2017年7月13日(木)・14日(金)の二日間にわたり、スラブ・ユーラシア研究センターで夏期国際シンポジウムが開催されました。今回のシンポジウムの課題は、グローバル・レベルでも北東アジア地域においても益々プレゼンスが高まりつつある中国とロシアの関係を多面的に検討することでした。センター内外からの参加者は、二日間で延べ153名に上りました。本センターは、2016年度から始まった「人間文化研究機構(NIHU)北東アジア地域研究推進事業」の全国6拠点の一角を占めており、今回のシンポジウムは当該事業の一環として位置づけられます。国内の報告者はNIHU北大拠点および科学研究費「中露関係の新展開:『友好』レジーム形成の総合的研究」(代表:ディヴィッド・ウルフ)のメンバーが中心的役割を果たす一方、海外からの報告者はカナダ、中国、英国、ロシア、モンゴル、インド、メキシコ、ポーランドなど多様な地域から集まりました。
内容面では、本シンポジウムの目的と意義を提示するオープニング・セッション(「沖合に中国とロシアを眺めて」)に続き、テーマ別に5つのセッションが設けられ、最後に全体を総括するディスカッション・パネル(「中露関係再考」)を行うという構成でした。初日の第一セッションは「東を向くロシア・西へ進む中国:外交と安全保障政策」と題し、若手のロシア研究者と中国研究者が軍事ファクター、パワーバランス、非対称な依存関係の観点から中露関係の現状に関する報告を行いました。討論者からは、中露関係の本質がより複雑な依存関係にあるという指摘のほか、地域協力の深化のために何をなすべきかという視点が必要ではないかという問題提起がされました。第二セッション「地域大国と北東アジア地域:歴史と理論の観点から」では、冷戦期全体のインドの立ち位置に影響を与えたネルー政権期の北東アジアとの関係、ロシア革命の経験が中露境界地域での接触を通じて中国の発展に与えた影響、1950年代の北東アジア諸国の同盟形成の理論化という三つの報告を通じて、過去から現在へのインプリケーションが提示されました。また、第三セッション「ロシア極東と中国・ロシア国境地帯」では国家レベルの友好/対立に境界地域の接触がどのように左右されてきたか、あるいはされなかったかが議論されました。ここでは、現在のロシア極東地域開発における先進経済特区の意義、1960-70年代の中ソ間のイデオロギー・軍事対立が国境地域の接触に及ぼした変化、そしてユダヤ自治州、アムール州の主要輸出品である大豆の生産を事例に、中国との土地取引による相互依存の実態が論じられました。
二日目の第四セッション「競合と補完の狭間:中露関係のトランスナショナル・フロー」では、石油・ガス供給からみた北東アジアにおけるロシアの役割、貿易と直接投資の観点からロシア全体と極東(Pacific Russia)における中国の役割の比較、中国から見た中ロ経済関係の脆弱性、一帯一路の枠内でいかに両国の国益を追求できるか等の論点が 検討されました。第五セッション「中露関係の遠近法:モンゴル・インド・メキシコから」ではタイトルにある三つの国の研究者がそれぞれの視点で中ロ関係について議論しました。
最後のディスカッション・パネルでは、シンポジウムのタイトルである北東アジアの「断層線」について、中露間にあるのではなく日本海にあるのではないかという問題提起がなされるなど、北東アジア地域の捉え方について率直な議論が交わされました。
本シンポジウムでは、歴史と現在、国家間関係と国境地域の接触、人とモノの移動、当事者の視点、近い地域、遠い地域からの視点など、多様な観点から中露関係を検討し、その動向が北東アジアに及ぼす意義について活発な議論が行われました。また、もう一つの重要な試みが世代を超えて「歴史」と「現代」を考察するということでした。中露関係研究の第一世代、第二世代、第三世代が一堂に会して議論を交わしたことも、研究史の理解を深め、さらに発展させていく上で大きな意義があったと思います。
(文責:加藤美保子)