SRC Winter Symposium Socio-Cultural Dimensions of the Changes in the Slavic-Eurasian World ( English / Japanese )
精神分析によるロシア文化の新たな読解
―I・スミルノフ、A・エトキントを中心に―
貝 澤 哉 (早 大)
Copyright (c) 1996 by the Slavic Research Center( English / Japanese ) All rights reserved.
1.
80年代終わりから90年代にかけて、ロシアの文化研究のさまざまな分野で、これまでのロシア研究の常識的枠組みを脱し、その批判的な組み換えを めざす仕事が表面化するようになってきた。これには80年代後半からの、欧米のロシア研究や現代思想の成果の輸入、亡命研究者の帰還などが大きな契機に なっていると考えられる。たとえば、美術史や文学研究の分野では、スターリン時代以来の「社会主義リアリズム」を、社会主義時代の異質な文化として排除す るのでなく、ロシア文化史の流れのなかに有機的に位置づけ、意味づけてゆく旧ソ連人亡命研究者を中心とする試みが、ロシアで紹介されはじめている。 *1 最近ロシアであいついで刊行された、I・スミルノフ、A・エトキント、 S・ジモーヴェツらに見られる精神分析の手法によるロシア文化の新たな読解の成果も、やはり80年代半ば以後のロシアにおける精神分析関係文献の流入や、 亡命研究者による精神分析的文化研究の手法のロシア文化への適用のなかで出現したと言える。
興味深いことに、精神分析や美術史など、最近出現しはじめたロシア文化史に関するこうした一見多彩なアプローチには、ある共通の傾向が強く感じら れる。一言でいえばそれは、「ロシア的なるもの」の神話に対する強烈な批判意識であり、これまでロシア文化を語る際につねに反復されてきたロシアの特殊 性、ロシア的な文化・民族の本来性といった議論が本質的に孕んでいるナイーヴさや危険性を冷静に見極めようとする態度だ。これまでロシアの独自性の優れた 成果と見なされていたロシア文学や文化が、ここではそうした「ロシア的なるもの」の神話を文化的に支え、再生産するイデオロギー装置としてとらえられてい く。本稿では、精神分析的手法でロシア文化を分析した代表的な例としてI・スミルノフとA・エトキントの著作を検討するが、そこで私たちが注目したいの も、19世紀以来ロシア文化をめぐる言説のなかで受け継がれてきた「ロシア的なるもの」のイデオロギーに対する彼ら独自のスタンスの取り方である。
2.
では、それはスミルノフやエトキントによるロシア文化読解のなかで、具体的にどのように表現されているのだろうか。まずI・スミルノフの『プシホ ジアフロノロギカ――ロマン主義から今日に至るロシア文学の心理史』(モスクワ、1994)を検討することにしよう。この本は、おもにドイツ語圏の研究機 関でロシア文学研究を続けてきたスミルノフが、70年代末からさまざまな場所に発表してきた論文を集めてロシアで刊行したものだ。
スミルノフは、精神分析による文学の歴史的解釈を<Psikhodiakhronologika>という造語で表現する。その基本的 な考え方は次のようなものである。
文学テクストの心理史的基盤はどのように明らかにされるのだろうか。テクストのなかに、文化において支配的位置を占め、他の心理的タイプを排除す るような性格が表明されているとするならば、心理史がその文学研究(文化研究)への適用において必ず注意を向けることになるのは、テクストの作者が主体と 容体をどのような関係で結んでいるかということ、すなわち、作品のなかで認証されている権力の形態、そのなかで働いている支配(非支配)のイデーの特性で ある。 *2
つまり、特定の時代のテクストには、その時代に特徴的な主客の権力・支配関係構造のドミナントがあり、文学史・文化史はその構造の変遷の歴史と見 ることができる。スミルノフはこうした考え方に従って、いくつかの歴史的類型を提示する。
ある作者の性格にとっては、主体は、客体を支配しようとするとき、自分の対立物へと姿を変える(ロマン主義がそうである)。ある性格にとっては、 主体はその客体との関係において、残りの物すべてと類似する(リアリズムがそうだ)。ある性格にとっては、主体には客体を見いだす能力がない(シンボリズ ムがそうだ)。ある性格にとっては、主体は客体的なものの否定を前提としている(歴史上のアヴァンギャルドがそれだ)。ある性格にとっては(そしてそれ は、スターリン・ヒトラー時代の全体主義的性格なのだが)、主体は自己否定のプロセスのなかに自己の客体を探求する。(p.13)
これらの歴史類型に、スミルノフは精神分析の心理的タイプを結びつけ、ロシア文化史に適用していく。たとえば彼は、ロシアのロマン主義期やプーシ キンのテクストが、去勢コンプレクスの特徴を備えていると主張する。彼によれば、去勢コンプレクス段階にある主体は、去勢への恐怖を持っているゆえに、 自分の性に自己同一化することができない。そこから、自分は、同時に自己の反対物でもある(男性は女性でもある)ということになる。プーシキンのテクスト には、愛の妨害、あるいは愛の代償としての罰、愛と死の同一化という、カストレーションを直接に連想させるモチーフが頻出するし、プーシキンと同 時代のロマン派詩人たちにとって、その自己同一性のゆらぎはなじみのモチーフだった。
それに対して、リアリズム期はスミルノフにとってエディプス的文化としてとらえられる。スミルノフの言うエディプス的なものの論理とは、次のよう なも のである。
エディプス性が必ずしも家庭の問題ではない、ということに同意するなら、それは、人間になるという幼児の欲求としてその姿を現す。スフィンクスの 謎を解いたエディプスは、人間とは何か知っている。[…]エディプス性はトランスファミリアルであり、それは、幼児が、もし家族が存在していれば、そうし た家族から抽象される契機なのである(ソフォクレスの主人公が他人に育てられるのは偶然ではない)。(p.88)
このように考えると、エディプス的作者の心理的タイプとは、自己の個人的主 観を、一般的普遍的なものと同一視するようなタイプである。スミルノフによれば、いわゆるニヒリスト小説は、父親的なものへの抵抗と、普遍的・世界的なも のへの同一化においてこの図式に合致するが、ドストエフスキイ、レスコフ、ゴンチャロフらのアンチニヒリスト小説も、ニヒリズムを否定するという意味でや はりある種のニヒリズムにすぎず、親族共同体的なものを普遍化することで主体の自己同一性を確立しようとする点で、親族的なものから普遍的なものに向かう ニヒリスト小説のエディプス性の陰画にほかならない。
さらに興味深いのは、こうした「アンチニヒリスト小説」がロシアで流行した原因を、スミルノフが、農奴解放以降のロシアにおける農村的疑似親族共 同体の崩壊に結びつけていることである。この失われた共同体の代償の探求は、ゲルツェンからはじまり、N・フョードロフ、ローザノフ、ヴャチェスラフ・イ ワーノフを経て、バフチンにおけるアルカイックな共同体的カーニヴァルのノスタルジーにまで受け継がれているのであり、アンチニヒリスト小説のジャンル的 特性は社会主義リアリズム文学のなかにも生き残ることになる。さて、次に彼がとりあげるシンボリズムの特色は、リアリズム的なアナロジーの否定にある。シ ンボリズムのテクストでは、主体と客体を媒介するリンクが否定される。
幼児期のヒステリー性は[…]心理形成過程のサディズム期とエディプス期のあいだにある[…]。サディズム期に、崩壊した共棲を回復し、自立を回 避し、母親やその代用品に回帰しようと試みてきた幼児は[…]、最終的には自分にとって必要な対象が失われたという考えを受け入れる。ヒステリーの重要な 問題とは、対象の不特定性である。それは(母親やその代理物として)与えられ、また同時に与えられない。主体と客体の一対一の関係は、その意味を失う。こ の関係の否定は一対多関係となる。ヒステリー段階の幼児には、自分がだれと結合しているのかはどうでもよい。[…] ヒステリーの幼児は、自分が何を欲しているのかわからない。彼は自分の願望を知らない。彼はこのようにして、本能的なものそれ自体を克服する(本能的存在 にとってその対象はあらかじめ与えられている)。生物学的な宿命性と闘 うなかで、主体は、自らヒステリー的な発展の歩みを進めながら、エスと、具体的対象を持とうとする欲求と離れる。シンボリズム時代の人間は孤独である。 「出口のない孤独の意識と、自分を前にした神秘的恐怖――それが私たちの《我》の主要なトーンだ。」アンネンスキイは論文『バリモント――抒情詩人』のな かでこう嘆いていた。(p.163-164)
こうした欲望の対象の不特定性から、ヒステリー的主体は自分の性を決定できないが、それはシンボリズムにおけるイワーノフ・アンニバル、メレシコ フスキイ・ギッピウス、ブローク・メンデレーエヴァといった両性による共同の創 造作業にあらわれているとスミルノフは考える。また、対象の不在、不特定性 から、「深淵」、「物言わぬ自然」、「N次元の世界」、「高次のリアリティ」といったシンボリズム特有のメタファーが導き出される。さらに、エスの欲望の 対象を排除した主体は、その代替物として超自我(つまり他者の欲望の対象)の獲得をめざす。このことは、シンボリズムの第二世代におけるソロヴィヨフ主 義、シュタイナー主義、ディオニソス崇拝などへの従属に特徴的なものだ。
では、アヴァンギャルドをスミルノフはどのように見ているのだろうか。彼によれば、アヴァンギャルドの心理的性格はサディズムである。
生まれ来るアヴァンギャルドの美的実践を軽くざっと眺めただけでも、それが、暴力、強制、残酷さ、破壊性――科学的な意識も日常的意識もふつう 「サディズム」と見なすようなものすべてを正当化しようとする性向において、先立つどの時代の文学よりもまさっていることに、気づかないわけにいかない。 (p.182)
アヴァンギャルドの芸術はミメーシスの芸術ではなくアグレッシヴなアジテーションの芸術であって、芸術テクストの産出は、そこに描かれた現実の破 壊・消失をもたらす。なぜなら、スミルノフによれば、アヴァンギャルドのテクストの心理的機構は、メラニー・クラインが言うような、母の乳房という欲望の 対象を失った幼児のそれであり、そこでは失われた対象を「悪い対象」として破壊していく衝動が、サディズム的な攻撃性を生み出すからだ。アヴァンギャルド に、世界(対象)と言語(主体のオーラルな活動)を同一視しようとする傾向が存在するのも、外的世界を主観化するサディズム的攻撃性が本来オーラルなもの (幼児は乳房を噛む)だからである。
オーラルな攻撃性によって、アヴァンギャルドは、言語活動のなかに、指示対 象の世界を打ち破り解消するための手段を見いだすようになった(フレーブニコフの「言葉そのもの」)。事実の宇宙は、未来派の詩(コンスタンチン・オリン ポフ、シェルシェネヴィチその他多数)のなかで、言語の宇宙との違いを喪失した――
私はアルファベット 私の詩は文字
そして人々は――わが文字 (p.206-207)
一般にポスト・シンボリズム詩学において、メタファーにくらべてメトニミーの役割がはるかに重要視されているのは偶然ではない。というのもアヴァ ンギャルドにとって対象はその全一性を保てないからだ。彼らにとって対象は常に、原初的で円満な共棲関係から疎外され、すでに失われた「悪い(損なわれ た)対象」としてしか存在せず、したがって全体は、部分あるいはその派生物としてしか獲得できないからである。このように、サディズム的性格にとって、他 (者)の物とは、もともと自己の物であったのが奪われたものなので、アヴァンギャルドのテクストでは、世界は常に内在的であり、閉じられている。
内在的なものだけをめざすアヴァンギャルドの執着は、テクスト生成の最も単 純な手続でさえ、他なるものについてのイメージを作者から要求するという状況と、非常に大きな矛盾をきたすようになった。この葛藤を解決するために必 要となったのは、
(・)世界の光景から他なるものを完全に取り除き、そこに与えられていないものはすべて無標とするか、(・)または反対に、所与のものに言及せず に、他なるものを、それ自体閉じられた自己充足的なものとして描くか、(・)または他なるものを所与のものに、彼岸のものを此岸のものに包含するか、 (・)または最後に、所与のものを他なるものに包摂し、原初のものを、それと対立し、それと対比され、それによって暗示される意味的領域へ包摂することで ある。(p.218)
スミルノフによれば、(・)はセヴェリャーニン、(・)はパステルナーク、(・)はマヤコフスキイ、(・)はフレーブニコフに該当する。
アヴァンギャルドがサディズムで特徴づけられるのに対して、社会主義リアリズムはマゾヒスティックな文化である、とスミルノフは言う。
自己否定への志向に対応するのは(それについてはG・ドゥルーズが書いているが)マゾヒストの自然発生的な弁証法的性質であり、マゾヒストにとっ ては否定と肯定のあいだの差異は取り除かれたものとなる。弁証法はマゾヒストに内在的であり、後天的に得たのではない、生得のイデオロギー的財産となって いる。(p.238)
エプシテインが論じているように、社会主義リアリズムや全体主義文化がシミュラークルであり、参照項のない記号のシステムであるなら *3 、スミルノフがマゾヒズムの弁証法を社会主義リアリズムと結びつけるの も容易に理解できる。というのも、自己破壊のプロセスが自己のアイデンティティとなるマゾヒズムにおいては、外的現実における現象の不在が、その存在とし て解釈されるからだ。スターリン時代の文化は自己を消去しようとするので、そこには自己の文化に対する反省的意識がなく、したがって自己の文化のポエティ クスが 構築できない。そのため社会主義リアリズムは多様な様式の折衷とならざるをえない。全体主義のディスクールの特徴は、特徴や独自性の喪失という点にある。 そこでは最も一般的なトロープやトートロジーだけが許容される。 注目されるのは、スミルノフのこうした社会主義リアリズム理解が、アヴァンギャルド(特に後期)やバフチンにも拡大されることである。スミルノフはマゾヒ ズムを外向的、内向的の二種類に区分している。外向的マゾヒストが外部の力を必要とするのに対して、内向的マゾヒストは内的な自己省察によって自己を除去 する。スミルノフはオベリウやバフチンを、この内向的マゾヒズムの例として提示している。
後期アヴァンギャルドにおいて、作者は居場所を持たない。ドストエフスキイの小説を「ポリフォニー」として理解するM・M・バフチンの企ても、こ こから説明される[…]。M・M・バフチンのコンセプト(正しいものとはいいがたいのだが、今論じているのはそのことではない)にしたがえば、ドストエフ スキイは、彼自身のものでない、他者たちの意識に自己表現の自由を与えるために、自己をそのテクストから消去しようとしたのだった。このように、M・M・ バフチンにおいては、作者の自己意識は取るに足らぬ大きさなのである。(p.293)
スミルノフのこうした議論は、ロシア文化史の各時代を大胆に類型化、単純化して精神分析の図式に当てはめており、異論の余地を多く残していると言 える。にもかかわらずこの本が注目に値するとすれば、それはスミルノフが、文化・歴史学派の実証的研究でもフォルマリズム以後の内在批評でもとらえきれな かった文学テクストの別の局面を、「精神分析」という装置の助けをかりて切り開こうとしているからだ。それはひとことで言うならば、芸術テクストと、その 他の記号形成物(政治的、社会的イデオロギー)との出会う局面、芸術テクストを組織する欲動としての「権力の形態、そのなかで働いている支配(非支配)の イデーの特性」を明らかにしようとする試みである。つまり、スミルノフの仕事が示唆しているのは、私たちがこれまで自律的で実体的な自明の価値と考えてき たロシア文学・文化とは、実はある特定の社会的欲動に支えられて仮構された記号の支配システムにすぎないのではないか、という問いなのである。
3.
精神分析によってロシア文化史を批判的に読み換えようとする立場をより鮮明に打ち出しているのが、以下に検討するA・エトキントの『ソドムとプシ ケー――「銀の時代」の知性史』(モスクワ、1996)である。心理学の専門家で、すでに『不可能なるもののエロス――ロシアにおける精神分析史』(サン クト・ペテルブルク、1993)という著書もあるエトキントは、『ソドムとプシケー』において、その豊富な知識を駆使して、ロシア文化史の「銀の時代」と 称えられる19世紀末から20世紀初頭の意味を再検討に付す。スミルノフの精神分析が歴史類型論的であるのにたいして、エトキントの場合には、精神分析的 なテクストの読解は、その詳細で緻密な読み、些細で見落としがちな細部やマージナルなテクストの意味の掘り起こしのなかからその時代の目に見えない支配の システムを明らかにしてゆく点など、ミシェル・フーコーのアルケオロジー(考古学)を思わせるものがある。
「銀の時代」に対するエトキントの姿勢のなかに一貫しているのは、この19世紀末から20世紀初頭の時代が、たんにロシアにおける文化の高揚期で あるだけでなく、ロシア史における後の悲劇を準備するものでもあったという認識だ。
文化史のなかに、モダニズムはその起源とその帰結を持っている。モダニズムとは伝統からの断絶、新たな形式をとって伝統のなかに回帰してゆく病的 プロセス、ポストモダンへの過渡期……である。銀の時代はロシア文化の偉大な飛翔を生みだしたが、その悲劇的な墜落を準備したのもそれだった。銀の時代の 理想化から、その批判的歴史へと移るべきである。ロシアの地下文化の忘れられた奇妙さから、世紀初頭の輝かしい飛躍、そしてそこから――今世紀のロシアで おこったあらゆる恐ろしいこと、あるいは精彩を欠くことへと向かう過程を見破らなければならない。 *4
エトキントが、シンボリズムやアヴァンギャルドをはじめとする「銀の時代」の素朴な理想化を退けるのは、文化のテクストが、けっしてそれ自体で価 値的に完結した美的構造物ではないからである。彼によれば、新しい文化とは常に、メタファーの交代にすぎないのであり、その背後に、科学、芸術、宗教、政 治といった、たがいに関係がないように見える諸領域を貫く、変化しないアルカイックなものがひそんでいる。しかし文化のテクストは、そうした伝統のたんな る反映ではない。そこには社会の欲望が体現されているのであって、歴史の出来事とは、そうしたテクスト(の欲望)と現実の妥協形成物にほかならない。言い 換えれば、文化のテクスト(特に文学)は、その文化に組み込まれたアルカイックな欲望あるいはイデーを、新しい意匠のもとに再生産する装置なのである。だ からたとえば、革命をロシア文学が反映したのではなく、むしろ逆に、革命はまずテクストとして現実化され遂行されるのであり、その後に歴史のなかに反映さ れるのだとエトキントは言う。
ロシアにおける文化のテクスト産出の背後にあるこうしたイデーとしてエトキントがとりわけ重視するのは、19世紀後半から発展してきたロシア・ナ ロードにかんする神話である。彼はまず、ロシアにおけるザッハー=マゾッホの受容に注目する。ただしここで彼は、スミルノフのように「マゾヒズム=社会主 義リアリズム」といった類型化をおこなうのではない。彼の関心は「ザッハー=マゾッホとそのロシア人読者たちの歴史社会学」にある。
マゾッホは、1876年に最初のロシア語訳が出て以来、ロシアの保守派に評価されただけでなく、ナロードニキ系統の雑誌にも掲載された。それだけ ではない。ガリツィア出身のマゾッホの作品にはロシア人がしばしば登場するばかりでなく、西欧では彼自身が「小ロシアのトゥルゲーネフ」と呼ばれた。では マゾッホはロシア・ナロードの神話とどうかかわるのだろうか。
マゾッホに限らず、ヨーロッパに出現した心理小説というジャンルの背景には、感情というものの非合理性に対する意識がある。もともと啓蒙主義や資 本主義の精神は合理主義的なものであり、そこでは感情も、快と不快の算術にすぎなかった。サディズムやマゾヒズムは、当然そうした感情の算術を破壊するも のであり、したがって反ブルジョワ的だ。ブルジョワの歴史を回避しようとする者が、それを利用する。ところでロマンティックな言説のなかで、こうした反ブ ルジョワ的イデーは、エキゾティックな場所へと投影される。ロシアはヨーロッパ人にとってそうしたエキゾティックな場所の一つであった。
マゾッホが最もポピュラーであったフランスでは、彼はなによりもまず心理小説家と思われていた。しかしロシア人のために、彼は他にも何か特別なこ とをした。それはナロードニキ運動の高揚と破産の時代だった。[…]まさにこの時代に人民主義インテリゲンツィヤは、民衆のセクトとその非伝統的神秘主 義、共同体生活崇拝、彼らが実際におこなわれていると考えていた儀式殺人への興味をふたたび感じたのだった。自分がヨーロッパのロマンティックな期待の的 であることを感じ、またヨーロッパ人のモチーフを完全に共有していたが、しかし自分はそれにふさわしくはなれないと知っていたロシアの知識人は、おなじ操 作をおこなって、自国民のなかに「他者」を構成したのである。みずからは、彼らをあてにしていた西欧にとっての無意識という役をこなすことができなかった ロシアのヨーロッパ人たちは、「ナロード」の内部に他なる 生を探求し、例によって、それを見いだしていった。(p.29-30)
エトキントによれば、反ブルジョワ的でロマンティックなイデーは、神秘主義、政治、あるいはエロスのメタファーをまとって現れるが、ナロードニキ が政治的に崩壊したとき、まさに神秘主義とエロスに満ちたナロードの異端セクトが再発見される。1880年代は、セクト関係の書籍が大量に出回りはじめた 時代だった。マゾッホのテクストは、ロシアの知識人たちが探し求めていた、ナロードのセクト(鞭身教)の鮮明で魅力的なイメージを提供したのである。 もっともガリツィアは、知識階級がオーストリア人、地主はポーランド人、農民がロシア人だったので、マゾッホの小説ではナロードは宗教的メタファーではな く、もっぱら性的メタファーで語られていたのだが。こうして、マゾッホは、ロシアの大衆文学のなかに取り込まれただけでなく、そのモチーフはシンボリスト たち――ベールイの『銀の鳩』、ソログープ、ブローク、クズミンへと受け継がれてゆく。
ブロークをはじめとするシンボリズムのなかでエトキントが注目するのも、旧 教徒(特に去勢派)に対する彼らの異常なまでの執着である。もともと、母親 との結びつきが強かったブロークにおける「永遠の女性」のイデーは、肉体的な情欲の排除された非セクシュアルな女性性を求める点で、精神分析的な説明が適 合しやすい。しかしそれだけではなく、ブロークには、女性、男性にかかわらず性的なものを消去しようとする傾向がある。イプセンの『カティリーナ』を書評 した文章のなかで、ブロークは革命と性の問題を論じている。
しかしはるかに意義深いのは、ここでブロークが執拗に導入し、[論文]『カティリーナ』のなかで繰り返される「軽さ/重さ」の対立である。そこで ブロークが回想している、少女に対する最初の性的感情のなかには、「目覚めつつある子供の感受性の重さ」があった。ところが、少年に対して彼がいだいた感 情は「軽やかで、まったくどこかへつれていってくれるようなものだった。しかしながらそのなかには、独特の、遠い時代の恐怖があった」。(p.76)
ブロークにおける、少年への女性的なあこがれと、男性のヘテロセクシュアルな愛は、それぞれ「軽やかなもの」、「重々しいもの」に対応している。 ブロークにとっては、飛翔は肉欲とは相容れない。ところで1796年に去勢されたロシアの最初の去勢派の文書では去勢は翼をつけて飛ぶこととして語られて いるのである。
カティリーナからボリシェヴィキをつくり出すには、彼を去勢しなければなら ない。ロシアの去勢派セクト信者は、去勢が人間のトータルな再生をもたらし、人間を乙女のように軽やかですばらしく、神のように強く崇高なものにすると信 じていた。古い世界から脱するには、去勢しなければならない――文字 どおり、あるいは少なくとも「精神的」に。去勢された放蕩者はナロードの英雄となり、「新しい世界の蒼ざめた予見者」、キリストその人の似姿、化身となる のである……(p.105)
異端セクトに対するブロークの関心は、このように、芸術をとおして世界と人間を革新しようとするシンボリズムのロマンティックなイデーを、性的な メタファーのなかでナロードに投影したものだが、それはモダニズム以降のロシア文化において、けっして例外的なものではない。エトキントによれば、ロシ ア・モダニズムをつらぬく心理学的イデーとは、「自然=心理=カオス」は「文化=コスモス」によって組織されるべきだ、という考え方であり、性的区別の消 去や肉体的情欲の否定(去勢)とは、フィジカルなものとしての自然を、精神的なものとしての文化へと組織することの当然の結果なのである。たとえばN・ フョードロフの未来の共同体においては、テクノロジー(文化)によって人々は共同事業へと団結し、その死後の世界のなかで性から解放される。また、ソロ ヴィヨフにおいては、理想的人間は男や女であってはならず、その二つの高次の結合なのであり、性的区別は死を招く。ベルジャーエフにとっても、性交は、ア ダム、キリストが備えていた、失われた両性具有を取り戻そうとする行為だった。
チュッチェフ、ソロヴィヨフ、ブローク、ベールイにとって、自然の一部分としての心理は、外側から組織され、文化という明るい原理に従属しなけれ ばならない。これはモダニズムに典型的であり、その影響ははるか後にまで尾を引いている。トロツキイやヴィゴツキイ、ルナチャルスキイやザルキントは、事 実上この同じ枠組みのなかで思考していた。(p.225)
すでに見たように、ブロークは革命家カティリーナの去勢的特徴に注目していたのだが、フィジカルなもの(性の区別)の消去による自然の文化的組織 化というイデーは、実際にボリシェヴィズムの革命イデオロギーへと取り込まれる。そして革命のイデオロギーのなかで、自然と文化の関係は完全に反転し、テ クストが生の模倣なのではなく、生がテクストの模倣になっていくのである。
[…]左翼は人間のなかに、文化のための場所を、右翼は自然のための場所をより多く確保しようとする。ボリシェヴィキはイデオロギーのなかに、人 間の振る舞いを変え、労働生産性に影響し、病人を健康にし、健常者をスタハーノフ作業員にすることのできる全能の道具を見ていた。そしてかなりの程度ま で、そうしたことが起こっていたのである。イデーは方法となり、テクストは生となった。(p.254)
さらにエトキントは次のように述べている。
構造的用語で言えば、それは自然と文化の対立の、完全な反転である。人間の自然とは、たんにその文化である、という信仰は、人間の事業のあらゆる 領域へのラディカルな干渉の規模をとてつもなく大きくする。事実上、自然を文化で置き換えることは、どんな全体主義プロジェクトにおいても知的な基盤と なっているのである。(p.256)
このように、銀の時代のロシア・モダニズムの根底にあるイデーは、ある種の屈折を受けながらも、革命期、そしてスターリン時代へと受け継がれ、機 能しつづけていく。そのイデーの核心を、エトキントは次のように要約する。
権力のイデーは、ロシア・モダニズムのセミオシスをつらぬき、その内的次元となっている。文化には、自然に対する権力が備わっていなければならな い。自然はサボタージュするが、しかし従属しなければならない。ミチューリンが言っていたように、自然からの好意を待っているのではなく、それを奪い取る ことが、われわれの課題なのだ。文化は記号の世界であり、自然は意味されるものの世界だ。記号は意義よりも重要であり、意義を変更する権力を与えられてい る。社会的権力は記号に支えられており、それ以外の何者にも決定づけられることはない。「意味するもの/意味されるもの」という対立は、「権力/従属」と いう対立に相関している。そしてどちらも、「文化/自然」という普 遍的対立に一致しているのである。(p.259)
このような観点からすれば、フロイトの精神分析を批判し、人間の無意識の問 題を、社会的なイデオロギーの記号的現象として読み換えようとしたヴォロシノフの言語思想は、二十年後、言語以前に人間の思考が存在することを否定したス ターリン言語学の直接的な先駆けである、とエトキントは言う。それは、人間のなかには読めないものは存在しないこと、したがって、逆に記号を組み換えれば 人間や社会は完全に改造可能だということを意味する。この論理はフォルマリズムやヴィゴツキイにも浸透しているものなのだが、それは、全体主義ユートピア を支えている目に見えない権力支配のイデオロギーとして機能している。
権力闘争とは、支配できるものを獲得する闘争であり、その他のものの否定である。反権力の闘争とは、支配することが不可能なものを承認することで ある。権力とは形式である。それは人類学における言語、言語学における構造、詩学における手法、心理学における意識なのだ。(p.298)
以上のように、反啓蒙、反ブルジョワ的で、フィジカルなものを排除しようとするユートピア的イデーは、19世紀のロマン主義以降のロシアにおける 文化のテクストを支配し、ナロードや旧教徒の再発見と理想化をうながし、モダニズムの性的メタファーに浸透し、社会主義時代の文化理論として生き残り、そ して現在にいたるまで、さまざまなユートピア的言説やロシアのナショナリスティックなイデーとして、形を変えて再生産されつづけているのである。『ソドム とプシケー』は、他にもモダニズムによる19世紀初期のロシアの神秘主義 の再発見、ロシアにおけるフロイトの弟子たちの思想など興味深いテーマに満ちているが、いずれの場合にも、その根底にあるのは、文化のテクストそのものの なかに潜む権力への欲望を掘り起こし、現代まで続く「ロシアのイデー」神話の歴史的起源を問おうとするエトキントの姿勢なのである。
これまで述べてきたことからわかるように、スミルノフとエトキントでは、おなじ精神分析のタームを使用しながら、そのアプローチは、類型論とアル ケオロジー的方法というように、相当に異なったものとなっている。それにもかかわらず、これらの研究の方向には明らかな類似点がある。それは、ロシア文学 のテクストを、自足した価値としてではなく、ある権力や欲望を表象する文化装置としてとらえ、そうした視点から、これまで自明の価値として賞賛されてきた ロシア文学の精華(プーシキン、銀の時代、アヴァンギャルド、バフチンなど)を根元的な批判にさらし、それらの文化的価値と、ロシアの全体主義イデオロ ギーや社会主義文化との隠蔽されたつながりを見いだそうとする態度である。ロシアの独自性の優れた成果であるロシア文学や文化は、実は「ロシア的なるも の」の神話を文化的に支え、再生産するイデオロギー装置でもある。こうした視点は、すでに述べたゴロムシトクやグロイスにも共有されているものであるが、 このように現代のさまざまな論者が、特に19世紀後半からアヴァンギャルドにいたるロシアの文化と、それに続く全体主義文化のあいだにあるイデオロギー的 な結びつきの問題に注目するのは、それが過去の「ロシアのイデー」に対する根底的な批判だからというだけではない。忘れてはならないのは、現在のロシア文 化もまた、80年代後半の社会主義崩壊期に、銀の時代やアヴァンギャルドのリバイバルからはじまったのであり、基本的には、古いロシアの文化装置に対する 根元的な批判をなんら通過してはいないということなのである(たとえばガチェフによる「ロシアのエロス」論やレフ・グミリョフにおけるネオ・ユーラシア主 義、ポストモダンの文学のなかにそれは現れている)。スミルノフ、エトキント、ゴロムシトク、グロイスらの仕事の背後には、現代の、新しい時代のロシア文 化と見なされているものが、実は過去のロシアのユートピア・イデーを無批判に再生産しつつあることへの異議申し立てがあると考えいてよいだろう。その意味 で、彼らのロシア文化史研究は、現代ロシアの文化がこれから進む道を考える上でも大変貴重な示唆を与えてくれるものなのである。
−注−
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