−ノヴォシビルスクとヴォロネジを中心として−
はじめに
市場経済の下で地域経済について考える場合、重要と考えられるのは地域ごとの経済的特殊性である。地域的な経済的特殊性としては、空間的位置、人的資源を含む資源賦存状況、交通などのインフラの整備状況、歴史的な文化・伝統などが想定しうるが、具体的なロシアという国の地域経済について考える場合には、さらに旧ソ連時代の地域的な産業立地の特殊性、空間的な国土の広さ、地政学的な位置が地域経済の問題を一層複雑なものにすると考えられる。
我々が以下で考察するノヴォシビルスク州とヴォロネジ州という二つの地域も旧ソ連体制の下での経済立地の問題と一般的な経済地理学的特殊性とが絡み合っている。以下ではこのような特殊性がどのようなものなのか、またそれが市場経済化の下でどのように現れているのかという点に留意しつつ、考察を進めたい。なお、「はじめに」とUは田畑、Tは堀江が執筆した。
1.概観
ノヴォシビルスク州の人口は、約275万人(1996年)、そのうちノヴォシビルスク市の人口は約137万人。州人口のうち、約半数がノヴォシビルスク市に集中している。ノヴォシビルスク市は、西シベリア経済地区の経済・学術・文化の中心であり、シベリアの「首都」とまで言われている都市である。優れた工業基盤をもち、豊かな人的資本の供給源である大学および科学アカデミー・シベリア支部があることから、そう言われるのである。
しかし、資源を持たず、旧ソ連時代の遺制というべき組織をもつノヴォシビルスク州は、シベリアの「首都」という言葉に反して、地域内でも高い生活水準を確保できていない。特に、本稿で注目する科学部門は、機械製作・金属加工部門とともにノヴォシビルスク州の生活水準を低下させる部門となっている。
以下、科学部門と機械製作・金属加工部門を中心に、ノヴォシビルスク州経済を分析し、特に科学部門が現在直面している問題をクローズアップさせたい。
2.産業構造
第1表と第2表を中心にノヴォシビルスク州の産業構造を見てみよう。ノヴォシビルスク州の産業別雇用者数構成比を見てみると、工業が約30%を占めており、工業部門従業員数部門別構成比を見ると、機械製作・金属加工部門が50.8%を占めている。ノヴォシビルスク州は、これまでオムスク州、クラスノヤルスク州と並び、軍需産業の中心であったため、機械製造業に特化された地域だったといえる。特に、優れた工作機械・動力機械工業を有しており、1995年では、工業生産高の53%が機械工業によって占められている(Novosibirsk, 1996, p. 8)。
一方、科学・学術サービスの構成比は、3.6%で、構成比としては多くない。しかし、この部門がノヴォシビルスクの特徴と言えるのは、単に科学アカデミー・シベリア支部があり、アカデムゴロドクというリサーチ・センターを有するという理由だけでなく、ロシア連邦全体の構成比と比較して得られる特化係数を見ればわかるであろう。ノヴォシビルスク州の産業別構成比をQns、ロシア連邦全体の産業別構成比をQrsとすると、ある産業Sの特化係数は次のように表すことができる。
LQ=Qns/Qrs
こうして得られる特化係数は、それぞれの係数が1を上回っていればノヴォシビルスク州に特徴的な産業であると言える。計算結果は第1表に示してある。
科学・学術サービス部門の特化係数は、1.51ポイントで、すべての部門の中で最も高い数値を示している。例えば、工業内で最も高いシェアをもつ機械製作・金属加工業でさえ、工業部門の中での特化係数は、1.39ポイントで、科学・学術サービスには及ばない。教育・文化芸術部門と合わせると、構成比は16.6%となり、工業に次いで大きな産業部門となる。
このノヴォシビルスク州経済において最も特徴的な科学部門が、教育・文化部門と併せて、ノヴォシビルスク州の産業部門の中で最も低い1人当たり平均賃金となっている部門であることに注目したい(第1図参照)。
さらに、科学部門の就労者数は、1991年から一貫して減少している。経済全体の就業者数減少に科学部門の就業者減少が与えた影響度を示す指標として、寄与度を計算すると、第3表のようになる。寄与度は、各部門の寄与度を合計すると全部門の就業者成長率になる。これを見ると、1991年から1993年にかけては、産業部門中最も高い寄与度を示している。工業の就業者減少に応じて、科学部門の就業者は、市場経済化初期に高い寄与度で減少したと言える。
3.産業構造と生活水準
これまでの分析をもとに、ノヴォシビルスク州の生活水準を検討する場合、次のようなことが推論されるであろう。ロシア連邦全体と比べ、全産業では、科学・学術研究、教育・文化芸術の比重が高く、工業部門では機械製作・金属加工業の就労者構成比が高いが、そうした衰退部門の比重の高さがノヴォシビルスク州とその他の地域との所得格差に影響を与えているのではないかということである。
カザンツェフは、シベリアの諸連邦主体を、天然資源の豊富な地域、天然資源の希少な地域、それらの中間に位置する地域という3つのグループに分けている(カザンツェフ, 1994, p. 9, Kazantsev, 1997)。第1に、チュメニ州、ケメロヴォ州、クラスノヤルスク州、イルクーツク州で、天然資源の豊富な地域、第2に、ノヴォシビルスク州、オムスク州、アルタイ地方といった比較的天然資源が多くなく、軍産複合体の比重が伝統的に高かった地域、第3に、アルタイ共和国、ブリャーチア共和国、トゥヴァ共和国、ハカシア共和国、チタ州といったその他の地域である。そして、移行期においては、各地域の所得は資源賦存量に比例すると分析している。ロシア連邦全体でもこの傾向は見られるが、シベリア地域内においても同様の傾向が見られ、ノヴォシビルスク州のように第2の地域、つまり、天然資源の希少な地域に振り分けられている地域の所得は低位となってしまうのである。実際、ノヴォシビルスク州の貨幣所得は、全国平均の約67%である(Uroven', 1997, p. 10)。
カザンツェフが指摘するシベリア地域の資源賦存量に比例した地域格差、つまり、シベリア地域における資源を持てる地域と持たざる地域との地域格差を、具体的な産業部門の影響で捉えられないものだろうか。まず、持てる地域の代表としてケメロヴォ州を取り上げ、ノヴォシビルスク州と比較してみよう。
ノヴォシビルスク州とケメロヴォ州の所得分布をグラフで比較してみよう。ノヴォシビルスク州の1996年家族1人当たりの平均貨幣収入は、504万4,000ルーブル、そのうち賃金の占める比率は、77.9%である。一方、ケメロヴォ州の家族1人当たりの平均貨幣収入は、677万3,000ルーブル。そのうち賃金の比率は81.9%である。ノヴォシビルスク州の貨幣所得は、ケメロヴォ州の75%となるが、その格差と同様に、所得分布図においてもケメロヴォ州がノヴォシビルスク州と比べ所得が相対的に高位にあることが視覚的に分かるであろう(第2図参照)。
このことは、両州の代表的な産業部門の賃金階層分布に影響されていると予測できる。それぞれの代表的部門の賃金階層分布をグラフで比較しよう。ここでは残念ながら、州レベルの統計は得られなかったので、ロシア連邦レベルでの産業別賃金階層分布を利用している。
ケメロヴォ州の主な輸出産品は、銑鉄・圧延鋼材・石炭・アルミニウム・鉄合金である。主に、燃料、鉄鋼部門などが先導的な産業部門である。産業部門別構成比で、燃料は31.0%、鉄鋼は29.2%を占めており、とくにクズバスの炭田は有名で、石炭採掘量はロシアで第1位、鋼や鋼材の生産量もロシア第2位である(ユーラシア研究所, 1998, p. 600)。それゆえ、燃料、製鉄部門の賃金分布を見ることにする。ノヴォシビルスク州の代表的産業部門として、機械製作・金属加工部門と科学部門を取り上げることができるだろう。
こうして作成された第3図に見られるように、機械製作・金属加工部門の賃金分布と科学部門の賃金分布はほぼ同じ分布を表しており、燃料・製鉄部門との格差を際だたせている。ノヴォシビルスク州がケメロヴォ州に比べ、平均貨幣所得が低い要因として、ケメロヴォ州が持てる地域としての特徴であり、工業部門内でも相対的に高賃金である燃料、製鉄部門を有しているのとは対照的に、ノヴォシビルスク州の特徴的部門である機械製作・金属加工部門と科学部門は相対的に賃金が低く、ゆえにノヴォシビルスク州のケメロヴォ州に対する相対的低所得の理由となっていることが推論できるであろう。
4.工業部門の停滞と科学部門の貧困
シベリアの科学の状況は次のようにまとめることができるであろう。
1)すでに指摘したように科学部門が市場経済化以降、就業者数を大幅に減らしている。これに関連して、優秀な研究者の海外流出が問題となっている。
2)財政緊縮のため、国家予算によるサポートが減少している。
3)工業部門、特に軍産複合体の衰退により、工業部門からの資金が入ってこない。
4)以上の理由から、学際センターの維持が困難になってきている。
5)繁栄する研究所と貧困化する研究所の階層化が進んでいる。
科学部門の就業者減少は、すでに分析したとおりである。ここではその中身が問題である。シベリア支部によると、年間160人の研究者が国外に流出しており、ほとんどの流出者は、米国(35%)、ドイツ(20%)、フランス(15%)、日本(7%)などの研究所、企業に採用されている。
また、逆に、院生の数は、一貫して上昇しており、1992年には1281人だった総数は、1997年には2114人に上っている。行き場のない学生たちが、院生として滞留しているからだと言う。
ノヴォシビルスク州の科学・学術サービス部門への投資は、1993年から急激に低下し、1997年には4分の1以下に低下している。国家予算からの投資も1995年から1997年にかけて約5分の1に低下しているのである(Nauka, 1998, p. 57)。アカデムゴロドクの研究所は、これまで国家財政によって支えられてきただけに、国家による投資の減少により、研究環境の悪化が表面化したのである。旧ソ連時代の1987年、シベリア支部の研究所の歳出構造のなかで、給与・賃金の占める比率は37.5%であったが、1993年には64.5%にまで上がった。
もともとシベリア支部はシベリア地域の経済発展を支える研究拠点として創設されたため、地域密着型の研究拠点である。それゆえ、地域の工業部門とのつながりは強かった。1990年シベリア支部の財政のうち、国家予算から39.2%、科学技術省からの目的別融資が18.8%、工業部門との契約によるものが42%を占めていた。工業部門の停滞により、工業部門との契約は10%にまで落ち込んでいるという。工業部門に頼れない分、国家予算の支えは、その比重を増し、65%にまで上昇したが、シベリア支部の財政規模が急激に縮小しているため、その活路として、外国にパートナーを求めることとなっている。
国家と地域工業部門と科学アカデミーの連関が崩れるにつれ、それぞれの研究所は、自ら生き残りをかけて、ビジネスや外国の研究パートナーを模索することとなっている。そのため、ノヴォシビルスク・リサーチ・センターの特徴であった学際性が犠牲になっているという。その結果、各研究所は、ビジネス・外国とのパートナーとのつながりの度合いに比例して、階層化が進んでいる。繁栄する研究所として最も目立った存在となっているのは、核物理研究所や触媒研究所といった資源エネルギー関連の研究所である。これらの研究所では、ほぼ賃金遅配はないものの、その他の多くの研究所では、おおよそ1.5から2カ月間の賃金遅配が慢性的に発生している。
こうした窮状のなか、1998年5月18日、ロシアの科学の再編に向けたコンセプトがロシア政府によって発表された。その内容は、ロシアの学術機関の再編、清算、民営化などに踏み込んだ、現在のロシアの経済状況を反映するものであった(Rossiiskaia gazeta, June 3, 1998)。それに対して、ロシア科学アカデミー・シベリア支部は、エリツィン大統領に公開書簡を送った。政府が財政支出削減に向けて作り上げたプログラムは、何よりもまず科学アカデミー・シベリア支部の衰退・閉鎖を導き出すものとして、約100人ものアカデミー会員・準会員がその書簡に署名をしている(Nauka v Sibir', No. 25, 1998もしくはSovetskaia Rossiia, June 25, 1998)。書簡では、主に科学、研究、保健、国防を犠牲にした「国家資源の節約(我々も賛同する、膨れ上がった公務員数の縮小を除いて)は、科学アカデミー・シベリア支部の学者には非常に間違ったものであるし、許しがたいものであると思われる」と訴え、「我々は限界点に達している」という厳しい言葉で書簡を結んでいる。何よりもまず、このコンセプトは、事実上、学者たちによれば、科学の閉鎖を意味するからである。アカデムゴロドクの学者たちの社会的緊張は、この夏ホワイト・ハウス前でピケを張った鉱山労働者の緊張と比べ、楽観できるものではない(Novaia Sibir', No. 18, May 22, 1998)。
科学部門、特に科学アカデミーは、ノヴォシビルスク州にとってこの40年、重要な社会経済構成体であった。この衰退は、ノヴォシビルスクの社会そのものに大きな影響を与えるが故に、注視していかなければならない。
1.概観
まずヴォロネジ州のロシア全体および中央黒土地域における「位置」について概観しておく。
ヴォロネジ州の総面積は5万2,400平方キロ(全ロシアの0.3%)、南北277.5キロ、東西352キロであり、モスクワから587キロ南に位置する。
ヴォロネジ州は、ロシアの穀倉地帯である黒土地帯全体の中では西方にあり、ロシアの経済地域区分(11区分)のうちの中央黒土地域に属する。ここから、ヴォロネジ州はロシアでも有数の農業の盛んな地方であるとともに、ヴォロネジ市とその周辺都市を含めて中央黒土地域の機械工業の中心都市でもある。ただし、輸出可能な天然資源には恵まれていない。ヴォロネジ州の人口は1998年1月1日現在で248万5,600人(ロシアの1.7%)であり、州都ヴォロネジ市の人口は1998年1月1日現在90万8,800人であって、これに対し第2の都市はボリソグレフスクで6万9,500人であり、ヴォロネジ市と比較して他の諸都市の規模は極めて小さい。
ロシアの連邦構成主体および中央黒土経済地域のなかでの経済力については、GRP(地域のGDP)に関しては、ロシア全体ではヴォロネジ州は50位以下(第4表)である。投資も国内、外国とも少なく、黒土地帯への外国投資はきわめて少ない(第5表)。財政状況は良くも悪くもない(第6表)。
中央黒土地域内でのヴォロネジ州の「位置」に関しては、中央黒土地域ではもっとも人口、就労者数が多く、工業生産高ではリペツク、ベルゴロド州に続くが、輸出は少ない(リペツク州が比較的多い)(第7表)。
一国の経済および地域の基礎的経済力を示し、経済の規模を決定する外国貿易についていえば、1997年には貿易総額3億7,240万ドル、輸出2億51万ドルであり、3,780万ドル(1996年3,460万ドル)の黒字であるが、1996年に比べて25.3%の減少である。そのうち、遠い外国との貿易は2億5,760万ドルであり、全体の69.2%を占め、4,300万ドルの黒字であるが、CIS諸国との貿易は1億1,480万ドルであり、520万ドルの赤字となっている(第8表)。
総じていえば、ヴォロネジ州は貿易額、1人当たりGRP、財政状況などの点でロシア全体の中で中の下程度である。
2.経済情勢および雇用情勢
まず、ヴォロネジ州の一般的な社会・経済指標は第9表、第10表に見られるとおりである。1990年から1995年までは工業、農業の諸指標がいずれも一貫して低下している。1996年には実質賃金のみが上昇を示しているほかは(固定フォンドが上昇しているが、これは経済組織に存在しているものを単に強制的に評価替えしたにすぎず、実質的にはマイナスと見てよい)、やはりマイナスである。1997年になって工業生産高、農業総生産物、住宅建設、輸送、実質賃金、可処分所得がプラスになっているが、GRP、消費財生産、小売商品流通、投資、農業では畜産が依然としてマイナスである。
ヴォロネジ州は人口の点からいっても、工業生産高、輸送、小売商品額からいっても、中央黒土地帯の中心であり、合成ゴム、タイヤ、機械設備などが重要輸出品目となっているように(第11表、第12表)、旧ソ連時代の工業立地政策によって一定の工業生産が配置されており、その遺産が今も残っていると考えられる。
ヴォロネジ州にとって特徴的なのは、ロシア連邦全体と比較しても、1990年から1995年の6年間に工業も農業もその低下が大きいことである。第9表から、この間において、工業では1995年には1990年の41%(ロシア全体は50%)、農業では50%(ロシア全体は65%)にまで低下しているのであり、農業が大きな割合を占めるヴォロネジ州において、頼みの農業が大きく落ち込んでいるのである。第10表の工業、農業に関する1996年、1997年のデータを考慮すると、1990年から1997年までに工業は36%に、農業は1997年に11.1%の増加をしたとはいえ、やはり50%への低下である。
ここから、ヴォロネジ州については、比較的多くの就業者を抱える農業および農産物加工(食品)部門が疲弊していること、その復興が急務であることがうかがわれる。工業においても、機械工業の疲弊が深刻であると考えられる。
就業者と失業者については、第13表〜第17表に見られる通りであるが、部門別就業者は、農林業部門が全国平均よりも5ポイント程度高い点が特徴的である。
失業についていえば、とくにロシア全体と比較して、目立って失業率が高いわけではない。しかし、失業に関する特徴として、公式登録失業者のうち女性と若年者、とりわけ女性がきわめて高く、さらにその上、長期失業の割合が高い(第17表)。
3.生活水準
まず、賃金、所得(貨幣所得および現物所得)についてみておく(第18表〜第20表)。ここで指摘しておきたいのは、中央黒土地域の諸州の中では最低生活水準以下の住民数の割合がもっとも高いことである(第7表)。
所得、賃金、平均最低生活費をロシア全体との比較で見れば、次の通りである。
ロシア全体(以上、SEP, No. 12, 1997, p. 266) 1人当たり月平均貨幣所得 92万ルーブル
1人当たり月平均賃金 96.5万ルーブル 1人当たり平均最低生活費 41.12万ルーブル
ヴォロネジ州(Voronezhskaia, 1998b, pp. 3, 35). 1人当たり月平均貨幣所得 56.54万ルーブル
1人当たり月平均賃金 59.326万ルーブル 1人当たり平均最低生活費 31.48万ルーブル
いずれの指標もロシア全体の6割程度であることがうかがえる。
また、中央黒土地域内での比較をすれば、中央黒土地域においては中レベルの水準である(第7表)。中央黒土地帯の中で1人当たり月額貨幣所得が高いのはリペツク州、ベルゴロド州であり、低いのはヴォロネジ州、タンボフ州である。リペツクは製鉄の町であり、第21表に対照的な形で見られるように、リペツク、ベルゴロドは輸出も多いが、ヴォロネジ、タンボフは輸出は多くない。当然であるが、輸出および移出用の原材料資源を有するか否かは各地域の不況の程度を決定的に左右すると考えられる。
ロシアの統計では「貨幣所得の購買力」という概念が示されており、これは(平均)貨幣賃金によって様々な消費財、サービスがどれだけ購入できるかを示すものである。第22表に見られるように、これは各商品の相対価格の変化を示してもいるが、ロシア平均と比較することによってヴォロネジ州の所得水準が見て取れる。これで見ても、すなわち購入可能な現物によって貨幣所得を評価してもロシアの全国平均の大体3分の2程度と考えられる。
興味深いのは、第23表である。1991年と比較して主要な耐久消費財の購入量が激減していることがわかるが、これは住民が耐久消費財を購入する余裕が全くなくなっていることを示しており、生活水準の劇的な低下が間接的に見て取れる。
ここで、1998年の家計調査資料の結果によって、最も最近の生活状態を見ておく。第24表に見られるように、1998年の第2四半期に都市住民の家計可処分所得が極端に低下している。他方で農村家計の可処分所得は逆に増加している。農村家計の増加の一部は借入金および貯蓄取り崩しによるものであるが、それを差し引いてもなお増加している。都市住民の総所得が大きく減少しているのである。失業の激増があったのではないかと推測されるが、詳細はわからない。逆に農村家計では貨幣所得が増加したと推測される。同時に、農村家計の現物所得が40%前後とかなり高いことも注目すべきことである。
4.結び
ヴォロネジ州の政治・経済的特徴として、マウ、ストゥーピンによれば、ヴォロネジ州は元来保守的な地域に属するということである。これはヴォロネジ州がモスクワから600キロほど離れた内陸部にあり、黒土地帯を背景とした農業が経済において比較的大きなウェイトをもつことからも推測しうることである。
この600キロのモスクワとの隔たりはかなり大きな意味を持っているように思われる。すなわち、1997年までに工業は1990年の36%にまで低下し、農業は50%に低下しており、工業、農業とも全くの不振である。これまでの工業、農業とも全くの不振、低迷を示していることがロシアの市場経済化の過程での地域経済の一つの典型であろう。これは、ヴォロネジ州が輸出、移出可能な天然資源、原材料品をもたないためであり、外国投資という点からも魅力のない地域となっている。
やや明るい材料が見られるとすれば、1997年に工業も、とりわけ農業もプラスの成長を示していることであり、農業は11.1%の成長である。しかし、1998年第2四半期の家計調査からうかがえるように、最近ではまた落ち込みが深まったことが推測されるし、1998年の「8月危機」以降、経済の不振が一層深まっていることが予想され、また農業、工業とも大きく落ち込んでいるのではないかと思われる。
このまま推移すれば、工業はますます疲弊するし、農業は、農産物価格の低迷とロシア中央部からの隔たりのために不振が続いているが、モスクワまで600キロという距離をどう克服するのか、マーケティングをどうするのか、厳しい状況が続くと考えられる(1)。
Uの補論「ヴォロネジ州の銀行について」(2)
中央黒土経済地域で22の(地域)銀行
4つの銀行。 最大で圧倒的な存在の「ヴォロネジ」銀行(州全体の60%程度)。
ピョートル一世銀行、ユーゴ・ヴォストーク銀行、アグロ・インプリス銀行。
(1)ヴォロネジ銀行 プロムストロイ・バンクの支店が発展したもの。 1997年半ばにおいて、州の銀行総資産の59%を占める。 非金融セクターへの融資の62%、顧客口座資金残高の53%。 住民からの獲得預金の68%。 資本金が唯一500万ECUを越す。2位、3位の銀行は100万ECUを越す。
(4)アグロ・インプリス銀行 州で最小の銀行。 アグロプロム・バンクの支店が発展したもの。
ヴォロネジ銀行の21分の1の資産。 1997年半ばにおいて、中央銀行が定める資本の下限についての規定に達しない。
(2)、(3)のピョートル一世銀行、ユーゴ・ヴォストーク銀行は民営銀行として出発。
*1〜3位の銀行に97%の資産が集中している─きわめて資本・資産集中的。
*州の外に本店がある銀行の支店の数(52)に対する地方銀行の数の比は他の州に比べても最小で、0.08。
*ヴォロネジの銀行の支店数は33以上。その内、14はヴォロネジ銀行のもの、18はピョートル一世銀行のもの、1つがユーゴ・ヴォストーク銀行のもの。
*これらの銀行は首都に、義務的な支店ないし駐在事務所を持つのみで、ほかはすべて州内に支店がある。
*ヴォロネジの銀行の特徴
地方銀行では利子収入をもたらさない銀行資産が増加してきており、その統計的平均の指標(the average statistical regional bank)とは資産構造が異なっている─それぞれの指標は34%(ヴォロネジ州)と39%(統計的平均)。
また、地方銀行の指標はモスクワにある銀行よりも遊休の(idle)資産の割合は高い。その理由は、建物、設備、投資、建設資材などの非活動的、非金融資産の割合が大きいためである─1997年半ばの時点でヴォロネジ州の銀行のこの指標は8%〜21%の間にある。
*返済期限切れ信用、未回収の債権、非物的資産については、非流動資産の総額の割合は9%から26%の間であった。2つの大きな銀行については、この非流動資産は自己資本の割合をはるかに超えている。実際に資金循環に入っている部分は総資産のきわめて小さい部分である。
銀行利潤は1990年代半ばの利潤率を確保するのが困難になり、1996年に最高に(対資産利潤率8〜19.5%)達した後、1997年の前半には1.1%から5.6%に低下した。
*大型の都市銀行の場合には、銀行負債に占める預金の占める割合は小さい(裏返せば、借入金が多い)が、地方銀行の場合は銀行負債の70%前後(少なくとも1997年)は預金が占めており、他方で、銀行資産の70%前後は有価証券が占めている。SEP Voronezhskoi oblast'(1998, pp. 59-61)によれば、その有価証券投資の93.8%は短期国債が占めている(第25表〜第27表)。
(1)1998年9月にロシアを訪問した際、ヴォロネジ市の中心から15キロの「ヤームナヤ」という農場を訪ねたが、ブレジネフ時代にミリオネル(百万長者)といわれたコルホーズも、4つあった牛舎のうち稼働しているのは1つという有様。耕地も休耕しているところが多かった。かつて382人いたコルホーズ員も今は80人となっている。(2)以下についての資料は、『移行期経済研究所(ガイダル研)』のホームページ(http://www.online.ru/sp/iet)の1998年1月のロシア経済資料、SEP Voronezhskoi oblast', 1998, pp. 59-61、Problemy, 1998, pp. 44-48.