●ケンジェーエフ、バフィト Kenzheev, Bakayt
詩作品
解説 鈴木正美
1.作家について
ケンジェーエフは1950年8月2日生まれ。アルバート街で少年時代を過ごす。1973年にモスクワ大学化学部を卒業。翌年、新聞に初めて詩が掲載されたが、その後は「ユーノスチ」「プラストール」などの雑誌や新聞でいくつかの詩が公になっただけで、主な作品発表の場は「37」や「時計」等のサミズダート誌だった。1974年に結成された詩人グループ「モスクワ時間」に参加し、文集「モスクワ時間」を発行。部数 10〜20 部というこの文集に参加したのは他に、アレクセイ・ツヴェトコーフ、セルゲイ・ガンドレフスキイ、アレクサンドル・ソプロフスキイ、ユーリイ・クブラノフスキイ等である。1977年「コンチネント」に作品が掲載されて以来、国外の亡命ロシア人雑誌での発表が主となる。
1982年にカナダに亡命。1984年に最初の作品集『抒情詩選 1970−1981年』がアーディス社から出版された。ベターキらからは好意的な批評を受ける。さらに2冊目の詩集『アメリカの秋』(1988)もニューヨークで出版された。
グラスノスチの時代になってロシアでも彼の作品は活字になるようになった。特に「ズナーミャ」では1989年に作品が掲載されて以来、毎年登場するようになった。あまり目立たない3冊目の詩集『最新詩集』(1992)以来、ロシアでは続けて『詩集「我れ愛す、ゆえに我れあり」より』(1993)が出版され、さらにこれまでの作品の集大成ともいうべき255ページもの作品集『バフィト・ケンジェーエフ詩集』(1995)が出るに及んで、この詩人の現代ロシア文学における地位は確かなものとなったようだ。また最新の詩集『星の文士』(1997)がプーシキン基金のアフトーグラフ・シリーズの一冊として発行された。同シリーズからはすでにクブラノフスキイ、ブロツキイ、ローセフ、ツヴェトコーフ等の詩集が出ており、亡命詩人の中でもケンジェーエフが高く評価されていることがうかがわれる。
彼の作品は詩ばかりでなく、エッセイや小説もある。少年時代から亡命に至るまでのソ連での日々を皮肉な視点で描いた自伝的小説「若き日の芸術家の肖像」(1995)は、1996年度のブッカー賞候補にもなった。
ケンジェーエフ作品リスト
詩集
Izbrannaia lirika 1970-1981. Ann Arbor, Ardis, 1984.
Osen' v Amerike. New York, Tenafly:Ermitazh, 1988.
Stikhotvoreniia poslednikh let. Moscow, P. S., 1992.
Iz knigi 《Amo ergo sum》: Stikhotvoreniia. Moscow, Nezavisimaia gazeta, 1993.
Stikhotvoreniia Bakhyta Kenzheeva. Moscow, PAN, 1995.
Sochinitel' zvezd: Kniga novykh stikhotvorenii. SPb., Pushkinskii fond, 1997.
詩
"Uvlecheny progulkoiu bestsel'noi..." Iunost', No. 2, 1974. p. 59.
Stikhi. Kontinent, No. 11, 1997. pp. 5-9.
"sobiraias' v gosti k zhizni..." Kontinent, No. 23, 1980. pp. 65-70.
Stikhi. Glagol, No. 3, 1981. pp. 99-106.
1984. Kontinent, No. 46, 1985. pp. 58-66.
"Odin ne uslyshit, drugoi ne poimet..." Kontinent, No. 52, 1987. pp. 112-123.
Stikhotvoreniia, prislannye iz Kanady. Kontinent, No. 56, 1988. pp. 66-79.
Stikhotvoreniia 1989 goda. Sumerki, No. 11, 1988. pp. 47-57.
Poslaniia. Sintaksis, No. 25, 1989. pp. 3-22.
Stikhotvoreniia 1982-1987. Znamia, No. 10, 1989. pp. 72-82.
Iz knigi 《Osen' v Amerike》. Druzhva narodov, No. 12, 1989. p. 144.
Pamiati Arseniia Tarkovskogo. Ogonek, No. 8, 1990. p. 12.
Iz stikhotvorenii 1989 goda. Kontinent, No. 62, 1990. pp. 149-155.
Novye stikhi. Znamia, No. 4, pp. 77-80.
"Inoi iskatel' chashi s iadom..." Iunost', No. 2, 1991. pp. 30-31.
Poslaniia. Volga, No. 4, 1991. pp. 55-69.
Vremia deistviia. Novyi mir, No. 9, 1991. pp. 3-5.
Stikhi poslednikh let. Znamia, No. 12, 1991. pp. 26-32.
Iz novykh stikhov. Novyi mir, No. 2, 1992. p. 63-64.
Ody i patrioticheskie poslaniia. Sintaksis, No. 32, 1992. pp. 3,10,24,38,45,65.
"Proshlo, pomerklo, otgorelo, ..." Contemporary Russian Poetry ; A Bilingual Anthology. Selected by Gerald S. Smith. Bloomington, Indiana University Press, 1993. pp.280ー291.
Nobye stikhi. Iz knigi 《Amo ergo sum》. Oktiabr', No.8, 1993. pp. 41-44.
Iz knigi 《Amo ergo sum》. Znamia, No. 10, 1993. pp. 19-28.
"Poets have often noticed..." Twentieth Century Russian Poetry : Silver and Steel. An Anthology. selected by Yevgeny Yevtushenko. New York, Anchor Books, 1994. pp. 1013-1014.
"Vremia techet neslyshno..." Oktiabr' No. 5, 1994. pp. 108-111.
Svobodnyi ot volch'ikh obid. Znamia, No. 11, 1994. pp. 108-111.
"Kazhdomu veku nuzhen rodnoi iazyk,..." Viktora Toporova(ed.) Pozdnie peterburzhtsy. Poeticheskaia antologiia. SPb., Evropeiskii Dom, 1995. pp.267-284.
"Ot vzorov revnostnykh, chuzhikh ushei-vorov..." Arion, No. 1, 1995. pp. 37-40.
Torgovets astrami. Znamia, No. 7, 1995. pp. 142-146.
Novye stikhi. Oktiabr' No. 10, 1995. pp. 90-91.
Pesok. Znamia, No. 3, 1996. p. 111-114.
Otchego aniuta plaksa?; Stikhi i basnia dlia novykh russkikh detei. Nezavisimaia gazeta, 17-VII, 1996.
Grazhdanskaia lirika. Znamia, No. 12, 1996. pp. 3-6.
Khorosho na otkrytii VSKhV. E. A. Evtushenko(ed.) Strofy veka. Antologiia russkoi poezii. Moscow, Polifakt, 1997. p. 927.
Sochinitel' zvezd. Oktiabr', No. 8, 1997. pp. 23-26.
小説
Plato. Roman. Znamia, No. 3-4, pp. 5-78. No. 5, pp. 72-135. 1992.
Mladshii Brat. Roman. Oktiabr', No. 7, pp. 7-68, No. 8, p. 22-80, No. 9, pp. 33-83, 1992.
Ivan Bezuglov. Meshchanskii roman. Znamia, No.1, pp. 62-109. No. 2, pp. 79-129. 1993.
Portret khudozhnika v iunosti. Povest'. Oktiabr', No. 1, 1995. pp. 3-102.
評論・エッセイ等
Akademiku Shafarevichu po prochtenii i ego issledovaniia o rusofobii. Sintaksis, No. 26, 1989. p. 193.
Gorodskii angel Ally Golovinoi. Kontinent, No. 63, 1990. pp. 331-336.
Stikhi Sergeia Gandlevskogo. Znamia, No. 10, 1992. pp. 55-58.
Antisovetchik Vladimir Sorokin. Znamia, No. 4, 1995. pp. 202-205.
Voiny u nikh v pamiati netu, voina u nikh tol'ko krovi. Znamia, No. 5, 1995. pp. 191-192.
Predskazaniia Evgeniia Reina. Znamia, No. 9, 1995. pp. 220-222.
Chastnyi chelovek Oleg Chukhontsev. Arion, No. 1, 1996. pp. 31-36.
/Rukopis'/. Znamia, No. 5, 1996. p. 233.
Kliuch ipokreny. Literaturnaia gazeta, 26-VI. 1996.
インタビュー
Sovremennaia poeziia otkryta, plamenna, mnogolika..." Bakhyt Kenzheev - Iurii Kublanovskii. Russkaia mysl', 17-I, 1985.
Sny o Gvadelupe, ili Prizraki iavliaiutsia iurodivym. Bakhyt Kenzheev - Efim Bershin. Literaturnaia gazeta, 15-III, 1995.
Chernogo kobelia ne otmoesh' dobela. Bakhyt Kenzheev - Efim Bersin. Literaturnaia gazeta, 15-III, 1995.
参考文献
Betaki V. Dve s lishnim vechnosti nazad... Kontinent, No. 44, 1985. pp. 359-363.
Kopeikin A. Bernost' sebe. Grani, No. 137, 1985. pp. 302-305.
Miloslavskii Iu. Khorosha, i legka, i nelepa... (O stikhotvoreniia Bakhyta Kenzheeva). Russkaia mysl', 30-VIII, 1985.
Bershin E. Bakhyt Kenzheev. Stikhotvoreniia poslednikh let. Literaturnaia gazeta, 25-VIII. 1993.
Kudriavitskii A. Poeziia poverkh bar'erov. Knizhnoe obozrenie, 21-I, 1994.
Falikov I. Ostal'nye; Russkie zarubezhnye poety - posledniaia staika na chuzhoi territorii? Literaturnaia gazeta, 23-VIII, 1995.
Falikov I. A ne imeiu liubvi, -to ia nichto; Dvoiashchiesia znaki posledonikh vremen. Nezavisimaia gazeta, 27-IV, 1996.
Zhazhoian M. Poslaniia Bakhyta Kenzheeva. Russkaia mysl', 6/12-VIII, 1996.
Rogov O. Tret'ia na rodine. Znamia, No. 1, 1997. pp. 218-219.
Falikov I. Lishnii slog; Zhizn' posle smerti v stikhakh i proshchanii s Bogom. Nezavisimaia gazeta, Ex libris NG, 17-VII, 1997.
鈴木正美 翻訳不可能な詩とはなにか──バフィト・ケンジェーエフ「ユリイカ」1998年2月号、306−307ページ。
2.作品について
第一詩集『抒情詩選 1970−1981年』は、詩を書き始めてから亡命前までのソ連時代の詩をまとめたもの。このころの詩はそれほど難解なものではなく、ベターキのいうように、都会やそこに住む詩人の孤独を主要なモチーフとしている。特に彼の敬愛する詩人であるブローク、マンデリシュターム、ホダセーヴィチの作品の影響を強く受けており、西洋文化の伝統とそれを体現する都市のモチーフ(この点はきわめてペテルブルグ的な都市感覚の詩人であることをヴィクトル・トポロフは指摘している)は、ケンジェーエフにとって現在も重要なものとなっている。ケンジェーエフはインタビューや詩の中でマンデリシュタームに度々言及している。
通り過ぎ、かすれ、燃え尽き、
恥もなく、罪もなく。
銃殺に該当するものはみな
殺され、埋められた。
そしてただ風だけが、眉をよせながら
奴隷たちの序文の
幾多の試練を経てきた巨匠たちの眠る部屋を
朝までたたき続ける。
だが私のように罪深いものには、すべての穴が
脚に薄板の札をつけられた
マンデリシュタームの骨が朽ちていく
じめじめしたタイガにあるように見える。 (1981)
亡命後はアメリカやカナダでの都市生活をうたう一方で、祖国へのノスタルジーや友人たちとの思い出をうたった作品も増えていく。やはりここで主要なモチーフとなっているのは亡命詩人の孤独であり、異境で詩をかく詩人の姿、それを取り巻く風景が暗いトーンで描かれるが、けっして絶望的ではない。
虚ろな通り、扉の下のくぼみ。
秋の世界は清涼にして非具体的。
40 年のポプラは私の上で
まだブリキの葉をざわめかせている。
この木の持ち主は来年の夏
きっと切り倒してしまうだろう ── 光を遮らぬように、
ざわめかぬように、頭上で歌わぬように、
根が舗装道路を反り返らせぬように。
そして、ろくに呼吸もできない ── たとえどんなに望んでも
9月の悲哀、かよわい最後の太陽で… (1984)
あるいは愛(ブローク風の「見知らぬ女」も登場する)や神を扱った詩も多い。神との対話らしきものは、その多くが問いかけばかりで、答えが返ってくることは少ない。しかし詩人は問いかけ続けざるをえない。
生きている間、ろくに考えもせず、むせぶように
おまえは嘆息する、「我れ愛す、ゆえに我れあり」と──
いま私たちはくもり空の道を浮遊し、
神と語り……神と別れ。
1930年以降のマンデリシュタームのように、ケンジェーエフの詩は長短さまざまな詩形を用い、時に自由詩もかく。日常の生活風景をアクメイズム風に描くが、時事的なモチーフも多く、異郷からロシアを見つめる目は皮肉であると同時にまた同情に満ちている。たとえば、「1991年 8 月17日」という作品の一部、
秋の小公園、痩せた子供たち、きのうの
新聞をぱらぱらめくる風。
請願のとぎれることのない手紙、だれが
使い捨て注射器を、だれが
アメリカからの薬品を懇願しているのか、だれが
身寄りのない老後を泣いているのか。
そして
仮にもこんなふうに「おまえは資本主義の
隣りにいるのに、そこから遠い」と言う
詩人はいない……
我が祖国よ
なんとおまえは疲れ果てたことか、せめて
白髪になり乱れたおまえの髪を
撫でたり、冷たい水を
飲ませてやりたいのだが……
「私は15年前、5、6人のスラヴィスト以外に誰も詩人を必要としない国にやってきた。まあ、これはとても辛いスタートだった」。しかし亡命生活の「15年間にわたって私は、ポエジーから生まれるものに静かに接することを学んできた」というように、深められた思索はケンジェーエフの詩の強度を増し、表現も内容もますます複雑なものになっていく。マンデリシュタームやホダセーヴィチの詩風を受け継ぐ複雑なメタファー、先行する文学作品の引用の連鎖からなる作品は翻訳困難なものとなっている。またあるインタビューで彼とまったく傾向の違うコンセプチュアリズムの詩人プリゴフについて次のように述べている。「プリゴフは曲芸師だ。これは悪い意味で言っているのではない。プリゴフは文化的な気晴らしを言葉に求めている。彼の詩は読者を喜ばせる」。プリゴフはいわば現代のスコモローヒであって、こうした詩人は必要なのである、「彼が自分の戯画を世界図絵に加えるのなら、それは未来の文化の発展に役立つ」。さらになぜこうした傾向が欧米で人気があるのか、という質問には次ぎのように答えている。「それはたぶん、彼らモダニストの詩が簡単に翻訳できてしまうということにあるのだろう。それはどれも面白いし、ある深みでさえ、翻訳でもロシア語と同じように立派にひびく。プーシキンあるいはマンデリシュタームを翻訳するのが実際不可能なのに対応しているんだね。一方コンセプチュアリズムやメタメタフォリズムは翻訳可能だ。メタファーは翻訳できるのだから。(中略)我々の高度な詩文化は自給自足状態だ。詩は言語にきわめて寄りかかっていて、そこにはきわめて深い根があり、翻訳の対象にならない。本当に、もし我々のポエジーが完全に翻訳の対象になるというのなら、翻訳されてきただろう。アメリカ人はいつも見逃しはしない。しかし彼らはポエジーを理解していない。そう、時折わずかな大学出版がアンソロジーを出している。しかしそれだけだ。アメリカ人も自分たちの詩人を読んでいない。我々の詩人においておやだ。」(「文学新聞」1997 年 8 月 6 日)
最新詩集『星の文士』には、ケンジェーエフが一貫してかいてきた古典主義的な端正さやロマン主義的夢想、詩の定義をめぐる思索、神との対話のような宗教的題材を扱った様々な詩が収録されている。
語れ、夢想にふけりつつ、栄誉を
生活の一部への真実を、
二つに分裂した現実で
おまえの意志を洗うように。
『星の文士』より
***
心ゆさぶる色とりどりの
秋は窓枠の中
村のふっくらした林檎や
風邪、泥濘、焚き火で赤々と燃え上がる時 ──
まだ枯れ枝はぱちぱちとはぜ、
濡れたページはくすぶり、
しかしエロスは声を抑え、
悲しみに満ちて夢に現れる。
だがどこかで別の情熱が
支配している ── 私だけがそれを知らず、
自分の国に魅了される、
その氷、その樹皮製の。
砂は微かにざわめき、柳は揺れ、
凍てつき、生きた心地はない
足元も危ない入り江のふちで、
投げられた言葉はぼろぼろと崩れる。
そこでは風が、塩気のない塩のとりことなり、
日曜日の魅惑に刺し貫かれている。
そこでは私のものでもなく、他のものでもない
唖の肉体が、困窮している ──
たくさんの窓を持った宇宙でだけ
不死の農奴と寝取られ公爵は
貧しい生の恐るべき
違法の歓喜を売買している…。
***
長い河、埃まみれの書物を通じて、砂粒のような人はみなの物になる
だがその言葉は思い出す 石のようになった文章の跡や
古風な赤茶色のインクをとどめていない 進歩、偉業、色褪せた草稿を、
遅れてきた海の香りを、生家を、石灰石を。
彼の魂が鈴蘭をもぎ取り、涼しい小屋から幼子のように
遠い光を見る、死のないエラスのようなところは何処なのか。
夜の巣穴から獣は這い出し、牧童は黙って花輪を編み、
きら星のような人々が最初の議論を交わす ── 誰が狼の子で、誰が犬の子なのか。
そして屋根の上で北東風がうなる間、人の両目は闇をむさぼり飲み、
星の文士は奇妙な時間、びくびくと一晩中眠らない、なぜなら
彼の大海は引きずり、引きずり込み、誑かし、音を立て、流れ ──
生ける大地の空色の狼が子守り歌をうたうので。
***
ローマに雨は降り注ぐ、あたかもこう繰り返すように、「信じろ、
穴の中にも、故郷のヤマナラシのざわめきの中にも
おまえは消えてなくなりはしない」── しかし獣は、
星は、波は死ぬ。そしてブロツキイも死んだ。
穀物を刈り取る人、仕立屋、あるいは笛を吹く楽士は、
唇を血に染め、カーキ色のマントは汚された ──
まるで他人の、いまだ生きている歌い手は
廃墟の中で呆然として声も出ない。
彼は笑ったり、泣きわめいたりはしない。
石の霧の中でラテン語のにおいがする。
まだ何かあるというのか? 自らの名を
誰もが忘れ、誰もが呼ぶのか?
だがコロセウムに人影のないこの時、
ただ壁には月光の中、
未知の友人たちからの手紙が黒く見えるだけ ──
「ぼくらはここにいた。セリョージャ。アーリク。ペーチャ」
***
満ち足りた渋面の誇り高き男は
濃いワインを飲み、羊の肉を食べている、
彼は人々の話し声をひとつ残らず知っている。
彼は夜ごと自分の女を支配する
女は笑って夕食の支度をし、
食後はこの夫を支配する。
しかし男を魂の不具者へと変える
誘惑がやってくる。
葬儀から戻ると 彼は黙って壁を見つめる、
残忍な微笑を浮かべて黒い悪意が湧き起こる
古代ギリシャ人を鬱病と呼ぶこと、
この男にこれ以上の慰みはない。
気だるさと無気力がこみ上げるのをこらえながら、
彼は台所に行き、崩れるようにひざまづく──
手のひらを組み、まなざしは柔和に、
そして天空の玉座にどっかと座り、
人間存在を冷徹に統治するものとの
真剣な会話に真理の渇望。
天空に座るものとの対話を記憶せずに、
導いてはならない、いや、それは一面的なもの、
この疲れきった奴隷はロシアの闇の中
一つの問いを祈りの中で憂えている
「死はないと、言ってくれ、慈悲深き神よ!」
だが聞こえてくるのは、「…そして永遠の生もまた…」