● ユーリイ・コヴァーリ『スーエル・ヴィーエル』 Koval,Iurii
武田昭文
1.作者について
1938
年モスクワに生れる。父は民事警察官、母は精神病医であった。モスクワ教育大学に学び、Ю.ヴィズボルやЮ.キム(後の〈Московские
барды〉)、П.フォメンコ(演出家)らと交友する。また同じ頃、彫刻家のВ.レムポルト、В.シドゥール、Н.シリスに出会い、彼らの紹介でБ.チェルヌィシェフに就いて画を学んだ。1960
年代初めから、コヴァーリはГ.サプギールやИ.ホーリンとともに「子供のための詩」を発表しはじめる。1966
年本格的な作家活動に入り、以後の彼の創作は大きく三つの時期に分けて見ることができる。
第一期( 1966-74):デビューから成功まで国境警備犬の物語「アールイ」(Алый,
1968)で、新進児童文学作家として認められる。
ヴォログダ地方を取材し、短編集『チーストゥイ・ドール』(Чистый
Дор, 1970)を編む。
探偵小説『ヴァーシャ・クロレーソフの冒険』(Приключения
Васи Куролесова, 1971)で全ソ児童文学賞を受賞。1972
年Б.シェルギンの推薦によりソ連作家同盟に加入する。
第二期( 1975-89):検閲との戦いと新たな作風の開花
傑作『北極ギツネ』(Недопесок, 1975)を発表。アルセーニイ・タルコフスキイ、Б.アフマドゥーリナに絶賛される。故郷をめざして毛皮獣飼育場から脱走する子ギツネを描いたこの物語は、当時のユダヤ人出国問題とイメージが重なったため、検閲当局の疑いを招き、以後コヴァーリは作品の発表に干渉を受けるようになった。が、作家の筆は衰えず、第二の代表作『世界でいちばん軽い舟』(Самая
легкая лодка в мире, 1984)は国際アンデルセン賞を受賞する。この時期、コヴァーリは様々な文学ジャンルと文体の実験を試みており、散文詩風の小品を集めた六冊の絵本(Т.マーヴリナ挿画)がよく知られる。
第三期( 1990-95):沈黙と遺作『スーエル・ヴィーエル』
ペレストロイカからソ連崩壊にいたる時代、コヴァーリは児童文学の枠を超えた創作に向かう(もとより彼の作品は、大人と子供を区別するものでなかったが、より大人の読者に向けて書きはじめたと言うことはできる)。しかし、新奇性と話題性がもてはやされたこの時代に、コヴァーリは時の関心から置き去られて、不遇であったようである。晩年のコヴァーリは、40
年来構想を暖めていた長編小説『スーエル・ヴィーエル』(Суер-Выер,1995)に没頭し完成するが、その刊行を見ずに1995
年死去した。
作家の死後、『スーエル・ヴィーエル』をはじめ、下記の著作集が刊行された。
『スーエル・ヴィーエル』(序文Б.アフマドゥーリナ)(Суер-Выер,
М., ВАГРИУС, 1998)
『アウア』(Ю.ファイト編、序文В.エロフェーエフ)(АУА,
М., Подкова, 1999)
『北東風』(Ю.ファイト編)(Листобой, М., Подкова,
2000)
2.作品紹介
2-1 あらすじと構成
『スーエル・ヴィーエル』のストーリーはきわめて単純である。
「いつどことも知れぬお伽話の世界。ぼくらのおんぼろ帆船〈聖ゲオルギイの勝利〉号は、船長のスーエル・ヴィーエルに率いられ、〈真理の島〉を求めて航海を続ける。ぼくらは、航海中に様々な不思議の島を訪れ、漂流の果てにとうとう〈真理の島〉を発見する。
それは、ぼくらがそこから旅立ってきた故郷ロシアにほかならなかった。」
しかし、ストーリーが単純であればあるほど、あらすじは物語の内容について何も語らないものになる。もっと言えば、物語の枠が強固であればあるほど、その内容の描き方は作者の自由になる。『スーエル・ヴィーエル』もまた、作者のコヴァーリが、古来人生のメタファーである「航海記」という伝統的ジャンルを選ぶことで、このジャンルに固有の「偶然性」を生かして、自由奔放な語りの遊びを行なった作品である。
『スーエル・ヴィーエル』は、語り手(ぼく)の日付のない航海日誌として設定され、
全XCV(95)章の、それぞれ章題がついたショート・ショートの読みきり形式で構成され
ている。各章の内容は、不思議な島々の探検、船内での出来事、退屈まぎれの哲学談義等々、
まさに何でもありで、そのすべてが「航海記」というジャンルの方則に従って行き当たり
ばったりに展開していく。
このように『スーエル・ヴィーエル』は、冒険小説のかたちで繰り広げられる、いわば語りのバラエティー・ショーである。従ってこの物語の面白さを紹介するには、是非とも具体的な引用に就いて見なければならない。
(読者は、なるべくならばここで、本稿に付した「抄訳」をご覧になっていただきたい。
『スーエル・ヴィーエル』の各章は、ある種アネクドート的な完結性を持っており、その語りの調子や文体を知るには、どうしても章の全体を見る必要があるからである。)
2-2 文体的特徴
ひと癖もふた癖もある連中が乗った阿呆船。その航海における出来事が、グロテスク、ナンセンス、エキゾチズムの三拍子を取り揃えて語られるとなれば、われわれがまず思い浮かべるのは〈メニッペア〉というカーニバル文学のジャンルである。事実、コヴァーリはこの物語を、ラブレー、セルバンテス、スウィフトの系譜につらなる「笑いの文学」として書いたと証言しており、両者の類似性は一読してあきらかだ。しかし、このことから『スーエル・ヴィーエル』を単純に世界文学のある伝統に位置づけ、その(例えばポストモダン的な)解釈に向かうとしたら、それはコヴァーリという作家をも『スーエル・ヴィーエル』という作品をも正しく理解することにはならないだろう。なぜなら、『スーエル・ヴィーエル』の根にはまず、〈メニッペア〉という以前に、作家が直接師事したБ.シェルギンやС.ピサーホフといった「北部の語り部」のスカースや〈ホラ話〉の伝統があるから
だ。
このように、一方でほとんどフォークロア的と言ってもよい「語りの文芸」に根ざし、また一方でほとんどコンセプチュアリズム的とも言える鋭角的な笑いで、たしかに現代の「実験小説」になっているところに、『スーエル・ヴィーエル』の魅力があり、ひいてはコヴァーリという作家の面白さも複雑さもある。
従って、以下に指摘を行う『スーエル・ヴィーエル』の文体的特徴についても、どこまでが〈ホラ話+メニッペア〉的な要素であり、またどこまでがさらに〈実験性〉の要素であるのか、報告者自身、判断をしかねる部分が多々あることを告白しておこう。せめて、『スーエル・ヴィーエル』の原文の雰囲気なりを紹介してみるつもりである。
①ことば遊び
『スーエル・ヴィーエル』は、全編が様々なことば遊び(語呂合わせ、造語、アネクドート的な比喩の取り違いなど)でなりたっている。まず、物語のタイトル自体がことばの遊びである。《Суер-Выер》という語は、ごく自然に〈суеверие〉(迷信)の連想を誘う。
〈суеверие〉とは、かみくだいて言えば、「あだな願い」ということで、魔術や占い、さらにこの世の論理を越えた不思議な力や神秘を信じる心のことだ。つまり、そのような心が人の姿となったのが、「ぼくらの船長スーエル・ヴィーエル」であり、そんな夢見る心に率いられた旅がこの物語なのである。
このように、ことばから人が生まれ、ことばから物語の空間が開かれるという仕組みは一貫しており、ここでは比喩するものとされるものの相がひとつながりである。そうしたことばの連想の鎖の例をひとつ引用しよう。
『スーエル・ヴィーエル』は三部からなり、それぞれ「Фок(前檣・フォースル)」「Грот(主檣・メーンスル)」「Бизань(後檣・ミズンマスト)」と名づけられているが、以下に引用する一節は、「ぼくらの〈聖ゲオルギイの勝利〉号」そのものがことばで出来ており、またかれらの航海自体がことばで出来たフレスコ画のようなものであることを示唆する
Тремя главнейшими мачтами облик《Лавра》,
однако, не исчерпывался, и наш капитан сэр
Суер-Выер, когда имел желание, добавлял к
Фоку . Строт, ко Гроту . Экс, с Бизанью же
устраивался еще больше сложности.
Если капитан хотел кого-то
наказать, он ссылал куда-нибудь на сенокос
или на уборку кортофеля именно за Бизань, а
если этого ему казалось мало, ставил тогда
за Бизань дополнительную мачту . Рязань,
если уж не хватало и Рязани, ничего не
поделаешь .
Сызрань.*(С.269)
*Сызрань(サマーラ州の都市の名)
②羅列法
ことば遊びにことばの連想ゲームと来れば、待ってましたと現れるのが羅列法である。
この口承文芸にも〈メニッペア〉にも特徴的な手法は、『スーエル・ヴィーエル』では、つ
ねに造語といっしょになって繰り出される。『スーエル・ヴィーエル』における造語は、ほ
とんどすべての章に出てくると言ってもよいくらいだが、決して難解なものではなく、文
脈とリズムで大体すぐに解することができる。ここでは、「抄訳」(第XLVI
章)にある「旗
男セミョーノフ」の墜落の場面を引用しよう(造語は〈хухры〉という語である)。
Описав светосекусальную
траекторию, раскидывая вихры, махры, хухры и
штармовки, механик вороном пролетел над
полубаком, свистнул в кулак и рухнул как раз
в машинное отделение, где немедленно и
приступил к исполнению своих прямых
обязанностей.(С.145)
③ユーモアとイロニー
このような『スーエル・ヴィーエル』の語り口の基本にあるのは、ユーモアとイロニーである。こう言ってしまうとなにか上品だが、コヴァーリの場合、どちらも切れ味が鋭く、ユーモアは爆笑をよび、イロニーは水を浴びせるようだと言い添えておこう。
しかし、この二つが奇妙にいっしょになっている文学的パロディがあり、読者は笑いを覚えつつ、同時に反応に困る思いをする。例えば、第XXII
章で、買物袋をさげて波の上に立っているデブ女というのは、グリーンの『波の上を走る女』のパロディではないか。
また、第XXX
章の「浮かばれない天才の島」で、原稿の入った枕を抱いてぼやいている詩人はフレーブニコフの戯画にちがいない。また、数章にわたって議論される母音の性の問題は、あきらかに『モスクワ―ペトゥシキ』における〈ю〉をあてこすっている。ただ、いずれのパロディについても言えるのは、それが格下げでありながら同時にオマージュになっていることだ。このようなコヴァーリの笑いは、恐らくカーニバル文学の問題として理解することができるだろう。
2-3 〈挨拶〉としての文学
もうひとつ、『スーエル・ヴィーエル』で見逃せないのは、この物語における〈献辞〉の意味である。作品全体がБ.アフマドゥーリナに献じられているほか、以下のそれぞれの章が作者の身内や友人に捧げられている。――第VIII
章、И.オフチンニコフ。第XVI 章、В.レムポルト。第XXI
章、妻Н.デグチャーリ。第XXIII 章、Т.ベーク。第XL 章、Р.ハリトーノヴァ。第XLII
章、И.Я.ソコロフ。第XLIII 章、Ю.キム。第XLVII 章、Я.アキム。第LVIII章、В.ベローフ。第LX
章、Ю.ヴィズボル。第LXII 章、Н.シリス。第LXX
章、最初の編集者О.Б。第三部全体、Е.フィリッポヴァ。(なかには作者の友人が実名で登場してくる章すらある)。
これ以外にも、先に挙げたパロディのように、作中で直接間接にオマージュが捧げられ
ている例は、恐らく無数にあるはずだ。
このような『スーエル・ヴィーエル』の特徴を、ある書評は〈仲間内性〉ととらえて、「常連客あいての寸劇」に譬えて非難している(К.ゾーリナ)。しかし報告者は、この意見に反対である。顔のない読者に向かって語りながら自らの顔も失っていくのが常態の現代文学のなかで、コヴァーリがこのように具体的な受信者を持ち得たことは、稀有な幸福であり、それはまたコヴァーリのことばの具体的な力の源になっていると考えるからだ。
『スーエル・ヴィーエル』は、いわば〈挨拶〉としての文学の在り方を誇示することで、
現代文学のなかに独自の場を占めている。
3.コメント
ロシアでの『スーエル・ヴィーエル』をめぐる評価について語りたいが、正直のところ、あまりはっきりしたことが分らないというのが感想である。つまり、それほど話題にならなかったということであり、数少ない書評を読んでも、友人らに聞いても、「昔の『北極ギツネ』や『世界でいちばん軽い舟』は良かった」とか、「面白い章はあるが、通読するのがつらい」とか、多くがとまどいの色を隠せないようすだった。そうした意見のなかで最も共感したのは、大学の同僚のВ.カザケーヴィチ氏が言った――「失敗作にちがいないが、ちょっと類のない失敗作だ。小さな成功作を書くのは誰にでもできる。だが、本当の作家は、読者の期待を裏切って新しい試みに挑戦し、そして見事に偉大な不成功を収めるものだ。ぼくにはそのへんの巧い小説より、コヴァーリの偉大な不成功の方が遥かに刺激的だね」ということばだった。
ロシアの読者が何にそれほどこの小説の〈失敗〉を感じたのかという理由を、報告者は簡単に説明できると思う。かれらにとってコヴァーリという作家は、何よりもまず優れたストーリーテラーとしてあった。つまり、読者は見事な語りにのせた筋の展開を楽しんだのである。ところがコヴァーリは、『スーエル・ヴィーエル』において、「航海記」というジャンルの約束事を突きつめることによって、筋の展開を語ることを放棄し、筋によらぬ自立的な語りの〈至芸〉を追求したのだ(ちなみにコヴァーリには、同じく船旅を舞台にした『世界でいちばん軽い舟』において既にこのような志向はあった)。しかし、それは物語を筋で読むことをこよなく愛するロシアの読者をとまどわせ、結局、かれらは〈芸の人〉としてのコヴァーリの欲求を測りかねたのである。
これ以外にも、『スーエル・ヴィーエル』を通してコヴァーリから強く印象づけられたのは、今のロシアの作家になかなか見ることのできない、〈反時代性〉というものだった。
最後に、1999 年に刊行された『アウア』に寄せた序文でВ.エロフェーエフが面白いことを言っているので、それを紹介しよう。簡単に要約するとこういうことである。
「コヴァーリという作家は、資質からいっても経歴からいっても、最も情け容赦のないコンセプチュアリストになれる人だった。しかし、かれはその道を選ばずに、ユーモアと愛によって世界を正当化しようと、敢えて滑稽文学の作家になったのだ。それでもなお、コヴァーリの作品からはイロニーとシニズムの影が消えることはなかった。が、そうしたユーモアとイロニー、愛とシニズムが、コヴァーリなのだ」
4.文献一覧
○コヴァーリの著作(報告者が1995
年以降に入手できたもの)
Опасайтесь лысых и усатых:Повесть и
расказы..М.:Книжная палата, 1993..352 с.
Кепка с карасями:Рассказы.(Рисунки Г.
Юдина).М.:Детская литература, 1997..239с.
Суер-выер:Пергамент..М.:ВАГРИУС, 1998..320 с.
Приключения Васи Куролесова:Повесть.(Художник
Д. Матарыкин).М.:Стрекоза,1998..102 с.
Приключения Васи Куролесова:Повесть.(Рисунки
В. Чижкова).М.:ЭКСМО-пресс,1998..96
Пять похищенных монахов:Повесть.(Художник
Б. Косульников).М.:РОСМЭН,1999..144 с.
АУА:Монохроники. Повесть..М.:Подкова,
1999..464 с.
Листобой:Избранные произведения..М.:Подкова,
2000..510 с.
○関連資料(インタビュー、書評、辞典類など)
Скуридина И.《Я всегда выпадал из общей
струи》(Беседа с Юрием коавлем)//Вопросы
литературы. 1998, No.6, С.227-272.
Зорина К. Юрий Коваль. Суер-Выер. Пергамент.
(http://www.russ.ru/journal/kniga/98-04-09/zorina.htm)
Бондаренко В. НЕДОПЕСОК, Юрий Коваль из
поколения《пониженных гениев》//Книжное
обозрение《EX libris НГ》10.03.2000. С.3.
Детская литература:Хрестматия с
основами литературоведения..М.:Академия,
1996.
С.447-456.
Детская литература:Учебное пособие..М.:Академия,
1997. С.371-377.
Писатели нашего детства. 100 имен.
Биографический словарь в 3 частях. Ч.1..М.:Либерея,
1998. С.208-212.
Русские писатели 20 века. Биографический
словарь..М. : Большая Российская
энциклопедия, 2000. С.349-350.
○映画・アニメーション
Недопесок Наполеон Третий. Худож. Фильм.
Реж. Э. Бочаров. СССР, 1979.
Пограничный пес Алый. Худож. Фильм. Реж. Ю.
Файт. СССР, 1979.
Приключения Васи Куролесова. Мультфильм.
Авт. сцен. Ю. Коваль и В. Попов. Реж.В.
Попов. СССР, 1981.
『スーエル・ヴィーエル』抄訳
第I-VI 章嵐(シュトルム)*
ぼくらの〈聖ゲオルギイの勝利〉号には前方水先案内人がいた。
ヤーシコフだ。
ぼくらはついでに後方水先案内人も立てることにした。ナニ、いるに越したことはない。
ズバリ言って必要だ。で、そいつを立てて、名前はつけてやらなかった。なんだって後方水先案内人に名前をつけてやる必要がある。
そいつは愚痴を言う。
「ねえ、なんでもいいからつけてくださいよ。せめて、その、ブーニンとか……」
もちろん、ぼくらはいかなるブーニンもそいつにくっつけてやらなかった。
さて、後方水先案内人は、後方を見て、ふいにさけんだ。
「嵐だ!」
「ばかな!」ぼくらの船長サー・スーエル・ヴィーエルは驚愕した。「シュトルムは死んだぞ」
「誰が死んだですって」
「シュトルムだ。アポリナーリイ・ブラームソヴィチ・シュトルム」
「船長、いま言ってるのはべつの嵐です」と、あわてて前方水先案内人のヤーシコフが言った。
「べつのも死んだぞ」と、スーエル。「その二年後にな」
「いいですか、船長」と、さっきブーニンをねだったやつが言った。「すぐに総員上甲板の号令をかけてください」
「癌でなあ」と、船長はあれとこれのシュトルムの死因を語った。
「あんまりだ、神様」後方水先案内人はあたまを抱えた。「おれたちみんな気違い船に乗っけられて、あてどなく海をさまようんだ。畜生!」
「二人とも癌だった」スーエルは物想いに沈んだ。
嵐のまえの静けさ。ただ、喫水線の軋みと、なにか格子縞の音がする。マダム・フレンケリが、いっそうきつく毛布にくるまったのだ。
*20
世紀末における読書文化の退廃は、作者をして、章の二重増し、三重増しはおろか、
ご覧のような六重増しを余儀なくさせた。
第VII 章ヴァレリヤン・ボリーシィチ島
「このシュトルム輩と六重増しとやらのおかげで……」と、あるときぼくらの船長スーエル・ヴィーエルは言った。「真理の島は影もかたちも見えやせん。ところで、フム、なにか小島が見えるな。ひょっとして、真理の島かも知れんの。おーい、パホーミィチ!
櫂干せェー、帆ォ巻けー」
「帆ォ巻くのはもううんざりです、サー」と、一等航海士は答えた。「帆ォ巻いて、帆ォ巻いて……全く、ろくなことありません」
「いいから、つべこべ言わずに帆を巻け!」
じきに、パホーミィチはしかるべく帆を巻き、ぼくらはボートを漕いでその島に近づいていった。それはごく小さな島で、望遠鏡にすっぽりおさまるくらいだった。生きものがいるようすはなかった。いちめんの砂浜で、ただその砂浜があちこちぽこぽこ盛り上がっている。
さて、ボートが島に乗り上げると、驚いたことに、そのぽこぽこがいっせいに蠢いて、どこから取り出したのか、ベロアの帽子をまぶかにかぶった。なんと、それは砂溜りではなくて、帽子をかぶった人のあたまが砂の穴から突き出ているのだった。
と、ばかでかいフェルトの帽子がゆらゆら揺れだして、ふいに砂の穴からヒトが出てきた。男は帽子をぬいで、愛想よくそれを振りながらさけんだ。
「ようこそ、ようこそ、ヴァレリヤン・ボリーシィチのみなさん!」
ぼくらは思わず顔を見合わせた。ただスーエルだけが、びくともせずに落ち着いてあいさつした。
「こんにちは、サピエンスの友よ」
穴に入った帽子たちが、鼻のつまった声でであいさつを返した。
「こんにちは、こんにちは、ヴァレリヤン・ボリーシィチのみなさん」
ばかでかいフェルト帽のやつが、スーエルを抱きしめて、何度も接吻した。
「さて、さて、道中いかがでしたかな」と、そいつが言う。「らくでしたか、たいへんでしたか。ヴァレリヤン・ボリーシィチはみんな元気ですかな」
「ありがたいことにみんな元気です」と、スーエル。
ぼくはいつも感心するんだが、こういうときの船長の機転ときたらたいしたもんだ。でも、一体なんなんだ。ぼくらのどこがヴァレリヤン・ボリーシィチだ。こいつらなんだ、なにがどうなってんだ!
しかしこの現地人と言い争うのは気が進まない。ぼくは思った(もし船長が命じるなら、ぼくらは喜んでヴァレリヤン・ボリーシィチになろうと)。
そのあいだも帽子の大将は、いやに骨ばった手を振りながら、わけのわからないことを陽気にしゃべりつづけていた。
「まあ、なんてうれしいことでしょう。われらの島に、こうしてヴァレリヤン・ボリーシィチの一行が訪ねてきてくださるとは。この幸せをどう言い表してよいものか、言葉が見つかりませんな!」
「われわれもまた光栄であります」と、スーエルは言って、くるりと踵を返すとぼくらに命令した。「おい、貴様ら、大きな声で幸せのあいさつをしろ!」
ぼくらはもちろん、船長と言い争うつもりはない。で、何度か、それも品よく、歓声をあげた。でも、パホーミィチだけはべつだ。どなりやがった。
「ボリーシィチ、歓待のテーブルはどこです?」
「そのまえに」と、帽子の大将はずるそうにめくばせした。「あなたがたは、みいんなほんとにヴァレリヤン・ボリーシィチでしょうな。間違っても、その、アンドリヤンとかマルテミヤンのボリーシィチはまざっておらんでしょうな」
「誓います」と、船長は言って、ぼくらをにらみつけた。「そうだな、貴様ら!」
「全く、そのとおりであります!」
「ただ、われわれはほんのちっぽけなヴァレリヤン・ボリーシィチであります」と、水夫長のカッツマンがくちばしを挿んだ。「ちっぽけな、つまらなーいヴァレリヤン・ボリーシィチであります」
船長は思いっきり眉をしかめた。
カッツマンのやつ、でしゃばりやがって。なにがヴァレリヤン・ボリーシィチだ。大体、おまえはボリス・ヴァレリヤーヌィチだろうが。
「われわれはちいーっぽけであります」口のかるい水夫長はしゃべりつづけた。「が、このおかたは」と、水夫長はスーエルを指さした。「この世でもっとも偉大なるヴァレリヤン・ボリーシィチであります」
スーエルはおじぎをし、ぼくらは手を拍いた。
なによりばかばかしくて愚劣だったのは、こうしているうちにぼくがだんだんほんとにヴァレリヤン・ボリーシィチみたいな気がしてきて、何度も何度もおじぎをしていたことだ。
「ヴァレリヤン・ボリーシィチ!」スーエルが帽子の大将によびかけた。「わたしからも質問をしてよろしいかな。あの穴に入っているのは、みんなほんとうにヴァレリヤン・ボリーシィチなのでしょうな」
「おお、ヴァレリヤン・ボリーシィチ!」帽子の大将がさけんだ。「お疑いになるのはもっともです。その質問にたいし、われわれはヴァレリヤン・ボリーシィチらしく友情をこめてお答えしましょう。ヘイ、ВБ(べいびい)、お答えしろ!」
すると、ヴァレリヤン・ボリーシィチたちがいっせいに蠢きだして、穴から出てこようとした。だが、帽子の大将がそれを制止してさけんだ。
「おすわり!
跳ねだしやがったら、どたまブチ抜くぞ。いいか、はじめろ!」
すると、すぐ近くの穴から鼻が出てきて、ふいに鼻声のバスで歌いはじめた。
おお、海よ。
おお、夜空の
たえなる星塵よ。
ヴァレリヤン・ボリーシィチはみな
ながいながーい尾をもてり。続いて、穴から合唱がおこった。 その尾はただの尾にあらず、
天と地との架け橋なり。そのあいだに鼻声のバスが第二番にもぐりこんだ。 たまのきずはすでに
お仕置きを受けり。
いざ、ヴァレリヤン・ボリーシィチが
君に手をさしのべん。合唱がつづく。 われらの手をとりたまえ、
さもなくば一発お見舞いせん。つぎの瞬間、かれらは穴からいっせいに骨だらけの手を突きだした。
ぼくらは思わず飛びのいた。スーエルでさえ一瞬あおざめた。船長は急いでぼくらを見回すと、その目をピタリとぼくにすえた。
「ヴァレリヤン・ボリーシィチ!」船長はぼくの肩をたたいた。「穴の友の手をとれ」
「キャップ、わたしは吐き気がします」
ぼくらのやりとりに気づいて、ヴァレリヤン・ボリーシィチたちがざわめきはじめた。
「行けよ、ヴァレリヤン・ボリーシィチの畜生め」パホーミィチがぼくの背中をこづい
た。「行けったら、じゃねえとおれが行かされる」
第XLVI 章旗男
つらい航海、ながいながい旅のあいだには、なんだっておこりうる。飢餓に疫病、喉のかわき、蜃気乱に霍楼と……それこそなんでもありだ。
でもまさか、航海の七百四十二日目、機関紙のセミョーノフが旗男になるなんて、だれも予想だにしなかった。
「おれははためくぞォー!」とわめきながら、セミョーノフはマストにのぼっていった。
「おれはてっぺんからあんたらに影をなげて、風にはためくんだァー!」
ぼくらは、やつが旗のあるところまでのぼり着くの辛抱づよく見ていた。
そら、やつはやっとのぼり着くと、ぼくらの古き良き旗をはずして甲板に投げおとし、自分ではためきはじめた。おれはなんて立派なんだ、かっこいいぜ、ほんものの旗だなどと、ひっきりなしにわめいているが、ときおりその賛辞には、騎兵連隊旗の言葉がまざっていた。
「ほっとけ」と、船長は言った。「どうせいつでも、機関士セミョーノフはわれわれの古き良き旗でとっかえられるんだ。あいつには、はためかせておけ、勝手にするがいい。問題は、えい、クソッ! だれが機関士をやるかだ!」
しばらくのあいだ、ぼくらはセミョーノフがはためくのにあきるのを待っていた。でも、やっこさん、全然あきそうにない。
「ちんぽこ野郎め、すきなだけはためいとれ!」スーエルは言った。「われわれの古き良き旗を長持にしまっておけ!」
ぼくらは古き良き旗を長持にしまって、またいつもの船仕事にもどった。ボタンを縫いつけたり、結索をほどいたり、大鍋で軟体動物を煮たり。
そのうち、機関士セミョーノフが旗をやっていることをすっかり忘れてしまった。
セミョーノフは、それが気にいらない。
「おーい、あんたたち!」やつはさけんだ。「おれを見ろよ! はたはたして、いかすだろォー!」
でも、ぼくらは見てやらなかった。やつが風にぐんと伸びたり縮んだりするのを見るのは、もうあきた。
「あんたたち、自分らの新しい旗にもっとよろこべよォー!」やつはどなった。「そんなとこ這 「なあ、ちっとばかりよろんでやろうぜ」と、フレノフが言った。セミョーノフの友達なのだ。 「なんか、ばかがあわれでよ」
「よろこんでやれ、よろこんでやれ」慈父のごとく、スーエル・ヴィーエルが言った。
アイ・アイ・サー。ぼくらはモップと軟体動物を投げだして、上を向いてさけんだ。
「オォォォー、オォォォー! すごいぜ、なんて立派な旗だ。おれたちゃ、うれしくってしょーがねーぜ!」
セミョーノフは幸せそうに、子供みたいににっこり笑って、はたはた、はたはたした。
じきに、ガラスがちりりんと鳴った。乗客係のマッキングスリーがお昼のアルコオルを用意したのだ。いつも、酒を入れたガラス壜をグラスといっしょに甲板にもってくることになっていた。
「その、なんだな」と、スーエルが言った。「きょうは食堂で飲むとしよう。新しい旗の下で飲むのは、ぐあいがわるい」
「どうしてです、サー」と、水夫たちは言った。
「旗が酒を飲みたがるかもしれん。わしは、それでやつの精神的バランスが損なわれやせんかと心配でな。そうだろう、酒を飲むのとはためくのをいっしょにやるのは、むずかしいぞ」
「わたしが思いますに、むしろ楽であります」だしぬけにペトロフ・ロトキンが言った。
「フン、貴公はなにか、飲みながらうんとはためいたことがあるのか」
ぼくらの旗、つまり機関士セミョーノフはこの間、はためくのをやめて、恐ろしく熱心に会話に聞きいっていた。
「われわれの新しい旗は、貴公らも知るようになかなかよくはためいておるし、酔っぱらってもおらん」と、スーエルは言った。「で、あるから、アルコオルはあれに悪影響をあたえるかもしれん。それからわしは、われわれの旗の道徳的純潔を監督することを主張する。そうでなければ、きょう酒を飲み、あした煙草を喫い、その先どうなるやら知れたもんではない」
「全くおっしゃるとおりです、サー」われわれは感嘆して言った。「かれの精神的道徳的状態を損なわぬようにしましょう。旗は、旗です。さあ、はやく食堂へ行きましょう。あそこには、サクサクッとした乾パンもありますしね」
で、ぼくらは食堂におりて、乾パンを齧りながら酒を飲んだ。そのとき、だれかがドアをたたいた。
「ほら来た、機関士のお出ましだ!」水夫たちは笑い出した。
「案内係、開けてやれ!」と、船長は命じた。
「そりゃないですよ、サー。はためかせときましょうよ」
「入れてやれ、入れてやれ……」
案内係は閂をはずした。すると驚いたことに、はたはたはためきながら、ぼくらの古き良き旗が食堂に入ってきた。それは、ズックの長靴をはき、アンダーシャツまで着ていた。
あきらかに長持から拝借してきたのだ。
「アルコオルをください、サー」と、それは言った。「わたしは何日も機関士のかわりにはためいて、〈勝利〉号に吹き寄せる風ですっかり凍えました。わたしにはお酒を戴く権利があります」
「いや、それにしても旗が酒を飲むのを見るのははじめてだ」スーエルは感心して言った。「どうするかの。よし、注いでやれ!」
ぼくらの古き良き旗は一杯ひっかけると、乾パンをサクッと齧って、また長持にもどっていった。
さて、機関士セミョーノフは、悪戯ずきの阿呆鳥がかれをひっぺがすまで、もう何日かぼくらのあたまの上ではためいていた。
その墜落は多くの者に良き教訓を示した。
機関士は、性的弾道をくっきりと描いて、ばたばた、ぶらぶら、びらびら、ずたぼろを撒き散らしながら、カラスのように船首楼をかすめ、拳で風をきって、まっすぐ機関室に落っこちるやいなや、すみやかにまたおのれの任務についたのである。