●アカデミヤ・ザーウミ Akademiia Zaumi
アカデミヤ・ザーウミの詩(2)─シゲイとニーコノワ─
解説 武田昭文
1.作家について
(シゲイの略歴が不明のため、ニーコノワの創作資料にもとづいて紹介を行う)。
リィ・ニーコノワ:(Ry Nikonova, 本名Anna Tarshis)1942年、エイスクに生まれる。スヴェルドロフスクで中等音楽教育を受けたのちレニングラード演劇・音楽・映画大学に進む。1964年、スヴェルドロフスクで<ウクトゥス>グループの活動を開始し、V・ジアチェンコ、S・シゲイらの詩人・芸術家と手作りの詩画集『ノーメル』を発刊する。1966年、シゲイと結婚。1974年、ともにアゾフ海沿岸の小都市エイスクに移る。1979年から、おなじく手作りの詩画集『トランスポナンス』を発刊し、B・コンストリクトルを加えて<トランス─ポエト>グループを形成する。『トランスポナンス』には、同人の他にも、エルリ、プリゴフ、ルビンシテイン、カバコフ、サプギールなどの作品が掲載され、またアルヒーフとしてロシア・アヴァンギャルドの未公開資料が数多く公表された。この間、シゲイとニーコノワは、オリジナルなヴィジュアル・ポエトリー作品を発表し続け、1987年以降、西側で二人の作品展がたびたび開かれるようになった。シゲイとニーコノワは、ロシアにおけるメイル・アートのパイオニアでもある。近年、サウンド・ポエトリーにも意欲的で、自作自演の音響テープを発表している。
<ウクトゥス>グループ(Uktusskaia shkola : 1964-1974)
シゲイ、ニーコノワ、ジアチェンコを中心に、ミニマリズム、コンセプチュアリズム、新表現主義、新構成主義その他、現代芸術の様々な要素を含む「詩画的」テクスト表現の実験が行われた。グループは、レディ・メイド、デザイン等のポップ・アートの問題にも取り組み、ジアチェンコは独自のファインド・アート (Find - Art) 論のもとに、たとえば赤瀬川原平の「超芸術トマソン」にも似た、日常生活を取り巻く何げない事物のコンセプチュアルな「発見」としての「芸術行為論」を唱えた。同人誌『ノーメル』(NOMER) は、全35号刊行されたが、毎号あたかも美術作品のようにオリジナル本とコピー1部だけ製本された。
ニーコノワは<ウクトゥス>グループのつとめて方法論的な活動を要約して、それがロシアにおける第二の「コンセプチュアリズム」(第一は、1920年代のロシア構成主義の詩人A・チチェーリン)であったとし、モスクワ・コンセプチュアリズムよりも先行していたことを主張している。
<トランス─ポエト>グループ(Trans-poety: 1979-1986)
シゲイ、ニーコノワ、コンストリクトルを中心に、<ウクトゥス>の活動を踏まえた、ヴィジュアル・ポエトリーの実験場となった。いわゆる詩作品としては、とくにミニマル詩が取り上げられ、ニーコノワは「物語の図式」(skhema rasskazov) と「ミニドラマ」(mini-proto-p'esa) の膨大なシリーズを発表する。ヴィジュアル・ポエトリーの傑作「テクスト建築」(Arkhitekstura) が作られ、のちに展開する「ベクトル詩」と「身振り詩」のアイデアが生まれたのもこの時期である。同人誌『トランスポナンス』(TRANSPONANS) は、全36号刊行されたが、今度は毎号オリジナル本とコピー5部が製本された。
なお、このグループは<トランスフリズム>(Transfurizm)、<トランス─フトゥリズム>(Trans-futurizm) とも呼ばれる。
主要参考文献
<詩・評論・エッセイ── 雑誌・研究誌に所収>
Blue Lagoon Anthology of Modern Russian Poetry 5b. 1986. pp.507-568.
Ry Nikonova. "Vystavka Meil-arta", "Transfleita". Iskusstvo, No.10, 1989. p.9, 51-53
Ry Nikonova. "pa de katet", "Zhestovye stikhi". Chernovik, No. 1, 1989. pp.164-143.
Ry Nikonova. Izo-poeziia. Chernovik, No. 3, 1990. pp.120-122.
Ry Nikonova. Pyl'. Chernovik, No. 5, 1990. pp. 24-30.
Ry Nikonova. S K S(svobodno konvertiruemye stikhi). Gumanitarnyi fond, No. 42(145), 1992. p.1
Ry Nikonova. Arkhitekstura. Poetika russkogo avangarda, Kredo, No. 3-4, 1993. Tambov, pp. 25-26
Sergei Sigei. Tombo. Op. cit., pp. 52-54
Ry Nikonova otvechaet na voprosy Sergeia Biriukova-Vektor vakuuma. Novoe literaturunoe obozrenie, No. 3, 1993. pp. 242-257.
Ry Nikonova, Sergei Sigei. From Zaum-Archive with love: Modern talking. Da!, No. 2-3, 1995. pp. 25-31.
Ry Nikonova. "Obeliski"; Sergei Sigei. "prekiznaia marasna". Volga, No. 7, 1995. pp. 83-87.
Ry Nikonova. Yktusskaia shkola. Novoe literaturnoe obozrenie, No. 16, 1995. pp. 221-238.
Sergei Sigei. Fragmenty polnoi formy. Novoe literaturnoe obozrenie, No. 16, 1995. pp. 296-320
Sergei Sigei. Kratkaia istoriia vizual'noi poezii v Rossii. Eksperimental'naia poeziia. Izbrannye stat'i, 1996. pp. 60-67
Ry Nikonova. Ekologiia pauza. Op. cit., pp. 176-187
Ry Nikonova. Massazh tishiny. Novoe literaturnoe obozrenie, No. 23, 1997. pp. 279-281.
<作品集>
Sergei Sigei. sobukvy. Moscow, Gileia, 1996.
<研究資料>
Janecek G. A Report of TRANSFURIZM. Wiener Slawistischer Almanach, Band 19, 1987. pp.123-142.
Janecek G. Rea Nikonova. Dictionary of Russian Women Writers. London, 1993. pp.467-468.
2.作品について
これまでにも、詩を書く画家、絵を描く詩人といった、マルチタイプの芸術家はつねに存在してきたし、さらに現代ロシアの芸術シーンでは、ひとりの作家が「文学」「美術」また「音楽」のそれぞれの分野で才能を発揮しているという例も決して少なくない。だがシゲイとニーコノワがユニークなのは、彼らがこうしたタイプの芸術家と一線を画して、早くから「ヴィジュアル・ポエトリー」というジャンルに専念してきたことである。したがって本来ならば、シゲイとニーコノワの作品を評価するには、そもそも「ヴィジュアル・ポエトリーとは何か?」ということから問いを起こし、このジャンルの特性に見合った批評言語を考えるべきであろう。いたずらに文学的解釈や美術的解釈に問題をすり替えることは戒めなければならない。しかし、現状はまだ、新しい批評言語を求めるべくもない段階である。こうした問題点を課題に残した上で、ここではシゲイとニーコノワの作品から、それぞれ特徴的と思われる創作上の手法を抜き出して、彼ら自身による注釈を参照しながら、その方法意識のありようを確かめてみたい。
(1)セルゲイ・シゲイ(シーゴフ)
破いたページを乱雑に貼りつけてスプレーしたボール紙。廃品をコラージュしたようなデコボコのプラカード。ガード下のらくがきによく似た幼稚ないたずら描き。泳ぐ精虫。行進するオッパイ。X字に開いた4本足のワギナ。そして意味不明の波線、点線、染みのような塗り潰し……。シゲイの作品の魅力は、何よりこうした猥雑さと幼稚さがないまぜになったアナーキーな画面にある。まるで構成感覚を無視したような記号の散乱。だが、その上にさらりと刷かれた絵具の配色は、センスとしかいいようのないまとまりを作品にあたえていて、確かにアートを感じさせる画面が仕上がっている。
こうしたシゲイの作品は、文学的関心からというより、美術的関心からヴィジュアル・ポエトリーにアプローチしているように感じられる。ヴィジュアル・アーチストとしてのシゲイが最もよくする手法は、「コラージュ」および「パリンプセスト」である。
「パリンプセスト」とは、古代、まだ紙がなかった時代に、羊皮紙に書いた不要の文書を削りおとして、その上に新たな文書を書きしるす書記様式をさすが、今日の文芸批評では、こうした「重ね書き」に特別なニュアンスを含ませて、文学作品のインターテクスチュアリティー(引用、パロディ、アナロジーなど)を表すメタファーとして用いている。だがシゲイは、この手法をメタファーとしてではなく、文字どおり、他者のテクストへの遠慮のない「重ね書き」として剥き出しにする。
プーシキンやフレーブニコフの草稿(コピー)にスプレーし、例のいたずら描きをしたシゲイの作品は見る者に強いショックをあたえる。当然、こうした作品は冒涜的であると非難されるが、それに答えてシゲイはつぎのように反論している。
「今日、パリンプセストとはいったい何であるか?……問題は、パリンプセストとは、そこには勝者も敗者もいない純粋な共演としての共同作業だということだ。もしも作者が事前にこの共演を承諾しないとしても、他者の中へ入っていくことは決して破壊的行為ではない。……この作業方法が、いまだに芸術家や、またデザイナーにまでうとまれているとは驚くべきことだ。」
この発言は、現代芸術全体の寄生的性格をめぐる議論の中でなされたもので、シゲイは「パリンプセスト」を寄生の一形態と認めながら、それがもともとの文学作品に隠されたヴィジュアルな表現力を引き出す有効な手段であることを強調している。
こういうシゲイにとって、文学作品とは、何よりもまず「文字の書きつけられた紙」として存在する。そこでは文学という行為が、視線と記号の出会い、ペン先と白紙の接触という物的レベルにまで還元され、紙の上をいく目とペンの運動の強度(インパクト/テンション)のアートとして捉え直されるのである。
「言葉の芸術は、それにふさわしい視覚的表現をもつべきだ」とシゲイはいう。「詩の朗読というものがあるように、詩の展覧会があってもよい。」こうした主張にもとづいて、しばしばシゲイは愛読する詩を書き写して、ちょうど詩にメロディをつけて作曲するように、文字をデフォルメしたり、イラストをコラージュしたりしながら、詩を作画していく。このようないわば「ブリコラージュ的」作品のなかで、とくにシゲイらしい遊び心がよく出ていて面白いのが、ヴィジュアル詩集『組文字』(1996)に収められたアルファベット変態文字シリーズ「編文字(あみもじ)・組文字(くみもじ)・合文字(あわせもじ)」(1970年代の製作)である。
このシリーズでシゲイは、表音文字としてのアルファベットの無味乾燥を笑うように、アルファベットのそれぞれの文字を自由に絵解きしながら、自分だけの象形文字を作ってみせる。詩集『組文字』には、このような文字遊びのパターンがいくつも提示されているが、そのうち文字と文字をからみ合わせて楔形文字のようにしたものについて、シゲイはつぎのように創作の動機を語っている。
「文字で編みものをする気になった最初のきっかけは、エコノミーということだった。だが、ほんとうの理由は驚きにあったのだ。ロシア未来派の誰ひとりとして、このように文字どうしを編み合わせて、古き教会スラヴ語の字体を思い起こさせると同時に、未知の金釘を読者に読みとらせるような、新しいフィールドに踏みこまなかったとは。」
ロシア未来派の連想でいえば、シゲイがここで行っているのは「文字のザーウミ化」である。このザーウミ文字で、シゲイは、クルチョーヌィフやフレーブニコフのザーウミ詩を書き写して、彼のいう「ふさわしい視覚的表現」の衣装を纏わせるが、そうして編まれたアンソロジーは、どこか古代の碑文や東洋の書を思わせるものになっていて、図らずもザーウミにおけるアルカイックな志向を露わにしているかのようだ。
「コラージュ」「パリンプセスト」「組文字」と、このようにすでにある文学テクストを改変し、再生産するという方法は、シゲイの作品の特徴をなす重要なモチーフである。文学テクストのあくなき絵画化 ── それは要するに、こういうことだろう。通常、言葉は物を伝えた時点で、その存在は消し去られてしまうが、これを徹底的に拒否すること。言葉が透明な媒体ではなく、不透明な物質性をそれ自体帯びていることを、文字として浮き上がらせることによって、言語と非言語のぶつかり合う「言葉の境界としての文字」に、繰り返し立ち戻ること。それは書くという行為そのものの作品化であり、また文字と言葉に対するわれわれの常識的理解をくつがえすものである。このように見てみると、一見、子供っぽいいたずら描きのように見える作品が、実は、文学テクストの受容をめぐる問題意識に動機づけられていることがわかる。シゲイが現代の印刷技術文明に反抗して、詩を書き写し、重ね書きしながら、執拗に改変と再生産を行いつづけるのもむべなるかなだ。こうしたシゲイの創作姿勢を支えるものは、本質的に「工匠としての詩人の復活」というユートピアニズムであり、作風は、新表現主義、またネオ・ダダ的である。その独特の軟体的なエクリチュールは、構成主義の影響が色濃いロシアのヴィジュアル・ポエトリーにおいて類例がない。
(2)リィ・ニーコノワ
ニーコノワにおいてもまた、シゲイと同じように、アルファベットの視覚性が問題になるが、そのアプローチのしかたはまったく異なる。ひとことでいうと、シゲイの絵がつねに具象と不即不離の関係にあって「表現的」であるのに対して、ニーコノワの絵は、言葉の分解を推し進めて、化学の構造式のような点(活字)と線(矢印)のアブストラクトに還元する方法において「操作的」である。このようなニーコノワの還元的方法の歩みを、ここでは仮に、「テクスト建築」作品の成立とその前後の三つの時期に分けてたどってみたい。
ニーコノワの出発点がどのようなものであったか、残念ながら、『ノーメル』も『トランスポナンス』も見ることができないのでわからない。だが、今まで文芸誌等に断片的に掲載された作品から推して、ニーコノワが、1970年代からすでにユニークなミニマリスト詩人として活動していたことは明らかである。たとえば、つぎのミニマル詩など、ニーコノワの文学的感性をよくあらわしていて興味ぶかい。
推理小説(1979)
女 行動 目撃者 損失 自然 結果
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4人 笑った 海 全部 無関心 殺人
逃げた かに 完全 狂暴
失った 月 損失 増殖化
自制心 カバン
白痴
あるいはまた、こんな「ミニドラマ」はどうだろう。
不在の証明(1977)
観客が芝居を見にくる
俳優たちは、見にこない
芝居(1970)
1 わたしは、わたしじゃない
2 わたしは、この……(身振りをする)
作者だけのための芝居(1972)
作者が舞台に出てくる
なんにもこぼさずに
そのまま退場する
ここにあげた二つのタイプのミニマル詩は、ニーコノワの創作をつらぬく二つのライトモチーフに正確に対応している。ひとつは、文学テクストを要素的単位に解体─還元するミニマリズムであり、もうひとつは、文学自体の枠組みをひろげて概念芸術化するという意味でのコンセプチュアリズムである。
ニーコノワは、こうしたミニマル詩を無数に作ることをとおして、文学の「文学性」を白紙に戻して、言葉がただ「純粋な可能体」としてあるような表現を追求するが、それは結局、言葉の原子的単位としてのアルファベットの発見に到りつく。極言すれば、ニーコノワにおいては、聖書もシェイクスピアもすべてアルファベットの中に含まれているのであり、アルファベットの任意の結合そのものが(意味があろうがなかろうが)、すでにもう文学なのである。この見方でいくと、一切の文学作品というものが、無限にありうるアルファベット結合術のほんの氷山の一角にすぎないことになってしまうだろう。そして事実、このような「思想」を表現することが、ニーコノワの文学的課題なのだ。
ここにアルファベットが思想として見出された時点で、ミニマル詩からヴィジュアル・ポエトリーへの展開が行われる。ニーコノワは、自らのアルファベット文学観を、言葉の意味とは無縁に文字たちが自分たちの法則にもとづいて結びつき、関係を作り出していく、アルファベットの自動機械として構想する。だが、それがアルファベットの単なる羅列にとどまらず、ニーコノワの思想の表現になるためには、やはり、言葉の意味と戯れながら言葉の意味を超えた世界を示すという搦め手から入るしかない。こうした課題を、見事にヴィジュアル・ポエトリーの画面において解決したのが、ニーコノワの「テクスト建築」(アルヒテクストゥーラ)── あるいは、このニーコノワの造語の意を汲んで「原テクスチャー」(アルヒ+テクスト+ファクトゥーラ)と呼んでもよい ── 作品である。
ニーコノワは、この眼に見える「言葉の建物」をつぎのように組み上げる。
アルファベットの組み合わせとしての単語と文章は、決まってある文字の反復を含む。これはとくに詩において著しい。詩では同音反復が重要な構成単位となるからだ。ニーコノワは、この単純な事実から、同音反復を同字反復に捉え直すことで詩をヴィジュアル化する。すなわち、詩をまず個々の単語に分解してから、それらの単語を頻出するアルファベットに合わせて縦に配列することによって、文字のトートロジーの柱を積み上げていくという方法である。このトートロジーの柱は、思いがけないしかたで、詩の音楽性を視覚化し、さらに詩の音楽性とは別次元の視覚的リズムをも作り出す。そして、このトートロジーの原理をより徹底するのが、柱に収まらないアルファベットの共通文字を結ぶ無数の矢印である。ここに詩は、無限に循環するアルファベット空間に再編されて、文字というミクロコスモスの「マンダラ」を図像化する。
重要なのは、このニーコノワの建築術が、詩のみならず、どのような言語テクストにも応用可能だということである。ニーコノワが試みるように、この複雑でシンプルな方法はどんなテクストもアートに変えてしまう。超モダンな電子回路図のようであるとともに、古典的な均整をもたたえた、それは「空間はアルファベットごしに響く」というフレーブニコフの言語宇宙観を思わせる「言葉の結界」であり、ニーコノワのミニマル・コンセプチュアリズムの最もバランスのとれた表現になっている。
さて、ここでニーコノワにおけるヴィジュアル・ポエトリーの思想的意味ということにもう一度立ち返ってみたい。文学のすべてはアルファベットの中にあるとし、方法論的に抽象した点(活字)と線(矢印)の組み合わせによって言葉を空間表現することには何の意味があるのか、ということである。
それには、「テクスト建築」という完璧な表現のあとにつづく作品を見るのがはやい。ニーコノワは、言葉を空間における記号の運動として対象化してつきつめた結果、言葉の運動の場となる空間そのものを、新たに詩として表象することを目論む。このまだ/もう何もない空間のために生まれたのが、「真空詩」というアイデアである。ニーコノワは、このアイデアについて、自らの「ベクトル詩」(矢印の詩)と「身振り詩」を例に挙げてつぎのように語っている。
「わたしの芸術的関心の対象は、大気であり、空間である。それはまだ、言葉の輪郭を結ぶ力の線を見るには、透明で、不十分だけれど。……ベクトルは、文学的エレメントの疑いなきエネルギーの擬人化であり、質と量と意味をもっている。ベクトル・システムによって、われわれはテクスト(たった一文字であっても)を磁場のようにめぐりながら、そのテクストにエネルギー的個性をあたえるのである。」
「わたしはヴィジュアルなベクトル詩をどうしたら演じられるかと考え、それは身振り(ジェスチャー)で示すしかないと思いついた。紙の上の運動から、空間での詩的運動が、つまり身振り詩が生みだされたのだ。」
このように、最後には人間をとりまく空間全体が芸術となるような世界を夢みるニーコノワの方法論は、何よりも60−70年代に西側で起こったミニマリズム美術やセリー音楽の発想を思い起こさせる。現代芸術のミニマリズム的傾向には、われわれの生活とその環境、われわれの日常の生存の時間自体が芸術であり、それ以上何もつけ加える必要はないという思想が通底しており、それをミニマルな事物の提示やインスタレーションによって表出する道がとられた。この思想からニーコノワの「真空詩」までの径庭はない。
明らかにロシア構成主義を意識したニーコノワの詩的実験が、こうしたミニマリズムに帰結することは、構成主義の思想的契機とその20世紀的展開を考えるときには興味ぶかいかもしれない。しかし、この「真空詩」という概念は、同時にニーコノワのミニマリズムの限界をも露呈している。たとえミニマリズム(およびコンセプチュアリズム)においては、作品とその製作意図が切り離しがたく結びついているとしても、やはり作品の自律的価値は問われなければならない。この意味で、ニーコノワの芸術はいつも、あまりに多く説明に依存している。「真空詩」など、その最たるものである。空白の画面の背後に積み重ねられるのは、またしても、言葉、言葉、言葉……。このように見ると、ニーコノワの芸術は、ひとたび「テクスト建築」において自律的表現を獲得したあと、今、とめどなくエントロピー状に拡散するばかりのように思われる。
参考資料
アルヒテクストゥーラ(テクスト建築)
リィ・ニーコノワ
「テクスト建築」の基盤になるのは、何よりもまずトートロジーである。それは建築のためのブロックを作り、そのブロックを使ってさらに作業を進めることを可能にさせる。トートロジーは、構成にスマートさと堅固さとプロポーションをあたえ、またばらばらの音のマッスを整理するのに役立つ。トートロジーのブロックがいくつも積み上がり、そのあいだに調音関係が生まれて、シフトやトンネルを作りながら、ファクトゥーラを多様にするのを見るのはすばらしい。だが、このようなテクストは、よりディテールにとんだ(細かい)音の変化を表現するのにはあまり適さない。それはもうサウンド・ポエトリーや散文の領域である。
このような文学作品は、通常(残念ながら)左から右へ、つまり行的に読まれている。だが、時には読者は、いろいろな読み方のために特別に作られているかのような対象に、多元主義的にアプローチすることができる。それは作者のベクトルが示すように、下から上に、右から左に、斜めに、螺旋状に、またジグザグに読むことも可能である。しかし、実際には、このようなテクストにおけるベクトルの基本的役割はシステム化されている。ベクトルは「仲間」を探して、同じ文字どうしを結びつける。ベクトルの線(あるいは色)の種類は、この同じ課題に奉仕し、母音(特定の線表記あるいは色)と子音(別の線表記その他)を綜合的に結合する。このような結合の結果、テクストはニューロン突起のある脳回路のような外観をおびてくる。わたしはこれを特別に意図したわけではなく、結果は思いがけないものだった。だが、それだけにいっそう、この照応は、「自然」と「人工的なもの」の相互関係と、また同時に、わたしが選んだ方法の正しさを証ししているように思われる。
この方法の欠点のひとつとして、自由な構成のための場所がどこにもないかのような、厳格な機能性をあげることができるかもしれない。だがもしも、ここに予備隊を導入するならば、つまり、「余分」の、どこにも導かない、「手さぐり」のベクトル、詩(または散文)のなかには存在せず、<もはや>あるいは<まだ>存在しない対象を暗示するかのようなベクトルを導入するならば、この欠点は簡単に取り除くことができるだろう。色、また色つきのブロック(音的に真空のブロックも含めて)を積極的に活用することは可能であり、必要でもある。このような色の役割もまた、テクストに非合理性を付与し、テクストをより非決定的なものにするのに役立つだろう。
「ブロック」を作る箱(ケース)は、テクストをヴィジュアル化し、ブロックに貴族的な角張り、ある種の鎧のようなものをあたえて、ブロックをページの紙面から隔離する。この箱は、「箱に入っていない」マッスとのコントラストを際立たせるもうひとつの方法である。トートロジーの垂直の帯は、構成的意図に合致しない多くのテクストにおいて、(文字のトートロジーを損なわぬために)音節の伸張を要求する。この伸張は、テクストを「粘土のように」こねて、ある行を伸ばし、ある行を縮め、テクストを視覚的にゴム状のものにすることを可能にさせる。だが、それは音の伸張を意味するものでははい。[─]という記号は、ただトートロジーの垂直の柱におけるある文字の不在だけを意味するのだ。この手法は、リブ建築法、すなわち言葉を左右に肋材をもつ断片に分割するしかたを決定する。たとえば、このように──
отс──
─утс──
── твие
リブ建築法はテクストを抽象化する。それは新しいヴィジュアル性のほかに、詩の領域では十分に評価することが不可能な新しい音のリズムを作りだす。「テクスト建築」詩におけるリズムと押韻の問題は、きわめて興味深く、今日まで完全には生かされないでいる可能性のかたまりを明らかにする。たとえば、ある言葉の内的押韻や休止、構成的押韻、そしてまたベクトルのアナロジーが、そこには形成されるのだ。
ベクトルの意義はとくに強調しておく必要がある。それは同じ文字を結びつけることによって意味作用の強力な視覚的手段となる。ベクトルは、構成における障害や思考の秘められた歩みを明るみにだすのだ。たとえば、ある文字がテクストにおいて自分の分身から離れていれば離れているほど、そのもうひとつの文字に伸びるベクトルは、それだけ長くなり、視覚的に重みのあるものになるだろう。それはあたかも、最初の文字の記憶(ベクトルの起点)はとうに消え去り、テクストのどこか遠くで、第二の文字が鳴り響いている、そんな音の絵の裏をかいて進むかのようである。
長さばかりではなく、ベクトルはさらに固有の旋律性と流線のなめらかさをもっている。ベクトルはブロックをなぞらず、それに巻きつく。あるときは、ブロックの角張りをやわらげるように走り、またあるときは、ブロックをつらぬいて最短距離の道を進みながら。色の二元論(母音と子音)に補強されたベクトルのエネルギーは、読者のクロロフィル的注意力によって甦る有機的オルガニズムをテクストに付与するだろう。
記号のプロポーションもまた重要な役割を演じる。プロポーションをめぐる作業、その多様性と各段階は、システム化とヴィジュアル化の補助的な構成要素である。テクストが短ければ短いほど、それだけ記号のプロポーションは大きくなり、意味のプロポーションは小さくなる。意味は、完全ないわゆる「ナンセンス」になるまで、浸食され、拡大されなければならない。そのときテクストは、視覚的─構成的─意味的な綜合形式において、より興味深いもの、つまりは形而上的なものになるだろう。
ここに集められた、音の帯のからみ合い。中央に空白がある縁飾り状のテクスト、あるいはそれぞれのブロックに空白があるもの。また、構成部分の「穴」に塗りつぶされた、いわゆる黒い空白があるテクスト、あるいは切れ目さえあるもの。また、ミニマルな音の素材を要求する座標軸上の詩(このような詩では、たいていアドレスを欠いたベクトルの引力だけが残るが、それはアドレスが座標軸そのものにあるからである)。また、クラスター詩、つまり、ベクトルのからみ合う複雑きわまりない絵によってまだらになった音と構成の集合体による音響の斑点。そして最後に、どれほど多くの互いに異なる「舞台演出法」が、同じひとつのテクストを、ほとんど意味が正反対になるような構成において表現することができるかを示す、様々なヴァリアント── これらはすべて、現代文学における無対象芸術の可能性のほんの一部にすぎないのである。
『テクスト建築詩集1963−1985』(1985)の「序文」から