●イスクレンコ, ニーナ Iskrenko, Nina
解説 鈴木正美
1. 作家について
1)経歴
1951年7月26日、サラトフ州ペトロフスクに生まれる。詩人自身の言葉によると「凡庸な芸術家になるよりも、平凡なエンジニアになるのだと子供のころから信じていた。この致命的な論理に従って、一般的に見ていい大学であるモスクワ大学理学部を目指した」。詩に対しては軽蔑の感情さえ抱いていた。しかし18才の時に見たヴォズネセンスキイの詩によるタガンカ劇場でのリュビーモフ演出作品『反世界』が彼女の人生を大きく変える。大学時代には「フィジックからメタフィジックへ調和的な移行」をしていく。大学卒業後は科学文献を英語からロシア語へ翻訳する仕事に携わる。1980年代初頭から文学活動を始める。1984〜85年に文集「ポエージア」に初めて作品を発表。詩人サークル「ポエージア」に参加。ここでドミートリー・プリゴフ、イーゴリ・イルテーニエフ、アレクサンドル・エリョーメンコ、ウラジーミル・ドルークなどアヴァンギャルドの詩人たちと出会う。また詩人キリル・コワルジーの主催する「ユーノスチ」の文学セミナーに参加し、多くを学ぶ。そこは「様々な世代のモダニストにとって、モスクワでただひとつの公の避難場所だった」。1991年詩集『あるいは』刊。同年ユーリイ・アラーボフとの2人詩集『国民投票』、さらにパリで『二言三言』刊。この年サンフランシスコで開催されたフェスティバル「越境。ソビエト・ニュー・ウェーブ」にも参加している。1995年アメリカで詩集『誤る権利』刊。内外で注目されるが、同年2月14日病没。
2)主要参考文献
Bunimovich E. Ia prosto budu riadom. Arion, No. 2, 1995. pp. 119-120.
Chernetski, Vitaly. Επιγονοι, or Transformation of Writing in the Texts of Valerija Narbikova and Nina Iskrenko. Slavic and East European Journal 38, No.4 (winter 1994). pp. 655-676.
Kelly, Catorina. A History of Russian Women's Writing: 1820-1992. Oxford: Clarendon Press, 1994. pp. 378.
Lipovetskii M. Patogenez i lechenie glukhonemoty: Poety i postmodernizm. Novyi mir, No. 7, 1992. pp. 213-223.
Trofimova, Elena. Soviet women of the 1980s : self-portrait in Poetry. Rosalind Marsh(ed.) Gender and Russian Literature. Cambridge University Press, 1996. pp. 206-225.
Trofimova, Elena. Iskrenko, Nina Iur'evna. Marina Ledkovsky, Charlona Rosenthal and Mary Zirin(eds.) A Dictionary of Russian Women Writers. Westport, CT: Greenwood Press, 1994. pp. 263-265.
3)ニーナ・イスクレンコ作品リスト(確認できたもののみ)
詩集
Ili: Stikhi i teksty. Moscow, Sovetskii pisatel', 1991. p. 112
Referendum. Moscow, Moskovskii rabochii, 1991. p. 46.
Neskol'ko slov. Paris : AMGA, 1991. p. 94
The Right to Err : Selected Poems. High John et al trs. Three Continents, 1995. p. 128.
アンソロジー収録作品
Fivanskii tsikl. Novye Amazonki. S. V. Vasilenko(ed.) Moscow, Moskovskii rabochii, 1991. pp. 149-159.
Natiurmort. Mansarda. L. Kropivnitskii(ed.) Moscow, firma"Kontrakt-TMT", 1992. pp. 83-93.
Address to an Assumed Interlocuter. Third Wave : New Russian Poetry. Kent Johnson & Stephen M. Ashby(eds.), Ann Arbor, The University of Michigan Press, 1992. pp. 89-99.
Hymne au polystylisme. Poesie des regions d'europe. Russie. Les Poetes de la Nouvelle Vague en Russie. Revue de la Maison de la Poesie. Namur, 1994. pp. 69-74.
Polystylistics. Twentieth century Russian poetry: silver and steel: an anthology. selected by Yevgeny Yevtushenko. New York, Anchor Books, 1994. pp. 1019-1022.
雑誌・文集掲載作品
Margaret Etvut. Vybiraia svoiu stranu. Poeziia 40, 1984. pp. 206-209.
Ozhidanie. Poeziia 43, 1985. pp. 84-85.
Molodets Ogulets Ogurtsovich. Avrora, No. 7, 1988. pp. 68-69.
Gimi polistilistike. Len' poezii, 1988. p. 164.
Na konfekty deneg net. Istoki, No. 19, 1989. pp. 48-57.
Na konfekty deneg net. Den' poezii, 1989. pp. 177-178.
Sovetskaia kul'tura ponesla. Iunost', No. 12, 1990. p. 94.
Iz zhizni terminov. Poeziia, No. 55, 1990. pp. 60-67.
Neskol'ko bespoleznykh svedenii ob avtore. Iunost', No. 11, 1991. pp. 66-67.
Drugaia zhenshchina. glas: glazami zhenhchny, No. 3, 1992. pp. 169-179.
Ia ochen' ne liubliu stikhi. Volga, No. 4, 1992. pp. 44-47.
Ia prosto budu riadom. Arion, No. 2, 1995. pp. 119-127.
Posle. Znamia, No. 3, 1996. pp. 133-137.
これらの他にRabotnitsa, No. 8, 1990.、 Molodaia poeziia-89、Antologiia russkogo verlibra. Karen Dzhanginov(ed.) Moscow, 1994.等にも作品が掲載されているが、筆者は未見。
なお次の遺稿詩集が出版準備中だという(Literaturnaia Gazeta, 13-III, 1996)。
O glavnom... Izd-vo"Risk", 1996?. (seriia "Liki")
2.イスクレンコに関する論評から
多くの研究者、批評家はイスクレンコを現代のアヴァンギャルド詩を代表する女性詩人として高く評価。エプシテインはメタリアリズムとコンセプチャリズムの中間的表現者として位置づけている。ケリーは実験的作品を書いている現代の女性詩人の中でも最も才能のある人物とみなし、彼女の詩の特徴を「クリシェ的状況、コミカルで魔法のような効果をもたらす表現」「からかうような意味の多様性」に見ている。また『ロシア女性作家事典1820-1992』では、「彼女は詩のソッツ・アートを多彩に表現する。コマールとメラミードやレーナ・プルイギンのような画家たちの文学的等価物である」(トロフィーモワ)としている。これは社会主義リアリズムを対象化する文学の試みとしてイスクレンコの作品を考える上で興味深い論評である。
3.作品の特徴
エヴゲーニー・ブニモヴィチの回想によると、イスクレンコは地下鉄環状線の中、開店したばかりのマクドナルドに並ぶ行列の中、博物館の翼竜の骨の間、列車の中、スケートリンクといった場所で詩のパフォーマンスを行った。それはまさしく日常を祝祭にしようとする行為だったという。実際にどのようなパフォーマンスを行ったのか想像しにくいのだが、「地下鉄環状線への乗り換え」という詩に見るように、実際の行為がそのまま詩になるか、詩がそのまま肉体の運動につながるパフォーマンスだったようだ。80年代のパフォーマンス・グループ「集団行為」が行ったパフォーマンスを想起させるが、イスクレンコはあくまでも日常、現実の生活を作品にし、作品とともに行為した。しかもその詩は「リズムをはずし、韻や句読点をなくした。横切ったり、斜めにしたりして書いた。余白、削除の線、但し書、言い間違いを残したままにした。彼女固有の言語で語った」ものである。ひとつのテクストの中で複数のテクストが混在したり、わざと削除の跡を残したりといった手法をリポヴェツキーは「ゲノ・テクスト(遺伝テクスト)」と呼んでいる。また、イスクレンコの詩にはジャズの即興をうたったものもあり、その多様なスタイルの混交と即興性は彼女の詩の大きな特徴であろう。こうした特徴をそのままタイトルにした「ポリスチリスチカ」(1984)は、80年代のイスクレンコの詩を代表するものとしてしばしば引用される。
ポリスチリスチカ
それは中世の騎士が
ホーズ(半ズボン)をはいて
デカブリスト通りの
13号食料品店を襲撃し
慇懃に悪態をつきながら
ランダウとリフシツの『量子力学』を
大理石の床に落とす時
〔…〕
ポリスチリスチカ
それは引き裂かれたリュックサックの
後ろのふたを見ながらの
星のエアロビクス
それは宇宙の不安定性の
法則
文字xに対する
ただのおめかし
ポリスチリスチカ
それは私が歌いたい時
あなたが私と寝たい時
そして永遠に
2人で生きていきたい時 〔…〕
さまざまなスタイル、言葉がどのように選択されるのか、作者自身は次のように述べている。「詩作はx=xでないものというところでx=xにすることである。なぜなら理由はひとつ。まだ開いていないすべてのパラシュートのために、どこかにもう一人のスカイダイバーがいるからだ」。イスクレンコ自身はこうした選択の定義を詩集『あるいは』の冒頭で次のような詩に表現している。
それは二項対立の鎖をつなげる輪
それは試験的な飛躍 緊張のかたまり トリガー
それは型をつくり支えるいつもの試み
生態学的なバランスにおいて
互いに終わりなく蔑みあう二律背反のはて
体質と意志
飛行するネズミと月並みなごまかし
理想のための闘いの犠牲になった純粋な魂たちと
権力のための闘いの犠牲になった理想 エトセトラ
〔…〕
あるいはまったく別のなにか
「憲法草案」(1988-89)という詩をはじめとして、イスクレンコの詩では同時代の言語的「レディ・メイド」が駆使される。ソビエト的スローガン、ことわざ、詩の古典からの引用、物理の法則、テレビのニュース、ありきたりの愛の言葉など、日常にあふれる言葉の極端な並置によって、不条理そのもののソビエトの日常が描かれる。「未来とはただゆっくりと過去を認識していくこと」という作業を通じて、詩人は自分の住んでいる世界の詩的遺産をすべて対象化し、脱構築していく。こうした傾向はイスクレンコのみならず、コンセプチュアリズムなどの現代詩において顕著である。しかしイスクレンコの場合、女性の側からのあたたかな、と同時にアイロニーに満ちた視点で世界は描かれる。
男は酔っ払い
膝の上で
電話の受話器を握りしめる
靴とぼろぼろの毛皮外套で
手狭な玄関で
彼は酔っ払い弱っている
親しく気楽にする義務はない
彼は電話のそばの床の上
受話器を握りしめ しゃがれ声で話す
彼女は英語で読んでいる
彼女はアイスクリームをなめる
彼女は彼の話をほとんど聞いていない
彼女の足はなんて
彼のジャケットはシャンデリアにひっかかっている
アラザンスカヤ谷の上
そしてワイングラスはマリネーの汁の中に沈んでいる
彼女は明日の三時はダメ
四時 八時 明け方
彼女はダメ きいているの? もうたくさん
彼女はもうほとんど服を脱ぎ
ベッドの入りかけ
なんて〔…〕 (1984)
都会に生きる男女の姿をイスクレンコは多く詩にした。ペレストロイカの時代になってその表現は従来の道徳観からより自由になり、時代を反映した語彙が多用されるようになる。たとえば「やせたい女性のためのスペシャル・ダイエット・コース」という詩は現代ロシアの女性にとって最大の関心事になった語彙をちりばめた、表層的な記号の羅列からなっている。「月曜日/セックス/ウィスキー/英語でちょっとトレーニング/ロシア語でフリー・ジャズ/クロスカントリー/中国式ボクシング/ウィスキー2杯/セックス2回/火曜日〔…〕」一週間のメニューはほぼ同じことの繰り返しであり、現代の女性週刊誌の記事のパロディーのようである。さらに同じころ書かれた詩「ショート・セックス(高齢の子供たちのための積み木)」の冒頭を引用する。
彼は消火栓ごしに彼女をつかまえた
口から 植物標本集をが ぱらぱら降り出す
内蔵の水族館はぼうっと光り 傾斜する
両脚で 彼を引き裂いた
メロ・メロ イランでウィークエンドはずっと
彼は彼女をつかまえた
車両じゅうで
彼女のすべてを 彼は食べた 石油は
発情して窮屈になった気管支をふさぐ
彼は体の柔らかな部分を食べた ふところからほとばしった
彼の喉には銅が燃えていた
メロ・メロ 霧のなか ひと月ずっと
ひと休みしようとして
彼はタバコを吸いはじめた 〔…〕
男女のエロスを描いた詩に、ナールビコワの作品との類縁性を見いだすものもいる。イスクレンコは「一つの感情でいっぱいだった。愛の感情で。ニーナはこの人生をとても愛していた。ごたごたした大騒ぎの人生を。自分の家を、家族を愛していた。友人を愛していた。彼らの詩や妻や子供を愛していた。ロシアを愛していた。自分の詩のばかげた、みっともない、舌足らずの主人公たちを愛していた」(ブニモヴィチ)。
「新しい作品は、それに先行する作品の拒否とみなすことができる」と詩人自身が語っているように、イスクレンコはさまざまなスタイルで自由詩をかいたが、晩年の作品は、より簡潔になり、死を意識した、身を切り裂くような表現になった。その死とは肉体ばかりでなく、崩壊を重ねていく世界であり、芸術の死であったかのようだ。
愛しているなら 神は不幸を許さない
一切れのパンをつかませ 労賃を支払い
おまえにビール ワインと水をついで
そしてどこかへ行くというのなら 旅の支度をしてやる
愛しているなら
苦しんでいるのなら それこそおまえの祈り
繕えない 無遠慮な
しず しず しず く く く しず しず しず く く く
イン・イン・イン・ト・ト・ト・ネー・ネー・ネー・ション・ション・ション
むむむむむ むむむむむ むむむむむ
(1994年7月16日)