●ストルガツキイ兄弟 Strugatskii, Arkadii / Strugatskii, Boris
「びっこな運命」Khromaia sud'ba. 《Volny gasiat veter》. Sovetskii pisatel', 1989.
解説 中沢敦夫
1. 作家について
アルカージイ・ストルガツキイ:1925年、グルジアのバツーミ生まれ。1991年、モスクワで死去。 ボリス・ストルガツキイ:1933年、レニングラード生まれ。現在は映画シナリオの執筆、若手作家を集めたセミナーを主催。
ソビエト・ロシアの代表的なSF作家。代表作『路傍のピクニック』『世界終末十億年前』『滅びの都』など。
翻訳は古くからあるが、早川文庫の『ストーカー』(「路傍のピクニック」の訳題)『収容所惑星』(「有人島」の訳題)『蟻塚の中のカブトムシ』『波は風を消す』の諸作品と、現在8冊刊行されている群像社の作品集シリーズによって主要著作はほとんど紹介されている。現代ロシア文学の中ではもっとも日本での翻訳が多い作家の一人ではないか。
兄弟の共同執筆だが、ボリスの果たした役割が前面に出ている作品(『世界終末十億年前』『悪を担わされしもの、もしくは四十年後』など科学的知見の紹介、哲学的論議が目立つもの)、アルカージイが主体と思われる作品(『びっこな運命』『滅びの都』などのアレゴリー性の強いもの、社会批判的なもの)など作品によって微妙な違いがあるように思える。しかしながら、すべての作品に文明論的な視点が貫かれており、これがストルガツキイ作品の大きな魅力となっている。
なお、ストルガツキイ兄弟の作品において指摘される文体的な特徴は、兄アルカージイの筆による。
現在十巻選集(補巻2)が完結し、初期の頃からの作品が一望できるようになった。
2.作品について
60年代の中頃に書かれサムイズダートで読まれていた中編『みにくい白鳥』(Gadkie lebedi)と、82年に書かれた同時進行的自伝小説(アルカージイにとっての)『びっこな運命』(雑誌版:『ネヴァ』誌1986年8、9月号に発表)を組み合わせた構成上注目すべき作品。単行本となって刊行されたこの拡大版の題名が『びっこな運命』(Khromaia sud'ba)となっている。これによって、先行の2作品はヴァリアントとなった。
単行本版の作品『びっこな運命』の末尾の年代表示は1966、1982となっている。作者(アルカージイ)から私が受け取った手紙によると、1988年に作者は先行の2作品を合体させることを決めたとのこと。その動機については手紙では触れておらず、またこれについて言及したものは知らないが、このような形式の作品の組み替えはすでに『そろそろ登れカタツムリ』でも行っており、作者にとって新しいことではない。また、この作品については、内容的にも大きな影響を受けているブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』の構成との関連も見逃せない。たんに、便宜的な面ばかりでもないようだ。いずれにせよ、もはや「1988年」に成立した新しい作品と見るべきだろう。
内容は、専制的な国家のもとで不遇をかこっている作家が出会う子供たちの異常な精神的成長(A・クラーク『幼年期の終わり』のテーマに通じている)というSF的な筋立ての作品(『みにくい白鳥』の部分)と、その作品を密かに書きながら、巨大都市モスクワの奇妙で、グロテスクな実生活に巻き込まれている現代ソビエト作家の私的・自伝的生活の描写が組み合わされている。後者の生活描写の中にも、ブルガーコフをモデルにした人物が登場して、幻想的な筋立てになっている。
この構成が成功しているかどうかは議論の余地のあるところ。二つの作品が入れ子的に組み合わされているので、読者は筋をつかむことが難しくなっている。また、結果的に分量が多くなりすぎたこともある。
ともあれ、単行本版の『びっこな運命』は作者の代表作のひとつと考えられる。扇・*
と称している作品はストルガツキイ作品の中ではこれだけで、ここにもこの作品に対する彼らの思い入れがうかがえる。
なお、邦訳は『みにくい白鳥』と『びっこな運命』(邦訳題名『モスクワ妄想倶楽部』)(ともに中沢訳)と別々に刊行。最終版の構成については『モスクワ妄想倶楽部』のあとがきで解説されている。
3.コメント
二つの部分の執筆年代が異なっているので文体的なバラツキがあるのは否めない。ただし、雑誌版『びっこな運命』は舞台が現代のモスクワで自伝的な要素が強いために、作者の本領である都市のジャルゴンを用いた文体的効果が縦横無尽に発揮されている。この文体的な面白さで読ませる面もある。
ジャルゴン、俗語の多様、会話の話ぶりによる性格描写、擬インテリ的なもってまわった言い回し、ねちねちとした地の文体などが全体として、作品の不条理でグロテスクな筋立てや舞台設定を際立たせている。