2016年10月21日(金)、北海道大学スラブユーラシア研究センター大会議室にて、慶應義塾大学商学部専任講師の宮本万里先生をお招きして標題のセミナーが開催されました。宮本先生は、2009年から2011年3月まで北海道大学スラブ研究センターに学術研究員として勤務され、主にグローバルCOEプログラム「境界研究の拠点形成:スラブ・ユーラシアと世界」で活躍をされました。今回のセミナーは宮本先生の凱旋講演と相成りました。
本報告は、「牛の屠(ほふ)り」という、一見するとボーダースタディーズとは関連がなさそうなテーマについて、南アジアのインドとブータンを対象に、屠られた牛がいかにして国境を越えるのか/越えないのかという点について、宗教・経済政策、牧畜民の営み、宗教実践など様々な要素を絡めながら論じたものでした。講演者の専攻である人類学という枠には留まらない、学際的な性質(それはボーダースタディーズの特徴でもあります)をもった報告でした。
インドでは、元々牛肉の輸出は非合法だったが、現実には人口のほとんどをムスリムが占めるバングラデシュに「密輸」されていた。モディ政権下でのヒンドゥー原理主義の影響で屠られた雌牛(「聖牛」とされる;ただし、雌牛の屠畜が合法なのは9州に過ぎない)の「密輸」に対する取り締まりが強化された。結果として、インド国内では、牛の屠りをめぐって不利な状況に置かれたムスリムやキリスト教徒とヒンドゥー教徒との間の対立が煽られ、また、インドからやって来る牛や牛肉に依存していたバングラデシュの関連産業が大打撃を受けるという状況に陥っている。他方で、統計上はインドは2014年以来、世界最大の牛肉輸出国という、一見すると不可解な状況が続いている。ここでいう「牛肉」とは屠畜・輸出禁止の影響を受けない「水牛の肉」であるという。このように、牛を屠るか屠らないかという問題が、インド国内での宗教間関係や国際経済の動向に大きな影響をおよぼしているという事例が紹介された。
ブータンは仏教国であり、畜種による屠畜の限定はない。しかし、仏教勢力が一定の影響力をもつ同国では、牧畜民による残虐にもみえる屠畜そのものが忌避されるようになり、放生の実践も行われるようになった。そして、同国での牛を含む家畜は南へ移動するようになり、最終的には国境を越えてインドを市場とするようになっている。そして、国内消費向けには輸入肉への依存度が高まるという現象が起きているという。
宗教・経済・生業・環境・国境・・・地域における人間の営みにかかわる現象を記述する場合、それにまつわる政策や実践だけでなく、政策の執行や、政策と実践との間の歪み、その解決方法など、複雑な要素の網の目をほどいてゆかねばならない。このような学際的な地域研究/境界研究の醍醐味を味あわせてくれる報告だったと思います。今回のセミナーは、久々に人類学を扱ったものであり、いつもの常連の方々だけでなく、農学研究科の大学院生など若手の参加が非常によく目立ちました。今後とも、境界をめぐる多様な研究成果をUBRJでは取り上げてゆきたいと思います。講師の宮本先生、ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。
(文責:地田 徹朗)