listに戻る

Copyright (C) 1998 by Slavic Research Center,Hokkaido University.
All rights reserved.

ウラジーミル・マカーニン   Mkanin,Vladimir

『アンダーグラウンドあるいは現代の英雄』


望月哲男


1.作者について
19 37年オルスク生まれ。1993年ブッカー賞受賞。略歴・作品は『ロシア小説の現
在』(スラブ研究センター、1995)およびスラブ研究センター・ホームページ、マカーニン『抜
け穴』参照。
90年代の主要作としては、以下のものがある。
Долог наш путь. Знамя 4 (1991)
Там была пара... Новый мир 5 (1991)
Лаз. Новый мир 5 (1991)
Сюр в пролетарском районе. Новый мир 9 (1991)
Сюжет усреднения. Знамя 1 (1992)
Стол, покрытый сукном и с графином посередине. Знамя 1 (1993)
Квази. Новый мир 7 (1993)
Кавказский пленный. Новый мир 4 (1995)
Андеграунд, или Герой нашего времени. Знамя 1-4 (1998) // Москва: Вагриус, 1998.(本作)
本作品に関する参考文献
Андеграунд вчера и сегодня (авторы: Михаил Айзенберг, Юрий Арабов, Николай Байтов, Борис
Гройс, Иван Жданов, Владимир Паперный, Виктор Санчук, Генрих Сапгир, Ольга Седакова,
Семен Файбисович, Алексей Цветков). Знамя 6 (1998)


2.作品概説
現代ロシア都市生活者のポートレートを書き続けてきたマカーニンが、もとアンダーグラウンド作家の視点を設定して、ソ連解体後の世相を描いた長編小説。規模としては<Один и одна>(1987)に匹敵する大作である。
主人公の姓はペトローヴィチ(名は「年とともに忘れた」)。54才。妻子と別れた独り者で、定住所を持たず、もっぱらモスクワのある巨大アパートの留守宅を期限付きで番してまわることで暮らしている。ソ連期にはアングラ作家の一人で、かつては原稿を手に出版社まわりをしたこともあったが、121回目に拒絶されたのを機に原稿をピローグの包み紙に寄付し、作品出版の目論見を放棄してしまった。ペレストロイカによる状況変化後もその姿勢を変えず、無名でいることに多少の誇りさえ感じている。ただし貧窮の中でもタイプライターは捨てず、周囲からは作家として一目置かれている。本人の言によれば、周囲が必要とするときは自分は作家になり、不要なときは狂人、番人、失敗者、徒食者、年寄りの書狂扱いされるのだ。
作品は90年代中期の1年近くの期間にわたる主人公の生活を追っており、そのなかで過去から現在までの主人公の交友関係、住居をめぐる様々な経験、彼が巻き込まれるトラブルと彼自身が引き起こす2度の殺人事件、放浪や病気といったテーマが、かなり緩やかに展開される。


第1章
巨大アパートの私設ガードマン・ペトローヴィチの周囲には、様々な人間がいる。妻の浮気に悩む技師、神を見てしまった技師、足が不自由な女性、同居男性の留守に主人公を受け入れてくれる女准医など。主人公は悩みを打ち明ける相手に忠告することはできないが、ただ相手と時間をともにし、話を聞いてやることはできる- - 人公に共通した対人姿勢である。
珍しいケースのひとつとして、民主派の女性リーダー・ヴェロニカが突然舞い込んできたことがある。かつてこのアパートに出入りしていた酔っ払いのアングラ詩人だが、ペレストロイカ後に加わった政治の世界で疲れたらしい。政治と無縁な主人公は、黙って彼女を受け入れ、4日後に出ていく相手を同じく黙って見送ってやる。後に彼女の斡旋により、彼はワンルーム・アパートを手にいれかけるが、政治的被迫害者を自称するホームレスの男に横取りされてしまう。
この章の後半で、主人公は買い物行列の人々の喧嘩に巻き込まれ、不当に逮捕される。


第2章
主人公の弟ヴェネディクトのことが語られる。真の才能と自立心を持つアングラ派の画家だった弟は、官憲に反抗的態度をとり続けて報復され、精神を病んでしまう。主人公は時折彼を見舞いながら、負い目のようなものを感じ続けている。
章の後半では、主人公が殺人を犯す顛末が語られる。きっかけとなったのは現代版アカーキー・アカーキエヴィチのような知人の死。この人物は近くの店で買ったツイードのズボンを返却しようとしてトラブルになり、売り手のコーカサス人に脅かされて心臓発作を起こしたのだった。
主人公はこの後護身用ナイフを持ち歩くようになるが、アパート前のベンチでタバコや金をカツアゲされるに及んで、相手の一人を殺してしまう。彼はしばらく警察の監視対象の一人となり、一人の刑事から強迫されたりするが、犯行への罪悪感は覚えない。


第3章
ソ連アングラ芸術家の作品を発掘するドイツのアイメルマッハー(実在のルール大学教授)らの仕事を意識しながら、主人公は隠遁者、亡命者、ディシデント、アングラ派といったソ連知識人の生き方に思いを馳せる。
その後主人公の付き合いが俄然広がり、運命が変転する。
最初の相手はコンピュータ関連の羽振りの良いビジネスマン、ドゥーロフ。別荘を管理する代償に、アパートの新設の小部屋を入手できるという条件で、主人公はマフィアめいたこの人物のとりまきに加わろうとするが、明らかに年齢も気質も不適当で、すぐにはじき出されてしまう。
2番目は主人公がむかし身をおいた研究所の女性研究員リョーシャ・ドミートリエヴナ・ヴォイノワ。かつてごちごちの教条主義者として主人公をはじめ何人もの同僚を排除したこのソ連版貴婦人は、今では孤独な初老女性となり、職場を追われようとしている。主人公は昔のこだわりを捨てて彼女と寝る中となり、相手が卒中の発作を起こすと親身に介抱するが、やがて現れた彼女の昔のとりまきによって居場所を奪われてしまう。
次の相手がソ連時代から官憲のスパイとしてアングラ芸術家たちの情報を集めていたチュビソフ。主人公はこの人物が今でも密告用に録音しているカセットテープを奪ってやろうと、一晩二人でモスクワ各所を飲み歩き、深夜にもぐり込んだ見知らぬアパートの屋階で「人間の心臓の空っぽさを刃先に感じながら」相手の胸にナイフを突き立てる。彼によればこれはゲーベーシニク(гэбэшник=国家保安部のスパイ)とアゲーシニク(агэшник=アンダーグラウンド人あるいはアンチ国家人)の呪われた関係である。
この後主人公は、住み慣れたアパートの住人たちから徒食者として爪弾きされはじめ、留守番役の契約も切れて、アパートを出ることになる。


第4章
主人公はとりあえずベトナム人の多いホームレス用の宿泊所に身を寄せ、5人部屋にもぐり込む。ここで心やすらぐ相手は、1階に暮らす女性フルート奏者ナータだけである。ふたつの殺人への悔いは感じぬまま、悔いへの欲求あるいは言葉への飢えに苛まれる彼は、ナータを相手に告白しようとするが、相手はあたかも聾唖の霊のように、彼の言葉をしまいまで聞く能力がない。
そうしているうちに雪の晩に発熱した彼は、ウオッカと鎮痛剤を併呑して錯乱状態となり、救急車に乗せられる。彼はもうろう状態の中で、弟のいる精神病院に行ってくれと懇願する。
神経発作と原因不明の妄想という診断で分裂症の病棟に入った彼は、医者、看護婦、同室患者らを観察する。特に看護婦のマルーシャとは親密になり、退院後の同棲を相談するまでになる。一方医長のイワン・エメリヤノヴィチと科長のホーリン=ヴォーリンは、彼の妄想の背後に犯罪があることを感じ取り、様々な手段で秘密を暴こうとする。彼らはまず5月の連休に医長室で主人公をもてなし、弟にも会わせてリラックスさせた後、罪を自白させようとする。それが失敗すると、今度は彼を犯罪容疑者の専用棟にいれ、薬物の力で喋らせようとする。主人公は告白衝動と闘いながら、医学のフィジカルな力への対抗として、他人の苦しみをわがものと感ずる想像力の自己鍛錬を続ける。最後に彼は患者を折檻する二人の看護士に殴りかかり、肋骨と手を骨折して外科へ移されるが、これがきっかけとなって5カ月の病院生活から「自己を失わずに」解放されることになる。
退院後彼は、関係のあった男女(女研究員リョーシャ・ドミートリエヴナ、フルート奏者ナータ、看護婦マルーシャ、旧友ミハイル)を順次訪れるが、どこにも居場所を見出せない。


第5章
章の前半は再び遍歴と受難の話。夏の季節をクールスク駅で暮らした主人公は、やがて旧友たちのもとを転々とするようになる。はじめは教会の付近で偶然再会した昔の恋人の家(2週間)、古い電話番号メモからたどった旧友の別荘(3日)、同じく旧友の食餌療法の専門家。
この最後の人物が、腸炎の治療と称して卵の殻を大量に食べさせたため、主人公はひどい下痢症状を起こし、瀕死の状態で路上に放置される。彼を救ったのは親友のアングラ作家ヴィクトル・ヴィクトロヴィチとイスラエルへ出国予定のコストロマのユダヤ人レオンチー・ハイムであった。
やがてこの恩人二人が主人公をもとの大アパートに連れていき、出国記念の一大宴会を行うのだが、それがきっかけで主人公はまた私設の留守居役に復帰することになる。その後友人たちの急死や、アパートの売買をめぐるトラブル、女たちとの関係を経て、彼の生活はゆっくりと一年前の状態に戻っていく。
作品の最後にふたつの補足的エピソードがおかれる。ひとつはアングラ作家ズイコフをめぐる回顧談。ズイコフは主人公の分身と言ってもいいほどそっくりの人物だが、ペレストロイカ以後の身ごなしの違いで、今では有名作家になっている。主人公はなにかの偶然でお互いの立場が逆転していたかも知れないなどと考えながら、人生の選択の意味は後になってしか分からないと言う感慨に浸る。彼の考えでは文化の表層と下層は補完的関係にある。すなわちアンダーグラウンドは社会の下意識であり、地上は地下に、地下は地上に、深くとらわれているのである。
最後のエピソードは弟ヴェネディクトのこと。国外で出版された60- 70年代のアングラ芸術アルバムに、弟の作品も二点掲載されるのだが、その様なこともあって主人公は五二才の弟と自分の人生にもなにかの区切りが訪れたような感慨を持つ。彼は弟を外泊で自分のアパートに連れ帰り、相手をする女性まで世話してやるが、一緒に暮らしたいと言いいだす弟を病院に連れ戻すのに大苦労することになる。しかし最後の瞬間に、自我を喪失したと思っていた弟が「ぼくが自分でする(Я са)」という声を聞き、言葉の啓示に撃たれたような感動を覚える。


3.コメント
作品の空間は、70年代以来マカーニンが好んで用いてきた要素から構成されている。すなわち大都市、巨大アパート、病院、簡易宿舎といった、偶然的・雑居的な空間。廊下、階段、戸口、台所といった、暫時的な出会いと交通の空間である。
人物像や人間関係の設定も、同じような偶然性や曖昧さを含んでいる。主人公における俗っぽさと律儀さ、軽薄さと哲学性のちぐはぐな組み合わせ、それぞれに親密ながら決定的なものにならない彼と知人たちとの関係、壁やドアでかろうじて守られる半透明のプライヴァシー、身障者の身内への愛情と罪責感といったものである。
『抜け穴』では作者は、地下都市と地上都市、両者をつなぐ抜け穴という寓意的世界を作ったが、この作品の地下世界(アンダーグラウンド)は、まず主人公に代表される世代の生き方のスタイルとして、彼らの心中に場所を占めている。アンダーグラウンドとは、ソ連公式文化に対する非公式文化世界であり、個人の内面世界に例えれば、超自我に対する下意識世界であった。意識が下意識世界を前提とするように、社会もアンダーグラウンドを構造的に必要とする- -いる。すなわち政治家、警官、医者、ビジネスマン、売れっ子詩人などが棲息する機能的で管理的な表社会と、ホームレス、病人、ベトナム人、やくざ、無名の作家などが住むアモルフな裏社会である。
主人公の人格がちぐはぐな二面性を持つように、彼の役割も二重である。主人公は一面で、自身のアイデンティティを持たない、思考や経験の媒体のようなものとして存在している。彼はこの世界に安定した居場所も持たず、職業も家族もなければ固有名も用いない(ピョートルの息子という意味の姓があるだけ)。彼の比喩的思考によれば、空間の中にしっかりと根を張って存在するのは女性たちであり、彼自身は居住空間(「居住面積」)というものに性欲にもにたあこがれを覚えながら、女たちの間を動いていく存在である。彼はあたかも安定した自己価値を持たず、人々のコミュニケーション媒体としてそのつど偶然的な意味を獲得する、言語の比喩であるかのようだ。執筆も出版も疾に断念したこのアングラ作家が発病の直前までタイプライターを携帯し、また後にそれを取り戻すといった設定も、彼の言語との類似性を示している。そうした意味で彼は同じ作者の『話の話』『一人の男、一人の女』『抜け穴』などの主人公と似ている。彼らはその出自や仕事に関わらず、本質的に肉体の人であるよりは作家=言語の人、声と文字の世界の存在なのだ。
しかしこの作品では、この作家=主人公が地下的情熱の人として受肉し、殺人を犯して警察や医者と闘ったり、病気で死にかけたりする。言語とコミュニケーションの比喩のような人物が、義憤にかられて人を二人まで殺し、罪意識をめぐるラスコーリニコフのような煩悶にとらわれていくのである。そこで物語の眼目となるのは、この人物の肉体的・精神的経験が、彼の存在の言語的側面になにを与えるか、といった問題である。梗概でも触れたように、主人公には他者の生命を奪ったことへの直接の反省はない。ただし彼は罪意識を持たぬまま犯罪を隠蔽して生きる結果として起こる、他者とのコミュニケーションの喪失にうろたえる。彼が公的な政治や文学の世界に出ることを拒否し、作品を書くことも断念して守ってきた言葉への誠実さ、あるいは他者との関わりの自由さが、犯罪という別種のアンダーグラウンドに陥ることで失われたのである。
そこで主人公は皮肉な状況に陥る。すなわち、彼の秘密を探ろうと語りかける刑事や精神科医といった管理世界の人間には、彼は話す言葉を持たない。しかし一方で、彼が告白の相手に選んだ地下世界の弱者(フルート奏者のナータ)は、彼の言葉を聞く能力がない。ラスコーリニコフとソーニャのような関係は、この世界には起こらないのだ。彼は結局、同病の犯罪者に、独り言のような告白をすることでかろうじて満足するしかない。精神と肉体を病んだ彼は人格を失いかけ、言葉(ロゴス)から見放されようとする。そしてその遍歴の果てに、同じくアンダーグラウンド作家の友人や精神を病んだ弟との交情の中で、再び言葉の力への信頼を取り戻すことになる。これは言葉の死から再生までの、曲折に満ちた物語なのだ。
ただしマカーニンの緩やかな物語展開はそうした主題をむしろ押し隠し、一見果てしなく逸脱していくエピソードを目立たせるのだが。


以下はいくつかの引用
殺人を犯すと、人は殺人自体にとらわれるのではなく、本や映画やテレビで殺人について読んだり見たりしてきたすべてのことにとらわれるようになるものだ。


わが国の「殺すな」には高度に道徳的なものはなにも含まれていなかった。いや単なる道徳さえもなかった。
それは、つまり殺人は、個人が(つまり君やぼくが)犯し得る行為ではなかった。つまり殺人はそっくり、彼らの領分だったのだ。彼らが(つまり国家、権力、KGBが)何百万人の命を奪う力を持っていたのだ。わたしはなにも彼らに天罰を下そうなどとは思わない。わたしは冷静に問題をふたつの重要な要素に分けるだけだ。わたしには彼らよりも個々人のほうが重要なのだ。彼らではなくわたしが。彼らではなく、わたしや君や彼が。
そうすればはっきり分かる。「殺すな」は戒律というよりはタブーなのだ。
わたしは「殺すな」について考えてきた。テーマは(時代で言えば)もちろん19世紀のこと・・・・・・それから、文学の(文学による)警告のこと・・・・・・それからかのフョードル・ミハイロヴィチ(ドストエフスキー)のこと- -想の香りが漂ってくるのは、どうしてもこのあたりしかない。そしてドストエフスキーのいわゆる殺人者は自らを滅ぼすという思想は、ほとんど絶対命題のようなものになっている。古典でありカノンなのだ(ロシア人にとっての文学は、いまだに巨大な自己暗示である)。
「殺人を犯すなかれ」という立派な、根本的な教訓- -まだにわれわれにとって生きている。しかしそれはすでに思想として、エネルギッシュに表現された芸術的抽象概念として生きているのだ。過去の天才的な言葉(そして当時としては無条件に先見的な言葉)の中に、すでに来るべきタブーが見えかくれしている。


文学とは暗示である。一大ウイルスである。(かの文学はいまだにわれわれの内部で働いている)しかし小説のページに「殺すな」と書かれていても、それはまだ雪の中で発せられる「殺すな」ではない。だからF.M.氏の神聖なる権威を損なわぬままに、ロシア人は彼の時代を離れれば、つまり彼の受難者的時代から30年ほども(つまりただの1世代だけなのだが)離れれば、すでに別の権威者の時代に行き当たるのだ。彼だけではない。彼だけが人生を生きたわけではないのだから・・・・・・。例えばA.S.(プーシキン)は、倒れて雪を噛みながら、必死にねらいをつけていた。すでに負傷して、腹に銃弾を受けながら。彼ははたして事後に懺悔するつもりでいたのだろうか。もしダンテスを殺していたなら、彼はその後で十字路に跪いていただろうか・・・・・・およそありえなかろう。10年たったところで、跪きはしなかったろう。
20年たっても。
すでに致命傷を受けて雪に横たわりながら、彼は人間にねらいをつけていた。そして何のために狙うのかも意識していた。そして撃って、あたりさえしたのだ。
背中を刺されてベンチに坐っているカフカス人の姿は、相変わらずわたしの目に映っていた。
それは当たり前だ。
しかしそのベンチも血痕も、それ自体は呵責を促す物ではなかった。ましては殺人への呵責を。これは計画殺人ではなくむしろ決闘であり、われわれはともにナイフを抜いたからだ。しかも相手のほうが先にわたしを殴り、斬ってきた(及び発砲した)のだから。つまりわたしは正当に勝ったのだ。だから時がたってどんなことを言われようとかまわない。あるいはたとえいわゆるロシア文学が、今まさにわたしの耳元でなにを叫び、わめこうと。だがいったいロシア文学はなにを叫ぶのだろう。例えば19世紀のどちらの半分の声で叫ぶのか。決闘好きの前半世紀か、それとも懺悔好きの後半世紀か。まさにそんな風にわたしは問題に対して反対からの問題を投げかけ、時間を分割することで自分を正当化した。
残念に思うことはある。しかし悔いることはない。それがわたしの答えだ。愛すべき時間と愛すべきでない時間。相手の額を狙うべき時間と、悔いて十字路に跪くべき時間。俺とお前は(とわたしは彼と自分に向かって言った)後のほうじゃなくて前のほうの時間にいるのさ。
自己の勝利を誇示したとき、すぐさま明らかになったのは、彼が説得した相手は誰か関係ない人間で、わたしではなかったということだ。つまり単に内部で、自分のテキストの領域で、読んでいるわたしを説得しただけだ。テキストの中でということは、わたしの『我』の中ではないのだから。
墜ちた小鳥と地下の(アンダーグラウンドの)男とは、ひょっとしたらお似合いかも知れない- -
特別の、あるいは比類のない相互理解の(そして相互溶解の)可能性があるのではないか。だが実際のわたしと彼女の場合、ペアだの似合いだのということは当てはまらない。何しろこの(売春婦の)娘はちゃんと決まった役割をもち、働いて稼いで、社会のアクセントになっているのだから。彼女の明るい微笑みにも、笑い声にも、まるまるとしたヒップにも、今日の悲哀の陰さえ見られない。産毛の生えた滑稽な胸も、やさしく開かれた女性の部分も(わたしは彼女と寝てはいないが、彼女がこちらをなにも気にせずに風呂から出てくる姿を2度見た)、悲哀や屈辱の影を何一つ宿していない。ラスコーリニコフとソーニャの関係のようなものは、薬にするほどもないのだ。だから彼女の打ち明け話を聞いたり、ましてや彼女に向かって打ち明けたりするなんて、考えることもできない。それはまるで、一緒に寝ながらソ連の宇宙飛行士のマーチを歌うのと同じほど場違いなのだ。・・・・・・

「ちょうどこの世紀末にアンダーグラウンドに暮らしてる、アンダーグラウンドに残っているってのも、悪くないだろう?」・・・・・・わたしは別に連中に災いや汚物を振りかけたいわけではない。彼らのきれいな本にも、家族にも、彼ら本人にも、別に個人的な恨みがあるのでもない。ただわたしは彼らの名前を踏みにじり、汚してやりたかった。成功した人間、名声や豊かな暮らしのために地下を出ていった人間たちに、人生の泥を跳ね散らかしてやりたかったのだ。
「アングラ人には名誉の他はなにもない」階段を上りながら繰り返した。・・・・・・(とうとう)
テキストのことを、失われ陵辱された中編や短編のことを。・・・・・・一人で生きているわたしは、どんな最低な奴と言われてもかまわない。喧嘩早いの怒りっぽいの、馬鹿みたいに高慢だの、失敗者だの- -何と言われようと平気だ。ただし密告者と言われない限り。

それはわがプロットの展開をめぐる小さな、しかし大事な心理的発見であった。つまりわたしを(わたしの心を)いま圧迫しているものは、良心と言うよりも喋らないでいるという状態なのだ- -ふとそう思ったのである。その通り、今のわたしを苦しめるのは良心の呵責ではない(それは概して弱い)。沈黙していることが苦しいのだ。目の前に一枚の紙もなく、一人の聞き手もいないことが。・・・・・・そんな風に考えながらわたしは寝込んだ。なにか心が知らせたのだろうか?当面わたしには謎だった。考えが及ばないのだ。そんなおしゃべりな、危険なやり方でも、このわたしを言葉に回帰させたいという心のメッセージなのか。もし目の前につんぼでおしの女がいたら、わたしはもうとっくに相手に話し、悔いていただろう。


眠っていても無言の重圧を感じる。わたしの母だ。ここに来てようやく思い出したのだ。夢の中でもわたしは言葉を恐れていた。誰でも良いからと言う気持ちで、わたしはせめて母に、ずっと昔に死んだ母にささやきたかった・・・・・・。言葉がまるで生理的欲求のように、ほとばしりそうだったのだ。
わたしの人生は失敗ではないと知り、信じたかった。そしてなにか特別の目的と至上の配慮のために、いま(現在このロシアで)わたしのような人間が、評価も名声もえることなく、しかもテキストを作り出す力を持って生きていることが必要とされているのだと、信じる必要があったのだ。アンダーグラウンド。言葉無しで生きてみること。他の連中はそうして生きている。沈黙者としていきることがリスクかリスクでないか- -それが問題だった。そしてわたしは最初の一人だった。わたしは自分の無名性を敗北ではなく、引き分けでもなく、勝利として受け止めた。わたしの自我がテキストを凌駕したのだと。わたしは先へと進んでいった。
そしてゴルバチョフの改革の後アンダーグラウンドの連中が地下のあちこちから飛び出して、まるで急に我に返ったように、昼の光の中での名声をひっつかみ、奪い取ろうとし始めたとき(そしてその名声の奴隷となり、過去の傷痍軍人となっていったとき)、わたしはわたしのまま残った。わたしはなにも埋め合わせるようなものはなかった。次々と本を出したり、地位を占めたり、雑誌の編集をしたりするのは、ただの誘惑であり、そして次には俗悪な振る舞いとなった。わたしの書かざる「わたし」はそれ自身の人生を獲得した。拒絶の瞬間に神はわたしに多くのものを恵んだ。そのままでいるすべを与えてくれたのだ。