SRC Winter Symposium Socio-Cultural Dimensions of the Changes in the Slavic-Eurasian World ( English / Japanese )

20世紀のロシア正教会
チーホンからアレクシー2世へ

廣 岡 正 久

Copyright (c) 1996 by the Slavic Research Center( English / Japanese ) All rights reserved.

- 注 -

  1. コンスタンチン・ポベドノースツェフについては、R.バーンズの浩翰な研究書がある。Robert Byrnes, Pobedonostsev: His Life and Thought, Indiana Univ. Press, 1968.
  2. 帝政時代のシノド(Sinod)は、“宗教大臣”の役割を担った聖宗務院総長と、12名の聖職者から成る教 会監督機関であった。いずれのメンバーも皇帝によって任命され、帝政への服従と忠誠を求められた。年に3回開催されたが、通常の出席者は6名程度であっ た。皇帝に直属する聖宗務院総長が事実上絶対的な権限を握っていた。
  3. Constantin Pobedonostsev, Reflections of a Russian Stateman, tans. By R. C. Long, 1965, The Univ. of Michigan Press, p.24.
  4. Nezavisユmaia Gazeta, February 12, 1994.
  5. Dimitry Pospielovsky, メImpression of the Contemporary Russian Orthodox Church: Its Problems and Its Thoelogical Education,モ Religion, State & Society, Vol.23, No. 3, 1995, p.254.
  6. 皇帝に公会開催の請願書を提出した聖宗務院に対して、ロシア正教会各管区は意見書を送った。その一部が下記 の文献に紹介されている。G.L.Freeze, From Supplication to Revolution: A Documentary Social History of Imperial Russia, Oxford Univ. Press, 1988, pp.229-238.
  7. 1917年〜18年公会に出席した日本ハリストス正教会長司祭三井道郎が、「訪露紀行(露国正教会地方公会 と総主教選立及びロシア革命)」と題する興味深い記録を書き残している。三井義人編『三井道郎回顧録(遺稿)』限定百冊印刷非売品、昭和57年、97- 143ページ。
  8. 拙著『ソヴィエト政治と宗教−−呪縛された社会主義』(未来社、1988年)、61-64ページを参照。
  9. Akty Sviateishego Patriarkha Tikhona i Pozdneishie Dokumenty o Preemstve Vysshei Tserkovnoi Vlasti 1917-1943, Sbornik v dvukh chastiakh, Sostavitelユ M.E. Gubonin, Moskva, 1994, pp.82-85.
  10. Ibid., pp.149-151.
  11. Ibid., pp.280-281.
  12. 1917年〜18年公会については、John Curtis, The Russian Church and the Soviet State 1917~1950, Boston, 1953, pp.9-43. および D.V. Pospelovskii, Russkaia Pravoslavnaia Tserkov' v XX veke, Moskva, 1995, pp.19-61.を参照。
  13. 『生ける教会』、正式には『教会再生革新同盟』(Obnovlencheskii Soiuz Tserkovnogo Vozrozhdeniia)については、D. Pospelovskii, Ibid., pp.62-102.および拙著、前掲書、67-69ぺージを参照。
  14. Akty Sviateishego Patriarkha Tikhona...,pp.163-164.
  15. Ibid., pp.340-344.
  16. Akty Sviateishego Patriarkha Tikhona...,pp.509-513.
  17. 1929年の『宗教団体に関する法律』と『内務委員部指令』には英訳がある。 William B.Stroyan, Communist Russia and the Russian Orthodox Church 1943-1962, Washington, D. C., 1967, pp.121-135 を参照。第2条、第3条、第4条、第5条、および第6条に規定された、宗教団体の登録のための、いわゆる「20人制」に関連する条文は以下の通りである。 第2条「すべての宗派信徒の宗教組織は、宗教団体もしくは信徒集団として登録される。市民はただひとつの宗教組織の成員であることができる。」第3条「宗 教団体とは、18歳以上で、その宗教的必要を共同で満たすために結合した同一の教団、信徒団体、もしくは宗派に所属する20人以上の信者から成る地域 (pomestnyi)の団体である。宗教団体を組織するに充分な数に達しない信者は、信徒集団を形成することができる。宗教団体および集団は、法人格権 を有しない」。第4条「宗教団体ないし信徒集団は、当該市ソヴィエト、ないし地区ソヴィエトの宗教問題評議会による団体ないし集団の登録を経てのみその活 動を開始することができる。」第5条「宗教団体を登録するためには、少なくとも20名の発起人が、前条に述べられた機関に、閣僚会議付属宗教問題評議会に よって定められた形式にしたがって申請書を提出しなければならない。」第6条「信徒集団を登録するためには、集団の代表者が、第4条に述べられた、その集 団が位置する市もしくは地区の機関に、閣僚会議付属宗教問題評議会によって定められた形式にしたがって申請書を提出しなければならない。」
  18. リヴォフ宗教会議についてのロシア正教会側の資料として、The Lvov Church Council: Documents and Materials 1946-1981, Publication of the Moscow Patriarchate, 1983. がある。
  19. スターリン政権の宗教政策については拙著、前掲書、108-110 ページを参照。
  20. W.Stroyen, Ibid., pp.136-140.
  21. Cited in M. Spinka, The Church in Soviet Russia, New York, 1956, p.113. なおゲオルギー・カルポフ(G. Karpov, 1898〜1967)は、『ソ連邦国家保安委員会(KGB)』少将であった。
  22. 拙著、前掲書、111-113 ページを参照。
  23. Vestnik russkogo Khristianskogo dvizheniia, No.130, Paris, 1979, pp.276-280, 284, and 286-287.
  24. Pravda, April 30, 1988. 邦訳『今日のソ連邦』1988年6月15日、第12号第1付録、4-5 ページ。
  25. 1988年公会で採択された宗務規則については、拙著「現代ソ連における宗教と政治−−ロシア正教千年祭 をめぐって」『産大法学』第23巻第3号(京都産業大学法学会、平成元年10月)、48-53ページを参照。原文は、ロシア正教会総主教庁が発表した Moskovskaia Patriarkhiia, Ustav ob upravlenii Russkoi Pravoslavnoi Tserkvi, 1988, pp.1-44. を参照。
  26. "Tol'ko chistoe serdtse sposobno preobrazit' zhizn' otechestva", Delovye liudi, June 1996, p.3.
  27. Pravoslavnaia Narodnaia Gazeta <Rus' Derzhavnaia>, No.5-7 (26), 1996.
  28. Izvestiia, May 28, 1991.
  29. Nezavis'maia Gazeta, February 12, 1994.
  30. Delovye liudi, p.9.
  31. 本論3.および拙稿「“民族主義路線”に回帰するロシア正教会−−自由のジレンマとアンデンティティ危 機」『ロシア研究』21号(1995年10月)、102ページを参照。
  32. 32 『全世界ロシア国民会議』第1回大会は1993年に開催された。第3回大会については、Pravoslavnaia Narodnaia Gazeta <Rus' Derzhavnaia>, No. 1 (24) 1996. およびValerii Ganichev, "K Russkomu Veku", Zavtra, March 1996, No. 12 (120).
  33. Sovetskaia Rossiia, June 29, 1996.
  34. Delovye liudi, p.11.
  35. Ogonek, No. 50, December 1988, pp.2-5. なお、ゴルバチョフ政権下の宗教法改正をめぐる動きについては、拙稿「現代ソ連のイデオロギー危機と宗教の再生」、『ソ連研究』(日本国際問題研究所、 1989年10月)、第9号、59-63ページを参照。
  36. 良心の自由と宗教団体に関する法律』は『プラウダ』紙に発表された。Pravda, October 9, 1990. を参照。
  37. Izvestiia, October 13, 1990.
  38. 拙稿「“民族主義路線”に回帰するロシア正教会」、102ページ。
  39. Moskovskii Komsomolets, August 18, 1993.
  40. <Proekt> vnositsia deputatom Gosudarstvennoi Dumy, Predsedatelem Komiteta po delam obshchestvennykh ob"edinenii i religioznykh organizatsii, V. I. Zorkal'tsevym i Pravitel'stvom Rossiiskoi Federatsii. "O svobode veroispovedanii," Rossiiskaia Federatsiia, Federal'nyi Zakon, O vnesenii izmenenii i dopolnenii v Zakon RSFSR, pp.1-13.
  41. 1996年12月30日、サンクト・ペテルブルクのロシア正教会関係者が筆者に語った言葉である。
  42. システム研究・社会学研究所がモスクワ市民1200人を対象として実施した調査によると、44%が神の存 在を信じており、そのうち65%がロシア正教会信者であった。モスクワ市民の59.5%が国家が教会を支援すべきであると答え、82%が破壊された聖堂を 修復すべきであるとの回答を寄せた。また半数が学校での宗教教育に賛成した。Moskovskie Novosti, No. 4, February 2-8, 1996. また、1996年3月〜4月に1664人のロシア市民を対象として、フィンランドのクオピオ大学とロシア科学アカデミーが行った宗教意識の調査では、実に 88%が社会におけるロシア正教会の役割の重要性を認めているという。キリスト教の教義を理解し、定期的に参祷する“厳密な意味での信徒”は必ずしも多く はないとしても、総じてロシア正教会への肯定的な関心が認められる事実を指摘している。Vladimir Andreenkov i Kimmo Kddridinen, Velikie ozhidaniia po otnosheniiu k Russkoi Pravoslavnoi Tserkvi v kotorye ne nuzhno vovlekat' politiku, pp.1-4. を参照。
  43. サンクト・ペテルブルクの教会関係者が明らかにした数字である。
  44. 『ロシア正教会宗務規則』(1988年6月8日制定)』は、第2章「地方公会」、第5条И項で、地方公会 は「すべての教会裁判手続きを定める」と規定し、さらに「註(1)」として「本規則の付則として<教会裁判手続き>を作成しなければならない」としてい る。Ustav ob upravlenii Russkoi Pravoslavnoi Tserkvi, p.44. を参照。
  45. 「キエフおよびガリツィヤの府主教」フィラレートの解任をめぐる一連の動きについては、拙著『ロシア正教 の千年−−聖と俗のはざまで』(日本 放送出版協会、1993年)、209-212ページを参照。
  46. エストニア聖使徒正教会の分離独立をめぐる正教世界の分裂については、Izvestiia, February 24, 1996. を参照。

〔資料〕

20世紀ロシア正教会略年譜                         
(帝政末期のロシア正教会)
1904年 1月27日: 日露戦争開戦
1905年

1月 9日: 「血の日曜日」事件、第1次ロシア革命
4月17日: ニコライ2世の「信教の自由に関する勅令」、「ロシア正教会地方公会の開催を認める勅令」
10月19日: 聖宗務院(シノド)総長コンスタンチン・ポベドノースツェフの引退
1914年  7月19日: ドイツの対ロシア宣戦布告
1917年






2月27日: 2月革命
3月 2日: ニコライ2世退位
3月 6日: 聖宗務院、臨時政府を承認
7月 3日〜4日: 7月蜂起
8月15日: ロシア正教会地方公会開催
8月16日〜12月 9日: 公会の第1セッション−−総主教制の復活、教会の最高決定機関としての公会、聖宗務院会議、主教会議について
10月31日: 総主教制復活の決定
11月21日: チーホン総主教の就位式
(ソヴィエト体制下のロシア正教会)(以後月日は新暦)
1918年




2月 1日: チーホン総主教の「破門状」
2月2日〜4月20日: 公会の第2セッション−−主教管区監督権および教区規約、教区自治権、主教任命制について
2月5日: 人民委員会議の「教会の国家からの、学校の教会からの分離について」の布告
7月2日〜9月20日: 公会の第3セッション−−総主教代理、修道院と修道士(女)、教会聖器物の冒涜的な略奪や侮辱から護ることについて
7月10日: ロシア・ソヴィエト社会主義共和国憲法
11月7日: 総主教チーホンの人民委員会議に対する「アピール」−−ボリシェヴィキ政権を弾劾
1919年

9月25日: 総主教チーホンの“政教分離”に関する教書
1920年〜1921年: ロシアの飢饉
1921年〜1922年: 飢饉の救済をめぐるロシア正教会とボリシェヴィキ政権との対立
1922年

4月〜5月: ボリシェヴィキ政権の宗教迫害−−「54人裁判」、府主教ヴェニアミンの裁判
5月5日: チーホン総主教の逮捕、収監
8月6日: 「革新派教会」の公会開催、総主教制に反対する宣言
1924年
1月21日: レーニン没
1月31日: ソ連邦憲法制定
1925年 4月7日: チーホン総主教死去ピョートル府主教の総主教代理就任、逮捕、収監
1926年 11月25日: セルギー府主教の逮捕、収監
1927年 7月29日: 総主教代理セルギー府主教の「忠誠宣言」、ロシア正教会の「セルギー体制」の成立
1928年 10月1日: 第1次5ヵ年計画
1929年 4月8日: 「宗教団体に関する法律」および「内務人民委員部指令」、「戦闘的無神論者同盟」の発足
1930年代初期:スターリンの宗教弾圧の激化
1936年 12月5日: スターリン憲法
1941年 6月22日: 独ソ戦の勃発(大祖国戦争)
1943年 9月4日: スターリンとロシア正教会首脳−−セルギー府主教、アレクシー府主教、ニコライ府主教−−とのクレムリンでの会見
スターリンの教会宥和政策−−「戦闘的無神論者同盟」の解散、「革新派教会」の解消
主教会議でセルギー府主教を総主教に選出
1944年 10月: ロシア正教会問題評議会の設置

5月15日: セルギー総主教死去
1945年 1月31日〜2月2日: ロシア正教会地方公会の開催、アレクシー1世総主教を選出ロシア正教会管理規約を決定
1946年 3月8日〜9日: リヴォフ教会会議、ウニア教会のロシア正教会への併合を決定
1953年 3月5日: スターリン死去
1956年 2月14日〜25日: 第20回党大会、フルシチョフのスターリン批判
1958年〜1964年:フルシチョフ体制下の宗教弾圧
1961年 7月18日: 主教会議
1964年
10月14日: フルシチョフ失脚
10月15日: ブレジネフ党第一書記就任
1965年:『科学的無神論の諸問題』の刊行開始
1970年 4月17日: アレクシー1世総主教死去
1971年 5月30日〜6月2日: ロシア正教会地方公会、ピーメン総主教を選出
1975年:宗教問題評議会「秘密報告書」
1978年 9月5日: ロシア正教会渉外局長ニコジム府主教ヴァチカンで死去
1979年 12月27日: ソ連軍のアフガニスタン侵攻
1980年:ブレジネフ政権の民族主義路線、クリコーヴォ平原の戦い600年祭
1982年 11月10日: ブレジネフ死去
1988年

4月29日: ゴルバチョフとピーメン総主教との会見
6月5日〜12日: ロシア正教会受洗千年祭
6月6日〜9日: ロシア正教会地方公会、ロシア正教会管理規約の決定
1989年
10月9日〜11日: 主教会議、初代総主教イオフおよび総主教チーホンの列聖ロシア正教会総主教制確立400年祭
12月1日: ゴルバチョフのヴァチカン訪問、法王との会見でソ連領内でのカトリック教の自由化
1990年


5月3日: ピーメン総主教死去
6月7日〜8日: ロシア正教会地方公会、アレクシー2世総主教を選出
10月1日: 「良心の自由と宗教団体に関する法律」
12月22日: 保守派53名による「アピール」−−アレクシー2世総主教の署名
1991年
8月19日: 「8月クーデタ」
12月8日: ソ連邦の解体
(ソヴィエト体制崩壊後のロシア正教会)
1992年
3月15日: 全世界主要首座主教会議(イスタンブール)
3月31日〜4月4日: 主教会議−−キエフ府主教フィラレートの解任決定
1993年 6月: 宗教法の改正案議会通過、エリツィン大統領署名を拒否 
1994年 11月29日〜12月2日: 主教会議
1996年
2月23日: エストニア正教会の分離独立をめぐってロシア正教会とコンスタンチノープル正教会との断絶
7月: ロシア国家会議「社会組織および宗教団体問題委員会」新宗教法案を作成

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