●ペトルシェフスカヤ, リュドミーラ Petrushevskaia, Liudmila
「時は夜」 Bremia noch'. Novyi Mir, No.2, 1992.
解説 吉岡ゆき
1.作家について
1938年モスクワ生まれ
1961年 モスクワ大学ジャーナリズム学部卒業
ラジオ局の記者やテレビ局の編集者などの仕事に就くかたわら、作品を書き始める。
1968年、『そういう女』“Takaia devochka” を書き上げる(発表は1988年)。
1972年、「アヴローラ」7号に“Rasskazchitsa”(「話好きの娘」) 、“Istoriia Klarissy”(「クラリッサの物語」) が掲載され、デビュー。両作品ともに短編。
デビューと前後して職場を辞め、以降、文筆活動に専念する。散文、戯曲ともに、主だった作品が発表の機会を得たのは80年代になってから。初めての長編『時は夜』の初掲出は「ノーヴイ・ミール」誌1992年第2号。『時は夜』は第一回ブッカー賞ロシア部門の最終候補作にノミネートされたが落選。
二男一女、孫二人。
作品集:
『不滅の愛』 “Bessmertnaia liubov'” (1988年、短編・中編)
『二十世紀の歌』 “Pesni XX veka” (1988年、戯曲集)
『空色の服を着た三人娘』 “Tri devushki v golubom” (1989年、戯曲集)
『ワシーリイの治療』 “Lechenie Vasiliia” (1991年、おとぎ話集)
『エロスの神の道を行く』 “Po doroge boga Erosa”
(1993年、自選散文集、収録作品は『不滅の愛』と一部重複)
2.作品について
[プロット]
作家の家に見知らぬ女性から電話がかかってきた。詩人だった亡き母の手記を読んでほしい、との依頼だった。仕事が忙しい、と断ったが、手記はしばらくして郵送されてきた。封筒には差出人の住所も氏名も書かれていなかった。その手記の内容とは ──
モスクワに住む五十代半ばの「私」は、子供相手の詩の朗読会と、出版社に原稿を送ってきた人々へ作品採用お断りの返事を書くことで生計をたてている。愛人を作って出ていった夫とは何年も前に離婚したが、息子アンドレイ、娘のアリョーナ、そして母がいる。「私」は子供らを限りなく愛したのだが、今はアリョーナの息子で五歳のティーマと二人暮らしだ。年金支給日直前の数日は食費にも事欠くので、「私」は日頃は疎遠になっている友人たちの家をまわって、金の工面を試みるが、たいがい徒労に終わる。
詩集が一冊も出なくても根っからの詩人の「私」は、思いのたけを一日も欠かさず書き留めている。そんな「私」を大学生の時分からアリョーナは、「写字狂患者」と蔑んでいる。でも血は争えない、アリョーナだって書かずにいられないときがあるとみえて、「私」が偶然発見したメモ帳に数々の秘密を書き留めていた。
2DKのアパートで繰り広げられた「私」の家族の歩みを振り返ってみるとしよう──
子供の頃、アリョーナとアンドレイは始終喧嘩をした。アンドレイは我が家の財政事情では十分に買えなかった菓子を独り占めにしてアリョーナをいじめたのだし、アリョーナは「私」の愛情がアンドレイにばかりに注がれると焼き餅を焼いたのだ。思春期に入ると兄と妹は和気藹々とし、今度は二人で私を除け者にした。今から七年前、徴兵年齢の十八歳になったアンドレイは、八人がかりで青年一人に瀕死の重傷を負わせた事件に荷担した。長々と取り調べられたあげく、共犯者たちの親に脅迫される形でアンドレイ一人が実刑を食らった。これと前後して母の様子がおかしくなっていった。
若い頃はなかなかの美人でおしゃれで、企業や役所の幹部と愛人関係になりながら一人で「私」を育ててきた母は、「私」の行動を絶えず非難しながらも、「私」が彼女一人を愛することを望み、自分一人で「私」の家庭になろうとした。二十代半ばの私が妻子持ちの画家につくしたあげく捨てられたときも、アンドレイとアリョーナの父親が女を作って出ていったときも、母は「私」を哀れむ顔をしながら歓喜したものだ。その母が七十歳を過ぎて、KGBに尾行されていると主張し、ついには部屋に立てこもって自殺を図ったあげく、精神病院に収容された。私は今でも週に一度、母を見舞っている。母は差し入れの食事をその場でがつがつと食べ尽くすと、痴呆症も始まっているので食べたことをたちまち忘れて、同室の人たちがみんな食べてしまうと涙を流して訴える。他の患者の迷惑だから見舞いをやめてほしいと私が婦長に言われる始末だ。
七年前のあのころアリョーナは大学生になっていた。収容所のアンドレイ宛に二ヶ月ほどはこまめに手紙を書いていたのに、その後は大学の授業をさぼっては、虚脱状態になるまで泣き暮らしたかと思うと、太りだした。当初「私」は娘の変化にさほど気をとめなかった、アリョーナどころではなかったからだ。だが欠席が目に余るようになってとうとう同級の女の子に電話をした「私」が知らされたのは、アリョーナが同級生に誘われたあげく、初めての性体験で妊娠したことだった。相手の名前はシューラ、地方出身の貧乏学生で、アリョーナに恋をしていたわけでもなく、自らの初体験の相手を探していたら、たまたまアリョーナがひっかかったという次第だった。アリョーナはもはや中絶が無理だったので、未婚の母にするのだけは避けようと、「私」は手を回した。責任をとってアリョーナと結婚しなければ、学生の兵役免除を剥奪する、と学部事務局で通達されたシューラは妊娠八ヶ月のアリョーナと籍を入れて我が家に転がり込んできた。
ティーマが生まれて半月たって、恩赦が下りたアンドレイが戻ってきた。シューラを忌み嫌っていた「私」は、いまやアンドレイだけが頼りと迎えたが、アンドレイは「私」が刑を軽くするための何の手だても講じなかったとなじって家を出ていった。それからは娘夫婦と「私」が互いを無視するか、罵り合うかの日々が続いたが、一年もするとシューラが離婚して出ていった。アリョーナを妊娠させた最初の性行為以来、シューラが一度もアリョーナに手を触れなかったことを、後日「私」はアリョーナの手記から知った。大学卒業を間近にしてアリョーナは、実習先の研究所の妻子ある三十七歳の副所長の浮気相手となり、またもや妊娠した。その男がアパートを借りてくれると言い残して、ティーマを置いたままアリョーナは家を出ていき、連絡さえろくによこさない。もっとも先日、三人目の子供の出産を控えていると電話してきたのだが。
アンドレイは出所後程なくして看護婦と結婚したが、酒に溺れている。おまけに五年前に酔った勢いで二階の窓から飛び降りて踵を痛めたので、ろくな職に就けない。時折私に金をせびりにくるが、「私」はドアを開けない。この間は、警察を呼ぶと叫んで追い払った。
ティーマは情緒不安定だ。おまけに風邪もひきやすく、保育園に通う資格を取り上げられてしまった。「私」は詩の朗読会への出席にも、出版社にご機嫌取りに行くのにもティーマを連れて行かざるを得ない。四六時中ティーマと一緒なので、創作活動もままならない。一人になれるのは夜中の台所だけ。
ある日母の入院先から電話があって、母を引き取るようにと、さもなければ、完全看護の養護施設とは名ばかりの、死を待つだけの施設に送りますと通告された。汚物にまみれた母と私が罵り会う日々をティーマに味合わせてはいけないと観念して、「私」は母を施設に送ることに決めた。と、そこに生まれたばかりの三人目の子供とまだ片言しかしゃべれない長女を連れてアリョーナが舞い戻ってきた。我が家に居座る魂胆らしい。ティーマは一瞬にしてアリョーナの味方になった。ここまで育て上げた「私」を一瞬にして裏切ったのだ。「私」は先ほどまでの決意を翻して、母を引き取るとアリョーナに宣言した。
病院に駆けつけて、母を町中まで連れだしたものの、母の身体の文字通りの重みに耐えかねて、「私」は結局母を養護施設に送り込んだ。地下鉄のベンチで「私」は愚かにも泣き崩れた。しかたがないのだ、自然の摂理、老いたるものは若きもの、子供らに場所を譲るのだから。三人の孫の世話をするのがこれからの「私」の務めだ。帰ってみると家の中は暗くて静かだった。誰もいなかった。アリョーナは子供三人を連れて「私」のもとから去ったのだった。
[主人公像]
強圧的な母親に非難・揶揄されながら育ち、生きてきたことを苦々しく感じている「私」だが、母親としての「私」自身も独善的だ。子供らが幼かった頃は「おまるを洗うたびに、この子のおしっこからはカミツレの咲き乱れる草原の匂いがたちのぼる」、「頭を何日も洗わないでいると、金色の巻き毛からクサ夾竹桃の匂いがする」と感嘆し、「限りなく愛した」と言うが、「私」の愛情は、動物の親が仔に示す愛情の域を出ない。成長した我が子を独立した人格として尊重することができないのだ。息子との会話にはブラック・ユーモアを差し挟む余裕もあるが、娘アリョーナへの対応は偏執的だ。「私」自身はいくつもの恋愛を経験しているのに、「私」が離婚したがため父親と生き別れた娘が「捨てられ女房コンプレックス」に苛まれ、性的にも無知であるのを承知の上でなお、冷笑的な捨てぜりふを吐くか、罵倒するしかできない。
「私」の末路はペトルシェフスカヤによれば、執筆を構想したのは作品発表の七年ほど前で、知人たちの家族の実例と、自分自身の将来への不安(七十代になった母親の今後の健康問題、自らの来るべき老い等)を集約したとのこと。「私」の末路は、国も民族も越えて女性が思い描く、自分の人生最悪のシナリオなのかもしれない。
[文体]
ペトルシェフスカヤの小説は、作品集「不滅の愛」のあとがきを書いたインナ・ポリーソワの言葉を借りれば、「テープレコーダーにたまたま録音された語り」の書き起こしに似ている。『時は夜』は主人公自らが書き留めた手記という形式をとってはいるが、文体は「推敲された書き言葉」ではなくて、「録音された語り・おしゃべり」そのものの印象を与える。個々の単語のつづり方、句読点が文法から外れることもある(蛇足だが、この作品を収録した選集『エロスの神の道を行く』の奥付に「校正著者」とわざわざ断ってあるのはおもしろい)。しかしその「自然な」語り口は、主人公の人柄や感情の起伏、そして対人関係を的確に表す、計算し尽くされたものである。