2015年7月13日、タイのメーファールアン大学から3名の講師をお招きし、UBRJセミナー「東南アジアの境界:タイ北部国境から眺める」が開催されました。セミナーでは、まずメーファールアン大学社会イノベーション学部・学部長のシリポーン・ワッチャルク女史により、タイ全国とメーファールアン大学での境界研究の取り組みの現状について紹介がありました。タイに境界研究のセンターが存在しないという現状に鑑みつつ、チェンライというタイとミヤンマー/ラオスの国境地域という地の利を生かしつつ、バンコクではできない独自の境界研究を推進するという方針が紹介されました。そして、同学部付属のリサーチセンターを軸に境界研究分野での国際協力を推進したいと考えており、北海道大学を含む日本の諸大学は重要なパートナーになり得る存在であり、今後協力関係を密にしてゆきたいとの意向が示されました。その後、副学部長のワンワーリー・インピン女史より、"An Efficiency of Local Administrative Organization in Chiang Rai Province Toward a Mitigation of Earthquake Disaster"という研究報告がありました。これは、2014年5月にタイ北部で起きた大地震後の復興・緩和策をめぐる地方自治体(sub-district administration)の役割・立場に焦点を当てたもので、境界研究だけでなく災害論の立場からも興味深い報告でした。タイは中央政府の権力が非常に強く、大地震のような稀有な災害が起きた際に、本来ならばローカルなレベルで迅速に対応をしなければならないのに、郡以下の地方自治体は権限も要員も能力も欠いており、緊急時のローカルな対応についての無理解から上から降りてきた予算や資源の適切な分配もままならず、これからは中央政府が責任をもってアクションプランを立てて地方分権と自治の拡大をやらなければならないとの方向性が示されました。次に、社会イノベーション学部リサーチセンター長のユズポーン・チャントラワリン氏が、"Footloose Gem Traders and The Grey-shaded Border Space of Mae Sai Border Town"と題する、ミヤンマーとの国境の街メーサイにおける1990年代の宝石の密貿易について報告を行いました。1990年代のタイ=ミヤンマー国境管理の甘さ、ミヤンマー北東部におけるシャン人の独立闘争、同地域における宝石鉱山の点在といった要因が相まって、タイ東南部のチャンタブリの宝石商人がこぞってメーサイに居を構え、1日100人~200人ともいわれたシャン人密輸人との取引で莫大な金額がまさに国境の街で動いていたが、ADB-GMSによる国境管理強化プロジェクトにより2000年代になり宝石商人は南に撤退したということが論じられました。報告は、境界地域の主体性について大きな示唆を与えるもので、個別事例に留まらない普遍性を有している刺激的な内容でした。
セミナーは1時間半という枠の中で行われ、質疑応答の時間は限られていましたが、セミナー後の懇親会まで含めて活発な議論がなされました。3名は翌朝には成田を経由して広島まで飛び、3日の滞在の後、今度は福岡に向かうというタイとなスケジュールとのことですが、これを機にメーファールアン大学とUBRJを含む我が国の境界研究コミュニティと研究協力の緊密化が望まれています。
(文責:地田 徹朗)