日本のロシア研究はどこへ行くのか?−東大シンポジウム傍聴記 

東京大学でシンポジウム「ロシアはどこへ行く?」が開催されたことは、望月研究員の記事に紹介された通りであるが、極めて興味深い催しだったので、内容をより詳しく読者にお伝え すると共に、そこで触発された私の考えを述べることにしたい。

一日目午前の歴史セッションでは、まずルスラン・スクルィンニコフ氏が、イヴァン雷帝の テロル・征服活動とその後の農奴制成立を、国が貴族に土地を保証するかわりに貴族が国に仕 える、という社会契約的ユートピアの破綻から説明する報告をした。次にエヴゲーニー・アニ シモフ氏が、ピョートル大帝の改革が、臣民をあくまで国の奴隷として扱うもので、工業化に かかわらず第三身分が生まれなかったことを強調した。和田春樹氏(東大)は、これまで研究 の不十分だった戦後スターリン期のテロルを、東アジアをめぐるアメリカとの緊張と関係させ て論じた。ソ連国内のユダヤ人弾圧から北京での伊藤律の査問までを同列に並べるのにやや強 引さも感じられたが、常に新鮮なテーゼを発表し続ける和田氏に敬意を表したい。

午後の政治・社会セッションでは、ヴィクトル・シェイニス氏が、現在のロシアで形成中の 諸政治潮流について解説した。イーゴリ・クリャムキン氏は、集団主義などのロシア的メンタ リティはソビエト期に崩され、現在の人々は私的な幸福を求めていると述べた。氏はかつて改 革のためには権威主義的な「鉄の手」が必要だと唱えたことで有名だが、今回の報告ではむし ろ、ある程度の民主主義が定着した現在の体制を守るべきだと強調したのが印象的だった。タ チヤーナ・クトコヴェツ氏は、世論調査の結果をもとに、自由と私有財産はロシア人にとって 大切な価値になっており、ロシア人は西側(西欧)的になったことを自覚していない西側(西 欧)人である、と述べた。塩川伸明氏(東大)は、ロシア・ソ連の帝国としての特殊性を強調 し、ソ連の中でロシア人はむしろ不利な立場に置かれていたというロシア民族主義者の主張を 紹介した。民族主義者の主張と塩川氏自身の分析の境界にやや不鮮明な部分があり(氏がロシ ア民族主義者でないことを私は承知しているが)、ロシア人が本当にそんなにも差別されていた のだ、と聴衆が思わないかどうか不安が残った。

夕方の民族問題セッションでは、中井和夫氏(東大)が、ロシアによるウクライナ文化の抑 圧の歴史を告発し、帝国支配を拒否したウクライナ国民を讃えた。ウクライナ民族主義の側に 問題はないのか、ロシアに必要だという「健全で世俗的な民族意識」、「等身大のロシア」とは 何なのか、疑問が感じられた。浦雅春氏(東大)は、文学を論じることが民族問題を考えるこ とにつながることもあるのではないか、という極めて正当な提言で話を始めたが、結局ファジ リ・イスカンデルの小説中のアブハジアの世界をエキゾティックに理想化するにとどまった。 続いて登場したイスカンデル氏本人の話も、民族問題と特に関係はなかった。アフマートヴァ 的な「家の文学」とツヴェターエヴァ的な「家なし文学」の対比など、氏の創作理念につなが る話はおもしろかったが。文学関係のセッションに出てもらうべき浦氏とイスカンデル氏に、 民族問題を語らせるという企画自体に無理があったと言えよう。

二日目午前の芸術・文化セッション(キリル・ラズローゴフ氏、東大の蓮實重彦、桑野隆両 氏が報告)は、私は重点領域の班研究会で自分の報告があったため、残念ながら聴けなかった。

午後の文学セッションでは、沼野充義氏(東大)が、ペレストロイカ期の文学は文学的に新 しかったわけではなく、むしろその後になって「ハイパーモラリズム」からの解放が進み、現 在はかつてなく多様な作品が発表され、「ポスト・ユートピアニズム」を感じさせる、と述べ た。キャサリン・タイマー・ニェポムニャシチー氏(コロンビア大)は、最近の推理小説を分 析して、登場人物に資本主義や汚職に対するロシア人の恐れが反映されており、1920〜30年 代のイギリスの推理小説のような、理性の勝利というモチーフがない、と指摘した。アレクサ ンドル・ゲニス氏は、ペレーヴィンの作品を中心に、ソビエト社会の集合的無意識を相対化す る新しい文学の役割を論じた。

最後のラウンドテーブル「ロシアはどこへ行く?」は、司会の和田氏が提示した、「ロシアは どこへ行くのか」、「ロシアは何によって世界に貢献できるのか」という問に外国人ゲスト全員 と堤清二(セゾン)、川端香男里(中部大)両氏が答える形で進められた。和田氏の第一の問に ついては、シェイニス氏が「市場経済、市民社会、西欧文明的規準という世界のヴェクトルに 従わねばロシアの発展はありえない」と述べたのに対し、ラズローゴフ氏が「ロシア特別の道 も世界共通の道もどちらもない」と指摘したが、「特別の道」を強調する意見は外国人ゲストか らは出なかった。第二の問に対しては、ゲストたちは「ロシアが世界に教えることは何もない」、 「教えられるのは極限状態でも生き延びられるということだ」、「問の立て方自体がおかしい」な どと答えた(和田氏は、問の捉え方に誤解がある、と反論したが)。メシアニズム的な言説でロ シアの知識層が全体として熱狂してしまうようなことは現在ないと感じられた。最高権力者た ちが犯罪・不正との闘いをスローガンにして国民をまとめるべきだ、とイスカンデル氏がある 種の素朴な意見を述べたのに対し、クリャムキン氏が、そのような発想が独裁につながる危険 を指摘したのも健全なことであった。

全体として今回のシンポジウムの報告・討論は、実に様々なことを考えさせる、刺激に満ち たものであった。ここでは紹介しなかったが、民族問題以外の各セッションに付せられた討論 者のコメントも、それぞれ的確だった。問題があったとすれば、話があまりにもロシアのこと に偏りすぎ、他の地域との比較・関連づけの視点が一部の報告以外なかったことである(南東 欧や、旧ソ連のムスリム地域を専攻する東大の先生方が参加されなかったのは、事情は分から ないが、残念であった)。このことが、「ロシアはどこへ行くのか」という問いかけがとらえど ころのないものになってしまった一因であろう。これは今回に限った問題ではない。ロシア以 外のことが視界に入らないか、あるいはいきなり日本や西欧と結びつけたり、世界の問題に普 遍化させたりして、ロシアと隣接する諸地域に十分な関心を持たれない傾向が、日本のロシア 研究には見られる。

それでもペレストロイカの頃は、ソ連はロシアと同一ではない多民族国家なのだ、という認 識が広がりかけたが、ソ連が崩壊すると、もうロシア以外のことはやらなくていいのだ、とい う安堵感が漂い、それまで「ソ連」を名称やプログラムに入れていた組織の多くは、「ロシア」 に看板を掛け替えてしまった(欧米では「ポスト・ソビエト」や「ユーラシア」が普通に使わ れているのに)。若い世代もあまり変わらない。たとえば、中央アジア研究を志す人は最近どん どん増えているが、その多くは東洋史・アジア研究の基礎訓練を受けた人々である。ロシア研 究出身の人たちもいないわけではないが、中央アジア諸語や伝統文化への関心が薄い傾向にあ る。このような体質はどうすれば克服できるのだろうか。改善の兆しはあちこちにあるけれど も……。

……などとあれこれ考えさせられたのも、シンポジウムの知的に高揚した雰囲気のおかげに ほかならない。この東大では初めての試みを成功させた先生方、通訳など関係者の皆さんに、 大きな拍手を送りたい。高齢の方もいる外国人ゲスト(多くの人の滞在は一週間近くにわたっ た)の付き添いと、会場での受付などの雑務全般を引き受けていた大学院生諸氏の献身的な活 躍も顕著だった。ただ、彼らがシンポジウムの間も、あるいは仕事や打ち合わせに追われ、あ るいは疲れて休息して、報告・討論をあまり聴いていなかったのは、本末転倒ではなかったろ うか。上から仕事を強制されたわけではないようなので、誰が悪いという問題ではないのだが。 将来の学界を担っていくべき彼らの疲れた顔を見ながら、日本のロシア研究はどうなるのだろ う、と再び考えた。もっとも、これについては心配していても仕方があるまい。お互い頑張ろ うよ、と私は心の中で声をかけた。[宇山]


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