ここに所収された仙石論文は、この3月18日にスラブ研究センターで開催された上記国際学術研究のプレ企画・研究会で提出されたペーパーを基礎と している。松里論文は、昨年の3月20日に日本国際問題研究所で、また5月11日にスラブ研究センター専任研究員セミナーで報告された際のペーパーが下地 となっている。なお、このペーパーの英語版は、1998年9月にボカラトン避暑地(フロリダ州)で開催されたアメリカスラブ研究促進協会(AAASS)年 次大会でペーパーとして発表され、今年12月にEurope-Asia Studies 誌に掲載されることになっている。
このように、本報告輯は、上記重点領域研究いらい積み重ねられてきた集団研究の成果である。集団研究は、それ自体結構なことであり、また「脱共産 主義国のリージョン・サブリージョン政治」などという膨大な情報処理と国際・国内比較を要求するテーマに取り組む際には不可避であるが、その反面、仲間内 でだけ概念が煮詰まってしまって外の人からは話が見えにくくなるおそれなきにしもあらずである。本巻との関連では、そもそもサブリージョン (subregions)などという、日本語でないばかりか英語の辞書にも載っていないような単語がなぜ表題たりうるのかについて簡単に説明しておかなけ ればなるまい。
松里論文の冒頭で述べられているように、日本は地理的・民族的に同質的な国であり、単一主権制をとっている。また、広域自治体と基礎自治体とが似 通った統治組織構造(いずれも首長公選制)をなしており、言語上もサブ・ナショナルな地理単位を表現する言葉は「地方」しかない。したがって、日本人に は、広域の地方(regions、日本でいえば都道府県)とその下位にある地方(locales、日本でいえば市町村)の間の違いがよくわからないのであ る。これはいわばやむを得ないこと、理解できる弱点だが、regions と locales との使い分けに慣れているはずのアングロサクソン系の連邦国家(典型的にはアメリカ合衆国だが)に住む研究者でさえも、こと旧社会主義国の政治体制分析と なると、日本人と同じ思考回路をとるのである。
これはおそらく、(1)「社会主義体制=中央集権」という固定観念が強く、また、分権化は民主化の不可欠の構成要素と考えられているため、「中 央・対・漠然とした『地方』」という図式がどうしても優勢となる、(2)州都・県都でフィールドワークするのでさえ相当に大変なのに、とても郡庁所在地ま ででかける気にならない(たしかに、職業病とも言える膀胱炎をはじめとする艱難辛苦が待っている)、したがってリージョンをもって「地方」全体を代表させ てしまう、といった事情があるためであろう。実際、一昨年にウッドロウ・ウィルソン・センター(ワシントンDC)から出版された、ロシアのリージョン政治 に関する優れた論文集も『一枚岩を越えて』という表題である*1。つまり「モスクワへの権力集中が解消されつつある、これは重要な流れだ」という発想法な のである。しかし、モスクワから権限を奪取したリージョン(州、共和国)のうち強力なものは、住民の生殺与奪を握って、ほとんどリヴァイアサンのような様 相を呈しているのであり、とうの昔に崩壊した「一枚岩」の亡霊に怯えるよりもむしろ『リージョナリズムを越えて』というスローガンを掲げた方が時宜にか なっているのではないだろうか。ともかく、中央政府とリージョン権力の間でいかに権限分割されたかということに負けず劣らず、リージョン権力とサブリー ジョン権力の間でいかに権限分割されたかということは重要なのである。言い換えれば、脱共産主義諸国の国家建設は、「中央・対・地方」という2項モデルで は理解されえず、「中央、リージョン、サブリージョン」間の三つ巴の関係としてはじめて理解される。そして、仙石論文が示すように、このことは国の規模が 相対的にコンパクトで、社会主義時代いらいリージョン自治を抑圧してきたポーランドにさえ言えるのである。
サブリージョン研究の第二の意義は、上記の「中央、リージョン、サブリージョン」間の関係がいかなるものであるかが、旧社会主義国の政治体制を分 類する基準となるということである。その観点からは、本巻が分析対象としたポーランドとロシアは、両極端な例である。旧社会主義国のうちポーランドは、中 央アジア諸国やロシアの一部の民族共和国を「別格」とすれば、最も単一主権主義的な(unitary)国家建設を進めた例である。対照的に、ロシアにおい ては、国家権力が極端に分散(deconcentration)されている。これには歴史的な沿革がある。ポーランドは、社会主義時代いらい、中位エリー ト(県=リージョン及びサブリージョンのうち郡のエリート)を抑圧する政策をとってきた。対照的に、かつてのソ連共産党体制は、集権主義の外観の下で実は 中位エリート(典型的には、自治共和国・州・郡党第一書記)が住民の生殺与奪の権利を握る地方ボスの体制であったし、さらにエリツィンは、中位エリートに 権力を譲ることで国造りを進め、また自分の地位を確保してきたのである*2。この両国の間の対照性は、1990年代中盤いらいの地方制度改革の流れの中で も変わらなかった。松里論文は、ロシア連邦地方自治一般原則法の立案過程で浮上した郡の国家化の試みが失敗した背景を間接的に明らかにしているし、仙石論 文は、(中位自治体の再導入に代表される)国家権力分散を進めたかに見える1998年の地方制度改革も、実は1990年に導入された単一主権主義的な地方 制度を大きく変更することはなかったことを明らかにしている。我々の目を引くのはむしろ、地方制度をめぐる政治の主役たちである。ロシアにおいて単一主権 主義に抵抗する主な主体は、地方ボス自身であった。ポーランドにおいては、最大の利害関与者である自治体そのものが改革の主な推進者となることはできず、 改革法案は政党、しかもその中央組織や国会議員団間の駆け引きによって準備されたのである。改革の結果のみならず、改革過程そのものが、単一主権主義の ポーランド、権力分散主義のロシアという対照を鮮明に示したと言える。
ここで問題にしているのが「中央集権主義か地方分権主義か」ではなく、「単一主権主義か国家権力分散主義か」であることを強調しておく必要があ る。これと関連して注目されるのは、基礎自治体の「活発さ」ではなく、広域自治体=中位団体の地位である。周知の通り、地方自治には、(1)住民自治(住 民の地方行政への参加)と(2)団体自治(自治体の国家からの自立性、あるいは国家に対するカウンターバランスとしての自治)という二つの側面がある。単 純化すれば、@は第一義的には基礎自治体(小規模自治体)が追求するべき課題であり、(2)を達成するには広域自治が必要であると言えよう。仙石論文が示 すように、基礎自治体は、その規模からいって国家に対するカウンターバランスにはなれないからである。こんにち、旧社会主義国で地方自治という言葉自体を 否定する人はほとんどおらず、それは民主主義の構成要素として承認されている。しかし、問題は、地方自治の二つの側面のうちどちらを重視するかなのであ る。ウズベキスタン、タタルスタン、モスクワ市、ウクライナ、ポーランドなど広域自治・中位自治を抑圧している国々の指導者・インテリの中には、基礎自治 体や自称「基礎自治体」(実態は町内会・部落会)の「活発さ」を自慢して、「ご覧なさい。私たちの所では地方自治がこんなに盛んです」などと言う人が多い のだが、これは地方自治を専ら(1)の見地から解釈したものである。実はこれは、ソヴェト的な伝統・思考方法にかなったものである。なぜなら旧体制下で は、行政の補完としての住民参加は大いに称揚されたが、国家のカウンターバランスとしての地方権力という理念は唾棄されたからである*3。
サブリージョン研究の第三の意義は、それがナショナルな政治システムと住民が接触する場であり、まさにこのレベルで当該政治体制の基本的な性格が 形成されるか、形成されないまでも試されることである。また、サブリージョンこそが職業的な政治家が析出し始める(地域・職場の世話役が職業政治家に転化 する)レベルであることも強調しておかなければならない。我々が「地方自治」という用語よりも「サブリージョン政治」という用語をより好むのは、「地方自 治」研究が制度論・憲法論的な側面に関心を集中してしまうことと並んで、(少なくとも脱共産主義過程の文脈では)「あるべきもの」「これから形成されるべ きもの」という規範意識と結びついてしまうからである。しかし、概して政治というものは、下に行けば行くほどパーソナルな要因(個人的能力と評判、好き嫌 い、野心、名誉欲、嫉妬など)に規定される度合いが大きくなるものである。規範的なアプローチでは、政治現象、人間のどろどろとした営みとしてのサブリー ジョン政治は視野から落ちてしまうだろう。「あるべきもの」について考察する前提は、「あるがままのもの」をよく知ることである。本国際学術調査は、リー ジョン・サブリージョン政治に(1)エリート再編、(2)制度建設、(3)地方選挙、(4)地方政党制の四つの観点から総合的に接近することを課題として いる。
松里論文を準備するにあたっては、国際文化会館・新渡戸フェローシップの多大な援助を受けた。仙石論文は、スラブ研究センター所蔵のポーランドの 諸新聞を活用したものである。