●オクジャワ, ブラート Okudzhava, Bulat
「廃止された劇場」 Upraznennyi teatr. Znamia, No.9-10, 1993.
解説 沼野充義
1. 作家について
オクジャワは自伝的小説はかなり前から書いている。小説家としてのデビュー作だった「少年兵よ、達者で」(文集『タルサのページ』掲載)がすでに戦争体験を扱った、かなりの程度まで自伝的要素の強い小説だった。その後もいくつか、自伝的短編を書いてきたが、スターリン時代の高度に政治的な問題を直接扱うような作品(一部は詩で)を発表するようになったのは、ペレストロイカ以降のことである。
たとえば、最近発表された注目に値する作品としては、長年の収容所生活から解放されて帰ってきた母の姿を描いた短編「わが夢の女性」や、スターリンの死後の時期に政治警察に協力を依頼されてスパイまがいのことをした顛末を描いた「隠密バプテストの冒険」(文集『ヴェスチ』所蔵、1989)などがある。また日本に滞在したときの体験をもとにした《Kak Ivan Ivanych oschastlivil tseluiu stranu》(1989) は現代日本とソ連を描いたものだが、主人公が Ivan Ivanych という名前になっている点が《Upraznennyi teatr》と直結している。
なお、オクジャワの自伝的小説群は、《Zaezzhii muzykant》(1993, Moscow)にまとめられている。
2.作品について
Vanvanch(<Ivan Ivanych)というあだ名でよばれる人物 Otar Okudzhava を中心とした小説。さまざまな伝記的事実の符合から、相当な程度、自伝的事実に基づく小説と思われ、実質的には自伝と呼んでも差し支えない。語りは基本的には3人称だが、ときおり「私」(=現代においてこの小説を書いているブラート・オクジャワ本人)のナレーションが介入してくる。
名前について 一家の年代記らしく、多くの名前が出てくる(聖書的)。ある意味では名前の物語でもある(主人公は Otar, Vanvanch, Kartoshina, Kukushka など様々な呼び名を持つ)。Everymanでありながら、「ただ一人」の個でもある自分のアイデンティティの追求。
まず、冒頭はオクジャワ家の前史。グルジアのクタイシで《Vol'nyi striapchii》を営んでいたオクジャワのステパン祖父の姿が描かれる。このまま行けば悠々たる大河小説になりそうな書き出しだが、次の章では1924年に主人公がモスクワで誕生したところにすぐに飛ぶ。
モスクワのアルバート街のアパートでの暮らし。「党員」として優遇。父はチフリスで党の仕事に従事。
アパートの人たち
もと「ブルジョワ」のカミンスキー一家(フランス語で話す、後にフランスに亡命、娘ジョルジェッタに主人公は好意)。
イリーナ・セミョーノヴナ その親戚のもと「クラーク」と噂されるマルチヤン。
乳母役のアクリーナ・イヴァーノヴナ(「神」のことを主人公に吹き込んだため、解雇され、田舎に返される)
母親 Ashkhen の生い立ち アルメニア系 16歳の頃から社会主義運動に共感、純粋な気持ちの持ち主。
父親 Shaliko(Shalva) の一家、生い立ち
ロシア革命後赤軍側につく、チフリスの党委員会で活動に従事、アシヘンと結ばれる。
二人でモスクワの大学に派遣され、アルバート街に住むようになる。
1924年に Vanvanch 誕生。父はチフリスに呼び戻され、党活動。
チフリス、黒海の保養地を訪ねた記憶。
1934年、ウラル地方のニージニー・タギールに父とともに一家で移住。父はこの町の党委員会の第一書記。トロツキストの嫌疑がかけられ、妻と子はモスクワへ。母は昔からの知り合いのベリヤに会って、かけあい、「誤解」を解こうとするところで第1部は終わる。
3.コメント
自分の父の世代について、初めて正面から取り扱った(そのためには、ペレストロイカ後何年もの準備期間が必要だった)。cf.ニキータ・ミハルコフ
手法・文体的にはきわめて「安定」(ややマンネリの感もなきにしもあらず、しかしオーソドックスな自伝長編としては、正統的な構え)。
スターリン時代のイデオロギー的な問題に対するある種の「アイロニカル」な距離のとりかた──いかにもオクジャワらしく、絶妙。しかし、戦後世代には生ぬるいと思えるかも知れない。
いずれにせよ、まだ第1部までしか発表されていないので、最終的な評価はできない。
ブッカー賞をめぐる毀誉褒貶。