JIBSN根室セミナー参加記(2/13-14)
2016年2月13日(土)、根室市にある北海道立北方四島交流センター(ニ・ホ・ロ)を会場として、境界地域研究ネットワークJAPAN(JIBSN)根室セミナーが開催された。根室市は北方領土をロシアが実効支配している以上、北方領土との境界に位置する街であるが、同時に、日本が北方領土の主権を主張し続けている以上「国境と呼べない」街でもある。領土問題の存在が根室市経済の発展を大いに阻害してきた。また、北方領土の旧島民及びその子孫の多くが根室市に住んでいる。よって、根室市民への本セミナーへの関心は高く、多くの市民の方がセミナー聴講に訪れていた。
年一回のJIBSNセミナーは、全国の国境自治体の行政担当者が顔を突き合わせて意見・情報交換をする貴重な機会となっている。前回は竹富町がホスト役となり西表島で開催されたが、今回も、稚内市、隠岐の島町、対馬市、五島市、竹富町、与那国町、小笠原村の各自治体代表が顔を揃えた。それ以外に、国境問題を研究する研究者や報道機関関係者などが加わり、一般市民の方と合わせて総勢56名がセミナーに参加した。
セミナーは二部構成であった。第一部は「境界地域に暮らすこと:北方領土・竹島・尖閣」と題し、根室市、隠岐の島町、与那国町のそれぞれが抱える領土問題の歴史的経緯とその現状、自治体ごとの領土問題に対する取り組みについて報告がなされた。トップバッターは、ホスト役の織田敏史(根室市北方領土対策課)の報告である。戦前・戦後を通じて浮き沈みがあった北洋漁業が、本年1月1日よりロシア領海でのサケ・マス流し網漁が全面禁止されたことにより完全に終焉を迎え、それが根室市経済にとって大きな打撃であり、人口減少に歯止めがかからなくなる恐れがあるとの危惧が切々と語られた。米澤壽重(隠岐の島町議)の報告は、竹島の韓国による実効支配の問題と同時に、日韓漁業協定により日本側に漁業権が確保されているはずの暫定水域での操業が韓国側の嫌がらせにより実質的に入れない状況にある現状について訴えた。同時に、領土問題・漁業問題については関連団体との情報共有と連携強化に努め、政府間交渉を後押しするだけでなく、地域として「生活者視点」での解決策を模索する。それと共に、漁業・林業・畜産業・観光業といった島の基幹産業がもつリソースを最大限活用してゆくという極めて前向きな開発のあり方が示されたのが印象的だった。小嶺長典(与那国町長寿福祉課)は、尖閣諸島から与那国島は最も距離的には近いこともあり、戦前・戦中は生活材であるクバを魚釣島に刈りに行くなどかかわりが深く、戦後は台湾に渡った先島の島民が率先して尖閣沖に出漁したが、本土復帰後は与那国島からの遊漁船すら近づけなくなり、与那国島民の間での尖閣をめぐる記憶の風化が憂慮されている現状について報告がなされた。これら3報告に対して、ファベネック・ヤン(北海道大学大学院文学研究科博士課程院生)がコメントした。ヤンは極東地域経済の専門家であり、過去に根室市役所でインターンとして働いた経験をもつ。ロシア領海での流し網漁の禁止は根室だけでなく同じ漁法を使っていたロシアの北千島の漁師にとっても大打撃であり、ここに対話の可能性が開けていることを指摘した。また、国境の街かどうかということにかかわりなく、自分の地域の特性を活かした町おこしをしてゆく必要性について強調した。
第二部は「日本のボーダーツーリズム:成果と展望」と題して6名が登壇した。北のボーダーツーリズムについては、中川善博(稚内市サハリン課)と岩下明裕(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター/UBRJユニットリーダー)が報告。中川は2015年に稚内で催行された3回の国境観光ツアーについて、訪ねる先の地域にある「物語」に出会い見つめることだと言い得て妙な表現でまとめ、国境を越えるツアーを組織することで、これまで旅の到着地であった稚内が「再び」経由地あるいは始発地となる経験をすることができたと述べた。岩下明裕は、国境を越えない道東ボーダーツーリズムの経験から、ジャズや野鳥など、北方領だけではない根室の魅力という旅人を魅了する仕掛けが必要だと指摘した。ボーダーツーリズムのパイオニアたる対馬/釜山については、平間壽郎(対馬市役所総合政策部)と花松泰倫(九州大学持続可能な社会のための決断科学センター)が報告した。平間によると、昨年だけで21万3千人の韓国人が対馬を観光で訪れており、比田勝港国際ターミナルの整備、ホテル建設、観光情報館のオープンなどインフラ整備が急ピッチで進められているとのことである。花松は、これまでの2回のモニターツアーの結果として国境を挟んだ観光のニーズは確実にあることが確認されており、これからはツアーのコンテンツにいかにストーリーを組み込んで提示できるかが鍵だと述べた。また、対馬を訪れる韓国人観光客が低所得層から中・高所得層に変化してきており、それに伴って観光客のマナーも向上している。今や、韓国人観光客に対する対馬側のマナーが問われる状況になっていると説明があった。まだ実現に至っていない八重山/台湾のボーダーツーリズムについては、岸本将希(竹富町役場企画財政課)と島田龍(九州経済調査協会)が報告した。岸本は、夏場に大型クルーズ船などでやってきて爆買いを繰り広げる台湾人観光客の現況と、八重山でのボーダーツーリズムの実現に伴う八重山観光の通年化への期待について語られた。島田報告では、ツアー実現に向けて試行錯誤したことから学んだ問題点と課題について、1)ツアー実施のための確保とビジネスとして成立するパッケージ化、2)一般旅行者に向けた情報発信の方法の検討、以上の必要性について指摘された。昨年仕掛けたモニターツアーは最少催行人員に達しなかったことから実現せず、本年に再チャレンジするとの由である。これらの報告に対して、久保実(五島市市長公室)がコメントした。久保は、国境地域には安全保障の最前線として、そして、ボーダーツーリズムのゲートウェイとしての2つの役割があると指摘し、だからこそ過疎化に苦しむ国境地域に人が住み続けることが重要なのだと述べた。
総括討論では、来年度のJIBSNセミナーのホスト役となる鶴田典之(小笠原村東京連絡事務所)が登壇しコメントをした。
セミナー前には納沙布岬北方館と国後島との通信施設跡の視察、セミナー後には標津・羅臼の巡検が組織された。バス車内では、松崎誉(根室市北方領土対策課)による領土問題と根室市のこれまでとこれからについて、鹿野こず恵(標津町総務課)からは過疎化が進む中でも前向きな若者誘致や産業振興の取り組みについて説明があり、非常に多くのことを学ばせていただいた。標津町では、歯舞群島多楽島出身の福澤英雄さんに、戦前に数年間暮らした多楽島での思い出と、ビザなし交流での現島民との友好関係について語っていただいた。「現島民のロシア人に悪い人はいない」と、北方領土が戻ってこない苦悩と葛藤しながらも、笑顔で仲良く北方領土のロシア人と20年にわたる友情関係を構築している姿に心を打たれた。
今回のセミナーで強く感じたことは、1)国境地域になってしまったこと、そして現在なおそうであることをめぐる「記憶」を紡いで後世に伝えてゆく必要性、そして、2)国境地域であることの利点、あるいは、それとは関係なくとも地域がもつ特性・リソースを最大限活用した前向きな街づくりの取り組みの必要性、この二点である。1)については、与那国町役場でインターンとして活躍する小池康仁氏が取り組んでおり、対馬市も博物館建設を計画している。視察で訪れた根室の北方館や、ビザなし交流の記録をアーカイブとして展示している二・ホ・ロの取り組みも参考になるだろう。2)については、各国境自治体の取り組みの良いところ、前向きなところを情報共有・意見交換し、お互いが刺激し合いながら参考にすべきところを参考にする場としてのJIBSNの可能性を再確認した。今後とも、国境問題をめぐる実務と研究の橋渡しの場としてJIBSNが機能してゆくことを切に望む次第である。
JIBSNセミナーでは、長谷川俊輔市長をはじめとする根室市役所の方々、福澤さんの講演会をセットしていただいた標津町役場の方々には一方ならぬお世話になった。根室市での懇親会での素晴らしいおもてなしとジャズ生演奏と合わせて、心から感謝したい。ありがとうございました。
(文責:地田 徹朗)