1; |
1992年のロシア教育法には邦訳がある。『季刊・教育法』、1993年、No.93;
No.94、及び関啓子・澤野由紀子編『資料ロシアの教育:課題と展望』新読書社、1996年、収録。この法の評価に関わる研究としては、岩崎正吾『転換
期ロシアにおける教育改革の研究』近代文芸社、1994年、があり、その第3章「エリツィン教育改革」は、この法律の要点を準備法案と比較し、新制度を
「教育の(形式的)自由化」と結論する(同書p.162)。しかし、私は、これでは素朴に過ぎるばかりか、実際の自由化の意義と困難の存在に立ち入ろうと
しないものと考える。一方、松永裕二「ロシアの教育改革」は、この法による改革の性格を「市場経済への移行を基盤にした『教育における自由と多元主義』の
路線」と規定している(石川・塩川・松里編『講座スラブの世界4スラブの社会』弘文堂、1994年、p.109)。私は、この評価は考慮に入れつつ、ロシ
アの教育の実相を検討したい。 |
2; |
1992年教育法は1996年始めに部分修正された。修正法は、教育の定義に関する序文において語順を改めて、「教育」の序列を引き
上げた。しかし、本報告の取り上げる、法律全体の基本理念は当初と変わっていないと考えられる。 |
3; |
たとえば、大学改革に対するロシアの大学長たちの団体における本音を聞かれたい。参照:拙稿「ロシアの大学の現在」『大学と教育』第
12号、東海高等教育研究所、1994年、p.87; Uchitel'skaia gazeta(『教員新聞』), No.19-20, 1994,
pp.12-13. |
4; |
Uchitel'skaia gazeta, No.49(9.XII), 1995, p.13 |
5; |
E.Sirotkina, "Kak odin deputat prochital uchebnik istorii i
chto iz etogo vyshlo," Pervoe sentiabria (『9月1日』紙), No.116(21.XI),
1996, p.1.
なお、改革派の歴史教員や前教育相のドネプローフは、ソビエト崩壊前後からは、歴史教科書からの史的唯物論の追放を主張するようになっている。『毎日新
聞』1996年6月12日。 |
6; |
N.Bunyakina,"'Perekhodnye' uchebniki," Uchitel'skaia gazeta,
No.48(3.XII), 1996, p.14. |
7; |
Pervoe sentiabria, No.96(26.IX), 1995, p.2. |
8; |
Pervoe sentiabria, No.96(26.IX), 1995, p.2. |
9; |
Uchitel'skaia gazeta, No.5(7.II), 1995, pp.12-13. |
10; |
Uchitel'skaia gazeta, No.2(17.I), 1995, p.3. |
11; |
Pervoe sentiabria, No.120(30.XI), 1996, p.1. |
12; |
大統領令は、Pervoe sentiabria, No.72(21.VII) 1994, 他に掲載。 |
13; |
「ロシア連邦教育法の修正と補足」: Rossiiskaia gazeta, 23, I, 1996;
Uchitel'skaia gazeta, No.5(30.I); No.6(6.II) 1996,
なお、ウクライナも同じ頃、教育法修正に取り組んでいる。Uchitel'skaia gazeta, No.28(25.VII),1995,
p.4. |
14; |
"Uchenie bez iskliucheniia," Pervoe sentiabria, No.14(6.II),
1996, pp.1-2. |
15; |
"Starsheklassniki," Pervoe sentiabria, No.46(23.IV), 1996,
p.2. |
16; |
村山士郎・所伸一編『ペレストロイカと教育』大月書店、1991年、pp.77-8;> E.Dneprov,
"Chetvertaia reforma," Uchitel'skaia gazeta, No.26(27.VI), 1990, p.3. |
17; |
D.Dokuchaev, "Chastnye shkoly sdaiut ekzamen na vyzhivanie,"
Izvestiia, 14, IX, 1995, p.5. なお、96年末の段階ではモスクワに260校前後の私立中等学校が存在する。 |
18; |
L.Rybina, "Orel ili reshka," Pervoe sentyabria, No.102(17.X),
1996, p.1. |
19; |
独自の非国営教育法の審議は国会で続けられているが、方針が定まらないのか、進行はきわめてゆっくりしたものである。
Uchitel'skaia gazeta, No.3(24.I), 1995, p.2; No.7(21.II), 1995,
pp.12-14;O.Kutasova, "Dozhivut li chastnye shkoly do sleduiushchego
veka?" Uchitel'skaia gazeta, No.52(31.XII), 1996, p.10. |
20; |
1995年春の世論分布、及び1996年大統領選挙時の各候補者の見解。Uchitel'skaia gazeta,
No.17-18(4.V), 1995, p.4; No.23(4.VI), 1996, pp.11-14. |
21; |
Izvestiia, 30,IX,1994, p.7. |
22; |
Izvestiia, 27,IV,1994, p.4. |
23; |
Pervoe sentiabria, No.13(2.II), 1995, p.1; Uchitel'skaia
gazeta, No.15(18.IV), 1995, p.19. |
24; |
E.Dolginova, "Vynuzhdennye pereselentsy," Pervoe sentiabria,
No.123(7.XII), 1996, p.4.
このレポート記事で、「学校建物の民営化猶予期限はあと1年余りで満期である。先はどうなるのか?」と懸念が表明されている。 |
25; |
Uchitel'skaia gazeta, No.40(17.X), 1995, p.12-13. |
26; |
1996年9月13日の政令1092号として「社会的リハビリテーションを必要とする未成年の特別施設に関する模範規程」が出され
た。現在全国に400以上の児童収容施設(Priiuty)が地方行政府の手で作られている。この政令の序文が毎年の孤児発生数を挙げた。
Uchitel'skaia gazeta, No.40(8.X), 1996, p.11. |
27; |
E.Rybinskii, Sirotlivoe detstvo, Uchitel'skaia gazeta,
No.45(12.XI), 1996, p.5. |
28; |
Osnovnye itogi, problemy i puti razvitiia rossiiskogo
obrazovaniia. 1996 god, Moskva, 1996, pp.48, 57. |
29; |
実際にはもっと多いだろうと言われる。Pervoe sentiabria, No.114(16.XI), 1996,
pp.1,4. ちなみに、学校中退がウクライナではロシア以上に増加している。Ibid., No.90(12.IX), 1995, p.1. |
30; |
教育学者でロシア教育アカデミー会員のグレイゼルは学校中退未成年の犯罪急増が顕著になった1993年、これについて述べて、「犯罪
は減らないだろう。学校が全員に教えることができるようにならない限り」と結論した。Izvestiia, 20VIII,1993, p.4. |
31; |
E.Tkachenko, "Vospitanie-vazhneishaia funktsiia
obrazovaniia." Osnovnye itogi, problemy i puti razvitiia rossiiskogo
obrazovaniia, pp.75-76. |
32; |
Uchitel'skaia gazeta, No.27(18.VII), 1995, p.3
「<世論>基金の専門家の調査に応じたロシア市民の18パーセントはわが子が現在復活しているピオネール組織に入ることを望まない。回答者の32パーセン
トはわが子がかつてのタイプのレーニン運動体に加入しても反対しないと言明した。36パーセントは逆に、共産主義イデオロギー抜きの組織だけに子どもを入
れることに同意し、15パーセントは答えにくいとした。」 |
33; |
まず、「訓育活動を放棄した法律と学校」という問題設定が行われており、あわせて、「ペレストロイカ10年後の学校における訓育」が
総括されている。Uchitel'skaia gazeta, No.49(9.XII), 1995, p.18; Pervoe
sentiabria, No.116(14.XI) 1995; O.Gazman, "Vospitanie v shkole posle
desiati let perestroiki," Pervoe sentiabria, No.119(21.XI), 1995,
pp.2-3.
この中で、イーゴリ・イワノーフ教授の「思いやり(zabota)」の訓育理論が注目され、また、それを踏まえて、教育作家のソロヴェイチーク(1996
年没)は「非強制的な集団主義」を提起した。Pervoe sentiabria, No.104(14.X); No.116(14.XI);
No.134(28.XII) 1995.
他方、ペレストロイカ前から行政・命令的な教育・運営スタイルを廃止して知られるモスクワ825番学校の校長、ウラヂーミル・カラコーフスキーは論文「訓
育の袋小路」において、訓育軽視の傾向と文化のアメリカナイゼーションを重ねて読み、これを批判している。Uchitel'skaia gazeta,
No.25(18.VI), 1996, p.6. |
34; |
参照:拙稿「「民主化と人間化」が教育ペレストロイカのキーワード(1988年12月の全ソ教員大会より)」『ソビエト研究所ビュレ
ティン』(1989年)4号pp.34-5、5号pp.21-2.
また、エリツィン下ロシア連邦の初代教育相ドネプローフの論文「第4の改革」は言う。「〔ペレストロイカがぶつかった最後の〕障害は平等主義の遺伝子であ
る。それは、数十年にわたり、われわれの意識に植え付けられている……。われわれは、平等化され、平均化された学校空間では教育の進歩が不可能であること
を理解したくないか、もしくは理解できないでいる。」E.Dneprov, "Chetvertaia reforma," p.3. |
35; |
所伸一・桑原清・園田貴章の共同研究「体制変動下ロシアの学校制度とカリキュラムの研究」の一環で、園田氏が行った現地取材より。 |
36; |
Pervoe sentiabria, No.105(22.X), 1994, p.1. |
37; |
Uchitel'skaia gazeta, No.33(29.VIII), 1995, p.19;
No.45(21.XI), p.18. |
38; |
Ministerstvo obrazovaniia Rossiiskoi Federatsii, Osnovnye
itogi, problemy i puti razvitiia rossiiskogo obrazovaniia. 1996 god,
Moskva,1996, p.141. |
39; |
E.Dolginova, "Komu real'no podchiniaetsia shkola: Vlast'
mestnaia, no absoliutnaia," Pervoe sentiabria, No.11(30.I), 1996, p.1. |
40; |
地方行政機関による教員給与予算の別途流用の「非」が報じられている。Pervoe sentiabria,
No.43(15.IV), 1995, p.1 沿海州の例;Ibid., No.23(27.II), 1996, p.1.
サラートフ州が1995年後半の国庫負担教員給与予算を40%しか渡していない、と大統領が断定した、等。 |
41; |
V.Kozlov, A.Lobok, "Oborotnaia storona shkol'noi svobody,"
Pervoe sentiabria, No.97(5.X), 1996, p.2. |
42; |
新聞の「教員世論研究所」と題された連載から。Pervoe sentiabria, No.29 (14.III),
1995, p.2.さらに、他の主張もある。「特別な子ども:実践は、能力で子供を分割するのは危険であることを証明している」。Pervoe
sentiabria, No.99(8.X), 1994, p.2.
かくして、この「改革」志向新聞は、この点では、<股割き>状態に陥っていると言える。新しい教育観と新しい学習組織論の結合を模索しなければなるまい。 |
43; |
Uchitel'skaia gazeta, No.24(11.VI), 1996, p.4.
決議:「両院議会公聴会の勧告:ロシアの教育と国家的治安」が行われた(1996年5月21日)。"Rekomendatsii
parlamentskikh slushanii," Pervoe sentiabria, No.79(15.VIII), 1996,
prilozh. dokumenty, pp.1-2. |
44; |
A.Abramov, "Chisto vedomstvennaia sistema obrazovaniia sebia
izzhila," Uchitel'skaia gazeta, No.30(8.VIII), 1995, prilozhenie, p.2.
アブラーモフはモスクワ教育システム発展研究所(MIROS)代表をつとめる。この研究所は、新しい教材の開発及び発行、教育の現状批判の世論喚起のた
め、民間版の白書づくり、などを行っている。 |
45; |
先のコズローフとローボクは言う。「〔今日の学校が〕はらむ、かなり深刻な危険……それは、今日の権力システムにおいて学校に位置が
与えられていないことに関わっている。また、そのため、現在わが国の学校は今まで経験した中でももっとも深刻な危機の前夜にあると予想せざるを得ない。ま
だ2年前には、おそらく、こういう断言は誰かに真に受けられることはなかった。」前掲論文、Pervoe sentiabria,
No.97(5.X), 1996, p.2. |
46; |
経済学者タチヤナ・ポポーワは言う。「文化的要求水準の低下の経済的な帰結が現在あらわれているが、将来は、住民の教育水準と労働力
の職業的準備度の低下となって、もっとひどく現れることであろう。すでに指摘したように、現代ロシア文化における危機的現象の主な発生原因は、財源の不足
ではなく、住民の文化的要求水準の激しい低下である。したがって、危機の出口は、住民の文化的要求の引き上げに、すなわち養育と教育の引き上げに求めなけ
ればならない。」T.Popova, "Kul'turnye posledstviya rossiiskikh reform,"
Moskovskaia pravda, 20.XI,1996, pp.12-13. |