はじめに
きわめて急速な変化を示した1990年ロシア文芸を中心主題として現代文化の問題を考えてきた私たちの共同研究(科学研究費基盤研究(B)「90年代ロシアにおけるポストモダニズム文芸の総合的研究」)は、21世紀を迎えた今年度をもって、一応終了いたします。スラブ研究センター研究報告シリーズの本号は、その中間報告の最後にあたるもので、平成12年3月に早稲田大学で行われた研究報告会の成果と、様々な機会に研究協力者から寄せられた論考を併せて収録することで、現代ロシア文芸をめぐる誌上シンポジウムをデザインしてみました。
前回の「文芸における社会のアイデンティティ」(平成7−9年度)から一貫して、私たちの共同研究は、現代の地平を見渡すためにまず個別的な作家や作品を語るという作業を足場としてきました。その原則はここに見る諸論文にも共有されていますが、しかしそうした基礎作業の中から、現代文芸を貫く共通の問題意識のようなものがみえてきたという感じもいたします。それはなによりも芸術表現自体への問い――たとえば言語の表現機能や伝達機能への反省をベースに、言葉が喚起するイメージや時空間がどのようなレベルの意識や無意識を生産していくのか、それぞれの作業が何を顕示し何を隠蔽するのか、そして全体としての文芸はどのような目的に奉仕しているのかといった、表現者にとってきわめて自己言及的な問い――です。多くの作家の場合、この種の意識がジャンルや文体上の遊びや、あるいはロシアにおける文芸の伝統的役割への皮肉なからかいといったものに結びついています。
こうした風景の中に、現代世界文芸に広く共通するポストモダン的意識と、ロシア固有の近代や現代の経験がもたらす特殊な自意識や態度をともに読みとっていくこと――それは困難ながらおもしろく有意義な作業だと思われます。
なお今年度は関連作業として、スラブ研究センター夏期シンポジウム『ロシア文化:新世紀への戸口に立って』(平成12年7月)が行われ、諸外国の研究者と並んで我々の共同研究のメンバーが報告や議論に参加しました。これについても近々成果が出版されます。また『現代ロシア作家データベース』も、ボリス・ラーニン教授の助力を得て改訂中です。併せてご参照いただければ幸いです。
望月哲男