長をつとめる。同委員会は、94年1月10日付大統領令(第66号)により、連邦省に改組される。


シャラーヴィン:Шалавин
ニコライ、Т.
生年月日 1946.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 70年トムスク工業大学を卒業。専門は化学産業。72年からハバロフスク石油加工工場で働く。工業設備オペレーターから仕事を始める。77年工場の技術者主任になる。積極的に発明に携わる。86年生産現場の全ての段階を経て、工場の支配人になる。92年公開型株式会社「ハバロフスク石油加工工場」の総支配人に選出される。自分の職業についてこう語っている。「一般に石油工場の支配人は何をするのか?石油を探すのである・・・94年にエネルギー資源の価格が自由化された。石油は値上がりした。石油を発掘するのは、外国から買うよりも高くつく。ロシアに石油を運ぶことを考えてみると、森に薪を運んでくるのと同じである!」


シャラポフ:Шарапов
ウラジーミル、Ф.
生年月日 1944.03.16
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「サマラ診断センター」専務理事。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「我が家ロシア」から比例区当選。我が家ロシア会派所属。第2期国家会議健康保護委員会副議長。


ジャラリャン:Джалалян
アルメン、Э.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年2月、軍事技術政策国家委員会副議長就任。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって廃止。


ジャリモフ:Джаримов
アスラン、А.
生年月日 1939.11.07
性別
国籍 アドイゲ人
学歴 博士候補
考察 クバニ農業大学卒業。64年から農業専門家、地区農業局経済担当者、65年から91年までソ連共産党員。67年から68年クバニ農業大学農業経済講座大学院生。68年からアドィゲヤ州農業局部長として働く。70〜73年ソ連共産党obkom副部長。73〜75年アドィゲヤ州国立農事試験場長をつとめる。75〜90年ソ連共産党obkomやkraikomで部長、書記をつとめる。90〜92年アドィゲヤ州ソビエト議長。90年から91年ロシア共産党中央委員会メンバー。92年1月5日、アドィゲヤ共和国大統領に就任。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。第1期連邦会議安全保障・国防問題委員会委員。97年1月12日、アドィゲヤ共和国大統領選挙で、58%の得票率で再選された。


シャルイギン:Шарыгин
ユーリー、К.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 大統領府基本建設局長を務める。


ジャルコフ:Жарков
ウラジーミル、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦新聞委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更される。


ジャルコフスキー:Жалковский
エヴゲニー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦測地・地図作成機関第1副長官をつと98年4月30日付で連邦測地・地図政策局は新設の土地政策・建設・住宅公共事業省に併合される。める。


シャロノフ:Шаронов
アンドレイ、В.
生年月日 1964.02.11
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 ウファ生まれ。英語に堪能。妻と1男1女。ウファ・オルジョニキッゼ航空大学卒業、電気機械技師。86〜87年、ウファ航空大学で研究技師として働く。87〜89年、同大学コムソモール組織書記、89〜90年、ソ連最高会議の学生問題小委員会議長をつとめる。91年8月、RSFSR青年問題国家委員会議長に就任。92年1〜9月、青年問題担当ロシア政府全権代表をつとめる。92年9月より連邦政府付属青年問題委員会議長、コムソモール中央委員会議長(国家・公営機関との関係担当)を歴任。89〜91年ソ連人民代議員もつとめる。94年6月19日、連邦青少年問題委員会議長に就任。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更される(同年12月解任)。


ジャロフ:Жаров
オレグ、Ю.
生年月日 1954.07.02
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。小選挙区から選出される。株式会社総支配人として働く。国家会議活動組織委員会委員。


ジャンギロフ:Джангиров
В、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 燃料・エネルギー省次官をつとめる。


シャンキン:Шанкин
ユーリー、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦政府通信・情報機関副長官を務める。


シャンドイビン:Шандыбин
ワシリー、И.
生年月日 1941.07.25
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「ブリャンスク・アルセナル」仕上工。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシア連邦共産党」の推薦を受け、ブリャンスク州ブリャンスク選挙区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。96年1月31日から同年4月3日まで第2期国家会議退役軍人問題委員会委員。96年4月3日より第2期国家会議労働・社会政策委員会委員。


シュイコフ:Шуйков
ワレリー、А.
生年月日 1958.06.23
性別
国籍 チュヴァシュ人
学歴 大学卒
考察 最高会議青年問題委員会書記。教育大学を卒業、ロシア語およびロシア文学の教師資格を持つ。大学で働いた後、コムソモールの職務に移り、コムソモール委員会第1書記をつとめる。89年より中・高校でロシア語・文学の教師となる。ソ連ジャーナリスト組合員。党員。連邦・民族問題国家委員会副議長をつとめる。同委員会は、94年1月10日付大統領令(第66号)でロシア連邦北方民族地域経済発展問題国家委員会と統合され、ロシア連邦民族問題・地域政策省になる。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。92年12月17日、北オセチア・イングーシ共和国臨時行政府副長官に就任(93年2月12日解任)。


シュヴァロフ:Шувалов
イーゴリ、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年1月、国有財産省次官に就任。


シュヴェドゥチェンコ:Шведченко
ウラジーミル、В.
生年月日 1962.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 83年国立航空アカデミーを卒業、運動制御の技術者の資格を持つ。ハバロフスク航空会社で航空管制官の仕事に就く。大気運動局に勤める。86年ハバロフスク航空会社のコムソモール組織書記に任命される。タリン支配人学校を通信教育で卒業。89年私営教育施設、技術者学校を創立。96年ハバロフスク青年企業及び就職援助センター長に任命される。国家施設ロシア青年企業援助センター極東管理部門支配人。ハバロフスク地方行政長官付属社会ソヴェートのメンバー。ロシアには、危機から抜け出すために、「専門の、熟練した管理局員が必要である。彼らは経済においても、政治においても、あらゆる水準において必要である。」と考えている。ハバロフスクロータリークラブのメンバー。政治的意見は民主主義。


シューガイ:Шугай
ニコライ、И.
生年月日 1948.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 71年極東国立大学物理・数学学部卒業。大学卒業後、物理の教師として働き、沿海地方アルチョム市中等学校長になる。77〜85年アルチョム市執行委員会人民教育部長として、85〜90年沿海地方執行委員会人民教育副部長として働く。90〜91年地方執行委員会顧問。91年沿海地方行政府人民教育局長に任命される。


ジューク:Жук
エドゥアルド、Г.
生年月日 1960.12.27
性別
国籍 ベラルーシ人
学歴 博士候補
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に選出され、94年1月より下院予算・税金・銀行・財政委員会副議長になる。商業銀行総支配人として働く。ロシア自由民主党会派のメンバー。国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。


ジューコフ:Жуков
グリゴリー、С.
生年月日 1945.05.09
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 67年大学を卒業し、炭坑技師となる。卒業後、協会の技師となり、副協会長までつとめる。81年党の職務に移り、obkom石油・ガス産業部長になる。82年党の高等教育機関を卒業し、raikom第1書記、gorkom第1書記を歴任し、90年からロシア最高会議常勤となる。地方ソビエト代議員にも選出される。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議人民代議員ソビエト活動問題・自治拡大委員会議長。


ジューコフ:Жуков
アレクサンドル、Д.
生年月日 1956.06.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で第1期連邦会議代議員に当選。小選挙区から選出される。株式会社副社長として働く。94年4月から「12月12日連合」グループの副議長。第1期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシアよ、進め」の推薦を受け、モスクワ市プレオブラジェンスキー選挙区から当選。議員グループ「ロシアの地域」(独立議員)所属。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会副議長。97年11月20日、ミハイル・ザドルノフ予算・税金・銀行・財政委員会議長の蔵相就任を受けて、同委員会議長臨時代理に任命される。98年5月20日、同委員会議長に就任。


ジューコフ:Жуков
ニコライ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦公共事業委員会副議長をつとめる。同委員会は96年時点で存在が確認されず、廃止されたものとみられる。


ジューコワ:Жукова
ネーリャ、Н.
生年月日 1938.03.27
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 「法律サービス」会社法律家。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、クラスノヤルスク地方エニセイスク選挙区から当選。96年1月16日より議員グループ「人民に権力を」所属。登録以前は農業党会派所属。第2期国家会議立法・司法委員会委員。


シューバ:Шуба
ヴィタリー、Б.
生年月日 1951.07.13
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。イルクーツク州ブラツク市ソビエト議長として働く。代議員グループ「新地域政策」のメンバー。第1期及び第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙でイルクーツク州ブラーツク選挙区から当選。「ロシアの地域」(独立議員)会派所属。97年7月に実施されたイルクーツク州知事選挙に出馬したが、得票率5位(11%)で落選。


シューバ:Шуба
ニコライ、М.
生年月日 1960.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 アルタイ地方における大統領代理人をつとめる(96年12月解任)。


シュービナ:Шубина
タチヤーナ、И.
生年月日 1950.04.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ロストフ州プロレタルスク地区行政長官。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、ロストフ州ヴォルゴドンスク選挙区から当選。96年1月16日までは農業党会派所属。その後無会派。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。96年1月23日から2月9日まで立法・司法改革委員会副議長。


ジュガノフ:Зюганов
ゲンナディー、А.
生年月日 1944.06.26
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 オリョール州ホトィネツ地区ムイトリノ村生まれ。妻と1男1女。69年オリョール国立教育大学卒。80年ソ連共産党付属社会科学アカデミー卒業。博士論文のテーマは「80〜90年代ロシアの社会・政治発展の基本的傾向とそのメカニズム」。61年オリョール州の農村の中等学校教師。兵役を終え、67年から労組、コムソモール共産党の活動に従事。69〜70年及び81〜83年、教育大学で教鞭を取る。コムソモール・オリョール州第1書記、ソ連共産党オリョール州委員会書記、第2書記、ソ連共産党オリョール州宣伝・扇動部長(74〜83年)を経て同中央委員会宣伝部の指導員、課長(83〜89年)、中央委員会イデオロギー部副部長。90年からロシア共産党中央委員会政治局員兼書記、同中央委員会人道・イデオロギー問題常任委員会議長。92年からロシア人民愛国勢力調整評議会議長、また同年から救国戦線政治評議会共同議長。93年1月からロシア連邦共産党議長。ルツコイ副大統領とハズブラートフ最高会議議長の率いる93年10月3〜4日の武装クーデターに積極的に参加し、議会ビルに立てこもり、エリツィン派による突入の前に同ビルを離れる。93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。ロシア連邦共産党党首。新聞の政治評論家、ロシア連邦共産党中央執行委員会議長として働く。ロシア連邦共産党会派の議長。全ロシア社会・政治運動体メンバー。95年12月第2期下院議員に比例区から当選。96年6月16日に実施された連邦大統領選挙に出馬し、32.03%を得票して決選投票に残るが、翌7月3日の決選投票では40.31%の得票率で敗退。8月7日、運動「ロシア人民愛国同盟」の設立大会を開き、調整評議会議長に選出される。同運動は、共産党、「ジェルジェワ(大国)」、農業党などが参加。


シュグーロフ:Шугуров
ラスリ、И.
生年月日 1950.05.28
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ソフホーズ「ウラル」支配人。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシア連邦共産党」の推薦を受け、バシコルトスタン共和国シバイ選挙区から当選。農業党会派所属。第2期国家会議CIS・同胞交流委員会委員。


ジュコフスキー:Жуковский
アレクサンドル、И.
生年月日 1949.10.13
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 「軍人商業銀行」理事長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。ロシア自由民主党会派所属。第2期国家会議北部問題委員会副議長。


ジュジャエフ:Дюдяев
ゲンナディー、Т.
生年月日 1947.07.16
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。農業専門家、クズネツーツク炭田農業同盟評議会議長として働く。ロシア農業党会派のメンバー。国家会議農業問題委員会委員。


シュスチツキー:Шустицкий
ユーリー、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年2月、廃止された大統領事務局を基に創設された大統領情報・文書保障局長に就任。


シュチェーエフ:Шутеев
ワシリー、И.
生年月日 1942.07.23
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 クルスク工業大学卒業。62年から地質調査隊現場監督の助手として働く。70〜88年「ショトマシ」クルスク工場技師から支配人になる。88〜91年クルスク州ソビエト執行委員会第1副議長、執行委員会議長。91年12月に同州行政長官に任命される。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。第1期連邦化異議国際問題委員会委員。第2期連邦会議安全保障・国防問題委員会委員。96年10月20日実施されたクルスク州行政長官選挙で落選。


シュトキン:Сюткин
パーヴェル、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年6月、大統領直属科学・生物兵器条約問題委員会議長代行、95年3月同議長に就任。95年9月、化学兵器廃棄法案の連邦会議におけるロシア連邦大統領代理人に任命される。


シュビン:Шубин
ワレリー、А.
生年月日 1949.01.01
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 ウラル林業技術大学卒。林業技師。妻と子供2人。チェリャビンスク林業生産合同総支配人などを経て、90年からロシア共和国林業相、92年1月から環境・天然資源省森林委員会議長を経て、92年11月17日、連邦林業局長官に就任。