それでは口火切りに発言させていただきます。上原さんの報告を聞いて、われわれ旧ソ連・東欧研究者と中国研究者とが完全に共通の問題意識で議論できるようになったことを実感し、大変嬉しく思ったことをまず最初に申し上げたいと思います。
私は1980年代の半ばを少し過ぎた頃、80年代初めから始まったハンガリー経済改革のいわゆる「第三波」で、60年代半ばの改革第二波と異なり(この当時、中国は文化大革命の最中にあって改革の流れの圏外にありましたが)、多様な所有形態を組み込む混合経済志向、より大幅な市場調整の導入、対外経済開放などの新しい要素が現れ、これと中国の経済改革が連動し始めていたところにペレストロイカ下のソ連が同じ改革構想で合流してきたことから、かっては大きくかけ離れていた中国とソ連・東欧の改革を同じ枠組みで捉えることが初めて可能になった、と歓迎の意を込めて書いたことがあります。
しかし、大枠での一致はそこまでで、ソ連・東欧諸国と中国はその後、二つの点で大きく違った軌跡を描きました。これは当時、私どもに予見できなかったことでした。第一は、いうまでもなく、ソ連・東欧では「社会主義」体制が崩壊し、「再資本主義化」の体制転換に向かったのに対し、中国では「社会主義」が依然、維持されていることです。第二は、旧ソ連・東欧諸国では体制転換後、およそ1994年まで(ロシアの場合には今日に至るまで)「体制転換大不況」(これはヤーノシュ・コルナイが言っている「体制転換リセッション」“Transformational Recession "といった生やさしいものではありません)で大幅な生産低下が見られましたが、中国(そして、その後を追ったベトナムも)は、高成長を持続し巨額の海外直接投資の導入に成功しています。
少なくとも実績から見る限り、中国的なコースの成功は疑いありません。ここから周知の「ショック療法」対「漸進主義」の議論が蒸し返されるのですが、これにはここでは立ち入りません。しかし、ジェフリー・サックスやその仲間、Wing Thye Wooのように、中国型漸進主義の成功を「初期条件」(後進性)に帰着させ、中国がショック療法を選択していたら「もっと大きな成功」を収めていただろうとまで極言するのには、勿論、承服できるものではありません。
ここではやはり「双軌制」(Dual-Track system)の成功が否定しがたいように思われます。つまり、一方では国有企業の温存で既得権益からの抵抗を弱めるとともに失業増加などのショックを緩和しながら、他方では「その他の大勢」の所有セクターで大幅な自由を認め、生産増加と失業吸収を図るという、二重戦略が相対的には成功していることを認めるべきでありましょう。
さて、ここから上原さんへの質問とコメントに入るわけですが、第一に、中国の国有企業が非効率で赤字というのが内外ともに一般的な見解のようですが、それを上記の「双軌制」の成功とメダルの裏腹の「コスト」と考えることは出来ないでしょうか。つまり「あちら立てれば、こちら立たず」というわけです。コストの大きさを勘案しながら、ロシア・東欧の場合の「大不況」のコストと、どちらのコストを選ぶかという問題でもありましょう。
第二に、国有企業が私企業に比べて「非効率」という場合、比較が必ずしも一義的に容易でないことに留意する必要があります。ロシア・東欧の場合にも、残存する国有企業と比較可能な規模を持った、大私有企業は存在しません。さらに私有化された企業といっても、依然、国家資産基金などが大きな持株シエアをもつ、疑似私企業であり、同様な意味で残存する国有企業も疑似国有企業であります。安易な比較は全く不可能と言うほかありません。
第三に、ロシア・東欧の場合、体制転換初期の私有化ユーフォリアのなかで、かってと裏返しに国有企業に対する「逆差別」が行われたことを無視できません。両者が同じ条件の下に置かれない限り、厳密な比較は出来ないと言うほかありません。去る2月までポーランド政府の蔵相兼第一副首相を務めたG.コウォトコは、ポーランドの経済回復が早かったことの大きな理由の一つとして、国有企業と私企業間の「パリティ」を回復したことを挙げています*1。
ついでに申しますと、ポーランドは「連帯」の圧力が強く1987年に導入された経済改革では「企業評議会」による自主管理方式が取られたため、体制転換後も国有企業の私有化が容易でなく、雨後の竹の子のように群生する小規模私企業セクターと、改革の遅れた国有セクターの併存という、一種の二重構造になっていたのです。それが「パリティ」の回復と良く噛み合ったことが生産回復の大きな要因の一つでありました。これも一種のマイルドな双軌制と言えないこともありません。ただし、このポテンシャルはすでに枯渇してきていると思いますが。
第四に、最近、中国の国有企業の実態調査をしたT.G.RawskiやPeter Nolanらによると、国有企業でも技術革新などについてかなり肯定的な変化が見られることが明らかにされています*2。
第五に、これまで私有化後のロシア・東欧の企業について行われた各種の調査からして、所有の変化は必ずしも企業実績に反映されていないことが、多くの専門家によって指摘されています。言い換えますと、「私有化→インセンティヴ強化→パフォーマンス改善」という公式は自動的には成立しない、ということになります。所有形態の違いよりも、業種により違いはありますが、経営上のオートノミー、インセンティヴ、競争環境などの要因がパフォーマンスにより大きく影響していると見るべきではないでしょうか。
この点では、ベトナムの国有企業が-- 少なくとも製造業では-- 新しい市場環境への適応能力を示し、経済成長に貢献していることも参考になりましょう。もっともベトナムでは、中国の郷鎮企業のような小規模集団企業セクターが未発達だという事情の違いはありますが。
総合判断としまして、中国(およびベトナム)が「ラジカル」かつ「急速」な私有化なしに経済パフォーマンスを改善していることは認めざるを得ません。そしてもし、この認識が正しいとしたら、「急進的」な私有化は市場移行戦略にとって必ずしも不可欠ではない、という結論が導き出されます。私は私有化が「不必要」だとは決して申していません。80年代後半から議論してきたことですが、私的セクターが圧倒的な国有セクターに包囲されているような状況では市場機構の十分な作動は期待できませんから、この関係を逆転させなければならないことは自明の理でもあります。しかし、それには長期の時間を要しますし、その間の「コスト」も考慮に入れなければなりません。しかもその到達点が私的所有が支配的なアングロ・サクソン型の市場経済であるとは先験的に決まっていることではありません。これは私の「混合経済論」の主張でもあるわけですが、体制転換後8年近い今日、現実にこれら諸国に形成されているのは、当初のユーフォリアと異なり、移行期の「特異な混合経済」であることによっても、裏打ちされているように思われます*3。
そこから「解決方向」についても次のような問題が生まれます。
第一は、これは中・東欧諸国でもある議論ですが、国有企業実績の改善にとって所有の「私的性格」を強めることだけが解決方向であろうか、という疑問です。ここでは立ち入ることの出来ない、多くの問題群がこの設問から派生することでありましょう。
バウチャー私有化の「先進国」と見なされてきたチエコ経済の最近の実績悪化について、チエコを「模範生」、クラウス首相を「スター」扱いにしてきた「ファイナンシャル・タイムズ」紙*4までが最近、「チエコ経済の実績悪化は、遡ればバウチャー私有化で誰が所有者か訳の分からぬ所有構造が生まれ、ミクロのリストラが遅れたことに根本原因がある」と、まるで私たちが言ってきたことの口移しのようなことを言い出していることに、ついでに触れておきたいと思います。
第二に、上原さんはどこかで「飛躍」が必要だと言われましたが、それはどのような「飛躍」でありましょうか。最終的には「私的セクター主導」が望ましいとしたら-- また、望ましいと思いますが-- 本格的な「私有化」は何時(タイミング)、どのような規模で着手されるべきなのでしょうか。
このことは第三に、上原さんが「社会主義市場経済」は本格的な市場経済への「過渡」だとされた点にも関連します。私はこれに反対ではありません。しかし、この「過渡」をどの程度の時間的視野(タイム・スパン)で捉えるかによって、かなり意味のある違いが生じるように思われます。「社会主義市場経済」とは社会主義の「安楽死」の形態だと見る人たち(長期的にはこれにも私は必ずしも反対ではありません)はおそらくこの「過渡」を比較的、短く見ているのかも知れませんが(上原さんも引用された、中国の「社会主義は有言不実行、資本主義は不言実行」と私どもの比較経済体制学会での報告で言った矢吹さんなどはこれに入るかも知れませんが)、もし、この時間的視野を比較的長く取り、その間経済成長と生活水準向上の持続とも相まって、上記の「有言不実行・不言実行」の体制が維持されたならば、この体制は「市場社会主義」(Market Socialism)というタームで理解するほかないように思われます。
「市場社会主義」とはオスカー・ランゲ以来、かって厳密な定義が下されたことのない概念ですが、私は80年代「第三波」改革でそれが初めていくらかでも実体を備え始めた、と考えていました。しかし、それは政治主導の体制転換により旧ソ連・東欧では「未完の接近」に終わりました。現在の中国の体制が一定の長期間、維持されたならば、それはこのタームで捉えるほかないのではないでしょうか。
ヤーノシュ・コルナイは1980年代末から体制転換の当初、市場社会主義に「国家的所有+市場的調整」という定義を下して、その不可能性(より正確には「幻想性」)を論じたことがあります。しかし、これは予めリジッドに過ぎる定義を下して置いて、それを反駁すると言った類のものでした。市場社会主義は「政治体制」抜きに存在するものではありません。もし、これに「一党制支配の維持(ただし、「連帯」成立後の1980年代のポーランドのように、黙示的な複数主義が組み込まれることを排除しない)+国有セクターの優勢(圧倒的支配ではない)ないし実質的維持+市場的調整の大々的な(60年代改革のように、副次的にではない)採用」といった「拡大された」定義を下すならば、中国やベトナムの体制はこれに近いものと見ることが出来るのではないでしょうか。
あるシステムが一定の(長)期間、相対的に安定して維持されたならば、それは何らかの概念規定を与えられるべき「体制」を構築したと考えることが出来るのではないか、と言うのが私の問題意識なのです。この意味から、上原さんの「過渡」の「時間的視野」論を伺いたいものです。
いずれにしましても、中国、ベトナムは勿論のこと、程度こそ異なれ、多くは資本主義発展の後発圏で19世紀以来、「積み残された」近代化の課題を抱えているロシア・東欧諸国の市場経済移行は、たんに市場経済化・体制転換の角度からでなく、近代化・開発という「複眼」的視点から見なければなならないことは、今更申すまでもありません。前者が解決されたからといって、後者の課題が自動的に解決されるわけではありません。この「二重」の課題の組み合わせと、その比重をどう見るかによって、市場移行戦略にはさまざまなヴァリアントがあり得ましょう。このことを改めて確認したいと思います。
上原さんへのコメントに余りにも比重をかけすぎ、山村さん(田畑伸一郎さん代読)にコメントする余裕がなくなりました。ロシアの私有化は旧ノーメンクラトゥーラの物質的基盤を破壊する「非政治化」主導で行われたものだ、という山村さんの指摘は誠にその通りで、私は1992年6月初め、モスクワでの日米・ロシアの三極国際会議でジェフリー・サックスとやり合った時、それを実感したものでした。彼はその時、私に向かって " Why do you worry about the decline in production? "と言ったのです。それがどのような「コスト」を払うことになったかは、その後の経過が示しています。
- 注 -
(1)袴田茂樹(青山学院大学)氏から上原報告について
ソ連・東欧・中国における体制転換は一体何から何への転換なのかというとき、一般的には社会主義経済から資本主義経済への転換といわれる。しかしもう一つ注目しなければならないのは、「バザール経済」から近代的経済への転換という側面である。バザール経済におけるリスク回避の方法には、(a)国家の強いコントロール (b)プライベート・コミュニティ形成、の2つがあり、社会主義体制というものは実は(a)の方法によるバザール経済下での産業化の方法であった。
今日の体制転換の混乱の一つの原因は、経済の基礎条件がバザール経済であることを深く認識していないことによるもので、今日の状況を分析しようとする場合には、リスク回避がどう行われているかを分析しなければならない。
(回答)
中国の場合のリスク回避は主に個人のコネクションによるところが多い。しかし国家介入の必要性が残るのが現状である。また、ここで考えている「移行」の定義は、低開発→発展、閉鎖市場→国際市場、の2指標である。
(2)吉井昌彦(神戸大学)氏から上原報告について
市場社会主義と国家資本主義はどう違うのか。一つの指標は、福祉政策及び社会的効率への視点であろう。
(回答)
国家社会主義と市場社会主義の違いは、労働争議でどちらにつくかであろう。
(3)吉井氏から袴田発言について
ソ連・東欧に果たしてバザール経済が存在したのかという問題について、個人的には「なかった」と考える。ただ、ペレストロイカ時に管理が弱体化した時のように、バザール経済になりうる要素はある。
(回答)
バザール経済的社会だったから、ということが言いたい。
(4)中兼和津次(東京大学)氏のコメント
思うに、中国とロシアは条件が異なる。
1)改革を始めた時点で、中ソはいずれも潜在的に企業間競争が出来る状態だ ったか? ソ連の場合は強く一元的で容易に身動きできない状態であったのに対し、中国の場合は毛沢東時代に同種の工場が(三線建設などで)全国に分散され、企業間競争の下地が出来上がっていた。
2)市場競争とは、多数の需要者と供給者が集まることであり、中国はこの状態への移行が容易であったが、ロシアの場合は(競争の結果としても)独占が何故か多すぎる。
3)非計画部門をどのように作るかという点でも、両国の対応は異なる。
(5)上垣彰(西南学院大)氏から吉井・上原発言について
1)ロシアの企業は結局は変わっていると考えられるが、投資の動向は如何?
2)題目が「国際的契機」となっていたが、今回のセッションではこれまで誰
も触れていない。ロシアは現在外資が急激に入りはじめており、超バブルというべき状態である。
3)西側企業のアンケートでは、投資したい国の60%が中国で、ロシアは6%
に過ぎないという状況は何を意味するのか?
(回答)
1)(吉井)投資の動向は依然低調。
2)(吉井)国際的契機の部分はカット(本来の発表者の山村氏は本日欠席)
(上原)報告の最後の部分を参照されたし。
3)(上原)ロシアへの海外からの投資が何故少ないかは、要するに市場とし ての魅力の問題であろう。