●エロフェーエフ, ヴェネディクト Erofeev, Venedikt
「モスクワからペトゥシキへ」Moskva-Petushki
解説 安岡治子
1.作家について
1938年、北極圏のムルマンスク生まれ。1955年、モスクワ大学文学部に入学したものの、58年退学処分となり、以後、鉄道建設、電話ケーブル敷設工など種々雑多な職業で生計を立てながら、発表のあてのない作品を書きつづけた。これらの作品は、ペレストロイカ以前に、西欧で発表されたものもあるが、散逸してしまったものも多いという。晩年にはロシア国内で次々と作品が発表され、戯曲も上演されるようになった。1990年、死去。
代表作は、『モスクワからペトゥシキへ』(1970年執筆)である。この作品はサミズダート、タミズダートの時代から国内外の作家や詩人のみならず、レフ・グミリョフ、ユーリー・ロトマン等からも高い評価を受けていたというが、ペレストロイカ以後は完全に「現代文学の古典」という評価が定着したようである。タチヤーナ・トルスタヤは、「私は、『モスクワからペトゥシキへ』を20世紀後半のロシアの天才的傑作と呼びたい」と述べている。
*主な作品
Moskva-Petushki. Imka-Press, 1977, 1981 / Vest'. Knizhnaia palata, Moscow, 1989.
Vasilii Rozanov glazami ekstsentrika. Serebrianyi vek, New York, 1982/ Zerkala. Moskovskii rabochii, 1989.
Val'purgieva noch' ili "Shagi Komandora". Kontinent, No. 45, Paris, 1985.
Moia malen'kaia Leniniana. Kontinent, No. 55, Paris, 1988.
2.作品について
副題に「ポエマ」と銘打たれたこの作品は、作者と同名の主人公が、とめどない飲酒と酩酊のうちにモスクワからペトゥシキへ列車で向かう過程を、一人称で語る物語である。全編が列車の進行とともに綴られ、各章の名称が、例えば「カラチャロヴォからチュフリンカへ」などのように区間名となっている。タイトルからして、ラジシチェフの『ペテルブルグからモスクワへの旅』などを連想させるが、いわゆる旅行記とは全く異なり、現実の空間の移動はあまり意味をもたない。むしろ、明らかにインテリの主人公が、酒浸りの日常の中で、自らの魂の遍歴を語る物語なのである。
ある金曜の朝のこと、いつものように正体なく酔い潰れて見知らぬよその入り口で目を覚ました主人公ヴェーニチカは、二日酔いの吐き気に苦しみながら、クルスク駅を目指して歩きはじめる。ヴェーニチカは、モスクワに住みながら、クレムリンを一度も見たことがない。今日こそはとクレムリンに向かったつもりで出かけながら、足はそちらに行かず、クルスク駅から楽園ペトゥシキ行きの列車に乗り込んだ。
彼にとってモスクワは、苦しみに満ちた日常と俗悪なこの世の憂さの象徴であり、愛する女と唯一の救いである汚れなき幼子の待つペトゥシキは、地上の楽園である。したがってこの旅は、闇からの逃避と光の希求を意味する。彼のファンタスティックとも言うべき飲酒は、まさにラディカルなもので、オーデコロンはおろか、水虫薬や殺虫剤まで混ぜた特性カクテルをあおり続ける。それは、現実を逃避するためばかりではない。そこには日常、埋没している孤独と無理解の混沌の中から何とか出口を見出し、永遠の真理や人生の意義を探求しようという魂の叫びが、ぎりぎりのところまでこめられている。
実際、彼が繰り広げる独白は、しばしば哲学的、宗教的色彩を帯びる。ただし、その人生論は、決して深刻ぶった説教臭いものとはならない。それは、全編に漲る圧倒的なユーモアの精神によって独特な形をとるのである。例えば、人生は、理性や合理主義を凌駕する不条理や、人智では測り知れぬ謎に満ちており、だからこそ神は存在するという、そういう神の存在証明のくだりで彼は、吃逆についての生理と心情の理論を延々と展開する。つまり、飲みすぎたときに何の前触れもなく不意に起こる吃逆が、何秒間隔で続くか、その数字を、8、13、7、3、18、17...と並べてみせ、この数列がいかなる法則性も持たぬことを語るといった按配なのである。
ヴェーニチカは、一緒に乗り合わせた乗客と酒を酌み交わしながら、酒談議や恋愛論に興じるが、ここでは、ロシアのみならず世界の様々な文学作品や文学者、文化人がパロディ化される。さらに、酩酊の度合いを深めたヴェーニチカの混濁した意識の中に突如出現するペトゥシキの革命政府のエピソードは、ソヴェト政権およびロシア革命史のパロディとなっている。
ヴェーニチカが、この幻の革命政権の夢から覚めてみると、クルスク駅を朝出発してから一、二時間しか経っていないはずなのに、列車の窓外は真っ暗闇になっている。ここに至って、現実の時間は消失する。孤独と不安のどん底で、ヴェーニチカはサタンから飛び降り自殺の誘惑を受け、スフィンクスからペトゥシキへ入るための謎解きを突きつけられる。
これらが漸く姿を消し、ほっとしたのも束の間、ヴェーニチカは最も怖ろしいことに気がつく。ペトゥシキへ向かっていたはずの列車が、反対方向へ、つまりモスクワへ逆戻りしているのだ。いまやヴェーニチカ以外は、ギリシャ神話の復讐の女神エリニュスの狂乱した大群のみを載せた列車は闇と疾風の中をのたうちながら暴走している。
そして、とうとう行き着いた先は、やはりペトゥシキではなく、モスクワだった。ムーヒナの巨大な彫像、ハンマーを持った男と鎌を持った女に襲いかかられ、死を予感したヴェーニチカは、自分は結局、この世を受け入れずじまいで死ぬのだろうか、この世に生まれて良かったのかどうか、神に訊ねられても沈黙するしかない、人生は結局のところ束の間の魂の酩酊だ──と考える。
終焉の時は、ヴェーニチカが今まで一度も目にすることのなかったクレムリンが、その壮麗な偉容を燦然と輝かせる赤の広場で始まる。「あの人が裸足の奴隷の姿でロシアの地を隈無く遍歴したのだとしても、この場所だけは避けて通ったに違いない」そのクレムリンの前で、四人の刺客に追い詰められたヴェーニチカは、クレムリンの壁に頭を叩きつけられるが、何とかその場を逃れ、見知らぬ建物の入り口に駆け込む。ここで物語は空間的にもその円環を閉じ、振り出しに戻る。最上階の踊り場に辿り着いたヴェーニチカは、ついにその場で四人に両手両足を取り押さえられ、喉に錐を突き立てられ、息絶える。
3.コメント
以上見てきたように、この作品のストーリーは、悲劇と破滅の大団円に向けて、見事に収束される。全てが無に帰したその結果は、一見、一条の光も見出せないかのようである。しかし、実は、この作品のテーマの一つは、「復活」である。作品全体に聖書の引用、イメージは横溢しているが、特に「復活」にまつわる隠喩は何度も繰り返される。ヤイロの死んだ娘を復活させたときに、キリストが口にした言葉「タリファ・クミ」(娘よ、起きよ)は、パラレルになっている作品の始まりと結びのほか、「起きて歩めよ」の表現として、主人公が自らを励ますために呟いたり、愛する女から命じられたり、また死にかけた幼い息子に主人公が呼び掛けたり、等の様々な形で随所に鏤められている。
四人の刺客に取り押さえられた主人公の最期は、明らかに磔刑のイメージであるし、その他にも細かく拾っていけば、ヴェーニチカの行程全体が、ゲッセマニの園から磔刑に至る十字架の道行きを暗示していることは、間違いないことだろう。そして言うまでもなく、苦悩と絶望の果ての磔刑と死は、それで終わるわけではない。その後に復活が約束されているからこそ意味がある。
復活のイメージにもう一つ関わるのは、幼子の存在である。主人公にとって唯一の救いと希望である幼子は、「Iuの字だけ知っている」とわざわざ言及されている。このIuが何を象徴するか?断定はできないが、「お父さん、大好き」という息子の言葉のliubliuを強く意識させることは確実である。「我は愛す」というキリストの言葉と重なるIuの字が、断末魔の主人公の脳裏に、この世の最後の記憶として浮かぶという作品の結びにも、復活への希望がこめられていると言えるのではないか。
主人公の形象については、ハムレット、余計者、ユロージヴィ等、様々な意見があるが、既成の美の概念を覆し、「高尚」と「低俗」の二つの文化スタイルを合わせ持ち、苦悩と笑いの両方を表現するユロージヴィのイメージがいちばん近いかもしれない。
文体やジャンルの面から見ると、これは聖書のみならず、ロシアや西欧の文学、絵画、音楽の隠喩、またソ連の公式文書の決まり文句などが、文章の全面にわたってちりばめられ、一行ごとに、一言一句、悉くがパロディと暗喩のダブルイメージから成っていると言っていい。しかし、作品全体を貫く作者および主人公の個性が強烈であるために、それぞれの隠喩、文体模写、パロディ等が、バラバラの脈絡のないコラージとして並べられたり、その中に作者自身の声が埋没し掻き消されてしまうようなことはない。むしろそこに、類稀なる深刻にして悲痛なユーモア、現在のロシアの混乱を適確に見透した知性を感じさせる作品と言える。