●ウリツカヤ, リュドミラ Ulitskaia, Liudmila
「ソーネチカ」Sonechka. Novyi mir, No. 7, 1992.
解説 沼野恭子
1. 作家について
Liudmila Evgen'evna Ulitskaia:1943年バシキーリヤ生まれ。1967年モスクワ大学を卒業(専攻は遺伝学)後、研究所でしばらく働いてから創作活動に転じる。80年代末より《Novyi mir》《Ogonek》《Stolitsa》等の雑誌に短編が掲載されるようになるが、作家として有名になったのは、ここにとりあげる中編「ソーネチカ」が、1993年にブッカー賞最終候補の五作品のひとつに選ばれてからだという。ロシア国内よりもヨーロッパでの評判が先行し、まずフランスで (Gallimard, 1992)、ついでドイツで (Folk und Welt, 1994) 作品集が出され、ロシアでの処女作品集が日の目を見たのはその後ということになる(もっとも、1983年に児童文学の本を出しているが、詳細は不明)。「ソーネチカ」は、1996年フランスのメディシス賞(外国文学部門)を受賞した(なお、1995年にはロシア出身のフランス語作家 Andrei Makinが「フランス語の遺書」でメディシス賞とゴンクール賞を同時受賞して話題をさらっている)。
作品集:
Bednye rodstvenniki. Slovo, 1995.
Medeia i ee deti. Vagris, 1996.
2.作品について
「ソーネチカ」Sonechka. Povest'. Novyi mir, No. 7, 1992.
容貌のぱっとしないユダヤ人の女の子が、自由を愛する芸術家と結婚し、娘を生み、やがて大きな愛の試練を乗り越えて夫に添いとげ、彼の死を見とる、という「女の一生」物語。彼女の人生が、順を追って、ほぼ時間の流れどおりに語られていく。
ソーネチカは(呼び方はソーニャになったりソーネチカになったりする)本の虫で、就職先も図書館、文字通り本の中で生きていた。夫となるロベルトは、世界を放浪したあげく1930年代初めに突如フランスからロシアに帰り、収容所暮らしを経験したという「伝説の人」。ソーネチカと出会って結婚してからは、流刑でロシア各地を転々とさせられるが、ふたりは貧しいながらも幸せな生活を送る。やがてロベルトは、娘のために作っていた玩具に芸術性を認められ、一家はモスクワに住むようになる。1950年代初めに家を手に入れると、そこが芸術家の集まるサロンと化す。
このあと、娘ターニャの親友ヤーシャがこの一家の運命に決定的な意味を持つことになる。ヤーシャは、ファシストに追われたポーランド共産党員の娘だが、孤児となり苦労して夜間学校にはいった、女優を夢見る物静かな美しい女の子。彼女の境遇に同情したソーニャは、彼女を自分の家に住まわせることにする。ソーニャにとってこれは、ユダヤ教でいうミツヴァ(善行)だった。ところが、ヤーシャはロベルトの恋人となり、また絵筆を握るようになった彼の「白の連作」のモデルになった。
ひょんなことからふたりの関係を知ったソーニャだが、悲しみこそすれ恨むことはなく、むしろ年老いた夫に神がミューズを遣わしたことに感謝するのだった。ロベルトもまたソーニャを捨てる気はさらさらなく、奇妙な三角関係がつづく。やがて突然おとずれたロベルトの死(いわゆる腹上死)。しかしソーニャは、人の噂など歯牙にもかけず、夫の葬儀を遺作の展覧会に仕立てた。夫の死後も、しばらくソーニャは親身になって「第二の娘」ヤーシャの面倒を見たが、やがてポーランドに親戚を見つけて帰してやる。本当の娘ターニャのほうは、イスラエルの市民権をとって国際的に活躍。ソーニャはその後も長くひとりでひっそりと生きたのだった……。
3. コメント
文体: 事実を淡々と語っているだけのように見えて、じつは主人公の気持ちに寄り添い、その機微を巧みに読者に伝える語り。そうしたリアリスティックで控えめな語り口は、この非凡な物語が説得力を持つのに、おそらく最もふさわしかっただろうと思われる。ソーニャが夫とヤーシャの関係を敬虔な感謝の念を持って受け入れるところでも、語り手は、ソーニャを称賛することも突き放すこともせず、自然なこととでもいうように静かに見守りつづける。そして読者が静かな感動をあじわうのも、この物語が、波瀾に富んだ人生を歩んだロベルトでも、遅咲きながら才能あふれるターニャでも、ロベルトの恋人となった美女ヤーシャでもなく、これら個性的な人たちのかげに隠れてふつうはあまり注意をはらわれないソーニャの側から語られているからではないだろうか。平凡であまり目立たない人の人生が、非凡で美しい物語になり得るという逆説。小説が大好きで虚構と現実の区別もつかずに夢の中でまでヒロインになっていたソーネチカは、この逆説の物語を、一生をかけて見事に編みあげたのである。
主人公のタイプ: ウリツカヤはインタビューで、「興味があるのは非ソビエト的な人間、病人や老人や障害者や狂人など、今の言葉でいうアウトサイダーです」と語っている(LG, 20. 9. 1995.)。タチヤーナ・トルスタヤが関心を寄せる人間のタイプもほとんど同じだったことが思い出される。そういえば、トルスタヤにも「ソーニャ」という短編があるが、同じく空想癖のある女性を主人公にしながら、文体的には両者は対照的とも言えよう(前者が恬淡とした中にも暖かみのある落ちついた語りであるのに対して、後者は装飾的・叙情的でありながらアイロニカルでもある)。
それはさておき、ウリツカヤの作品の主人公たちが社会の隅に追いやられている人たちであり、時としてそれすら自覚できないような「ちっぽけな人間」であることは確かだ。ロベルトが自分自身の反体制的な気質を自覚しているのとは反対に、ソーネチカは夫の知識が危険だと考えるだけで、それ以上理解しようとしない。また別の短編「選ばれし人々」では、主人公のジナイーダは頭の弱い乞食で、母親が死んだあとどうやって生きていったらいいかさえわからない(Narod izbrannyi. v kn. Piatyi ugol: Sbornik sovremennoi prozy. Knizhnaia palata, 1991.)。
ユダヤ性: 「ソーネチカ」では登場人物の多くがユダヤ人である。ロベルトはキエフのユダヤ人街出身で、十代でカバラを研究していたというし、ソーニャは「年月とともにますますはっきりと、自分のなかにユダヤ的基盤があることを感じ」るようになってミツヴァをおこなう。他にもウリツカヤの主人公はユダヤ人が多く、ユダヤ的な文化や風習・差別問題などが作中に積極的にとりいれられている(Cf. "March 1953," Glas, No.6, 1993. ちなみにこの号は「ユダヤ人と異邦人」特集号)。
ひじょうに記憶力のいいこと、また芸術家の夫を家庭的に支えたことなど、ソーネチカにはマンデリシュターム夫人を思わせるところがあるが、ウリツカヤの言によれば、好きな作家はプラトーノフ、ブーニン、パステルナーク。そして1965年にナボコフの『断頭台への招待』を読んで、世界観が変わるほどだったという。