スラブ研究センターニュース 季刊 2002 年秋号 No. 91

 

研究の最前線

◆ 2002 年度夏期国際シンポジウム ◆
「スラブ・ユーラシアにおける国民史の構築と脱構築」開催される

セッション 1 のようす

7 月 10 日から 13 日にかけて、スラブ研究センター夏期国際シンポジウム「スラブ・ユーラシアにおける国民史の構築と脱構築」が、センター大会議室などを会場に開催されました。 このシンポジウムは文部科学省の国際シンポジウム開催経費によるもので、学術振興会科学研究費補助金基盤研究 A 「東欧・中央ユーラシアの近代とネイション」 (代表: 林忠行) と国立民族博物館地域研究企画交流センターとスラブ研究センターの連携研究「スラブ・ユーラシアにおける国家とエスニシティ」 (代表: 井上紘一、帯谷知可) のふたつの研究グループが組織運営を担当しました。

このシンポジウムは、1) 最近のスラブ・ユーラシア (旧ソ連・東欧地域) における「国民史叙述」の動向、2) 「国民史叙述」という営みの批判的検討、3) 「国民 / 民族意識形成史」についての新しい視角からの研究を主要なテーマとしていました。

この 10 年余の時期にスラブ・ユーラシアでは共産党体制の崩壊にともなう政治経済変動を経験し、それと連動してこの地域を構成していた 3 つの連邦国家—ソ連、ユーゴスラヴィア、チェコスロヴァキア—が崩壊しました。 その結果、この地域では新たに国家と国民の形成が課題となり、またそれにともなう多くの悲惨な内戦も経験しました。 こうした過程の中で、いわば「国民形成」の重要な一部として各国で新しい「国民史」叙述の試みがなされています。

それと同時に、1970 年代からのナショナリズム研究の成果をふまえて、構築主義的な視角から「国民史」叙述という営みそのものを批判的に再検討しようとする潮流も現れています。 さらに、そうした理論研究を意識しながら近代におけるそれぞれの地域での国民/民族意識形成の過程を、新たに使用可能となった資料などに依拠しながら検討を進めようとする研究も現れています。 今回のシンポジウムはこのような研究動向をふまえて、スラブ・ユーラシアでの「国民史叙述」をめぐる問題と、この地域のさまざまな国民/民族意識形成研究の新しい試みを主要テーマとしました。

また、このシンポジウムでは政治史や社会史という分野だけでなく、文学史や美術史という 分野にも視野を広げるという試みもおこないました。 「国民史」叙述や「国民/民族意識形成」という問題は文学、美術、音楽などさまざまな芸術運動とかかわり、またそこでは記号論的な検討も必要だからです。 ディシプリンをこえた研究と議論が容易ではないということは改めて感じましたが、そうした学際研究の可能性のひとつは示すことができたように思えます。

報告者は、ロシアから 3 名、米国、ブルガリアから各 2 名、チェコ、オーストリアから各 1 名に、日本人が 4 名という構成で、さらに討論者として 11 名の日本人と、1 名の米国人が参加しました。 また、学内外から外国人を含む 100 名ほどの一般の参加者があり、報告を熱心に聞くと同時に、その後の討論にも活発に加わっていました。

歴史の方法論を強く意識したシンポジウムというのは、センターではこれまでに経験がなく、報告と討論ともに刺激的なものでありました。 また、外国人参加者たちもおおむねシンポジウム開催の趣旨に共感を示してくれて、議論を盛り上げてくれました。 しかし、同時に主催者側にも参加者側にも消化不良の部分があったことも否定できません。 そうした問題を含めて、こうした試みはこれからのスラブ研究センターの研究の方向を考える上でも意義のあるものであったと考えます。 [林]

◆ 2002 年度冬期シンポジウムの予告 ◆

今年度の冬期シンポジウムは、「20 世紀初頭のロシア・東アジア・日本: 日露戦争の再検討」と題して、2003 年 1 月 29 日~ 2 月 1 日に開催されます。 2003 年は日露戦争の百周年に少し足りませんが、戦争の勃発 (1904 年 2 月) と終結 (1905 年 9 月) から近く 1 世紀を迎える機会に、現代の観点から 20 世紀初頭の日露双方における戦争の国際的、国内的諸要因を再検討するとともに、両交戦国のみならず、争奪の対象となった東アジア諸国を含む世界の諸地域にもたらされたその影響、日露戦争の世界史的意義を学際的、多角的に検証することが今回のシンポジウムの目的です。 シンポジウムの日程は、1 月 29 日 (水) 午後 3 時頃からの基調講演をもって開始、30 日 (木) と 31 日 (金) に主要なセッションを集め、2 月 1 日 (土) には関連の研究会等をおこなう予定です。 また、次の報告者を外国から招へいすることが確定しています (敬称略、順不同)。

David Schimmelpennink van der Oye (Brock University, Canada)
David Wolff (Woodrow Wilson Center, USA)
John W. Steinberg (Georgia Southern University, USA)
Geoffrey Jukes (Australian National University, Australia)
I.V. Lukoianov (SPb Branch of Russian History Institute, Russia)
D.B. Pavlov (Moscow City Association of Archives, Russia)
A. Kostanov (Administration of Sakhalin Region, Archival Affairs Department, Russia)
A.V. Remnev (Omsk State University, Russia)

国内からのすでに確定している報告者、現在交渉中の報告者、さらに上記以外の外国からの報告者を含め、プログラムが固まりしだい新しい情報をホームページに掲載します。 ご関心をお持ちの方々が多数ご参加下さることをお待ちしております。 何かご質問などがありましたら、シンポジウムの組織担当者 (原・岩下) までご連絡下さい。 [原]

◆ 2003 年度外国人研究員の紹介 ◆

2003 年度の長期外国人研究員の正候補 3 名が以下のように決まりました。

A. ボブロフ (Bobrov, Alexandre G.) (ロシア科学アカデミー・ロシア文学研究所 / サンクトペテルブルク、ロシア)
研究テーマ: イーゴリ軍記の信憑性の問題について
滞在期間: 2003 年 6 月 15 日~ 2004 年 3 月 16 日

N. スウェイン (Swain, Nigel J.) (リヴァプール大学・歴史学部 / 英国)
研究テーマ: 中東欧における農村の転換
滞在期間: 2003 年 6 月 1 日~ 2004 年 3 月 31 日

A. ズナメンスキー (Znamenski, Andrei A.) (アメリカ合衆国議会図書館客員研究員 / アメリカ合衆国)
研究テーマ: シベリアのシャーマニズム: ロシアにおける原住民精神世界の受容
滞在期間: 2003 年 6 月 1 日~ 2004 年 3 月 31 日

以上の 3 名は、計 59 名の応募者の中から選ばれました。

なお、センターでは、2004 年度の長期外国人研究員についても、次の要領で公募を始めます。

滞在期間: 2004 年 6 月 1 日から 2005 年 3 月 31 日までの間の 9 ヵ月から 10 ヵ月の期間
応募締切: 2003 年 3 月 31 日

応募要領・応募用紙は、センターのホームページからダウンロードできます。 また、ご希望 の方には郵送もいたします。 [山村]

◆ センター訪問者 ◆

P. ヴェクスラー (Paul Wexler) 氏 (テル・アヴィヴ大学 / イスラエル) が 2002 年 11 月 1 日~ 12 月 15 日の間、シェヴェロフ・コレクションなどの資料を利用して「スラブ語圏におけるイーディッシュの研究」をおこなうためにセンターに滞在する予定です。 [望月]

◆ 専任研究員セミナー ◆

センターでは、今年度も外部からの討論者を軸として、事前に提出されたペーパーを専任研究員全員がコメントするという形式でセミナーを開催しています。 なお、前号の専任研究員セミナー紹介で、宇山氏の発表が漏れていましたのでここにお詫びかたがた紹介します。

2 月 26 日 宇山智彦 「中央アジア草原英雄・知識人列伝: 18~19 世紀の国際関係と文化」
討論者: 小松久男 (東京大)
5 月 14 日 松里公孝 “Critical Moments in Authoritarian Transformation: Diversification of the Mid-Volga National Republics”
討論者: 川島真 (北大)
9 月 26 日 井上紘一 “A Century of Uilta (Orok) Reindeer Husbandry on the Island of Sakhalin”
討論者: 佐々木史郎 (国立民族学博物館)

2002 年度に入ってからは松里公孝氏と井上紘一氏の 2 本の発表がありました。 専任研究員は年 1 回、オリジナリティのある研究成果を報告することになっていますが、このところ報告が年度末に集中する傾向になっています。 教官が大学院教育、管理業務により多くの時間を使わざるを得ないような環境になり、研究に専念できなくなっている現れでしょうか。 松里氏は近年、地域研究に精力的に取り組んでいますが、今回の報告はヴォルガ・ウラル地域の研究の総括的な意味をもつ報告でした。 この先、氏がどのように研究を展開していくのか興味深いところです。

井上紘一氏は長年の研究テーマのひとつであるウィルタのトナカイ飼育の 100 年をレビューしました。 サハリンにおける開発と生業の関係を考える上で示唆に富んだ報告であったと思います。 [村上]

◆ 研究会活動 ◆

ニュース 90 号以降の北海道スラブ研究会およびセンター研究会の活動は以下の通りです。 [大須賀]

9 月 12 日 ロシア作家ヴィクトル・エロフェーエフ氏との懇談会 「現代ロシアの文化状況と文学の諸問題 (露語使用)」 (センター研究会)
9 月 24 日 V. コテルニコフ (ロシア科学アカデミーロシア文学研究所 / センター外国人研究員) 「ロシア政治と文学における『東方問題』: 歴史的現実とロシアの世界イメージ (露語使用)」 (センター研究会)
10 月 16 日 陳映芳 (華東師範大学法政学院 / 中国) 「上海のロシア研究 / 中露比較社会学 (日本語使用)」 (センター研究会)
10 月 17 日 D. ウルフ (ウッドロウ・ウイルソン・センター / 米国 / センター外国人研究員) 「機関の目で見たバルト諸国現代史と EU 東方拡大 (日本語使用)」 (センター研究会)
11 月 5 日 D. レイン (ケンブリッジ大 / 英国) “What Type of Capitalism for Russia?” (センター研究会)
11 月 6 日 C. レイン (ケンブリッジ大 / 英国) “Varieties of Capitalism in Europe: Changing Forms of Corporate Governance in Britain, France and Germany” (北大経済学研究科国際分析研究会・スラブ研究センター共催研究会)

学 界 短 信

◆ 中欧と日本との間の新知的対話 (第 5 回) ◆

木村汎 (北大名誉教授)

表記の名称で続けられてきた国際会議の第 5 回会合が 2002 年 9 月 12–14 日、ザグレブ (クロアチアの首都) で開催された。 因みに、同シリーズの会議は、これまで次の場所と日時に開かれた。ブダペスト—1996 年、クラコウ—1998 年、プラハ—2000 年、ウィーン—2001 年。

今回の会議の副題は、「移行期の南東欧諸国: グローバリゼーション、統合化、断片化のプロセス」。 使用言語は英語。 丸 2 日間にわたり、午前 9 時から午後 6 時半までみっちりおこなわれた。 経済的支援は、国際交流基金、その他。 クロアチア側のカウンターパートは、ザグレブ大学経済学部。 日本からの参加者は、田中義具 (ラジオプレス社長) 佐藤経明 (横浜市大名誉教授)、伊東孝之 (早稲田大)、林忠行 (北大スラブ研)、盛田常夫 (在ブダペスト)、鈴木康雄 (自治医大)、月村太郎 (神戸大)、定形衛 (名古屋大)、六鹿茂夫 (静岡大)、石田信一 (跡見学園女子大)、木村汎 (北大名誉教授) の 11 名。 これまでの 4 回の会議に比べての今回の会議の特色は、以下のとおり。 ① 共催国の研究者ばかりでなく、諸外国 (スロベニア、セルビア、モンテネグロ、アルバニア、オーストリア、米、英、豪など) からの参加者が多かったこと。 ② 参加者が多数だったので、計 8 セッションのうち半分の 4 セッションを政治部門、経済部門の 2 部構成に分けて、専門家同士の突っ込んだ議論をおこなったこと。 ③ 大学や研究所に奉職する者ばかりでなく、かって蔵相を務めた政治家などの大物が参加したこと。 ④ 出席者 (とくにクロアチア側) の英語が実に流暢で、語学の練達の士を集めた日本側にとって、相手に不足がなかったこと。 ⑤ 本シリーズを開始した 1990 年代末に支配的だった EU への加盟が東・中・南欧諸国にとり panacea (万能薬) との幻想が崩れ、加盟の可能性や損得計算を冷静にみすえた現実的な議論が展開されたこと。

会議に自ら参加するばかりでなく、公邸でのレセプションを催すなど陰に陽に支援してくださった在クロアチア日本大使館の今西正次郎大使ならびに亀田和明参事官 (北大法卒) に深謝する。

◆ ハンガリー社会史学会 ◆

家田修 (センター)

ハンガリーの体制転換の中で気鋭の歴史家達が自主的に組織した学会であるハイナル・イシュトヴァン協会の年次大会が 8 月 30–31 日の二日間にわたり、ウクライナ国境に近い町、ニーレジハーザで開催された。 筆者はこの学会の創設以来の会員であるが、10 年ほど前に報告したきり、なかなか参加する機会がなかった。 しかし今回は、今年度から始まった科研費研究「東欧の地域社会形成と拡大 EU の相互的影響に関する研究」に関する現地調査で同国に滞在中という幸運に恵まれ、初日だけだったが、久しぶりにハンガリーの若手歴史家達を中心とした熱い議論の輪に加わることができた。

この学会は社会主義時代に主流を占めていた政治史ないし経済史中心の歴史学に対して、社会史を正面に掲げ、若手研究者を中心にハンガリーの新しい歴史研究のうねりを作り上げてきた。 中心的存在はブダペスト大学 (正式にはエトヴェシュ・ローラーンド大学) 経済社会史学科所属の V. ヴァーチカイ、G. ケヴェールの両氏であり、現在はケヴェール氏が会長の任にも当たっている。

今年の大会共通論題は「生活史的言説として見た性的アイデンティティの経験」であり、 Z. トート (M) 「『男達よ、歴史を作りなさい』: 歴史主義における男の役割」、 G. ケヴェール (M) 「平時における独身男性問題: フレイシュテットレル・イエネーのメモアールから」、 E. ビチカイ (F) 「ある夫婦の歴史: セーケイ・ベルタランに見る私生活上の出来事とその普遍性」、 K. ボゾー (F) 「センテシュ市の写真館で撮影された肖像に見る女性像ないし女性的な像: 初期カーダール時代におけるイメージの職人的形成」、 G. マイテーニ (M) 「革命における女性の役割」、 E.Z. トート (F) 「ドアをノックすれば、入れてくれますか: ある少女の歴史」、 B. ユハース (F) 「多様な移住: EU 諸国に住むハンガリー女性群像」、 以上 7 本の報告が用意された。 報告者の後に付した M と F は性別であり、概して女性は女性を男性は男性を論じた。

ジェンダーはこの学会が得意とする分野の一つであり、今回は中心テーマにまでなったが、ジェンダー論一般が共通論題を通して語られた訳ではない。 それでも現代、現状のジェンダーを扱った報告が少なくなく、社会学的なジェンダー分析とジェンダーの社会史的分析の境界は払拭されていた。 実際、社会学者も参加しているとのことだったので、共通論題ではあえて史的分析にこだわらなかったのかもしれない。 ともあれジェンダーを論ずる際に女性だけでなく、男性の性も積極的に取り上げたのは正当なことであり、このテーマで報告もおこなったケヴェール氏の意図をそこに感じることができた。

ところで学会の長老的存在となっているヴァーチカイ女史は近世都市史の専門家としてすでに社会主義時代に地位を築いた歴史家であり、この会の初代会長を務めたが、その経歴は複雑である。 つまり彼女の夫 G. ターンチョシュはペテーフィ・サークルの幹事として 1956 年事件では、動乱の渦中にあった。 事件後、彼は I. ナジと行動を共にし、15 年の有罪判決を受けた。 この間、ヴァーチカイ女史も妻として夫に付き従い、ユーゴ大使館籠城、ソ連軍による拉致、ルーマニアでの抑留、そして「ナジとその一味」裁判という想像を絶する修羅の場をくぐり抜けてきた。 ターンチョシュは刑期半ばで恩赦により釈放されたが、先行きを悲観して、結局、自殺という選択肢を選んでしまった。 56 年事件直前に結婚した二人にとって事件と長年にわたる刑期は通常の意味での結婚生活を破壊し、やっと夫婦二人の生活が許されたとき、夫の精神はすでに病んでいた。

『亡命権—1956 年』1989 年刊

筆者は 10 年ほど前、ハンガリー科学アカデミー東欧研究センターの研究員としてブダペストに滞在していたが、ヴァーチカイ女史も当時はこのセンターの研究員であり、輪番報告の定例研究会で顔なじみになった。 (この研究会には B. ヘゲデューシュというもう一人のペテーフィ・サークル出身者がおり、彼は 56 年事件のオーラル・ヒストリーを手がけていた。 この研究センターには雑多な経歴の持ち主が集まっていたが、後から考えると実に個性的な人たちばかりだった。 センターは後に改組されて、一部が外務省系のハンガリー研究所になっている。) ただし筆者が初めてヴァーチカイ女史を「見た」のはこのセンターに所属するよりも、ずっと前のことだった。 それは体制転換に先立つ年、異論派の友人に連れられてブダペスト市内の小さな公民館で「亡命権: 1956 年」というドキュメンタリー映画を見た時のことである。 このドキュメンタリーはナジ一味として処刑ないし投獄された政治家の妻達に対しておこなったインタビューを綴ったものである。 狭い映写会場は観客であふれんばかりだった。 上映が進むにつれ て、これは大変な政治的作品であることが分かり、改めて周りの人々の顔を見回した記憶がある。 もっとも 1987 年の末に、当時の共産党改革派指導者ポジュガイがナジの再評価をおこなった演説を聴いていたので、さほどは驚かなかったが、やはり大きな時代の変化を感じずにはいられなかった。

肝心のドキュメンタリーの詳しい内容については覚えていないが、妻達の運命、そして運命への対処の仕方については不思議と鮮やかな印象が残っている。 つまり、籠城していたユーゴ大使館からバスで離れた後、当初の約束に反して、ソ連軍に連行されていることが分かった時、妻達は静かに運命を受け入れるのか、せめてもの抵抗を試みるのか、自らを客観化して冷静を保とうとするのか、実に多様な対応を見せたのである。 ヴァーチカイ女史は自分がどうであったかということよりも、周りの状況判断に多くの注意を払い、実に分析的に当時を回想した。 もちろん 20 年以上経過してからの回想であり、彼女が歴史家としての道を歩んだことが回想の仕方に影響を与えなかったはずはない。 しかしそうした妻達のその後の人生も含めて、いま思い起こすと、このドキュメンタリーは「妻達の 1956 年」として立派な社会史的ジェンダー研究になっている。 ちなみにこの映画のインタビューは Ember Judit, Medekjog — 1956: A Nagy Imre-csoport elrabolasa (亡命権: 1956 年—ナジ・グループの拉致事件—) として 1989 年に出版されているので、歴史資料としても利用可能である。

オーゾン・ホテル外観 (http://www.travelport.hu/)

さて、今回の大会開催校はニーレジハーザ大学だったが、この大学はもともと理系色が強かった。 しかしいまは理学部、工農学部、人文学部、そしてかつてのマルクス主義系講座を改組した経済社会科学部の四学部が置かれる総合大学である。 キャンパスは街の北に広がる森林地帯の入り口にある。 若い世代の参加者は大学の寮に宿泊したが、ある程度以上の「年輩組」には、大学からさらに北上した町外れの山小屋風ホテルが用意された。 地方都市の辺鄙な小宿の割には従業員の訓練がよく行き届いており、驚きだった。 案内されたのは大きな次の間付きの立派な部屋である。 内装は全て社会主義時代風の板張りで質素だが、調度品には質の良さそうなものが揃えてある。 そして奇妙に派手な照明が板壁や調度品と釣り合っていない。 風呂場は実に広々としている。 振り返ると、ドアは厚い防音マットの装備されたものだった。 ほとんど同じ作りのホテル、そして同じ様式の部屋に泊まった記憶が蘇ってきた。 ハンガリー西部の街ヴェスプレームである。 それはカーダールがお忍びの狩猟で使うために建てられた山荘であり、体制転換後は装いを改めてホテルになった。 カーダールはこの種の別荘をあちこちに持っていたとのことである。 それにしても二度もカーダール特注の部屋に泊まる機会に恵ま れるというのは、いかなる縁なのか。 数年前からハンガリー史学界ではカーダール再評価の機運が見られるが、筆者はそれに先駆けてカーダール評価について論文を書いていたので、あの世からヤーノシュおじさんがお手配してくれたのかもしれない。 ちなみにホテルの名はオーゾン Ozon、宿泊希望の方は Fax: +36-42-402-002 ないしインターネット www.hotels.hu で予約可能である。 宿泊料も決して高くない。 さらに郊外に行くと塩水湖があり、夏は水泳が可能である。 もっとも今回は時間的余裕がなく、遊泳は断念せざるをえなかった。

◆ 学会カレンダー ◆

2002 年 11 月 2 日 JSSEES シンポジウム、「クリミア: 東西文明の交差点」 於大阪市立大学文化交流センター 講演者: クリミア・タタール歴史文化博物館館長セルヴェル・エブベキーロフ氏他
11 月 16 日 比較経済体制学会秋季研究報告会、13 時~17 時、於日本大学経済学部、今年度からの新機軸、報告者: 杉浦史和 (東京経済大学)、渡辺真理子 (アジア経済研究所)、本田雅英 (前ジェトロ・ブダペスト事務所)、連絡先: 池本修一 (03-3219-3476)
11 月 21–24 日 AAASS (米国スラブ研究促進学会) 第 34 回全国大会 於ペンシルヴァニア州ピッツバーグ 詳しい情報は: http://www.fas.harvard.edu/~aaass/
2003 年 1 月 29 日–2 月 1 日 スラブ研究センター 2002 年度冬期シンポジウム 「20 世紀初頭のロシア・東アジア・日本: 日露戦争の再検討」
2 月 10–12 日 コンファレンス “The Russo-Japanese War and the 20th Century: An Assessment from a Centennial Perspective” ヘブライ大学 / エルサレム詳しい情報は: http://clover.slavic.pitt.edu/~aatseel/conferences/confdetail.html#russo-japanese
6 月 6–7 日 比較経済体制学会第 43 回大会 於東京大学
7 月 16–19 日 スラブ研究センター夏期国際シンポジウム「スラブ・ユーラシアの世界との統合」 (仮題)
8 月 15–21 日 13th International Congress of Slavicists 於リュブリャナ/スロヴェニア 詳しい情報は: http://www2.arts.gla.ac.uk/Slavonic/13thics.htm
2005 年 7 月 25–30 日 ICCEES (中東欧研究国際評議会) 第 7 回世界会議 於ベルリン 詳しい情報は: http://www.rusin.fi/iccees/

センターのホームページにはこの他にも多くの海外情報が掲載されています。 [大須賀]

図書室だより

◆ 花房義質日記の購入 ◆

センター図書室は、最近、駐露公使としてペテルブルクに在勤していた花房義質 (1842–1917) の日記を購入しましたのでご報告します。

花房義質は、岡山藩士花房端連の長男として岡山に生まれました。 緒方洪庵の塾に学び、1867 年には長崎から洋行の旅に出て、欧州、米国を経て翌年帰国。 1870 年から外国官御用掛として出仕。 1872 年、ペルー国船マリア・ルース号に乗船の清国苦力の虐待問題につき、仲介裁判のための代理公使としてペテルブルクに派遣され、訴訟の後は、日露国境画定交渉のため派遣された榎本武揚全権公使を補佐しました。 その後、朝鮮に駐在し、壬午事変 (1882 年) においては、包囲された公使館を脱出して帰国、済物浦条約により、事変による損害の補償とともに、ソウルへの駐兵などを認めさせました。

翌 1883 年より 1886 年までの 3 年間にわたり、駐露公使としてペテルブルクに滞在しました。

その後は農商務省次官、帝室会計審査局長、宮内次官、枢密顧問官、日本赤十字社社長などを歴任しました。

今回購入した日記は、官用常用日記簿 3 冊から成ります。 すなわち、ペテルブルクに到着した 1883 年 5 月に始まり、1885 年末に終わっています。 主にペン書きですが、一部、鉛筆書きで、その日の出来事が簡潔に、時折出費額を伴って記されています。 自署などは見られませんが、駿河台大学の広瀬順皓氏に見ていただいたところでは、日記に描かれる交際ぶりは公使に ふさわしいとのことであります。

花房義質関係文書としては、これまで東京都立大学付属図書館および外務省外交史料館所蔵のもの、および宮内庁書陵部所蔵のものが知られています。

駐露公使時代の花房の活動は、その伝記『子爵花房義質君事略』 (黒瀬義門編、1913 年刊) によれば、皇帝の即位式に出席し、条約改正問題に関与したという程度で、あとは淡々としたものだったようです。 むしろ、当時の外交官の日常を窺うための材料ということになるのかも知れません。 [兎内]

ウェブサイト情報

2002 年 6 月から 8 月までの 3 ヵ月間における、センターのホームページへのアクセス数 (但し、gif・jpg 等の画像形式ファイルを除く) を統計しました。 [山下]

  全アクセス数
(1 日平均)
うち、
邦語表紙
アクセス数
(1 日平均)
うち、
英語表紙
アクセス数
(1 日平均)
国内からの
アクセス数 (%)
国外からの
アクセス数 (%)
不明 (%)
6 月 224,044 (7,468) 9,521 (317) 1,949 (65) 75,624 (34%) 62,359 (28%) 86,061 (38%)
7 月 192,975 (6,225) 8,357 (270) 2,047 (66) 95,307 (49%) 65,787 (34%) 31,881 (17%)
8 月 194,070 (6,260) 6,572 (212) 2,122 (68) 78,751 (40.6%) 73,651 (38%) 41,668 (21.4%)

編集室だより

◆ スラヴ研究 ◆

和文レフェリーズ・ジャーナル『スラヴ研究』第 50 号 (2003 年 3 月発行予定) への投稿は 8 月末で締め切られました。 17 件の応募があり、2003 年 4 月の発行を目指して現在審査をおこなっています。 [岩下]

ACTA SLAVICA IAPONICA

2002 年末に刊行予定の第 20 号はレフェリーによる審査が終わり、現在編集作業中です。 掲載予定論文は次号で発表します。 [松里]

◆ 研究報告シリーズ No. 86, No. 87 の刊行 ◆

以下の 2 つの『スラブ研究センター研究報告シリーズ』が、科研費基盤研究 (A) 「ロシアの世界経済との統合に関する総合的研究」の成果として刊行されました。

No. 86 (2002 年 7 月) Ten Years after the Collapse of the USSR
2002 年 1 月冬期シンポジウム「ソ連崩壊後の 10 年」で報告されたイワン・コロチェニャ (元 CIS 執行事務局書記)、鈴木佑司 (法政大)、末澤恵美 (平成国際大)、渡辺博史 (ロシア東欧貿易会) の各氏ほかによる計 6 本の論文 (英語・露語) が収録されています。

No. 87 (2002 年 9 月) 『ロシアのWTO加盟をめぐる諸問題』 (執筆者: 金野雄五)
上記科研費プロジェクトの中心的検討課題の一つであるロシアの WTO 加盟問題について、研究協力者の金野氏 (富士総合研究所) が執筆しています。

なお、本研究プロジェクトの研究成果についてご関心のある方は、センターホームページの「進行中の共同研究 (2002)」をご覧下さい。 [田畑]

◆ 佐原徹哉編 『ナショナリズムから共生の政治文化へ:
ユーゴ内戦 10 年の経験から』刊行される ◆

本報告書は、昨年 12 月に東京大学駒場キャンパスでおこなわれた同名のシンポジウムの報告内容をまとめたものです。 ユーゴ内戦とはなんだったのか、という問いは、この国にかかわりを持つ研究者だけでなく、広く、ポスト社会主義の世界に関心を向けるものにとっては共通の問題関心であるという視点で、多角的にこの現象を考え直そうというのがシンポジウムの趣旨でした。 報告書には、柴宜弘、月村太郎、佐原徹哉が 90 年代のユーゴ政治について、定形衛が非同盟運動について、中井和夫が連邦制について、岩田昌征、伊藤芳明、波津博明が紛争とメディアについて、武者小路公秀がアメリカの世界戦略について、飯塚正人がイスラム世界のリアクションについて、それぞれ、専門の立場から加えた考察が掲載されています。 報告書のもう一つの重要な点は、冷戦後のユーゴ社会の再建に直接携わってきた日本の NGO の活動家による活動の報告とそれを踏まえた共生に向けた提言が含まれていることです。 研究者、ジャーナリスト、アクティヴィストの連係による希有な産物として、この報告書は、多くの方々にせひとも目にしていただきたいと存じます。 [佐原徹哉]

 

 

会 議 (2002 年 7 月~ 2002 年 9 月)

◆ センター運営委員会 ◆

第 1 回 2002 年 7 月 12 日
議題
  1. 附置研・研究センターの再定義について
  2. スラブ研究センターと学界 (コミュニティ) との関係について
  3. その他
報告事項
  1. 部門改組の完了について
  2. 2003 年度歳出概算要求について
  3. 2002 年度科学研究費補助金について
  4. 2002 年度客員教授について
  5. 2002 年度外国人研究員の着任状況について
  6. 2003 年度外国人研究員候補者について
  7. 2002 年度公開講座について
  8. 2002 年度鈴川基金奨励研究員の決定について
  9. 「21 世紀 COE プログラム」 (研究拠点形成費補助金 (研究拠点形成費)) の申請について
  10. その他

◆ センター協議員会 ◆

第 1 回 2002 年 7 月 9 日
議題
  1. 2001 年度歳出予算決算について
  2. 2002 年度歳出予算 (案) について
  3. 2003 年度外国人研究員候補者の選考について
  4. 2003 年度外国人研究員候補者に対する客員教授及び客員助教授の称号付与について
  5. 教官の兼業について
  6. その他
報告事項
  1. 2002 年度夏期国際シンポジウムについて
  2. 2002 年度科学研究費補助金について
  3. 教官の海外渡航について
  4. 2002 年度外国人研究員の着任状況について
  5. 2002 年度鈴川基金奨励研究員の決定について
  6. 2003 年度概算要求について
  7. 「21 世紀 COE プログラム」 (研究拠点形成費補助金 (研究拠点形成費)) について
  8. その他
第 2 回 2002 年 9 月 27 日
議題
  1. スラブ研究センターの中期目標・中期計画・年度計画について
  2. 教官の兼業について
  3. その他
報告事項
  1. 教官の海外渡航について
  2. その他 [編集部]

みせらねあ

◆ 皆川修吾著『ロシア連邦議会』の刊行 ◆

センター前専任研究員・皆川修吾氏の新著 『ロシア連邦議会 — 制度化の検証: 1994–2001 —』 (渓水社、2002 年) が刊行されました。

本書は氏の前著『移行期のロシア政治』 (渓水社、1999 年)に掲載されている中間的な研究成果を、その後の下院選挙結果や事例研究を大幅に加え、理論的に発展させたものです。 ロシアの政治文化を決して単線的なものと捉えず、政治歴史的背景も視野にいれて、市民社会の複合的な育成と、そのなかでの議会制の発展・制度化が検証されています。 [編集部]

 

 

◆ 人物往来 ◆

ニュース 90 号以降のセンター訪問者 (道内を除く) は以下の通りです (敬称略)。 [大須賀]

7 月 1 日 濱本真実 (京都大・院)
7 月 5 日 青木則子 (神戸市外大)
7 月 8 日 久保慶一(早稲田大・院)
7月 10 日
~ 13 日
H. エイブラムソン (Henry Abramson) (フロリダ大西洋大/米国)、 T. ボッツ-ボーンスタイン (Thorsten Botz-Bornstein) (国際日本文化研/フランス)、 M. ドルビロフ (Mikhail Dolbilov) (ヴォロネジ国立大/ロシア)、 A. フランク (Allen Frank) (米国)、 T. グランツ (Tomas Glanc) (カレル大/チェコ)、 J. ホモラーチ (Jiri Homolac) (東京外大/チェコ)、 A. カペレル (Andreas Kappeler) (ウィーン大/オーストリア)、 V. パウノフスキ (Vladimir Paounovsky) (ブルガリア科学アカデミーバルカン研)、 S. リチャードソン (Stuart Richardson) (カリフォルニア大/米国)、 J. ショーバーライン (John Schoeberlein) (ハーヴァード大/米国)、 S. シャシノフ (Sergei Shashnov) (横浜国大/ロシア)、 V. シュニレルマン (Victor Shnirelman) (ロシア科学アカデミー民族学人類学研)、 青島陽子 (東京大・院)、麻田雅文 (学習院大)、伊賀上菜穂 (大阪大)、池田嘉郎 (東京大・院)、石川健 (島根大)、石田信一 (跡見学園女子大)、岩田賢司 (広島大)、上垣彰 (西南学院大)、宇多文雄 (上智大)、岡奈津子 (アジア経済研)、押川文子 (民族学博物館)、帯谷知可 (民族学博物館)、 亀山郁夫 (東京外大)、川端香男里 (川村学園女子大)、杵臼陽 (民族学博物館)、木村崇 (京都大)、久保庭真彰 (一橋大)、小森宏美 (民族学博物館)、金野雄五 (富士総研)、 坂井弘紀 (千葉大)、佐藤雪野 (東北大)、佐原徹哉 (明治大)、塩川伸明 (東京大)、篠原琢 (東京外大)、渋谷謙次郎 (神戸大)、菅原淳子 (二松学舎大)、鐸木道剛 (岡山大)、鈴木義一 (東京外大)、仙石学 (西南学院大)、 武田昭文 (富山大)、楯岡求美 (神戸大)、田中まさき (東京大・院)、豊川浩一 (明治大)、 中澤達哉 (早稲田大)、中澤佳陽子 (東京大・院)、中嶋毅 (東京都大)、長島大輔 (東京大・院)、中村唯史 (山形大)、長與進 (早稲田大)、西村可明 (一橋大)、沼野充義 (東京大)、野田仁 (東大・院)、野中進 (埼玉大)、野町素己 (東京大・院)、 廣瀬陽子 (慶應大)、藤本和貴夫 (大阪経法大)、 前田弘毅 (東京大・院)、松村岳志 (秋田経法大)、南塚信吾 (千葉大)、六鹿茂夫 (静岡県大)、 湯浅剛 (防衛研究所)、湯浅陽子 (上智大・院)、吉岡潤 (津田塾大)、吉田征司 (中部大・院)、 渡辺賢一郎 (東洋大)
8 月 23 日 W. ザレフスキ (Wojciech Zalewski) (スタンフォード大 / 米国)、木村汎 (北大・名)
9 月 12 日 V. エロフェーエフ (Viktor V. Erofeev) (作家、評論家 / ロシア科学アカデミー世界文学研)
9 月 24 日 高田和夫 (九州大)
9 月 26 日 佐々木史郎 (民族学博物館)
10 月 10 日 陳映芳 (Chen, Yingfang) (華東師範大学法政学院 / 中国)
11 月 5 日 D. レイン (David Lane) (ケンブリッジ大 / 英国)、C. レイン (Christel Lane) (同)

◆ 研究員消息 ◆

岩下明裕研究員は 2002 年 7 月 3~7 日の間、科学研究費補助金「ポスト冷戦時代の中露関係と東アジア」に関する報告のため、韓国に出張。

田畑伸一郎研究員は 7 月 29 日~8 月 15 日の間、科学研究費補助金「ロシアの世界経済との統合に関する総合的研究」に関する調査のため、ロシア、ベラルーシに出張。

村上隆研究員は 7 月 29 日~9 月 26 日の間、科学研究費補助金「中央アジア・コーカサス諸国における経済発展と安定化問題」に関する資料収集のため、ロシアに出張。

望月哲男研究員は 8 月 5~16 日の間、科学研究費補助金「文化としての『北方』–異文化共存の可能性」に関する実地調査のため、ウズベキスタンに出張。

家田修研究員は 8 月 17 日~9 月 4 日の間、科学研究費補助金「東欧の地域社会形成と拡大 EU の相互的影響に関する研究」に関する研究打合せ、意見交換及び資料収集のため、英国、ハンガリーに出張。

松里公孝研究員は 8 月 19 日~9 月 28 日の間、科学研究費補助金「ウクライナ、ベラルーシ体制移行」及び「東欧の地域社会形成と拡大 EU の相互的影響に関する研究」のための現地調査と研究打合せのため、ロシア、ウクライナに出張。

宇山智彦研究員は 9 月 8 日~2003 年 9 月 6 日の間、文部科学省長期在外研究「ロシア帝政・ 革命期カザフ知識人の政治・社会・文化活動に関する研究」のため、ロシアに出張。

林忠行研究員は 9 月 12 日~10 月 13 日の間、「第 5 回日本と中央ヨーロッパ間の新討論」会議出席及び科学研究費補助金「東欧・中央ユーラシアの近代ネイション」に関する調査のため、クロアチアに出張。

原暉之研究員は 9 月 15 日~22 日の間、「中国東北 (満州) をめぐる日本・中国・ロシア関係の未公開資料の調査研究」のため、ロシアに出張。 [畑]

 

エッセイ:
V. ブルダコフ ロシアの歴史—札幌から眺めて
梶雅範 アメリカ東海岸図書館訪問記
家田修 COE 在外研究報告: 英国オックスフォード大学セント・アントニー校滞在記 (2)
木村汎 学界短信: 中欧と日本との間の新知的対話 (第 5 回)
家田修 学界短信: ハンガリー社会史学会
2002 年 10 月 31 日発行
編集責任 大須賀みか
編集協力 原  暉之
発行者 家田  修
発行所 北海道大学スラブ研究センター
060-0809  札幌市北区北 9 条西 7 丁目
Tel. 011-706-3156, 706-2388
Fax. 011-706-4952
インターネットホームページ:
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/

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