スラブ研究センターニュース 季刊 2008 年夏号 No.114 index
3 月の英語キャンプに続くITP 事業の第2 弾として、若手研究者を全国から招聘して、5 月 31日から6月1日にかけて英語論文執筆講習会がおこなわれました。その時間割は次の通りです。
このうち、英文執筆講習会“For Clarity and Grace” は、北大の元・現教員であるアンソニー・ バックハウス教授とポール・ステイプルトン教授を講師とし、受講者自身が書いた論文を素 材として英語作文法と文体論を学ぶものでした。このため受講者には未校閲の原稿の事前提 出が求められ、また個別指導にできるだけ近づけるために、授業は2 グループに分かれてお こなわれました。
実際の論文執筆と投稿の技術を学ぶ講習“How to Get Published?” は2 部に別れ、初日は、 欧米への雑誌への投稿経験が相対的に多い松里、および若手から久保慶一、安達祐子両氏が 報告者となり、投稿成功談、失敗談を自分の体験に基づいて語りました。
講習会のクライマックスは“How to Get Published?” の2 日目で、Slavic Review の前編集 長(1995-2005)ダイアン・P・コーエンカー・イリノイ大学教授(彼女への松里の敬愛の念 については、センター・ニュース2005 年冬号のエッセイ参照http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/jp/news/100/news100-essay4.html)、Europe-Asia Studies 編集長のテリー・コックス・グラスゴー 大学教授を講師として、日本からこうした欧米一流査読誌への投稿・掲載を抜本的に増やす ための方策を検討しました。
両教授の講演は非常に対照的で、コーエンカー教授は、Slavic Review の経験に基づきつつも、 学術論文とはいかにあるべきかのついての自説を縦横に展開したもので、「書く」ということ に対する姿勢が英語圏ではこれほど厳しいのかということを改めて思い知らされました。こ れに対し、Europe-Asia Studies は、冷戦終了後の学術のグローバル化を推進し、特に旧共産圏 やアジアのスラブ研究者の業績を国際化する上で手柄が大きかった雑誌です。この雑誌なし には、政治学に例をとればウラジーミル・ゲリマン、グリゴーリー・ゴロソフなどがこんに ちほど知られていることはありえなかったし、日本では私、雲和広氏、大串敦氏などが恩恵 を受けています。今回も、コックス教授が日本からの投稿をますます増やす狙いで来日した のは鮮明であり、あくまでEurope-Asia Studies の編集経験に基づいたフレンドリーな講演で した。たとえば、コーエンカー先生は、Slavic Review は若手研究者には書評を頼まないとおっ しゃるのに、コックス教授は、書評は大学院生が一流ジャーナルに載る好適な入り口である と呼びかけるなどです。私は、コーエンカー先生と同じく、幅広い知識を要する書評はむし ろ年配の研究者向けの仕事であると考えているので、Europe-Asia Studies の呼びかけはちょっ と意外でした。
ところでEurope-Asia Studies は、スラブ研究以外も含む地域研究系の雑誌の中で9 番目 の「インパクト」を誇りながら、他方ではその原稿採択率(掲載数を投稿数で割った%)は 50%、つまり一流誌としては例外的な高さです。コックス教授がこれを紹介すると、若手研 究者の多くが心を動かされたようでした。ちなみに、Slavic Review の採択率は4 分の1、Acta Slavica Iaponica でさえ3 分の1 です。つまり、採択率だけを見れば、Acta Slavica Iaponica よ りもEurope-Asia Studies に通す方が易しいのです。もちろんそんなことはありえませんから、 弱い執筆者がはじめから投稿しないようにdiscourage する何か秘訣があるのだろうと私は質 問したのですが、コックス教授は教えてくれませんでした。
こうした講演を受けた討論も、「英語力の不足はどの程度不利な要因になるのか」「日本人 の投稿から学術文化の違いは感じられるか」「採択率の季節変動はあるか(!?)」といった、 日本人が欧米の雑誌に投稿するに際して直面する主体的な問題を講師にぶつけるもので、日 本の若手研究者の静かな闘志が感じられました。その後、居酒屋に場所を移して歓談となり ましたが、日曜日の夜であったため居酒屋も鷹揚で時間制限がなく、ほとんど深夜まで受講 者は講師を放しませんでした。その後、私はコックス教授とグラスゴーで会いましたが、日 本の若手研究者からは非常に良い印象を受けたようです。私は、過密スケジュールで来日し ながら若手と深夜まで付き合う一流誌編集者に、やはり雑誌の編集は無限の体力と好奇心が なければ務まらぬと感心した次第です。
こののちコックス、コーエンカー両教授は、青島陽子研究員のつきそいで京都大学での企 画へと転戦しました。このセミナーは、京都大学大学院人間・環境学研究科の三谷惠子教授 のご尽力で実現したもので、同研究科、京都大学地域研究統合情報センター、スラブ研究セ ンターの共催で、6 月4 日、「海学学術ジャーナルに掲載される英語論文を書くには?:問題 の所在と対策」と題しておこなわれました。両教授に加え、人間・環境学研究科で英語教育 に携わる藤田糸子先生にもご参加いただき、スラブ研究に限定することなく人文社会系学問 一般の問題として語っていただきました。参加者は想定されていた30 名をはるかに超え80 名に達し、このようなセミナーを待ち望んでいたのは若手スラブ研究者だけではないことを 示しました。
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論文集には、共通したコンセプトで結ばれた作品を並べることができるという長所があ り、査読雑誌には、あれこれのテーマとの近接性にかかわらず、原稿そのものの優劣で掲 載・不掲載が決まるという長所があります。しかしデジタル・ベースの時代には、この競争 には歴史的決着がついたというのがコーエンカー先生の自論です。たしかに、こんにちほと んどの研究者は、カードでではなくネットで先行研究を検索し、電子ジャーナルから論文を ダウンロードするのではないでしょうか。本号掲載のエッセイではエレガントに書いていま すが、コーエンカー先生は歯に衣着せぬ人で、「論文集なんて、査読されたり落とされたり するのが嫌いな年配の研究者のために残っているに過ぎないのよ」と言っていました。彼女 自身、Slavic Review の編集という激務をこなしながら、American Historical Review やPast and Present といったさらにプレステージの高い雑誌に投稿して通してきたわけですから、これは 見上げたものです。
論文集が没落し、査読雑誌がもてはやされるのは、こんにちの評価システムにも原因があ ります。つまり、雑誌論文は、論文集論文よりもずっと「インパクト」が大きくなるのです。 ICCEES の世界大会に提出されたペーパーをもとにした論文集は、論文集の中では最もプレ ステージが高いものに属します。にもかかわらず、2005 年のベルリン大会については、2006 年のICCEES 執行委員会の時点でも若い研究者の投稿がほとんどなく、執行委員は頭を抱え ました。就職やテニュア獲得を目指す若い研究者は、より評価の高い査読雑誌に載せること を志向するのです。ベルリン大会については、その後状況は改善しましたが、これに懲りた 執行委員会は、2010 年のストックホルム大会については雑誌と早めに交渉して、論文集では なく雑誌の特集号を出してもらう方針です。
コンフェレンス・ペーパーを、手間がかかるわりには評価が低い論文集ではなく、査読雑 誌の特集号として公刊しようというのは、前述の「歴史的決着」後のトレンドです。センター でも、来年3 月に予定される環黒海跨境政治をテーマとする国際シンポジウムのペーパーは、 ワシントンDC のDemokratizatsiya 誌と交渉して、特集号を出してもらうことにしました。従 来は特集号をあまり組まなかったEurope-Asia Studies も、今後は特集号を出そうということで、 コックス教授がアイデアを寄せるよう呼びかけていました。センターの国際シンポは最適の リソースになるでしょう。
しかし、査読雑誌が特集号を頻発するようになると、「テーマに関わりなく作品の優劣で掲 載を決める」という査読雑誌本来の利点が失われてしまいます。論文集のプレステージが下 がったため、査読雑誌が論文集的な機能を代行し始めたのです。すると、論文集論文的な水 準のものを書いておいて、スコアだけは査読雑誌のスコアを稼ぐというズルも横行するよう になります。研究者と評価者の間のいたちごっこにはきりがありません。特集号の乱発は、 ただでさえ長い雑誌の行列をますます長くします。最近私は環黒海の正教外交について論文 を書き、幸い、Religion, State & Society 誌に採択されたのですが、1 年以上待たなければなら ないといわれました。今年の第3 号、第4 号はすでに満載で、来年の1、2号はあるテーマ の合併特集号になることが決まっているからです。
査読雑誌には、Slavic Review のように一人の権威ある編集者が全号の内容に責任を負う独 占型と、何人かの編集者がローテーションを組んで、それぞれが分担する号を決める型があ ります。その号については担当者の独裁ですが、雑誌全体としては競争的寡頭制が成立する わけです。Demokratizatsiya のように、複数の編集者の間で意見の相違や競争が起こるように そもそも意図されている場合もありますし(確信犯的競争的寡頭制)、Europe-Asia Studies の ように、結果的にそうなっている場合もあります。競争的寡頭制は、当落線上にある原稿に 有利です。ある編集者(号)が受け入れなかった原稿を、別の編集者(号)が救済すること もありうるからです。これは、採否決定の多元性だけではなく透明性という観点からも望ま しいことです。私見に過ぎませんが、もしActa Slavica Iaponica を年複数回刊行する財政的ゆ とりが生まれたら(投稿数は、すでに年刊では到底収まりきれなくなっています)、競争的寡 頭制を採用したらいいと思います。
こんにち、Taylor & Francis やSage といった大手出版社が、まるで金太郎飴のように、あ りとあらゆる学術雑誌を出版しています。学術出版の寡占化の結果、雑誌の編集方針への出 版社側の意向がますます強く出るようになっています。たとえば、ほんの10 年足らずの間に、 Europe-Asia Studies は年6 刊から10 刊へと刊行数が急増しましたが、これはTaylor & Francis の意向だそうです。その結果、雑誌の水準が若干下がったことは、本来の編集主体であるグ ラスゴーの研究所にとっては由々しき事態ですが、「石」が増えたからといって「玉」の絶対 数が減ったわけではなく、商業的にも不利益はありません。私も、Religion, State & Society に 投稿して1 年待たされるとわかっていたら、すぐに出してくれるEurope-Asia Studies に投稿 していたでしょう。こうして雑誌の寡占化も進むのです。
Acta Slavica Iaponica も、どこか大手出版社と提携して出版することができれば、商品化す ることができ、「インパクト」も生まれるでしょう。しかし、その際は、英語のみの雑誌にな ることが当然要求されるでしょうし、何らかの形で自己差別化が求められるでしょう。つま り、あらゆる原稿を平等に受け付けることはできなくなるのです。これはおそらく、センター にとって受け入れられる条件ではないと思います。